君を想う。

@daco

第1話 「君は元気でいましたか?」

「君は元気でいましたか?」


夢は覚めるなんて誰が決めたのですか?

私の言葉は届いていましたか?

今でも貴方は幸せですか?

優しすぎる貴方の笑顔は眩しいものでした。





【君を想う】







半年ぶりに田舎の実家へ帰ってきたのは、空が夕陽の色に染まる少し前だった。自分の運転する車で田舎道に揺られながら、人っ子一人いない道路を走る。

前に帰郷したのはちょうどその夜、大雪が降った正月のことだったと思う。今ではすっかり緑が生い茂り、車や家の中でも蝉の大合唱が聞こえてくる、そんな夏の田舎だった。


「藤人、父ちゃん久し振りにご馳走するやざ。夕飯作っといたるから散歩でも行ねま」

「ほんと?久し振りやなぁ」

座卓で茶をすすりながら、飼い猫のチビと遊んでいた自分は、台所に立っている父の方へ振り返った。細身だが屈強そうな父の腰には、エプロンの紐がぎこちなくリボン結びされている。

相変わらずエプロンの似合わない人だと笑っているとほや、早よ行ねまと恥ずかしそうに父は口をとがらせた。

途中、弟の部屋を覗くといきなり襖を開けたことに驚いたのか、ビクッと身体を揺らしてゲームのコントローラーをふっとばした。

「なんや、覗く時はノックしねまぁ」

「すまんすまん、環も散歩行かん?」

「今やっと一面クリアしたんやざ、散歩は行かん」

「ほや、ゲームばっかりせんで父ちゃんの手伝いもするやざ」

環はわかっちょる、と言うとまたゲーム画面に視線を戻した。ほや、いってくるよと声をかけるとちょっとだけ視線をこちらに向けて、環はいってらと手を振った。

「暗くならんうちに帰ってけぇや!」

「あぁ、行ってくるよ」

靴を履くとき何故か後ろから父が嬉しそうに都会の言葉ばっかりようけ覚えよって、という声が聞こえたが、気にすることでもないかと家をあとにした。





靴を履いて出た家の前は一面田んぼ。家の周りは本当に森か田んぼか、小さな山ぐらいしかない。近所と言ったら百メートル先だ。あぜ道を通る両脇には空の青さと入道雲が映る田んぼがある。舗装されていない砂利道には、干からびたミミズやらトカゲが平べったく伸びていた。

んーッと空を仰いで背伸びすると、気持ちが良い。都会の喧騒と違って聞こえるのは蝉の声と木々が風にそよぐ、自然の音だけだ。ただ自然が多いせいで、蝉の声が少しけたたましく感じられるが空が広く、空気が美味しいことこの上ない。

気が付くと田んぼの中にあるこんもりとした山の神社に立っていた。いや、むしろ足の赴くままに行ってたどり着いたのがこの神社だったというべきだろう。昔よく行った大きな神社は今となってはとても小さく感じられた。それもそのはず。

小学生の頃、手も届かなかった鳥居は現在178センチの自分でも腕を伸ばせば、容易に天辺に手が届く高さにある。しかも神社だと思っていたものは祠に違いなかった。

山の少し開けた中に、ひっそりと隠れるようにある祠は誰にも手入れされていないだろう、砂利道の隙間から所々元気に延びた雑草が顔を出していた。

鳥居をくぐって狭い石階段を上がると、両脇には苔が生え、土で薄汚れた狐が二体あった。昔と変わらないが、時間だけがだいぶ経ってしまったようだ。

「あ、これお稲荷様か」

そのとき、不意に背後で何かが音を立てた。思わず前を向いたまま固まる。葉がこすれる音だったので猪か鹿かもしれない。もしかしたら幽霊なんてことも。風でないことは確かだ。

(やって風吹いてへん…)

どっちにしろ振り向けない。悪い考えばかりが頭をめぐって、血の気が引いてきた。まるでサァッと血が全身から抜かれた気分である。

何かが自分の背中をつついたとき、もうお終いだと思った。死んでしまうと思ったが、見るも紛うことに後ろに立っていたのは、白いワンピースを着た同い年ぐらいの女性だった。向こうも驚いたようで、目を丸くしてこちらを凝視している。

膝に手をついて、これでもかというほど大きな安心のため息をついた。

「なんや、驚いたー!ほやけどここらじゃ見かけん子やね?」

その女性は横の髪をすくって後ろでまとめた、長髪黒髪の清楚な人だった。年上か年下かと聞かれれば、二十一の自分と同い年にも見えるが、それよりも顔立ちは幼いように見える。

彼女の瞳は深い深い漆黒の色をして、自分を真っ直ぐに見つめていた。柔らかい雰囲気をした、優しそうな人だ。

「ここに引っ越して来たが?」

そう話しかけても女性は口を開かなかった。何故か悲しそうにじっと自分を見つめるだけだった。

そういえばいきなり見知らぬ女性に声をかけることを、都会ではナンパと言うんだっけかと思い出す。

(ほなら、嫌がってるかも知れん)

「すまん、驚かせてもうたな。いきなし嫌やったやろ?ほんま、すま…」

不意に女性は首を振った。それがあまりにも必死だったのが可愛いくて、思わずくすっと笑うと、つられるように彼女も笑った。

「ほや、少し話ししてこか?俺は藤人言うんよ、宮元藤人。みんなからは藤って呼ばれるんやざ!」

そういうと女性は自分の名前を覚えようとしてか、フジヒトと一文字ずつゆっくりと口を動かした。

「ほやほや!キミの名前は?ア、オ、イ?アオイって葵の御紋かが?」

うんうん、と葵は微笑みながら頷く。

「葵かぁ、きれいな名前やねぇ。あんな、俺んちは父ちゃんと弟の環の三人家族なんじゃ。母ちゃんは病気でいてへん。今自分は東京の大学に通って農業学んでんで。父ちゃんスイカとかいろんなもの育ててんやざ」

スイカ?と彼女が首を傾げる。栽培しているのは大ぶりのスイカで、それを手で象ってみせると葵は驚いたように目を見開いて面白おかしそうに笑みを湛えた。

「ほんまは自分も手伝わないけんやけど、父ちゃんに大学行かせてもろうてるから必死に勉強してるんやざ。その代わり苦労させとうないから、バイト代でしっかり仕送りしとるやざ。弟はちょいとつんけんどんなんやけどほんまはいい子なんで。俺のことをたまにくせっ毛のウニ頭言うんは癪やけどな」

ほとんど自分が一方的に喋り続けていただけだが、葵は大きく頷きながら笑顔で話を聞いてくれた。

自分は彼女が見せる笑顔に見惚れていた。繊細で美しく微笑む彼女をどこか懐かしいように思っていたのかも知れない。

いつの間にか話題は家族の話から友人の話、恋愛の話へと渡っていき、ときに笑い続けるときもあれば、真剣に話を聞きながら声も出さず自分の代わりに彼女が泣きそうに目を潤ませることもあった。



「でな、聡介が溝に落ちよって…眩しっ。なんやもうこんな時間やったか」

気付くとすっかり日は落ち掛けていた。生い茂った木々の下から、だいだい色に染まった夕陽が辺りを照らしている。

恐らくもう夕方の十九時近いだろう。我が家の夕食は十九時と決まっているので、早く帰らないと父に怒られてしまう。

石階段に座っていた自分たちは頃合いを見つけて立ち上がると、大きく自分は背伸びした。汚さないように彼女の下に敷いていたタオルを受け取る。すると葵は、名残惜しそうにありがとうと口を動かした。

「もうお別れやね。今日は楽しかったやざ。話付き合うてくれてありがとな」

にっこりと葵が笑った。それから少し悩んだ挙げ句、スッと自分の手を差し出す。

最初葵はその手が何を意図してるか分からなかったらしく首を傾げたが、ようやくその意味が分かると、彼女は微笑んで自分の手を握り返してくれた。

温かな彼女の手の温もりが直に伝わる。夏のこの時期感じた彼女の手の温もりは、暑苦しいものではなく、温かな心地よいものだった。

「心配して損した」

その言葉に再び葵は首をひねった。

「いやな、ほんまは言おうか迷ったんやけど葵が幽霊か神さまかなって思ったんやざ。ほやけど葵の手温かいなぁ」

一日だけの奇跡やないな。そう言うと意味が分からないといったように葵は面白おかしくプッと吹き出した。

「なんじゃ、笑うなやぁ。恥ずかしいのぉ。…葵、明日も逢えへん?」

あえる。

微笑んだままの彼女は嬉しそうに頷いた。ついでに時間、と口を動かした。

「おぇー!父ちゃんに怒られる!ほや、葵また明日楽しみにしてるやざ!」

もう行かんといけん。葵に手を振ると、危ない危ないと家へ向かって走り出した。後ろを振り向くと、山を出た先で自分を見送る葵の姿が見えた。





「なんで連れて来ぉへんかったんやざぁ!父ちゃんもその別嬪さん見たかったわぁ」

「焦ってたんやざぁ。

その子な、口が利けへんのやざ。ほやけど俺の話ずっと聞いてくれて優しくていい子やったわぁ」

先ほどからずっと父がつくった久々の料理を堪能しながら、葵のことについて話は盛り上がっていた。

父の漬けたきゅうりをポリポリと食べる。うまい。

「ほんなアンポンタンやから彼女できないんやざ」

「誰がアンポンタンじゃ。小6がなに言うが」

今思えば、彼女はいったいどこへ帰ったのだろうと疑問に感じた。ここは田舎だから、誰かが引っ越してくれば狭いこの町では必ず早くに情報は広がっていく。

ま、えぇかとそのまま自分は目の前の料理に手を伸ばした。





***





はじめ、こんな山に近付く人間は誰だろうと思った。田んぼの中にあるこんもりとした小さな山。忘れ去られた祠。目の前の人間を怖くも感じた。

けれど振り返った瞬間、天地がひっくり返るほど驚いた。成長して背も伸びてずいぶんと彼は男前になっていた。彼はあの時の彼だった。

『ほや、少し話してこか?』

再会できただけで嬉しかった。これ以上の幸せはないとも思った。

無言で引き留めてしまったとき、口が聞けない私にそう言いかけてくれた彼はあの時と変わらず優しい人でした。

もう十年以上も前のことになる。彼と出会ったのは夏の夕暮れ時だった。山の祠で遊びから帰ってくる子どもたちの様子、夏の暑さの中で農作業に汗を流す人々を日頃この祠から遠目に眺めていた。もともと私は豊作祈願の稲荷として祀られた白狐だったから、彼らを見守ることにあったのだけど。

ある時、突然何かが祠の狐像を傷つけた。何が起きたか分からなくて、具現化したままの私は相応の傷を負って辺りをふらついていたのを覚えている。

近くに転がっていたのは白と黒の大きな玉だった。子供たちの何かを探す声も聞こえて必死に耳をそばだてていた。

手で拭えばついていたのは真っ赤な血。頭を怪我していた私は、とにかく見つからないようにしなければと隠れ場所を探していた。きっとその頃の私は人間との接触が長いことなかったために見つかることを恐れていたんだと思う。

なんとか子供たちの目から逃れて祠へ戻ろうとしたとき、ある別の子どもとかち合った。一人と一匹、驚いたままジッと動かずに睨み合う。けれどこの時彼は睨んでいたのではなく、私を驚かせないように様子を見ていたんだ。

『お前、大丈夫か?』

そう声をかけてくれたのは彼だった。少し待つやざと慌てた様子でどこかへ行ったかと思うと、しばらくして持ってきたのは包帯と消毒液だった。

『ちょいと染みるかもしれん。我慢しねま』

なんのためらいもせず私を抱いた彼は容赦なく消毒液を垂らした布で傷口を拭ってくれた。正直染みた消毒液が痛くて、泣かない狐の私でも涙が出るかと思った。もちろん、涙は流さなかったけれど。

その後、彼はすまんすまんと言いながらずっと私に謝っていた。彼の腕の中はとても温かくて私の背をさする手はとても優しく心地良かった。

そして、彼は私の永い時の中で忘れられない人間の一人になった。

本当は再会したときありがとうって口に出して言いたかった。私を覚えていますかって聞きたかった。けれどそうしなかったのは、声を出せば私は私の正体を暴いてしまう。そうすればきっと、限られた時間の中で長くは彼と共にいれない。

人々から忘れ去られ、信仰心の薄れた私はじきに消えてしまうでしょう。だから最期はせめて人間となってあなたに恩返しがしたい。

きっとこれは私の最期のわがままです。



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