6-5 本心に気付く時

「こちらです」


 そう言ってシグルドが立ち止ったのは、廊下の端っこ――角部屋の前だった。

 コンッコンッコンッと軽くノックをして、そのまま返事を待たずに扉をあける王子様。


「マリン、待たせたな」


 部屋を覗くと、マリンちゃんは窓際にある木の椅子に腰かけていた。

 私たちが来たことに気付き、愛くるしい笑顔でこちらに駆け寄ってくる。


「マリン!」


 王子様はあわてて部屋に駆け込み、次の瞬間には王子様が倒れ込むマリンちゃんを抱きかかえていた。


「無理をするな」


 私の目には王子様の背中しか見えなかった。

 けれど、声の調子からどれほどマリンちゃんを心配しているかはわかる。王子様にとってマリンちゃんが大切だということは、それはもう痛いほどに伝わってきた。

 王子様はマリンちゃんを抱き上げて、もといた椅子に座らせると、ようやくこちらを振り返った。


「慌ただしくしてしまって、すまない。マリンは――」


 そこでいったん言葉を切り、マリンちゃんのほうにもう一度目をやる。何かをためらっている様子の王子様。

 マリンちゃんは軽く微笑み、うなずいた。


「マリンは……足が悪く、それに……口も利けないんだ」


 私はハッとしてマリンちゃんを見つめた。

 人魚姫の物語はよく知っている……つもりだった。

 けれど知らず知らずのうちに、人魚から人間になったお姫様にはどこかしらに違いがあって、一目で人魚姫だとわかるもんだと思い込んでいたのだ。

 だから私は気づきもしなかった――このマリンちゃんこそが、私が今までずっと、助けたい助けたいと思ってきた人魚姫だということに。


「マリン、紹介するな。こちらの美しい姫君が俺の婚約者のヒメカ。で、こっちのおまけが、ヒメカの世話係のシグルドだ」

「おまけとはなんですか、失礼ですね」

「世話係なんだからおまけで十分だ」


 シグルドと王子様が先程と同様のくだらないやり取りをする中、マリンちゃんはただただ微笑んでいた。

 マリンちゃんは私のことを一体どう見ているのだろう。

 私がマリンちゃんの立場なら、きっと悲しくて悔しくて……とても笑って見ていることなんてできない。ましてや結婚できないと死ぬという状況に身を置いていたら、なおさらだ。

 私のことを疎ましく思っていないのだろうか……?

 ふと、マリンちゃんと目が合った。

 そんな事を考えていただけに、まっすぐなエメラルドの瞳を見つめ返すことができず、あわてて顔を背けた。

 自分のとった行動を客観的に考えると、酷いことだと理解できる。けれど、とてもじゃないけどマリンちゃんの顔を見ることは出来なかった。


「なんだヒメカ、気分でも悪いのか?」


 シグルドとの(子供のような)口げんかを止め、うつむく私の顔を覗き込んでくる王子様。


「王子様……」


 顔をあげるとそこには王子様の顔。髪の間から覗く二つの青い瞳は、色に反して燃えるような輝きを持っている。


「王子様はやめろって! もうすぐ夫婦になるんだぞ。ルカって名前で呼んでくれよ」

「ルカ…………王子」

「お前なぁ……」


 ルカ王子は呆れたようにそう言った。


「それじゃあ嫌だ……けどしょうがねぇな、今はそれで我慢してやる」


 夫婦になるのだからルカと呼べ。そう言われて、ルカと呼んでしまったら、もう後戻りはできない気がした。

 私は卑怯だ。この世界に残る勇気も、元の世界に帰る勇気もなく、ただこの都合のいい状況を維持しようとしている。

 シグルドと一緒にいたい。でも、決して結ばれることはない。私がこの世界に残れる条件は、王子様との結婚なのだから。



 自分の思考に驚かされた。



『帰れる条件』と考えていたはずなのに、いつの間にか『残れる条件』と意識がすり変わっていたのだ。


「……ごめんなさい。ごめんなさい、ルカ王子」

「いや、そんなに真剣に謝ることじゃねぇけど……」


 何度謝っても足りない。けれど、私には謝ることしかできなかった。

 だって――私の気持ちはもう決まってしまったのだから。

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