彷徨える人形 ③

vol.Ⅵ


どのくらい、心を失くしていたのだろう?

気がついたとき、人形は薄汚い雑多なガラクタ屋にいた。

周りには信楽の狸や千成ひょうたん、七福神の置き物、

贋物くさい掛け軸などと一緒に、ガラスケースに放り込まれていた。


美しかった人形も長い年月の間に……

白いエプロンドレスは外されてなくなって、 

真紅のドレスは色褪せ、青磁の肌は薄汚れ、

髪もくしゃくしゃで、ひどく陰気臭い人形になっていた。

そんな人形を誰も買う人もなく、店先に忘れさられて……

毎日、ため息ばかりついて人形は暮らしていた。


そんなある日、貧しげな身なりのひとりの老婦人が、

人形を指差し、これが欲しいと店主に告げた。

値段のことで少し揉めていたが……

このまま店先に置いても一向に売れそうもない、

アンティークドールを、しぶしぶ老婦人に売り渡した。


久しぶりに、持ち主のできた人形は少しウキウキした。

おばあさんのキャリーバックに乗せられて、

奥まった路地の、小さな古い平屋に連れて帰られた。

だけど家の中はこじんまりして、とても清潔で快適だった。

そして人形は、ここでおばあさんとふたり暮らし始めた。


おばあさんの日課は毎朝、仏壇に手を合わせる事から始まる。

仏壇には亡くなった夫と、7歳で亡くなった娘の位牌が納められていた。

いつも仏花とお供えを絶やさなかった。

都会に息子が家族と住んでいるが、ひとり暮らしの母親の元に、

あまり訪れたことはなかった。


いつもひとりぼっちで、おばあさんは寂しそうだった。


人形のことは、亡くなった娘の名前を借りて、

『なおみ』とおばあさんは呼んでいた。 

「娘が西洋人形を欲しがってねぇ~」と人形に話しかけた。

「うちは貧乏だから、そんな高い人形は絶対に無理だからって、

買ってやれなんだぁ~あんなに早く死ぬんだったら……」

無理してでも、買ってやればよかったと、

おばあさんは後悔していた。

「最後に、なおみの棺の中に入れてやれば良かったのに……」

と嘆いて、

「なおみ、お母さんを許しておくれ!」

おばあさんは深いため息をついて、仏壇に手を合わせて

亡くなった娘にいつまでも詫びていた。


その姿は死んだ者より、死者の想い出にすがって生きている方が、

その何倍も悲しくみえると人形は思った――。


おばあさんと人形は毎日平穏な日々を送っていた。

人形のためにおばあさんは新しいドレスを縫ってくれた。

娘の形見の服をほどいて、ひと針ひと針と手で縫っていた。

それは少し不恰好だったけど、おばあさんの真心が込められて、

とても嬉しかった。

大事に扱ってくれるおばあさんが大好きだった。


「なおみ、じゃあ行ってくるよ」

脚の悪いおばあさんは、キャリーバックを押して、

いつものように買い物に出掛けていった。


だけど、どうしたことか?

そのまま、何日たってもおばあさんは帰ってない。

「おばあさん どこへ行ったの?」

人形は心配しながら、ひたすらおばあさんの帰りを待っていた。

暗い部屋の中で、虚しく時計の針が時を刻むのを聴きながら……


数日経った、ある朝、知らない人たちがドカドカ家の中に入ってきた。

それは都会に住む息子の家族だった。

彼らの会話から、買い物帰りにおばあさんがトラックにはねられて、

亡くなったことを人形は知った。

この家に、おばあさんの遺品の片付けにやってきたようだ。

おばあさんの荷物は、ことごとくゴミとして捨てられていった。

あまりのショックに、人形は呆然としていた……


人形もゴミ袋に投げ込まれようとした、その瞬間、

「それは取っといて!」息子の嫁がいった。



vol.Ⅶ


おばあさんの人形は、都会のマンションに連れてこられた。

マンションの室内では、2匹のコーギー犬が飼われていた。

ダンボールの箱から取り出された人形の髪を掴んで、 

息子の嫁は、犬たちに向ってこういった。

「ほらっ、新しいオモチャよ!」

人形を犬たちに放り投げた。


喜んで興奮した犬たちは、

2匹で人形を咥え、引っ張りあって遊んだ。

「やめて! やめて!」人形は泣き叫んだ!

じゃれ合う犬たちによって、

人形の髪もドレスもボロボロにされていった。

「まるで悪夢だわ……」なすがままだった。

フランスの人形職人のおじいさんが作った、

自慢の人形がぼろ屑のような無残な姿にされていく……

それはプライドの高い人形には耐え難いはずかしめだった!


とうとう人形は捨てられてしまった。

犬が散歩に咥えていって、そのまま公園の片隅に忘れられた。


「なんだこりゃ? 汚い人形だな!」

それを見つけた小学生の男の子たちに、

サッカーボール代わりに蹴飛ばされ、踏んづけられた。

蹴られる度に、人形は心の骨が折れるようだった。

あぁ~心が砕けていく……


今は、腐敗した生ゴミといっしょにゴミ箱の中にいる。

人形のガラス玉の眼に映る空は、どんより暗く重かった。

今までの持ち主たちのことを、ぼんやりと考えていた。

結局、みんな不幸だった、いつも悲しい末路だった。

わたしの本当の名前はなのだろうか?


だけど、人形は何もしていない。

見ていただけに過ぎないのに……ただ見ていた。 

神さまは、何ひとつとして願いを叶えてはくれなかった。

いつだって、運命という河に流されていくしかなかった!

わたしは何もできない、ただの人形だから……


遥か西洋のフランスから、東洋の国にやってきた、

彷徨える人形の、長い長い旅路が、

ようやく終わろうとしている。

もうすぐ、ゴミの回収車がやってくるだろう。

パッカー車に投げ込まれて、こなごなに潰されて、

他のゴミと混じって、人形のカタチなんかなくなってしまう、

もう、それでいいと思った。


もし生まれ変われるなら、心の無い人形になりたい。

何もできないのに、があるのは辛過ぎるから……

見ているだけは、悲し過ぎると人形は泣いていた。


そして、ゴミの回収車に投げ込まれる刹那 

「Je veux ne regarder rien!」人形は叫んだ。



もう、何も見たくない……



だけど、人形の声は誰の耳にも聴こえなかった。



               ― 彷徨える人形 完結 ―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふしぎ脳 泡沫恋歌 @utakatarennka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ