僕の名前は吸血鬼
事務所の中は、外観の通り整理整頓がなされていた。
私の短くない人生の経験上、こうした辺境の地の法の番人はやや潔癖な性質を持つものだ。
純白の守護者としての矜持か、それとも、権力者への抵抗か。
私の記憶の中で、彼らは決死の抵抗をしていた。彼ら自身が『抵抗した』と納得するための、私にしてみれば些細な抵抗だ。
支配者に見られては困るものを、彼らは何故だか書面にしたがるのだ。身の回りを禁欲的に清潔に保つくらいなら、いっそ最初からそんなものを持たなければ良いのに。
勿論理由は解っている。
契約書がなければ、彼らは互いを信用できないのだ――他でもない、自分自身さえも。
下らない、と過去の私は思う。
人間らしい、と私の友人は言うだろう。
………今の私は、何と言うべきだろうか。
答えが出ず、私は軽く首を振って、過去を記憶の化粧箱へと追いやる。
相棒のロディアに倣って人間らしく行こう、大事なのは、現在だ。
「………それで、ホルンさん、その吸血鬼とやらの話なのですけれど? お知り合いだとか」
「クラエという、男の子ですよ」
僅かな手荷物を机に戻し、厚手のコートをコート置きに掛けて、ホルンは代わりに小さな金属を手に取った。
鍵だろう、恐らく牢屋の鍵だ。
「村人は、全員知り合いです。家族ぐるみと言ってもいい」
「なのに、殺人を?」
「何とも言えませんね」
ホルンは私の問い掛けに従順に答える。
まるで、僕のように。
私は瞳を真紅に光らせながら頷いた。
支配者の義務だ、奉仕を受けとるのは。
「私が見たのは、死体の脇に佇むクラエの姿です。彼は全身を真っ赤に染めて、唇から垂れる血を舐め取っていました」
「それは致命的ね、お互いに」
大柄な従者の案内に従って、私はオフィスを奥へと進む。どうやら、牢屋はこの先らしい。
不用心なこと。もしも仮にクラエ少年が吸血鬼だったなら、ホルンは真っ先に殺されているだろう。
もしも、仮に。
私は、そっと唇を舐める。実に楽しみだ、この先には、喜劇の予感がする。
「………うぅ」
呻き声。そして、衣擦れの音。
牢屋の雰囲気はどこだって同じだ、そして、そこから聞こえてくる音も。
そこが他所と比べて多少なりともましなのは、窓があることだ。
壁の、大柄なホルンでも届かないような高いところにではあるし、そもそも鉄格子が嵌め込まれているが、それでも外気が入ってくるというのは実に良い環境だ。
一般的な囚人にとって最も苦痛なのは、外界との断絶である。それが少しでも緩和されるというのは、週に一度の鹿肉のステーキにも似たご馳走だろう。
では――一般的でない囚人にとってはどうなのか。その答えは、目の前で横たわっていた。
村中の空を覆う【月女神の天蓋】の切れ目から射し込む、本物の太陽光。
普通ならば鼻唄の1つでも出てくるような麗らかな日射しを、囚人はしかし、目にするのも嫌なようだった。
あてがわれたと覚しき毛布を深く被りうずくまる、小柄な影。間違いない、あれがクラエ少年だろう。
「日光を恐れているのです」
「吸血鬼らしく?」
「そのつもりでしょうね。クラエ!!」
ホルンの良く通る声に、毛布お化けはビクリと大きく震えた。寝ているわけではないらしい。
「お客様だ、クラエ!! 顔を出しなさい」
「カーテンを」くぐもった、変声期を迎える前の甲高いフルートが、不機嫌な音色を奏でる。「カーテンを閉めてくれよ。これじゃあ虐待だ、今の僕が太陽の光を浴びたらどうなるか………」
「あら、どうなるのかしら?」
心底から不思議に思って、私は首を傾げる。
吸血鬼は、良く言われるような位階の差など関係無く、日射しなどでは滅びない。ごく稀に太陽光を浴びて滅んだ同僚も居るには居るが、それは彼に浴びせられた光が少々強すぎただけだ。
信仰者の放つ【裁きの光】でもない自然の輝きに、吸血鬼がどうこうされることはない。そんな種族がこの世にいたら、あっという間に絶滅するだろう。
吸血鬼を滅ぼせるのは信仰だけ。
だとしたら――『我は吸血鬼である』という信仰がどの程度のものか、実に興味がある。
「………だれ?」
耳慣れない声に興味を惹かれたのか、声と共に影が上体を起こした。
修道士のように目深に被った毛布の奥から、好奇心が目を開いている。私は瞬き1つで【邪眼】を納めると、幼い容疑者に視線を合わせる。
「はじめまして、私はリズよ。貴方はクラエね?」
「………リズ? 聞いたことない」
「だからはじめましてと言ったわよ、坊や」
「坊やじゃない、子供扱いするな! おまえだって子供じゃないか」
率直な反応に、私は微笑んだ。
若さ、幼さから来る横柄さは、かつて誰もが持っていて、 やがて誰もが失う貴重なものだ。それは毒にも薬にもなる、黄金にも似た宝物だ。
私は宝を尊重する。若さは取引可能な通貨に過ぎないが、無知は2度と得ることは出来ない。
「………ボクに、あまり近付くな」
「あら、どうして?」
「危ないから」少年は即答する。「おっさんに聞いたでしょ? ボクは………」
「人殺しだわ、ただの」
私は優雅に微笑む。
それが唯一の客観的事実というやつだ――今のところはだが。
息を呑むクラエ少年に見せつけるように、私はくるりとターンを決めた。
悪くない見世物の予感がする。こうして直接会ってみて直ぐに解った。彼は、吸血鬼ではない。
「その先は、未だ知らないわ私。個人的な情報は、本人の口から聞くのが礼儀というものでしょう? 謹み深いのよ、私は」
「………ボクは」
言い淀む少年の前で、私はじっと待つ。
待つのは嫌いではない。ロディアなどは誤解しているが、私は誰かを待つ時間が苦痛と思うことはない。
気は長い方だ。ご馳走を前にしていれば尚更。
決意の前の逡巡は、ワインを寝かせるのにも似た重要な工程だ。躊躇い、不安、苦悩――それらが結局衝動にねじ伏せられる様を見るのは、実に甘美な演目だ。
少年はやがて口を開く。絶対に。
操るまでもない、人の本能は、口を閉ざすより開く方に力を注いでいる。息をするように、彼らは口から秘密をばらまく生き物だ。
少年はやがて口を開いた。私からすれば、拍子抜けするほど短い時間の末に。
「ボクは………人を殺した」
「そうらしいわね」
「それだけじゃない、その死体を、ボクは食べた」
「そうらしいわね」
「ボクは………吸血鬼なんだ!」
叫び声を上げると、クラエは立ち上がる。
毛布から痩せた腕がすらりと伸び、それが高く掲げられた。窓から差し込む光の帯に、手のひらが差し込まれていき、
そして、私は息を呑んだ。
そんな馬鹿な、という呟きが、喉の奥でどうにか止まった。
あり得ない現象だ、だって――彼は、吸血鬼ではないのだから。
「っ、あぁぁぁぁぁっ!!」
「クラエ?! 馬鹿な、いったい何が?」
甲高い悲鳴に我に返ったらしいホルンが鉄格子に駆け寄る。
鍵を開け、中に踏み込むと、ホルンはうっと呻いて口を押さえる。
肉の焼けるような臭いが、狭い牢屋に立ち込めていた。
ホルンの腕の中でガタガタと震えるクラエ。その手のひらは、真っ赤に焼けただれていた。
伝説の中でのみ語られる、吸血鬼のように………。
嘘を吐かない人形は。 レライエ @relajie-grimoire
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