【短編】彗星の行方
ボンゴレ☆ビガンゴ
彗星の行方
コツコツと靴を鳴らして皆が集まっている部屋に入ってきた男がいる。 白崎中佐である。いつもと同じ仏頂面ではあるが、どこか様子が違った。
(き、来た!)
談笑していた海軍予備学生の増田と田中は事の重大さに気がつき言葉を失った。
白崎中佐の右手には紙切れが握られていた。仲間達も一様に顔を強張らせている。
和やかな雰囲気は瞬時に消え去り張り詰めた空気に室内は包まれた。
静まり返った皆の前で、白崎は淡々と話し始めた。
「出撃が決まった。明朝7時だ。では、これより出撃する隊員を発表する。」
ごくりと唾を飲み込む隊員達。帝国海軍に入隊した時から毎日の様に国の為に殉ずるという精神を叩き込まれ、死ぬ覚悟は出来ていると思っていた。
戦局は悪化の一途を辿り次々と特攻隊が編成され南方の空に消えていく。それがもう日常になっていた。訓練用の練習機さえまともな燃料はなく、いつ事故が起きてもおかしくない状況にもあった。
現に訓練中、空の上でエンジンが止まり墜落して死んだ者もいる。死はいつもすぐ近くにあったのだ。
『この隊から特別攻撃隊に選ばれることを拒むものはいないであろうが、決まりである。各自、自分の進む道を間違えぬように』
そう言われたのは先週のこと。皆に配られた紙には3つの言葉が書いてあった。
『熱望』『希望』『志願せず』
『熱望』を喜んで選択する者もいた。必死に外れることを祈りながら『希望』を選択する者もいた。『志願せず』を選ぼうとしたものの上官の無言の圧力で『熱望』を選ばされた者もいた。
確かに田中も増田も『希望』に丸をつけた。戦争の状況ははっきり言って悪い。本土決戦が声だかに叫ばれ、一億総玉砕という言葉が現実味を帯びて来ている。しかし、訓練で危ない時があっても空襲警報がなっても、どこかで自分だけは死なないと思っていた。
田中は深呼吸して白崎の言葉を待った。横を見ると増田が拳を握り締めて目をつぶっていた。
(大丈夫、自分達が選ばれることはない)
自分で『希望』を選択したのにも関わらず、田中は自分にそう言い聞かせていた。壇上の白崎は特に感情も出さずに、いつものトゲトゲしい調子で言った。
「一号機山田。二号機金城」
名を呼ばれた山田も金城も真っ青な顔をして瞬き一つしない。田中は祈るように目を閉じた。
「三号機坂本、四号機増田、以上4名!」
(増田!?)
脳天を鈍器で殴られたかのような稲妻が走った。増田は40名もいる隊員の中でたった4人が選ばれる特攻隊員に選ばれてしまったのだ。
増田は信じられないというよりは、理解できないといった顔をしてこちらを向いてきた。
「い、今、俺の名前、呼ばれたか……?」
田中には小さく頷くことしか出来なった。田中の頭の中はぐるぐると回っていた。さっきまで来週の訓練の予定を話し合っていたのに。さっきまで明後日の外出の行き先を考えていたのに。故郷に残した嫁に出す手紙の内容を楽しそうにしていたのに。
とても増田の顔など直視できなかった。
「以上4名は出発の準備をしておけ。なお、4名は特別外泊も許可される。最後の晩だが、酒は程々にしておけよ。明日に差し障りのないように。以上!」
白崎はそう言い残すと入って来た時と同じように靴を鳴らして部屋を出て行った。選出された増田他3名を除き、安堵のため息が溢れた。
すぐに祝杯の用意がなされ宴になる。皆が選ばれた4人に酒を告ぐ。田中も増田に酒を注ぎ「おめでとう」と言った。 言う方も言われる方もどこか後ろめたさを感じていたが、酒が入り、一時間も経つといつもの調子になった。
山田は遺書を書いていたが顔を明るく、坂本は仲間と肩を組み大声で歌っていた。
増田もさっきまで顔面蒼白だったのが嘘のように笑いながら酒をついで歩いていた。
ほどほどにと言われた酒だが、皆、素面に戻ることを恐れるように飲んだ。 皆、へべれけになり宴も終わりに近づいた頃、田中の元に一升瓶を片手にタコのように真っ赤な顔をした増田がやってきた。
「田中、貴様とも長い付き合いであったな」
増田は顔も真っ赤であったが瞳も真っ赤だった。目をこすりながら田中の横に腰を下ろす。
「出会った頃は自分のことは『ボク』なんて言っていたのになぁ」
「それは言うな。『お前』『ボク』は禁止。ったく、いつのまにか軍人にされちまったな、俺たちも」
「たった半年前だってのに偉く昔に感じるな」
遠い目をする二人。時代が時代なら彼らもまだ学生でいられた年なのだ。一升瓶を傾ける。とくとくと酒が注がれる。
「お前と飲むのもこれが最後だな」
「そうだな……」
一気に猪口を開ける。喉の奥が熱くなる。 増田の瞳が揺れる。震える声で増田が言った。
「俺はな、母や妻の多恵子の為に行くのだぞ。俺は……、俺は米兵どもを一歩でも、一秒でも多恵子に近づけたくない……。俺が死んでそれがこの戦争の勝利に結びつかなくても、俺の死で多恵子が一秒でも長く生きられるのなら、それだけで充分だ」
「あぁ、貴様ならそういうと思っていたさ」
真っ赤な顔を更に赤くして目を擦る。
「俺が死ぬのは白崎の野郎の為でも、この国の為でもない!」
増田の心の叫びに部屋の皆が静まり始める。 机を叩くようにして立ち上がったのは明日、一号機で特攻する山田だった。
「貴様! それでも軍人か! 俺たちは歯車だ!この国の未来のために戦う大きな機械の一部品だ! その部品がいちいち青臭い意見を出してどうなる!」
真っ赤な瞳の山田。震える怒声は怒りだけのものだろうか。
「俺は貴様とは違う。この国の為に死んでやる。喜んで死んでやる!」
叫びながら後藤に詰め寄る山田を制したのは、二号機に搭乗予定の金城だった。
「やめろよ……。最後の酒宴の席じゃないか。最後くらい楽しく飲もうや」
羽交い締めにされた山田は駄々っ子のように暴れる。
「止めるな金城! 俺は海軍の兵士として、軟弱なこの男を殴らなければ気が済まんのだ!」
「やめろって言ってんだよ!!」
普段は大人しい金城がここまで声を荒げるのは初めてだった。山田も普段温厚なこの男の絶叫に勢いを失った。
「俺はお前らと一緒にいれて幸せだった。どうせ戦争は負けると思ってるよ。でも、終戦後、何年かじゃ無理かもしれないが、何十年も経てばお前らと再び酒でも飲んで戦時中の話でも笑いながらできると思っていたよ」
あたりは静まり返る。
「でも、無理なんだよな。明日出撃だもんな。俺、明日死ぬんだよな」
こんなに悲しい笑顔を見たことがない。残される側の人間である田中は金城の歪な笑い顔を見てそう思った。
部屋は水を打ったようにしんとした。なんの為に戦っているのか。誰のための戦争なのか。何を守るための戦争なのか。米国の若者も我々と同じように苦悩するのだろうか。何も分からない。
分かっているのはここにいる若く優しい男達が、明日死にに行くということだけだった。
特攻という戦法が本当に成功しているのかなど分からない。大本営の発表など当てに出来ないと誰もが知っている。
無理やり作り上げた祝杯の雰囲気は崩れ去り静寂だけが部屋に響いた。
坂本も山田も金城も泣いていた。 もちろん、後藤も。
出撃当日。
空は晴れていた。
坂本が「いい特攻日和だ」といつものように豪快に笑った。瞳の奥にはどこか達観した印象があった。山田も金城も昨日のことが嘘のように笑顔だ。
『彗星』のエンジン音が滑走路に響いていた。桜の木がそよ風を受けて舞っていた。増田の目は腫れていたが、とても清々しい顔だった。
「もう、桜の花を見ることはないんだな…。」
増田は飛行帽を直しながらポツリとつぶやいた。
「わからんさ。だが、貴様だけが行くわけじゃない。多分俺もすぐ行くだろう。あの世で花見でもしながら一杯やろうや」
田中は桜の枝を折り、増田の背に挿してやった。
時間だ。
整列、出撃前の簡単な儀式を済ませ解散。
皆、たくましく精悍な顔つきである。
「写真を撮ろう」
田中の提案に珍しく皆喜んだ。皆で肩を組み最後の写真を撮った。次々と乗り込む隊員達。帽子を振って別れを告げる残された隊員達の中、田中は戦友の最期の姿を目に焼き付けるように、じっと見つめていた。
プロペラが激しく回る。ベルトを締めて飛行眼鏡をつけた増田が大きく手を振り叫んだ。
「先に行ってるぞ!!」
残された者は大きく帽子を振った。腕が千切れるほど力いっぱいに帽子を振った。
敬礼をして操縦桿を握る隊員達。四機の『彗星』は轟音を響かせ青い空に飛び出していった。
入道雲が大きくそびえ立つ空、両翼に太陽を浴びてキラキラと光る彗星は、やがて見えなくなった。
涙はなかった。田中は空を見上げたままつぶやいた。
「さよなら戦友…。俺もすぐ行くからな…。」
しかし、 その後、一週間も待たずに戦争は終わった。
残された者達は何を思い、何を悔い、そして次の世代に何を求めるのか。
また8月がやってくる。
平和な空にあの『彗星』の幻は飛んでいるだろうか。
終
【短編】彗星の行方 ボンゴレ☆ビガンゴ @bigango
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