6-3 二つの想い

「ヒメカ様のようになりたかったからです」

「えっ?」


 想像していなかった展開に、驚きの声が漏れる。


「僕は先日、船から落ちて海へ投げ出されまして――」


 話し出しを聞いてすぐにピンときた。人魚姫が王子様を助ける話だろう。


「とても苦しい思いをしました。……足掻いても、足掻いても、水が僕の呼吸を妨げました。息をしようとすると、海水が我先にと口の中へ流れ込み、全然楽になりませんでした。手で体を支えようとしても沈み込むばかりで、全然思い通りに動けなかったんです。そんな状態の中で僕は――死を覚悟したんです」


 しばしの沈黙。時計針の進む音だけが、コチコチコチと聞こえてきた。


「どれくらい時間が経っていたのかは分かりませんが、僕は目を覚ましました」


 王子様は静かな口調で、話を続ける。


「幸いにも浜辺に打ち上げられ、一命を取り留めました。けれど、体は疲労しきっていてまるで力が入りません。そんな時、天使が舞い降りたのです」


 スッと目を細め微笑む王子様。その視線は間違いなく私を捉えていた。

 柔らかいその視線に胸がむずがゆくなり、どうも落ち着かない。


「――それが貴女です。僕が打ち上げられた浜の近くには教会がありましてね、そこでお忍びで修行をしていたヒメカ様に偶然発見され、救われたのです」


 私じゃありません、その一言がどうしても口から出て来なかった。まっすぐな――それが真実だと思って、一片の疑いもない――瞳に知らず知らずのうちに気圧されていたのだ。

 なにも言えないまま、自分の読んでいた人魚姫の話を思い出す。

 私・隣国の姫は確かに王子様を助けたとされている。浜で気を失っていた王子様を助けたのだ。けれどそれ以前に、人魚姫が王子様を助けている。王子様を飲み込もうとしていた荒れに荒れた海、そこから救いだしたのは人魚姫だ。

 それに比べたら『ヒメカ』がした事は、あまりにもちっぽけだった。


「その時の僕の服装は、とても王族とは思えないほど粗末なものになっていました。そんな状態の僕だったのに助けてくれたヒメカ様。――僕は貴女の身分を気にしない無条件な優しさに心底惚れました。同時に、僕も同じようになりたいと考えるようになったのです」


 長い話を終えると、王子様はお父様の方を見据えた。それを受けたお父様も王子様を見る。

 さっきよりも表情が柔らかいような気がした。


「なるほどな。話はよく分かった」


 話が終わる。

 ここで私が何も口をはさまなければ、婚約はきっと成立する。成立してしまう。

 それを分かっていてもなお、私は反対の意思を示すことができなかった。

 人魚姫と王子様を結び付けるのが私の役目。そして私が元の世界に帰るための必要条件。

 けれどそれは、この世界との別離――すなわちシグルドとの別れを指している。

 思えば、王子様と会うことを断らなかったのだって、少しでも長くこの世界にとどまっていたいという気持ちから来ているのだ。「結婚したくない」「婚約を破棄したい」と強く言っていたのは、お父様やフローラさんが反対するだろうと予想していたからに他ならない。

 結婚を拒絶し、お父様たちから説得され、しぶしぶ納得する。それは、私が無意識に描いていたシナリオ通りだった。

 私は役目を放棄していません、人魚姫を助ける気はあります、でもあんまり強く結婚を拒絶すると不自然だからもう少し待ってね。誰に監視されているわけでもないのに、私はそう言い訳してた。おそらく罪悪感がそうさせているのだ。

 分かってる。私がこの世界にいられる時間が限られていることくらい……分かっている。

 こうやって、自分が帰る時期を遅らせたところで、行きつく先は同じ。別れしかない。

 ――しかし、結局私は何も言えなかった。





 一通りの話を済ました私と王子様は、マリンちゃんを迎えに行くために長い廊下を歩いていた。

 お父様の話では一番端の客室に居るらしい。


「いやぁ、さっきは肝を冷やしたけど、正式な婚約を認めてくれて本当に良かったわ!」


 王子様は同一人物かと疑いたくなるくらいの砕けた口調でそう言った。

 そう、そうなのだ。婚約がついに成立したのだ。

 王子様の話を聞いて、娘のヒメカを嫁がせるに値する人物だと評価したらしい。


「まさかマリンとの関係を疑われるとは思わなかったなー」


 誰にともなく呟く王子様に、遠慮がちに話しかけた。


「あの、ちょっといいですか?」

「んー、かまわないけど……敬語はやめてくれ」


 夫婦になるんだし、と小声で付け加えた王子様。どう反応していいか迷った私は、その言葉を聞かなかったことにした。


「じゃあ……」


 私は気持ちを切り替え言った。


「もしかして二重人格?」

「はぁ?」


 王子様は空色の瞳を丸く見開いた。


「いや、だってさ、さっき話してた時と口調も態度も全然違うし」

「あぁ、なんだ」


 そういうことか、と言いながら王子様は二カッと、裏表のなさそうな、悪く言えば品のない笑顔で笑った。


「ヒメカだって、よそゆきの顔があんだろ? 一国の王様にさすがに素のままじゃ話せねぇし……かといって、妻になるヒメカに堅っ苦しく話すのも嫌だし……。だから、こうして使い分けてんだ」


 なるほど。確かに私にもそういうところはなくはない。


「あ、俺の方からも言いたいことがあんだけど」

「ん?」


 なんだろう、と思って王子様の顔を見上げた。

 そういえば、シグルドとそう変わらないくらいの長身だ。頭の片隅でそんなことを考えていたせいか、王子様の次の言葉に頭がついて行かなかった。


「母さんの病気、治ったみたいで良かったな」


 今度はニィッと含みのある笑顔だった。

 え? 王子様にフローラさんの病気のこと話してあったっけ?

 思い返してみても、私が話した覚えはない。となると、お父様がなにかの時に話したのだろう。


「あ、ありがとう」


 経緯はどうであれ、完治を祝われたのだからお礼を言うのが筋だろう。そう思って言ったのだが、王子様はいまだにニヤニヤとしていた。


「もしかして、まだ分かんねぇのか?」

「え、何が?」


 聞き返すと、ニヤケた表情のまま顔を近づけてきて、耳元で低く囁いた。

「あの日、激しい夜を共にしたじゃねぇか。忘れちまったのか?」

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