花咲く村

「すごいですね」


 村の中は、家々から立ち上る花の薫りで噎せ返るほどだった。

 僕はあちこちに視線を投げながら、先を行くホルンさんに声を掛けた。


「見事な眺めですね、まるで花の見本市だ」


 ともすれば単調になりがちなログハウスの群れは、咲き乱れる花のお陰でモザイク画のようだ。

 壮観という言葉が物足りないくらいだ。芸術を前に、ヒトの言葉は無力なものである。

 僕の脆弱な感想に、それでもホルンさんは嬉しそうな笑顔で振り返った。


「そうでしょう? この眺めは、この世のどんな庭園にだって負けていませんよ」

「まるで妖精の楽園アヴァロンね。けれど………」


 世界一有名な異世界の名をさらりと挙げたリズは、ちょこんと小首を傾げた。


金木犀オスマンタスプラムが同時に咲いているのは、ちょっと珍しいのではなくて?」


 それは、僕も気になっていたことだ。

 家々をざっと見回しただけで、直ぐに解る。壁に咲いている花は、季節や時期をまるで無視した咲き方なのだ。自然界ではこんなことは、けして起こらない。


 ホルンさんは、大きく頷いた。


「それこそまさに、妙技と呼ぶべき奇跡ですよロディアさん。ベアーの【生け垣】は、水さえ与えればけして枯れず、やがて花開く。詰まり………」

?」

「その通り」


 成る程、と僕は頷いた。


【生け垣】の花を咲かせる要素ファクターは水だけ。気温などは関係がないのか。だから、季節の区別なく花を咲かせる事が出来るわけだ。

 妖精の楽園アヴァロンという喩えは、なかなか言い得て妙だった。時間の流れから隔絶された妖精界のように、ここでは住人の好みで花が咲く。


 季節外れの花を横目に歩きながら、僕はもう1つの気付いた事を口にした。


「………ここには、しか居ませんね」


 獣人と人間との交わりが当たり前で、人間ヒュムという括りが何の意味を持つのか、もう解らない世界ではあるけれど。

 だからこそ、村に入って数分間獣人を見掛けないのは、気になる話だ。


「えぇ、まあ………」ホルンさんは、言葉を濁した。

「けれど、純血の人間ヒュムなんてもう殆どいないのでしょう? 随分と珍しい銘柄ラベルのボトルが集まったものね?」


 嗜虐サディスト的な笑みを浮かべて、リズが追及する。こういうときの相棒は、思わず相棒を止めたくなるくらい楽しそうだ。


 とはいえ今回は、彼女の好奇心に蓋をするわけにはいかない。


 リズも言ったが、今や獣人の血が混じっていない純粋な人間ヒュムなんて、人口の1割程度だ。国では彼らを特権階級貴族として権力の檻に閉じ込め、壊れやすい骨董品アンティークを保護している。

 そしてそれに反発して逃げ出した人間ヒュムも、少なからず居る。彼等の行く末を知る者は居ないが――発見されたら、今度こそ本当に檻の中だろう。


 もし、ここが彼等のような逃亡者の楽園ならば――知らぬ振りというのは、いささか不味い。

 理性的なとしては、この村の立ち位置ははっきりさせておきたい。例えば彼等が逃亡者で、通報を警戒しているのなら、僕らはそれを認識しておくべきだ。


 他人の目や口を気にする者は、時として。目や口の持ち主としては、気にするというものだ。


 ホルンさんは暫し口を閉ざし、やがて疲れたようにため息を吐いた。


「………私たちの先祖は、確かに純血だったと聞いています。中央に背き、逃げ延びたとも」

「………なら」

「い、いえいえ! その伝承の中で、書かれています。『逃れた黒き森で、我等異種族と交わる』と………。我々表には出ていませんが、既に純血ではないのですよ!」

「では、何故? 何故この地で隠れているのかしら?」

「………根拠が、ありません」


 ホルンさんは肩を落とすと、のそのそと歩き始める。


「根拠と言えるのは古文書の文言ですが、外見的には獣人の特徴は何も出ていません。そもそも何の獣人と交わったのかも解ってはいないのです、説明出来るとは思えない。残された方法は………」

銘柄ラベルが本当かどうか確かめる方法は、それだけしかないものよね」

「そうです、そして、万が一が起こってしまったら? もしも伝承が嘘っぱちで、私たちは逃げ出した純血だとしたら? 私たちは2度と、この森には帰ってこられない。そんなリスクは侵せませんよ」


 それは確かに、そうだろう。

 我が身に置き換えたって、僕だって同じように考える。自分の起源ルーツを証明するのは、誰であれ困難なのだ。

 正に分の悪い賭けサタンズ ダイスだ――僕が人間であるという確信は、他人への証とはなり得ないのだから。


「………………………」


 納得する僕を、リズは何故だかとても不満そうに眺めていた。

 何故だろう………僕が何か、変なことを言っただろうか?







「さて、そろそろ着きますよ。特別巡視官の事務所オフィスです」

「例の、があるわけね?」


 ホルンさんの言葉に、リズが唇を歪ませる。

 幼い外見にまるでそぐわない笑みを浮かべる相棒に、僕は内心冷や汗を掻いた。実際【銘柄ラベル】とやらを確かめられて一番困るのは、他の誰でもないリズなのだ。

 より正確には、後始末を押し付けられる僕なのだが――あまり考えたくはない未来だ。


 この先で――リズが言うところのとやらで大人しく眠る吸血鬼に出会ったとして、果たして彼女は、冷静に話をしてくれるだろうか?


 祈るように天を見上げると、青空が目に入った――【月女神の天蓋ヘイジームーン】の、そこが切れ目というわけか。

 鳥でも突っ込んだか、或いは長年の劣化か。村を覆う純白の空は大きく抉れ、抜けるような青空が覗いている。


 だとすると、その午後の日差しスポットライトを一身に浴びるログハウスが、ホルンさんの事務所オフィスというわけだ。

 他の家よりは2倍以上広く、そして何より、その壁には。その代わりに、壁一面が白いペンキで塗られている。


 陽射しを反射して目を眩ませる白さだ。不浄を寄せ付けないという主張アピールか、それとも、権力は汚れやすいという暗喩メタファーだろうか。

 いずれにしろ、修理箇所はここらしい。見上げる僕に、リズが背後から言った。


「ねぇ、ロディア。貴女はここで、状況を確認しては如何かしら?」

って、君はどうするんだい? ………まさかとは思うんだけれど」

「勿論、私も私のよ?」


 ニヤリと笑うリズの背後で、ホルンさんがにこやかにドアを開けて待っていた。幼いリズの好奇心を、尊重してくれるつもりらしい。


「………穏便に頼むよ、リズ?」

「勿論善処するわ。静かに済ませるつもりよ、まるで墓場のようにね?」


 僕はため息を吐いて、悩むのを止めた。

 人間としては、相棒の言うことは信用してあげるべきだと思ったのだ。

 ………断じて、諦めた訳ではなく。

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