第3話

桐生渚が現場を離れていた時、この町にどこかにあるアパートの一室、テレビとパソコンがあり、そのどちらも電源が入った状態で放置されている。そこの薄暗い部屋で、携帯の氏名欄を言葉も無く、必死に見つめている男がいた。彼は畳の上に座って、時々自分の前の机の上にあるテレビやパソコンに目をやる。そして、何も変化が無いのを確認し、また携帯に視線を戻す。

テレビの方は、絶え間なく今日あったニュースを流し続けており、その中には連続殺人事件の話もあった。パソコンの画面には今日のニュースが映し出されており、コメント欄は事件に対する嫌悪や悲しみの言葉で溢れかえっている。それともう一つ、いや、二つだ。ある二人の人物の名前が検索されている。結果、表示されたのは

部屋の明かりは点いておらず、電気機器の明かりのみで照らされた部屋が、その不気味さを増している。窓のカーテンは閉じられておらず、月の光が男の身体と明かりの無い部屋を時折照らしている。部屋の様子は、とてもきちんとしている。机の上は片付いており、ゴミが屑箱から溢れている様なことも無く、沢山ある本は全て本棚に収められている。

整理が行き届いている部屋だが、ただ一点、彼の横に広げられている大きな地図は、マジックで書かれた文字と付箋で汚く埋め尽くされている。

ピロンッ! と、パソコンから電子音がした。どうやら、検索情報が更新された様だ。

彼はパソコンに目を向け、内容を確認する。検索していた二人の内の一人、そいつのSNSが更新されていた。その文章を何の感情も無く読み上げる。

「マジでヒマ~ 最近あいつらにメール打ってもレスこねーしさ 明日は気晴らしにいつものゲーセンでも行ってくるぜ(笑)……か」――こっちは全然笑えないよ

男は少しだけ感情をこめて言った。その感情は憤怒なのか失望なのか、はっきりとは分からない。

男は早速、SNSに投稿されている記録を確認し、その中からゲームセンターの写真を何枚か探し出した。それを今度は写真検索にかけて似た写真を探す。そうしてどこかに店名や住所、とにかく場所を特定するのに必要な情報を探し、店舗情報、周囲の地形、人通りの多さなどを調べる。

「店の位置は分かった。開店時間と、こいつが来そうな時間帯も把握済みだ。この辺は人数も少ないし、路地も多い。近くに閉鎖になった工場や、建設中のビルなんかもあるみたいだ。人目に付かない場所はいくらでもある」

――間違いなく殺せる――そう男は思っていた。

この男は既に三人も殺している。そしてまた一人、殺しに行こうとする。

「……あと二人、あと二人だ」

あと二人殺す事。それが今、この男が望む唯一の事。そうして始めて、男はこの罪から解放される。あと数十年は続くであろう地獄からの解放。男はそれを求めている。

男は守るように教えられてきた。

何を守るのか。自分の信念? 社会の道理? いや、男が守っていたのは人だ。

男には、守らなければならない人がいた。それは男にとって本当に大切な人であり、最愛の人であり、一生守り続けると約束した人であった。しかし、男は護れなかった。

なぜなのか。男には、どうしてこんな事になったのか分からないし、こんな事になった理由など知りたくもなかった。

しかし、男は知ってしまった。だからこそ絶対に許せない。

――あの人を傷つけた奴を許せない

「俺はあの人の為に罪を犯す。例えあの人が望んでいなくても……。例えあの人が救われないと知っていても……」

それは言い訳に過ぎない。

男は抑えられないのだ。自分の悲しむ事が、憎しむ事が、恨むことが、そして怒る事が。

男の言葉には怒りがこもっている。

それは誰に対しての怒りなのかは分からない。今分かるのは、その怒りの矛先が誰に向くのかと言った程度だ。

男は準備を始める。明日、新たな罪を背負うための準備を。

***

 桐生渚が現場から立ち去り、車に乗って寺務所に帰ろうとしている時のこと。桐生渚と別れた大乗陽道は、人混みの中、大通りを迷いなく進んでいた。

向かっている先は相見市の中でも大きなショッピングモール。その中にある若者向けの服売り場だ。その足取りはどこかはずんでいる。彼女の鼻歌まじりの行軍が、そう感じさせているのだろうか。では、いったい何が彼女をそうさせているのか。それが分かるのは、彼女と心同じくする乙女だけであろう。

 「ふんふん、ふふん~。あーもう、どうしようどうしよう、どうしようー!」

 そう言う彼女の顔には、困った様子は欠片も無く、あと数時間は取れそうにない純粋な笑顔が張り付いている。

 「いきなりデートっぽい事に誘ってしまって、いつもの物静か系キャラはどうしたのよ、私! 確かに今朝の占いでは恋愛運マックスだったし、『運命の人に出会い、その人が人生を大いに変えてくれるでしょう』とは言っていたけど、いきなりはマズかったかもでしょう~」

 そんなひとり言を言いつつ、少女は目的の場所に到達し、自分の感性と慧眼を信じて、明日着ていく服を購入する。いつもは、あまりほしくない店員さんの言葉が今は神のお告げに聞こえなくも無い。

 「ありがとうございました~」と、店員さんの子気味良い声が聞こえる。いつもは、こういう所に買い物に来ても何も買わずに店を出る事が多く、店員さんの声がとても虚しく聞こえてくる。しかし、今日は違う。なにせ、三か月の間貯めてきたお小遣いのほとんどを使って買い物をしたのだから。

 いま、彼女の目には何もかもが、いつも以上に輝いて見える。街も、夜空も、服も、鞄も、タイルの模様も、通りを歩く人だって輝いて見える。みんながみんな、とても楽しそうに見える。全部が全部、素晴らしくて、綺麗で、温かく見えている。

 人混みの中でふと足を止める。その温かく見えた物の中心で、少女は足を止めて考え

――これが恋をするって事なのだろうか――と。夜空を見上げて考える。

 少女にはまだ分からない。自分の思っている感情が本当に恋なのか。はたまた別の何かなのか。

けれど、分かった所でどうにかなる訳でも無い。だからその事は考えない。

 かわりに彼の事も考える。さっき会ったばかりの人、桐生渚の事だ。

彼女の目には、彼はどの様に映っていたのか。自分が月明かりに照らされた時、彼は同じく照らされていた。

だから彼女は、その時の事を思い出す。

――あの時の表情はとても優しそうだった。それから、私の名前を、私の思っている事を理解してくれると思った。だから私は……

 「私はもっと、あの人とおしゃべりがしたいと思った。ただそれだけ。ただそれだけで、それだけなんだ」

 そう言って、少女はこの素晴らしい世界を駆けて行く。一度走り出した少女の思いは止まらない。

少女の思いが行きつく先は、誰にも予想ができない。例えそれが神様だとしても。

***

「ただいま」

そう言っても誰の返事も無い。まるで自分一人を残してみんなどこかへ行ってしまった様な気分にさせられる。

それもそのはず、桐生探偵事務所には彼以外に人は住んでいないのだから。

時刻は午前一時を少し過ぎたところだ。大乗陽道と別れた後、その足で他の二件の現場へと調査に行っていたのだ。帰宅時間がこんな事になったのはそのせいだ。

ようやく現場調査から帰って来た桐生は、六階の居住区ではなく、五階の事務所に入り、来客用の長ソファーに飛びこんだ。ソファーからはギギッ、という音がしたが、気にする事なくそのまま眠ろうとする。

「いかんいかん、まだやる事がある」

彼は寝るのをすんでの所で止め、コートを脱いでソファーに放り投げる。事務机に置いてあるパソコンの前の椅子に座り、今日の報告書の作成に取り掛かる。

今日(といっても既に昨日だが)行ったのは全ての現場調査と異能痕跡の調査だ。

事件現場は警察が完璧に調べ尽くしており、遺留品や砕けた肉片ひとつまでも丁寧に回収されていたため、手掛かりになりそうな物は一切見つからなかった。

しかし、三件すべてに異能の痕跡があることが判明した。これは今後の捜査を進めるにあたっての大きな成果と言える。つまり今回の事件は、異能者によって引き起こされた物だと言う事だ。

凶器はまず出てこない。アリバイもかなり巧妙に作れる。極めつけに、現場に居なくても犯行が可能ときている。

いかに日本の警察が優秀であろうとも、この条件ではどうしようも無いだろう。それにもし、犯人らしき人物の特定ができたとしても、その殺害方法を科学的に証明しなければ逮捕などできるはずが無い。

裁判が行われたとしても、検察が「魔法で人を殺した」などと証言しよう物ならば、その証明に検察は苦しむ事になるだろう。

つまり……。

「つまり、この殺人犯を国家は裁く事ができない。よって、この事件解決は我々異能管理官によって解決されるべき事柄である……と、まあこんなもんだろう」

そう言って、パソコンに打ち込んだ内容をそのままメールに添付する。送り先は彼の先生のパソコンだ。

「送信と。しかし、もう二時か。起きているだろうか」

そう思った矢先、どこからか聞き覚えのあるメロディが聞こえてくる。

「電話だ。……あれ? どこに置いたっけ」

自分のポッケや机の上にその存在を確認する事はできない。そうこうしている内に音はどんどん大きくなり、その音が自分の目の前から聞こえてくる事に気が付いた。

おそらくコートの中に入れっぱなしになっているのだ。

「はぁ……クッソ」

面倒だが確認しない訳にもいかず、彼はコートを確認するために重い腰を上げる。

コートを手に取りポケットの中を確認しようとして逆さまに持ってしまい、電話を落っことしてしまったのは残念極まりない。

仕方なく電話を拾い、こんな時間に電話を掛けてくる非常識な相手を確認する。

先生からだ。

「もしもし、桐生です。先生、まだ起きていらしたんですか」

「まあな、仕事が溜まっていて寝ているヒマも無いよ。眠くて眠くて仕方がないんだがね」

そうは言う物の、その言葉からは眠気など一切感じられない。むしろ今の状況を楽しんでいるとさえ思える。

「それより、今送られてきたこの報告書なんだが……ククックック。」

「? 何です、誤字でもありましたか」

「いやいや、そうじゃないよ」

慌て彼の言葉を否定する一方で、笑いは絶やさない。

「この報告書に出てくる大乗陽道って女の子は一体誰なんだい。会っていきなり次の日のお約束とはね。お前も隅に置けないな~。ついにモテキと言うやつが来たんじゃないのか」

「からかうのは止めてください。それに、今日会ったばかりでどんな人かも分からない奴を好きになりますか? ならないでしょう、ふつう」

「そうだな。しかし、一目ぼれと言う事もありうるぞ。まあなんにせよ、あの子にはバレないようにな。もしバレたら色々と面倒なことになるぞ」

からかう事を止めない先生に対し、彼は少しうんざりする。先生は人をからかうのが好きな人ではあるが節度ある人でもある。しかし、深夜のテンションでその行為に歯止めが掛からない状態になっているのだ。

仕方ないので、無理やり話を戻させる。

「そんな事よりですね、現状、対象を見つける事はかなり厳しいと思います。警察が回収した証拠の閲覧は可能でしょうが、どのみち犯人特定に至る証拠は出てこないでしょう。現場には異能の痕跡も確認されましたが、あれだけではどうにも……。ですから、明日、彼女から何か情報を聞けることを期待しています」

「なるほどね。まあ、足で証拠探しするのが基本だからな。聞き込みもその一つだ。しっかりやりたまえ」

「はい。それではこの辺で、失礼します」

そう言って、電話を切った。

「はぁ…………」

何も考えずに、ボーっと目の前の空間を見つめる。

目に入る物は何もない。いや、見ても、見ていると認識しようとしないからだろう。

部屋に響くのは、壁にかかっている時計の針が動く音だけ。

彼はいつしか、そのまま眠ってしまった。

時刻は夜の二時過ぎ。草木も眠る丑三つ時だ。そんな中で起きている者は、人間ではないのかもしない。

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異能伝 @yanagidaisuke

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