第12話 一方の二人

 泣いた後は青空のように晴れ渡る、みたいな歌がどこかにあった。大分昔の曲で、多分好きだったはずだが、今はもう曲名すら覚えていないその曲に私は腹が立った。今の私の暗雲たる気分を蔑ろにしないでほしい、と制作者に文句を言いたい。まあ、その制作者だってもしかすると心にもないことを歌詞にしたのかもしれないし、それにもう活動しているのかどうかすらわからないわけで、言いたくても言えない。

 そもそも私にそんなコネクションは無い。

 本当の私はどれだろうと、少し考えてみた。普段、佳純と接する私は本当の私だろうか。なんとなく作っている気がした。それとも、あの勝手に嫉妬して勝手に激高した私が本当の私だろうか。いや、それもしっくりこない。それなら、両親に接する無口な私が本当の私だろうか。じゃあ、学校での私は何なのかという話だ。では、晶に接する私が本当の私だろうか。確かにさらけ出している感はあるけれど、それでも言いたくないことや見せたくないことは隠している。それとも、一人でいるときの私が本当の私だろうか。いや、人間は他の人間がいて初めて存在するわけで、一人でいるときの私は人間ではないので、本当の私ではないと思う。

 と、そんな厨二病なことを日がな一日考えていた。中二の時きっちりやっておかなかったツケが今回ってきたようだ。

 いや、中二の時はやりたくてもできなかった、と言うべきか。

 考え事をするほどの激しい感情を、感じたことが無かったのだ。だから、やろうにもできない。元となるものが無かったから。

 でも、それを認めてしまうと今の佳純に対するその感情が未だかつて経験したことのない特別なものってことになってしまう。

 それは何か、駄目だ。

 それを認めてしまうと、佳純と元の関係は築けないと、そんな風に直感した。

 だから、やはりこれはツケだ。そういうことにしておかなければならない。

 「で、まあそのツケのせいで今こういうことになっているのだけれどね」体面に座る佐竹綾香が視線を動かさずに言った。

 「…心を読まないでもらえる?」私も同様に、目を逸らさない。

 「心を読むくらい出来ないと、きっちゃんとなんか付き合えないから」

 「佐竹はほんとに人間ですかー?」

 私は疲れた様に言って見せて、離れたところに座る、佳純と小暮の様子を窺う。場所は駅近くのファストフード店だった。ほぼ対角線上の席の佳純と小暮は放課後のお茶、をしていた。そう盗み聞いた。

 私は誘われていない。小暮と友達だとか言う、体面の佐竹綾香も誘われていない。だからこうして、離れたところでバレない様に監視、もとい、見守っているのだった。

 ……監視って、なんか犯罪じみてきた。

 何故私はこんな知らないやつとストーカーをやっているのか、と内心で自分に呆れる。堂々と割って入ればいいものを、どうしてこんな悪いことをしているみたいにこそこそしているのか。

 仲直りにお茶、でも良いはずだ。

 しかし、それが出来ない。こそこそせずにはいられない。だけど、佳純が私以外の誰かと仲良くなるとか、笑顔を向けるとか、楽しくなるとか、嬉しくなるとか、そこに私がいないとか。

 絶対に嫌だから。

 だからこうして、ストーキングしているのだった。

 「まあ、これが一緒に居るに入るかどうか、審議の分かれるところではあるけれどね」

 「…だから、心を読まないで」


 今日一日、私は佳純と話していない。お互い、なにが変わったというわけでは無いのに、距離ができてしまったようだった。

 私が昨日、自分勝手に怒ったせいで。

 佳純にしてみれば、なんでいきなり怒鳴られたのかわからないだろうし、私が何を言っているのかわからなかったことだろう。何が悪くて怒鳴られて、なんで避けられているのか、分からなかっただろうから、怖かったに違いない。そんな正体不明、論理破綻の相手と話す理由がない。利点も無い。私が私だからという理由で、利点で、話しかけてくれるほど、佳純は私に対して何も感じて良いようで、それを今更ながら悲しく思う。

 もどかしく思う。

 不満に思う。

 まあ、原因を作ったのは私で、だから私が不平不満を持ってしまうのは、いささか自己中心的な感が否めないので、それはさすがに自分を否定しておこう。

 本当に、私はなんて馬鹿なのだろうか。なんて、頭が悪いのだろうか。

 結局のところ私は佳純を独占したくて、佳純に構って欲しくてあんなことをしたのだろう。本当、私はなんてガキなのだろう。

 そうして自虐と厨二の限りを尽くして放課後。たぶん、早めに解決しないといけない問題であると、自己満足に酔いしれてないで早くしろ私と、帰りにホームルームになってから急に焦りだした。うかうかしてると、佳純はたぶん、私のことなんか忘れてしまう。こんな面倒な存在である私のことなんか、そうだな、一週間持てばいい方かもしれない。

 「……」

 とはいえ、佳純は眠ってしまっている。それを無理やり起こし、不機嫌な佳純と対峙するのは得策ではないだろう。いやまあ、寝起きの佳純を見てみたいと思う気がしないでもないけれど、うん、ここは飲み込もう。

 ぼーっと、しばらく座って待った。外はまだまだ明るい。この時期、夕方の時間が長いので結構好きだ。いや、別に暗いのが苦手とかそんなことでは無くて、単に夕方の柔らかい光が好きなのだ。だからまあ、一番好きなのは夏から秋になりそうな時期が好きなわけだが。

 …落ち着かない。ぼーっとできない。

 この後なにを話せば、佳純と元通りになれるだろう。昨日まで私は、てっきり自分が佳純にとって特別な人間だと思っていたから、なにをすれば佳純が喜ぶのかとか、なにが好きなのかとか、全然知らない。友人関係を築こうと奔走していた頃は、それまでの経験から仲良くなれそうな事を実践していた。一緒に出かけたり、一緒にお昼ご飯を食べたり、出来るだけ長い時間を共にしていたのだけれど。

 たぶん、仲直りはそれじゃあ駄目だ。

 それに、今の私の心情を打ち明けてしまうと、佳純は引いてしまう。

 そんじょそこらの並みの引きじゃない。ドン引きだ。

 だから、もので釣るわけでは無いのだけれど、最低限の機嫌は維持させていないといけない。いや、最低限じゃなく、平均より少し上くらいのご機嫌にしていないと。そのうえで適当な理由を拵えて、謝る。それでも成功するかどうか、五分五分だ。いや、六部四部かもしれない。いやさ、八部二部かもしれない。もちろん、失敗が優勢。誠意を見せている相手を、手ひどく拒絶するような人間とは思えないけれど、どんな可能性も、行動を起こしていない今は捨てることが出来ない。それを大事にする理由なんてどこにも無いけど、それを蔑ろにして良い理由もどこにもなかったりする。

 「…落ち着かない」

 「んぅ…」

 「!」後ろで眠っている佳純が呻いた。それにびくっとして、立ち上がりそうになった。

 「…はしむらぁ」

 「……」

 いたたまれない。いや、私の名前を呼んでくれたことは素直に嬉しいのだけれど、それを聞いてしまったことに少しだけ罪悪感を覚えた。

 「…外で待とっかな」

 佳純が起きないよう静かに立ち上がり、気持ち軽い足取りで教室の扉を潜る。廊下に出ると、教室を背にして佳純が出てくるのを待った。

 恥ずかしいけど、とてつもなくうれしい。それを隠さず言葉にすることもいとわないほど、それを佳純に今すぐに伝えたいと思うほど、胸が弾んだ。

 何故だろう、と白々しく思う。けれど、なにをどう考えたって、答えは一つしかない。

 佳純が私のことを意識してくれていることに何も感じないわけがない。ただそれだけだった。

 早く佳純起きないかなあ、と小声で言った。

 それからしばらくして、佳純の細い声が聞こえる。何やら慌てた様子だった。まあ、いつもより長めに眠っていたからな、もうずいぶん遅い時間だ。

 寝言だったら決まりが悪いので、もう少し様子を窺うことにした。誰かと話している風なので、もう完全に起きているのだろう。会話が終わったら、教室に入って、一緒に帰ろう。昨日は日高のせいで失敗したからな。

 せいで、って言うのもアレだけど。

 「きゃ、今日、お茶しない!?」勢い込んだそんな声が聞こえて、私は教室を覗きこんだ。

 小暮がいつの間にか佳純の隣の席に座って、話していた。今の発言は小暮のものらしい。佳純は寝起きで、小暮の顔は紅潮している。どうやら、小暮が佳純をお茶に誘ったようだった。

 え、なんで?

 いや、今はそれより、佳純の返答が気になる。佳純がこの話を受けてしまうと、今日も一緒に帰れないことになる。そうなると、ゆっくり話す時間がなくなるから、また仲直りが先延ばしになってしまう。それはかなり、困ってしまう。

 「良いよ。暇だし」

 そう答えた佳純に対して、私は苛立ちを覚えた。どうして佳純は、私の思い通りにならないのだろう。いつもいつも私を翻弄して、自分は飄々と生活しているのだろう。

 どうして、私だけを見てくれないのだろう。

 そこまで考えて自己嫌悪した。

 「ぬぐぐ…柏木佳純めえ…私のきっちゃんをどうするつもりだぁ…」

 不意に、そんな苦し気な声が聞こえたので、その声の方を見る。いつの間にか隣に来ていたそいつは、クラスメイトだった。名前は知らん。

 「嫌な予感がして来てみたらこれだ…どうするかな」

 「あの」私は気になって声をかけた。

 「ん?」そいつは首をかしげる。「佐竹綾香。クラスメイトじゃない?」

 「うん、それは知ってる」名前の話では無い。「えっと、どうしてここに?中入れば?」

 「それはお互いさまでしょう」佐竹は見透かしたようなことを言って、少し考えてから、教室から離れようと、私を誘う。佳純と鉢合わせしても気まずいので、私は言う通りにする。佐竹は向き直って言った。「端村真理香、そう言えば、あなたは柏木佳純と揉めていたね」

 「うっ…」まあ、もうぼちぼち人も集まってきた時間に怒鳴ったわけだし、それが周知の事実となっているのは仕方がないけれど、もう少し遠回りに言ってもいいんじゃないだろうか。「ず、ぼ…し」

 「でしょう。そして、今柏木佳純は、きっちゃんを懐柔しようとしている」

 「懐柔されようとしているように見える」

 「それは視点の違いだ」佐竹は指を立てて言った。「私にはきっちゃんが取られようとしているように見え、あなたには柏木佳純が取られようとしているように見える。これがどういう意味か解るかね?」

 「探偵かあんたは」私はゆるく突っ込んでから、内心で答える。

 私もあなたも、好きなんだろうってことだ。

 私は佳純が、あなたは小暮が、妬ましいほど好きなのだ。

 だから、話しているだけで懐柔とか、取られるとか、そんなぶっ飛んだ発想になる。

 「利害は一致している」答え合わせのように、佐竹は言った。それから、私を見据えて言う。「協力しようよ、端村真理香」


 そういう経緯で、大して仲良くもないクラスメイトと共に佳純と小暮の動向を追っているのだった。今のところ、ばれている様子は無い。

 それもそのはず、私達は変装していた。私達の学校の制服は茶色のブレザーで、夏の時期は普通の半袖ワイシャツに校章の刺繍がしてある。しかし、今着ているのは真っ白のワンピース風の制服だった。スカートが長めなのもあって、少しお嬢様っぽい印象を受ける。これは佐竹の私物だった。

 髪型も若干変えてある。二つ結びの私はサイドテールに、いつもショートの佐竹はウィッグで髪を伸ばし、シュシュでポニテにしていた。

 そして、私は伊達眼鏡、佐竹は眼帯で顔を隠している。これも佐竹の私物だ。

 ……。

 「あんた、なんでそんなもん学校に持ってきてんのよ」

 「それは取りだした時にツッコんでほしかった」

 それは確かに。

 「趣味だよ」

 「趣味ねえ…」

 それを学校に持ってくる意味が解らないのだけれど、どうやら深くは言いたくないらしい。それ以上は触れないことにした。

 佳純の方を盗み見た。

 …楽しそう。私の時より楽しそう。

 「…私の時より楽しそう」佐竹も思ったようで、落胆したように言った。

 「ねー…」

 佳純は笑顔だった。引き攣っているように見えなくもないけれど、あれは佳純の笑顔だ。私と話しているときはほとんど見せてくれないものだけれど、私の話に十分の一の割合で時たま見せるのがこれだ。

 いいなあ…。まあ、解んないけど、佐竹もこう言っているし、小暮も楽しいのだろうな。あーあ。もうこのまま疎遠かな?

 「何弱気になってんの?」佐竹が見透かしたように睨んできた。

 「だってさ…」それに突っ込む余力もなく目に涙がたまらないように配慮した。

 「あんたの気持ちはそんなもんなんだ」

 「そんなわけないけど、佳純は難しいんだよ。話して仲良くなったか解んないし、仲良くなっても深みにはまるとこうなる。佳純と私は合わないのかなって」

 「合わないって何が?」

 「具体的には解らんけど…性格?ああ、価値観って言うのかな?」

 「価値観なんて、合う人を見つけようと思ったら、一生かかっても無理だよ。私ときっちゃんだって合ってるとは思わない。でもね、それを相手に合わせるのが愛であり、それを自分に合わせさせるのが愛だよ」佐竹は持論を滔々と、つまらなそうに語る。

 「愛って…」

 大袈裟だって一蹴しようとしたが、それを否定するのはためらわれた。私の佳純への思いが愛かどうかと訊かれて、違うと答えるのは少しだけ嘘を吐いていることになる。じゃあ愛なのかと問うてもそれも違う、と思う。

 佳純を見ていると、安心する。佳純を視界にとらえていると、私の知らない佳純を少しでも減らせるからだと、話さなくなってから気付いた。

 これは愛なのかな?

 束縛は愛に入れて良いのかな?

 わかんないけど、愛ってのはやっぱり、口に出すのは恥ずかしいな。思うだけなら何だか嬉しくなるけど。

 「こらっ」そんな声がどこかから聞こえた。背後からだった。

 「んむ?」佐竹は一旦、佳純と小暮から視線を逸らし、そちらを見た。「おお、なんか綺麗な大人がいる。誰だ? 端村の知り合い? あ、でも見覚えが」

 「ええ?」それを受け、私は振り返って見た。確かに見覚えのある女性だった。背が高く、髪が背中まで届くくらいの長さで、優し気な顔立ちをしていた。

 誰だろう。「ああ、こんにちは! お久しぶりですぅ」私は適当に誤魔化す。

 「お久しぶりって…今日も会った…」目の前の女性は落胆したように言った。「先生の顔、まあ憶えてないのは仕方がないかもしれないけれど、お久しぶりって…もうちょっと誤魔化してよ…」

 「ああ、どこぞの読モかな? なんか見覚えあるし」ナイツの言うところの毒グモ、と佐竹が付けたした。

 「ああ。なーるー」それなら見覚えがあるのも納得だ。出かけるときの服装に困らないために、ファッション誌は良く読む方だし、どこかの雑誌に出ているなら、見かけたことがあるのかもしれない。でもそれなら、何故私達に声を…?

 「もしかして、この服が気になったのかも」佐竹が言った。

 「…ほんと泣くよ? 大人の泣くとこみたい?」

 泣くところは見たくないけれど、本当に泣くかは興味がある。その言葉は飲み込み、誠心誠意に白状した。「申し訳ありません、毛ほども憶えていません…」

 「右に同じ」佐竹が笑う。

 「えー…正直だけど…」女性は本当に泣きそうだった。軽く引いた。「私は御神真智っていいます…一応、あなたたちの英語の教科担任やってます」

 「あー…道理で」私は頷く。英語の時間は読書の時間と決めているから、先生の顔など憶えていなかった。

 「あー。睡眠の時間だわ」佐竹は悪びれもせず言った。

 「佐竹さんの成績を一にした後、次の授業からは佐竹さんを重点的に当てたいと思います」

 「えー…職権乱用…訴えるぞ…」佐竹は面倒くさそうに言った。

 「いや、正当な措置だと思うけれど」

 「それより、佐竹さん、端村さん」御神先生は切り替えるように言った。「あなた達、あの二人を尾行しているでしょ」御神先生は佳純と小暮の方を指さした。

 「いや、別に」佐竹は澄ました顔で嘘を吐いた。

 「じゃあ、その変装は何?」

 「っていうか、なんで変装してんのに分かったんですか…」私は言う。

 「だって、生徒だし」

 「軽く気持ち悪いな」吐き捨てるように佐竹が言った。

 「……」御神先生が泣きそうなのを見て取った。「きも、気持ち、きも、ち、悪い…うえぇ…」

 「いやいや、私は嬉しいですよ! うん。だって、そんな熱心な先生初めてですし。いやーいい先生に恵まれたなー」全力でフォローする私は密かに、成績アップしてくんないかな、と思った。

 「うぅ…はしむらさん…良い子…」

 「へー、私は悪い子ですか、そーですか」

 「そんなことない、けど……佐竹さん、私の事嫌い?」

 「ええ」

 「えー…」

 「なんでさ?」小声で私は訊いた。

 「こいつ、きっちゃんとちょっと仲良いんだわ。今日なんか一緒に登校したりしてさ、朝からいちゃちゃしやがって。おかげで話しかけづらいじゃないのって。だから嫌いだぁ…」

 あ、じゃあ佐竹がが開口一番忘れてるって言ったのはそういうことか。本当に忘れていた私とはちょっと違うのか。なんか裏切られた気分だ。

 「ともかく!」御神先生は言った。「あの二人を観察するのはやめなさい!」

 「してないって」佐竹は嫌いオーラを消さない。

 「ほんっとーはっ?」

 「すげえ見てる」佐竹は素直に答えた。「しまった! つい!」

 「ついって何!? いま『つい』の要素あった!?」

 「いや、訊き方がさー、なんか東京03みたいでさー。つい」

 「お前お笑い芸人大好きだな!」

 さっきもナイツがどうとか言ってたし。

 「きっちゃんほどじゃない!」

 「種類が違うだろうが!」

 「ともかく、もう出るよ、二人とも!」御神先生は私達の手を引っ張る。

 そこで、私は気付いた。「…あれ、先生は何でこんなところにいるんですか?」

 「え、そりゃ、あれだよ。生徒が遊んでないか、巡回? みたいな?」

 あー…これは。分かりやすく動揺している。じゃあ、もしかして、先生もあの二人を見守って、もとい、ストーキングしているのかな。でも何故。

 あ、もしかして、小暮か。小暮が佳純と仲良くなりそうだから、心配で見に来た、とか。いや、教師が生徒に嫉妬するかよ。

 「巡回なら、あそこにいる二人も取り締まらなきゃいけないんじゃないんですかねぇ」水を得た魚のように佐竹はにやりと笑う。「おやおやぁ? しっかし、先生はぁ、あのふたりを邪魔するなと言わんばかりにぃ、私たちを追い出そうとしているぅ。これはどういう矛盾なんですかねぇ?」

 「うっわー…」この粘っこい言い方は大分うざいぞ。それが狙いなんだろうけれど、これは嫌味だな。

 「うっ!」対する御神先生は図星を突かれた、と言わんばかりに顔を歪めた。「あのねえ、先生は二人みたいに嫉妬とか不純な気持ちでストーキングしているわけじゃなくって、純粋な気持ちで見守ってるの」

 「うわあ…酷い言われよう…」まあ、事実なので反論はできないけれど。

 「その言いぐさは教師としてどうなんだ…」

 「…ごめんなさい」

 「ふむ」佐竹は考えるようにしてから、「じゃあ、あの二人には許可取って見守ってるんですか?」

 「え、いや、それは…」

 「取ってないの!?」私は少し驚く。

 「え…と」

 「え、なに、二人ともに言ってないわけ!?」

 「……うう」ふぁい、と御神先生は項垂れるように首肯した。「だって、言ったら絶対やめろって言われるじゃない! だから、仕方なくこうやって、こそこそと…」

 「何だ、ただの変態か。端村、気にする必要ないぞ」佐竹は言う。

 「あー…うん」私は少し考えてから、御神先生の方を見る。チワワのように震えながら、目を潤ませて私を見ている。何だこの先生。可愛いな。何か腹立つ。「そだね。そうしよう」

 「ちょ…!端村さんまで…!」御神先生は落胆したように言ってから、「じゃ、じゃあ、二人がその気なら、私、あなたたち二人が何かしないよう見張ってますからね。それでもいいんなら、不問としますけど!?」

 「えー…」私はちらっと佐竹の方を見る。佐竹は何事も無かったかのように二人の座っている方を観察している。「あー、じゃあもーそれでいいです」

 言って、私は佳純の方へ視線を戻した。

 「えー…」御神先生はしばらく硬直してから、隣の二人席に腰を落ち着けた。そこがたまたま空いていた、というわけではなく、初めからそこにいたようだ。全然気が付かなかった。御神先生は同じように二人の方へ視線をやる。「ねえ、本当に良いのかな、こんなことして」

 「あ、先言っときますけど、ストーキングを二人にバラしたら、御神先生の評価を下げるための何らかの手を他の先生に実行しますからね」私は釘をさした。

 「おお、えぐいな端村」佐竹は視線を外さず言う。

 「言わないけど…端村さんも良い子じゃなくてショック…」

 「まあ、良い子はストーキングしませんから」

 がたっ、と音がした。佐竹が椅子を鳴らしたのだ。

 「どうした?」佐竹は深刻な表情をしていた。

 「静かに」

 言われて、私は黙り、佳純たちの方へ注目する。耳を澄ませてみると、会話が断片的に聞こえた。

 「…なんかやらしいな」と、佳純の声がする。

 「きっちゃんが、やらしい…!」

 「しらねえよ!」

 「まあ…小暮さんはちょっとやらしいとこあるよね」

 「ああ、そう言えば朝もいちゃついてましたね。きっちゃんに、びくんびくん、させられてましたね」

 「あんたら朝からなにやってんですか…? それやらしいどころのさわぎじゃ…」

 「端村さんがなにを誤解しているかはわかるけど、普通に耳打ちされてくすぐったかっただけだよ?」

 「その割には楽しんでいたように見えたなあ」

 「佐竹さん、誤解を招く言い方はやめて」

 「まあ、佐竹の言うことは嫉妬からくる誇張とミスリードを狙った表現だって解ってますから。にしても朝からいちゃつくのはどうかと思います」

 「昼なら良いってのか!?」

 「時間の問題じゃねえ」

 「ちょ、二人とも声が大きいよ!? ばれるばれる」

 「すみません」

 御神先生も結構ノリノリだな。消極的な態度を取っておいて、結局ストーキングを楽しんでいるじゃないか。

 …っていうか。

 佳純がやらしいって言ったのか、今。佳純そんなこと言うタイプだったっけ? なんか、ちょっと話さないだけで分かんなくなってきた。佳純が何を言うやつで、なにを考える奴なのか、とんと見当が付かない。これじゃあまるで、一年の時見かけたばかりのころと同じだ。

 いや、もしかしたら、その時からずっと佳純がどんな奴なのか解っていなかったのかもしれない。ただ会話するようになったってだけで、佳純の核心に触れるようなことを今までしてこなかったような気がする。

 実際、佳純は何が好きなのか、知らない。何が嫌いなのかも知らない。私のことをどう思っているのかも知らない。

 今のところ日高のメールで見た、『うるさいやつ』という印象しか判明していない。それは随分、不味いんじゃないか?

 佳純は私と仲直りしたいと思っているのだろうか。いや、そんなはずはない。現に今、小暮と話しているし。

 もしかしたら、厄介払いができた、とか思っていたりするのかもしれない。

 もしそうなら、私がまた近付いて行くのは佳純にの迷惑になってしまう。

 それは嫌だなあ。

 「そんな考え方、私は嫌いだ」佐竹が唐突に言った。

 「…だから心を(ry」

 「勝手に相手の気持ちを気取った風を装って、勝手に自己完結して、勝手に諦めるとか、相手の気持ちなんざガン無視じゃないか。それで相手のことを考えたつもりかよ」佐竹は吐き捨てるように言う。「まあ、どうせそんな心を読むなんてこと誰もできないんだから、自分の都合の良いように解釈した方が良いんだよ。私は今きっちゃんが柏木佳純と出かけている現状について、私の嫉妬を煽るためだって思っている」

 「それは…どうなの?」

 「…なんか、佐竹さんよく喋るね。教室じゃ全然なのに」

 「まあ、ですね」佐竹は視線を少し落とした。「きっちゃんの前だと、ちょっと緊張しちゃうんですよ…」

 「何恥じらってんだ、乙女か。今更乙女気取りかもう遅いぞ」

 「とにかく!」佐竹は視線を戻した。「端村は私と違って人の心を読めないんだから、変に気なんか遣わない方が良い」

 「え、佐竹さん心読めるの?」

 「気に入った人しか読めないので先生は無理です」

 「ぐぬぬ」

 …さらっと気に入った宣言されたことに小さく喜びつつ、佳純たちの観察を続けていると。

 「柏木さん」少しどすの効いた小暮の声が聞こえる。

 「おい、小暮が何か、佳純のこと脅してるっぽいぞ」

 「ええ? きっちゃんがそんなことするはずないじゃない」

 「そーよー」佐竹の取り巻きであるかのように御神先生が言った。「小暮さんは柏木さんと仲良くなりに来たのにそんなはずない」

 「…ムカつく」佐竹が静かに言ったが、視線はそらさない。

 「でも佳純がほれ、ビビってる」

 「まあ、見守ろうよ」御神先生は宥めるように言った。

 しばらく戦況を黙って見る。佳純の方へ集中すると、会話が聞こえた。

 「私も小暮さんのこと好きです」こういった佳純の言葉を私は一瞬聞き間違いだと思ったが、佐竹も反応したので、ちゃんとそう言ったのだと分かる。私も、ということは、小暮の方から先に好きだと宣言したのだろう。それは、佐竹からしたらずいぶんきついのではないか。

 私も結構、きつい。

 佳純に、そんなこと言ってもらったことが無かった。

 「空気読んで、遣わなくてもいい気を遣って、余計に疲れてる。何だか難儀な人だな、って思って。でもそういう、自己犠牲ではないけど、少しでも周りに馴染もうとする努力って、私には出来ないことだから…そういう意味で、小暮さんの事好き、だよ?」

 重ねて言った佳純を見るが辛い。じゃあもう帰れよ、という話だけれど、佳純の動向が気になって、そういうわけにはいかないのだ。佳純が小暮と仲良くなってしまうその瞬間を見たところで、何が変わるわけでは無いけれど、むしろ辛いだけだけれど、それでも見入ってしまう。にこにこ笑う佳純を邪魔出来る筈もなく、ただ見るだけだった。

 「…友達に、なってくれる?」小暮がそう言った。

 「じゃま、してくる」佐竹が言って動き出そうとしたが、御神先生が止める。それほど強い力では無かったが、佐竹もその行動に意味がないことを解っていたから、そのまま元の位置に戻った。

 「うん。よろしくお願いします」

 佳純のその言葉が虚しく胸に響いた。


 佳純たちが店を出る前に、私と佐竹、ついでに御神先生は店を後にした。御神先生は帰らず、小暮が出てくるまで待つらしい。

 もう一度言わないようにと釘を刺してから、私と佐竹は帰路に立つ。

 ああ、多分もう佳純とは話せないだろうな。小暮と話すことが増えて、私の入る隙なんて無くなって、いつか私も仲直りしたいなんて思わなくなって、多分もう話さなくても平気になるのかもしれない。仲直り、もなにも私は佳純と仲が良かったのかな? それもちょっと解んなくなってきた。何を持ってして私は佳純の特別だと思っていたのだろうか。

 佳純が明らかに、私と小暮で態度が違った。それは別に嫉妬からくる錯覚とかじゃなくて、多分、事実。だって、言動が言動だもの。私に何か肯定的なことを言ってくれた覚えがない。嫌な顔をされたことなら何度もあるけど、笑ってくれたことなんてない。私に対してやらしいとか、言ってくれたことない。別に佳純に褒めてほしいとか、やらしいと思って欲しいわけじゃないけど、私の知らない佳純を小暮に見せていたことは事実だ。

 いや、私の知らない佳純、ではなく、佳純のことを私が知らないのだ。だから、佳純が小暮に見せた『自分』は、私は元々知らない。

 佳純のことをもっと知りたい。

 知りたいけど、もう無理だ。

 私は佳純を知れないまま、佳純と疎遠になる。

 嫌だけど、仕方がない。

 「諦めるな、馬鹿」涙目の佐竹が喝を入れてくる。

 「人のこと言えるの? 泣きそうだけど?」

 「別に泣いてないし」佐竹は言いながら目を拭った。「こままで放っておいて良いはずがない」

 「良いはずがない、ねえ」

 「良いはずがない」今度は力づよい声で言った。「協力しよう、端村真理香」

 「協力」

 「端村だって、このままじゃ嫌だろう?」

 「そうだけど…もう無理じゃない?」

 「何言ってんだよ。怒るぞ」

 「もう怒ってる」

 「私が怒ったらこんなもんじゃない」佐竹は言ってから、「端村が協力してくれれば、なんとかなるかもしれない」

 「なんとかなるわけないじゃん。もう無理だよ、馬鹿」

 「諦めたらそこで試合終了って、どこぞの不良が言ってただろ」

 「いや、それを言ったのは安西先生だろ」

 「どっちでもいいけど。ともかく、諦めたら終わりなんだよ。諦めなければ、チャンスは必ずどこかで巡ってくるはずだ」

 「でも、その間が苦しい」私は俯いて言う。「その間、苦しくて悲しくて妬ましくてもどかしい。自分が嫌いになる。私はそんなの、面倒でやだなあ」

 「面倒」佐竹は静かに言った。「端村、お前本当に柏木佳純のことが好きなのか?」

 「そうだけど? 今更何?」むっとして、少し語気が強くなった。

 「お前、さっきから、いや最初から、諦めることしか言ってないじゃないか。柏木が自分のことを嫌いならそれでも良いとか、迷惑になりたくないから話しかけないとか、きっちゃんと仲良くなるから自分は無理だとか、うるさいんだよ、いちいち。私は何としてでもきっちゃんに好きになってもらいたい。だから私はその努力をいとわない。でもお前はなんだよ。面倒って何だ。面倒だから何もしないのか。面倒だから何もしないような事なら、端から大事じゃなかったんだろうがよ。仲直りしたいとか言っておきながら、結局のところ柏木佳純のことなんかどうでもいいんだろ、お前は」

 「私がどれだけ…!」足を止めて、私は言う。「私がどれだけ佳純のことを好きかなんて、お前に分かってたまるか…! 一年の時からずっと、ずっと仲良くなれたらいいなとか、もっといろんな話がしたいとか、そんなことばかり考えてて、でもなんにも上手く行かなくて、佳純は私以外の人のことばかり見てるし、私のことなんか一度もちゃんと見てくれたことが無いのに、小暮はあんなに簡単に仲良くなっちゃうし! どれだけ悩んで、どれだけ佳純のことを考えてるか、佐竹なんかにわかんないじゃん! 私だって、佳純に好きなってもらいたいけど、一番長くいる筈の私が一番嫌われている気がするし、もう無理だよ! もう諦めるしかないじゃん、こんな状況! 佳純の態度を見てればわかるよ! 嫌われるよりつらい無関心だよ、私なんか、いたっていなくたって佳純には関係無い。只のクラスメイトなんだよ。友達になんかなれないし、特別になんかなれない。そんなこともう分かってる状況で、なにを頑張れって言うんだよ!」

 「だから、お前の気持ちはどうなんだって、さっきから言ってるだろ!」佐竹が叫ぶ。

 「はあ!?」

 「お前が柏木佳純のことを好きならそれでいいじゃんかよ! それを両想いにするためってだけで、充分行動原理になり得るだろ! なんで相手に嫌われてるからって諦めるんだよ! 好きなってもらえるまで頑張りゃいいじゃんか!」

 「だから、さんざん頑張った後なんだよ…!ようやく仲良くなってきたと思ったのに、なんで離れて行っちゃうんだよ…もう疲れたんだよ…!」

 最後の方は涙ぐんでいた。これは佐竹の言葉に応えたというより、佳純への不満だろうか。頑張って近づけたのに、不意に離れて行って、不安になって焦って、また離れて行く。最近は、そんな風に佳純との距離を感じていた。

 そんな私と対照的にいつもの態度の佳純を見て、どれだけ落胆したか、どれだけ悲しく思ったか、どれだけもどかしく思ったかを、佐竹も、そして当然、佳純も知らない。

 「また頑張りゃいいじゃん」

 「簡単に言うなよぉ…もうやだ…つらいよ…」

 だらしなく言う。そんなことは気にならないくらいに、思いをぶつけていた。

 「だから、今度は二人だろって」佐竹は言って、俯いた私の顔を前に向かせる。

 「二人、だけど…」

 「私だって、きっちゃんのことを考えると、死にそうになるよ」佐竹は私の頭を撫でつつ言った。「でも、知りたい方が強い。好きな人が何を考えているのか、自分のことをどう思っているか、知りたいじゃん。もしかしたら大好きかもしれないし、なにも思って無いかもしれないし、大っ嫌いかもしれないけど、それなら、好きなってもらいたいじゃん。だから、苦しくても辛くても、頑張らないといけないんだよ、私達は」

 「なんでさ…」

 「好きになっちゃったからだよ」佐竹は優しく言う。「分かった?」

 「……」私は少し黙ってから、返答の代わりに言った。「…その身長でお姉さんキャラを気取るのは少し無理があると思う」

 「…殺すぞ」

 「怖いな」私はおどけたように言ってみせた。「まあでも、佐竹がいたら怖くないのも事実かも」

 「お前が言うとやや気味が悪いな」佐竹は失礼なことを言う。

 「…ごめん、当たって」

 「いいよ」

 「佳純を取られたくない」

 「私だってきっちゃんを取られたくない」

 「協力しよ、綾香」

 「……」綾香は驚いたように目を見開く。それから、目を逸らした。「おまっ、いきなり名前で呼ぶなよ…びっくりするだろ…」

 「いいじゃん。私は割合早い段階から名前で呼ぶタイプだぜ」

 「ああ、そんな感じするわ」綾香は言いながら、スマホを取りだす。「そうだ。手を組むしるしに、連絡先を交換しておこう」

 私は反感も覚えず、スマホを操作した。そういえば佳純の連絡先知らないな、とぼんやりと思う。

 「そうだ、その制服、ちゃんとクリーニングに出して返してくれよ」

 「わかってるよ」

 太陽が辺り一面を真っ赤に燃やしている。それは少し視界を奪うけれど、二人のスマホのバックライトが浮かんでいて、その頼りない光が、少しだけ力強く思えた。

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白い花の名前 成澤 柊真 @youshi

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