エッセイ「たろうさんの色覚障害」

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第1話

多くの有名な画家が色覚障害なのです。


エッセイ『たろうさんの色覚障害』

                            清水太郎


人は多くの悩みや苦しみを抱えて生きている、多分それが人生なのだ。途中リタイアはスピード違反になる。気楽に生きられたら、この世は天国に違いない。人間が素晴らしいのは「死・苦・楽」という命題に、各自が向き合っているからだ。望まないのにハンディキャップを背負って生きる。バネが折れないことを願います。

先天性色覚障害で多いのは赤緑色盲のようです。日本人男性の20人に1(5%)、日本人女性の500人に1人(0・2%)、さらに、外国の白人男性の8%、黒人女性の4%のようです。日本には300万人の先天色覚障害の方がおられるそうです。

私の小学3年生の通信簿には赤緑色盲と書かれています。2学期の欄に、王様クレヨン展覧会入賞とあります。南多摩高校定時制3年生の時は満19歳でした、その通信簿には赤緑色弱、結膜炎、右目0・9、左目1・0、身長175・2センチ、体重60キロが残っています。小学校から高校までの通信簿は全てあります、小学校の努力賞と展覧会入賞の賞状等も、確か筒に入れて家の何処かにあるはずです。絵は得意でした、中学生まで教室に必ず飾られていました。色彩が豊かに見えたのでしょう。この頃王様クレヨンの展覧会で、入賞した子供さんは画家になられた人が多いようです。

中学生の春に急性腎炎になりました。3月の春休みに、霊園の造成工事のバイトをした、その影響もあるようです。生活保護を受けている家庭でお金が欲しかったのです。身体が大きくても力仕事にはむいてないのですね、3ヶ月程入院して卒業まで休みがちでした。家の近くに住まわれている画家で織物のデザインをされている方から、「卒業したら仕事に来ないか」と誘われました。担任で図画の先生には反対されました。

2年の時までは成績が優秀でした、進学をあきらめた夜に、布団の中で泣きました。就職では沖電気を受験したのです。試験の手応えは十分でした。試験の前に行われた、色神の検査は前の人の答えた数字を答えて、すり抜けたのです。採用係の人は出席日数を見て多分、私を落としたのでしょうね。今から思えば当然ですが、その時はそこまで考えが及びませんでした。

初めての勤め先が、東ゴムという小さな工場でした。糸ゴムを作る仕事で、5ヶ月で辞め、父の失対仲間のご縁で、電機の配線工になりました。ハンダゴテは中一からラジオを作るのが趣味で、少しの知識があり役立ちました。最初の頃は図面を見て、配線コードの色も自分で決めるのです。仕事で白地にカラーの配線コードを使うのですが、読みづらい色がありました。図面に色鉛筆で塗られたのを見分けるのにも苦労しました、抵抗値を色で読む事もあるのです。

配線工の仕事は卒業を契機に辞めました。

工学院大学2部電子工学科に1年だけ在籍しました。将来役に立つだろうという、打算的な思いがあったからです。授業で「文学とは何か」と言う本を、読んだときにようやく自分には文科系なのだと気がつきました。オーディオメカーのテァックでデーターレコーダーの調整をしながら大学に通いました。しかし、文学部に往こうと数か月勉強したのですが、早稲田大学第2文学部と國學院大學第2文学部史学科を受験しました、結果は全て落ちました。当時、早稲田には吉永小百合さんが居られて、逢えるかもと思っていました。甘い妄想でしたね。後で知りましたが、テァックには伝説の人と言われた、日本電産の永守重信さんが居られたのです。

免許を取り、京都や山登りをしていました。単独行です、加藤文太郎にも憧れていたのです。スポーツ用品の卸の営業担ったときは既に24歳でした、天職だと感じてバリバリ働きました。結婚は28歳の時で、仲人は社長と専務の夫婦でした。

作家になりたい思いが募り、33歳の時に思い切って会社を辞めたのですが、作品は何も書けずに終わりました。系図を作成する会社に勤め、自分でも「多摩家系協会」という仕事もしたのですが失敗でした。前のスポーツ用品の会社に戻りました。しかし社長と専務は離婚するような状態で、会社は倒産寸前だったのです。2年後の2月でした、「明日から出社しないで下さい」と夜中に電話が来て失業です。この年の初詣に身延山へ行ったのですが、お神籤を引いたら大凶でした。

時間がありました、父も母も信仰心の強い人でした。最悪なのは自分で神になろうと、自己流で修行を始めたのです。人は思い込めば周りの出来事が、自分の思いのままに見えてしまうことです。夢やノートに意味不明の文字をかいていました。行動も明らかに異常でした。その結果が3日間の精神病院への入院です、返ってきて、ようやく取り返しのつかないことをしのだと布団の上で気がつきました。病名は誇大妄想協でした、薬をそれから23年間飲み続け、先年8月に飲むのを辞めました。滅寝付きを良くする薬は今も飲んでいます、今は睡眠障害の人は多いので通っている医者で貰えるのです。

38歳の時に、10年目にして娘が生まれましたが、仕事はまだ転職を繰りかえしていました。娘が保育園へ入る4月に、やっと仕事ができるようになったのです。派遣会社で役員の運転手の仕事でした、その仕事が天職だったのでしょうね。68歳まで非常勤を含めて続けました、人身事故を起こさなかったことが幸いです。最後は物損事故で辞めました。

精神的につらい時期を乗り越えたのは妻のおかげです、中古の家も買えました。山登りに往き始めた20歳の頃から山の詩を書き始め、独りの時や、病気で辛いときに書いたノートが3冊になっていました。そのノートの詩を自分の「清水太郎の部屋」というブログで発表もできました。郷土史の研究成果も自分のブログで「清水中世史研究所」として書いたのです。

免許証は赤青黄の三色を見分けられれば良かったのです。タクシーの2種免許も規制緩和で今は取れるようですね。平成1年の7月から平成26年の10月まで役員運転手の仕事でした。ある会社の会長を乗せて富士山に行った時なのですが、「たろうあのツツジが綺麗だな」と言われ、ツツジの赤が判らなかったのです。生返事で答えていました。

私のハンディキャップは3つです。色覚障害とハゲに心の障害です。ハゲは幼児の頃にヒジロに落ちて負った左頭にありました、今は髪の毛で目立ちません。腎炎で入院していた頃に、整形手術をしましたが、治りませんでした。子供の頃は見られるのが嫌で、暗い子供でした。傲慢な子にならないように、神さまが印を付けられたのだと最近になって書けました。母は私が火傷を負ったことに、随分悩んだと思います。

色覚障害は先天的なもので、母方の祖父が持っていたからだと思います。視力もかなり悪く、産まれた際の事情があるようです。養子に出された事も関係していると思います。劣性遺伝ですが、先祖に選ばれたのだと思っています。 今でも好きな同級生の幸子さんのお姉さんは、色覚障害をお持ちです。色白の美人で、私が子供の時に峰山から花火を見ていた時に、お調子者の私は胸をギュッと掴んでしまったのです。柔らだった感触を今も覚えています。謝罪する機会があると嬉しいです。幸子さんと結婚していたら、私たちの子供たちは色覚障害を持っていたでしょう。幸子さんは私の担任だった先生に絵を学んでいます。先生の絵は高く売れるそうです。従姉は銀座で個展を2回開いています。妹も絵を習い、姪も絵を描くのが好きです。

孫たちを将来、画家と作家と歴史家にしたいと望んでいます、三人目が欲しいです。私も画家にと思ったことがあります。検索すると有名な画家たちが多いです、驚きました。

自分がどのような色覚障害を持っているのか調べました、3型2色覚で、青色にも障害があるます。かなり珍しいようです、初めて知りました。3型色盲の頻度は数万人に一人(約0.002~0・007%)とまれで、赤緑色盲の人には色盲でない人よりも青を明るく感じる傾向があると言います。私には春の新緑が特に素晴らしく感じられます。

ネオ・ダルトン社のキャッチフレーズにこのような記述がありました。「色覚異常の人は微妙な、緑、の違いを容易に識別できるといわれています。草むら虫、山の中の山菜、密林の中のカメレオンなど。その反面、赤、が見えにくいのです。緑が神のプレゼントと言うようです。」

タブレットとスマートフォンに、無料の色覚のアプリを入れて試したのですが、使い方が良く分かりません。メガネやコンタクトもあるようです。「100円ショップに色弱アシスト売っています」の記事を見つけました。検索しましたが売り切れですとありました。アプリやメガネも補助と書かれています、それらをかざしても冬は外の景色も同じに見えます。まったく違う世界が見えると嬉しいのですが、夢でしょうか。

世界の女性の2~3%が、4色型色覚という特別な錐体細胞を持つようです。別の研究によれば女性で50%、男性でも8%を持つだろうとしています。4型色覚とされるヒトは英国で2人が確認されているとあります。

才能とは何なのだろうか、色覚異常だと判って、高校のクラブでは社研部に入ったのです。このクラブなら歴史が出来るだろうと思ったからです。文化祭では八王子城の写真や絵図を貼だしていました。先生達とデモにも行きました。


エッセイ応募作品です、平成28年7月(校正)10日。

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