第6話 ゾンビの手羽先

真夜中。廃墟の街は暗闇に沈み、動くものは何一つない。


そんな中、私と同行者の少女は出立の準備を進めていた。日が昇る前に街を出ようというのだ。


幸いにも道路上にはゾンビの影はない。街での滞在中ずっと観察していたが、どうやら彼らは昼行性らしく、日が昇ると同時に建物からわらわらと彷徨い出てくる。そして日が沈むと、また建物の中に帰っていくのだ。


昔見た映画で得た知識によれば、ゾンビは生きていた時と同じような行動をするものらしい。なら夜は寝ているのだろうか、そう思い同行者の少女に尋ねてみたが「いつも寝てるようなもんでしょ、死んでるんだから」と笑われてしまった。


しかしそんな生態、もしくは死態も私たちにとっては好都合だった。来た時のように肉をばら撒きゾンビを誘導しながら進む必要がないからだ。


街に入ってから何体かのゾンビを解体しキャンピングカーの冷蔵庫に詰め込んではいるものの、それを使ってしまえば食料の備蓄を減らした状態で荒野に出ることになってしまうだろう。そうなれば荒野でのゾンビ遭遇率は低いため、再補充に多大な時間と労力が必要となる。それは避けたい、とのことだった。


既に水・食料の積み込みは完了している。飲食店の備蓄の中からまだ食べられそうなものを選び、可能な限り貰っていくことにしたのだ。そのために私は三階の倉庫から一階の駐車場まで荷物を持って何往復もする羽目になったのだが。


彼女が廃墟を探索して集めてきた消耗品や薬なども決められた位置にしまってある。これらも一度に運ぶには多いため、二人で手分けして運んだ。この量を一人であちらこちらから掻き集めてきたのだから大したものだ、私は改めて彼女のサバイバル能力に感嘆した。


「これでよし、と。もうやる事はないー?」


最後にいくつかの日用品を片付けると、私は運転席に座る彼女にそう訊ねた。古くなった道具類は建物に残されていた比較的新しいものと交換したので捨てて行っても大丈夫とのことだったし、もう積み込む荷物はないだろう。しかし、彼女はまだある、と答えた。


「あとひとつだけ、街でやっていきたい事があるんだ」

「あとひとつ? 何のこと?」

「クルマの燃料を補充したい」


そうか。自動車を動かすには燃料がいることをすっかり失念していた。しかし建物内にはガソリンなどなく、あったとしてもコンロ用のガスくらいである。いったいどうするのだろうか?


「ちょっと行ったところにガソリンスタンドがあるから、そこに寄ってガソリンを入れて、そのまま夜が明けないうちに街を出ようと思ってる。異論は?」


異論などあるはずもない。なにしろこの辺りに関しては彼女の方が詳しいのだ。だが、しかし、私にはずっと迷っていたことがあった。


「その、私も付いていって、いいのかな……?」

「? どういう事?」

「一応、街まで送ってもらう、って約束だったし……」


そう、もともと彼女とは街までの移動手段の代わりに道中の雑用を手伝う、という取引のもと一緒に行動していたのだ。街は廃墟と化し私の計画はすべて水の泡となったが、だからと言ってこれ以上彼女に同行させてもらうのも迷惑ではないだろうか。


そのような事を途切れ途切れに告げると、彼女はその顔を不機嫌そうに歪めた。


「あのねえ、だからってここに置いて行ってどうしろっていうの。アンタを放ってあたし一人で街を出ろと?」

「だって、その、迷惑はかけたくないし……」

「その考えがすでに迷惑だって分かって言ってる?」


彼女の眉が吊り上がり、口角が下がる。眉間には幾重にも皺が刻み込まれていく。どうやら怒らせてしまったらしい、私はさらに縮こまった。


「そもそもここに残ってどうすんの? ゾンビと一緒に暮らす?」

「それは……」


たしかに彼女の言う通り、私が一人この街に残ったところで生活などしてはいけないだろう。なにしろ私だけではゾンビを倒すことさえできないのだ。ゾンビ以外の食料を得るにしても、ゾンビの徘徊する街中に探しに行かなければいけない事には変わりない。


「ああもう、話はあとで聞くから! さっさと車に乗りなさい!」

「でも……」

「話してる間に朝になったらどうするの? それは迷惑とは思わない?」


そう言われては反論のしようもない。私はしぶしぶキャンピングカーの後部スペースに乗り込んだ。助手席に座らなかったのは、なんとなく顔を合わしていたくなかったからだ。


私がドアを閉めたことを確認すると、彼女はキャンピングカーのエンジンをかけ、真っ暗な道路へと進みだした。



++++++++++



十数分後、私たちは街はずれのガソリンスタンドにいた。既に電気は通っていないため、天井に付いた電球が私たちを照らすことはない。彼女は懐中電灯を片手に給油作業に勤しんでいる。


一方の私はというと、先ほどの口論もあり彼女の近くにいるのも気まずく、かと言ってあまり遠く離れるわけにもいかないため、廃ガソリンスタンドのスタッフルーム近くをウロウロしていた。ドアのガラス張りは下半分が割れ穴が開いていたが、建物内は暗く何も見えない。


ガラスに映った彼女の姿を見る。懐中電灯を給油機の上に置き、ノズルをキャンピングカーに突っ込んだまま佇んでいる。暗くて細かいところまでは見えないが、その姿はいかにも手慣れている風だった。


私も彼女のようになれるだろうか。自動車を運転したり、廃墟を探索したり……ゾンビを狩ったり。すこし考えて頭を振る。無理だ。とてもじゃないが彼女のようにうまくはできないだろう。


思えば荒野で出会ってから、私はずっと彼女に助けられっぱなしだ。一人ではここまで来ることはおろか、食べ物にありつくことも出来なかったに違いない。


改めて考えると、先ほどの私がどれだけ無計画でいきあたりばったりだったのかが嫌でも分かった。そんな奴には私だってできるだけ関わりたくない。


それでも彼女は親切にしてくれたというのに、当の私は自分の考えしか頭になかった。あまつさえ彼女の好意を無下にしようとしたのだ。彼女が怒るのも無理はない。


謝ろう。そう思い私が彼女の方へ振り向いた時、がさり、と足元から物音がした。そして足首になにかが引っかかり、私は転倒した。


「うわっ!?……ったた、なに……?」


尻もちをついた姿勢のまま自分の足を見る。すると私の足首を、割れたガラス戸の下から伸びた手が掴んでいた。いわずもがな、ゾンビだ。考え込んでいたせいか、こんなに近くにいるとは気が付かなかった。


「どうしたー!? なにかあったー!?」


彼女が車の近くで叫んだ。給油中なので動けないのだろう。彼女は私に比べてはるかに視力が良いが、それでもこの暗闇ではこちらの状況は分からないらしい。


しかし今の私にはその声に応える余裕はない。なにしろ先ほどから私の脚を掴んでいるゾンビは、私をそのまま引きずり込もうとしているのだ。足をばたばたと振って抵抗してはいるものの手を離す気配はない。


「くっ、この……!」


さらに足をばたつかせる。だが相手もさるもの、ゾンビだというのにかなり握力が強い。これは無理かもしれない。ああ、ここで私の人生は終わってしまうのだろうか。


……いや、諦めるのはまだ早い。手を離してくれないのなら別の方法を取るまでだ。


「せーの、うりゃっ!」


私は両脚を揃え、思い切り跳ね上げた。足首を掴んだままのゾンビの両手も一緒に上がる。その先は、割れたガラス戸の断面だ。


ざぐん。刃物のように鋭く尖ったガラスに叩きつけられた両手首が切断された。


「よっし……!」


足の拘束が無くなったのを確認すると、私は急いで立ち上がり、キャンピングカーめがけて走りだした。すると後ろからガラスの割れる音。おそらく先ほどのゾンビがドアを叩き破って出てきたのだろう。振り向かずに逃げる。


少し足をもつれさせながらも、私はキャンピングカーの、彼女の元に辿りついた。


ぱあん。


その瞬間、すぐ近くで破裂音がした。びっくりしてそちらを見ると、彼女が銃口から煙を立たせたライフルを構えていた。続いてどさり、と背後でなにかが倒れた音。


「無事? どこも齧られてない?」

「あ、うん。大丈夫、齧られてないよ」


息を整えつつ、ライフルを下した彼女の問いに手を振って答える。幸い怪我はせずに済んだ。すると彼女は私の手をむんずと掴み、そのまま車側に引っ張った。


「えっ、なに!?」

「今ので他の奴に気づかれた。早く乗って!」

「でもあのゾンビは」

「諦めよう。どのみち冷蔵庫もいっぱいだし」


運転席側のドアを開け、ハンドルの前を這って助手席に滑り込む。その後に彼女が乗車しドアを閉めた。すると後方から物音が複数、だんだんと近づいてくるようだ。


彼女はエンジンをかけハンドルを握ると、アクセルを思いっきり踏み込み車を急発進させた。後方の音が遠ざかる。どうやら逃げることに成功したらしい。


「このまま街を出るからね……って、ああ!?」

「な、なに!? どうかした!?」

「懐中電灯、置き忘れてきちゃった……」


はあー、とため息をつく彼女。その姿がなんだか面白くて、私はつい笑ってしまったのだった。



++++++++++



それから数時間後、私たちは街の外、見渡す限りの荒野の真っ只中にいた。ここを離れて街に入ったのはほんの少し前だが、今ではその何もない景色がなんとなく懐かしかった。


太陽が地平線の向こうから昇ってくる。それを見て彼女は車を止めると、ふうー、と長い吐息を漏らし、ハンドルに寄り掛かった。疲れるのも無理もない、ここまでずっと運転してきたのだ。


その姿を見て、私はひとつやるべきことを思い出した。


「その、あの……ごめんなさい!」

「んー……? 何がー……?」

「街で、あんなこと言っちゃって……本当にごめんなさい」


狭い助手席で出来る限り頭を下げる。もしも許してくれなかったらどうしよう、放り出されてしまうだろうか、そんな考えが頭の中をぐるぐると回っていた。


「ああ、なるほど。別にいいよ」

「えっ! 本当に!?」

「うん、私もちょっと恩着せがましかったかもしれないし」


そんな、恩着せがましいだなんて。私がいま生きていられるのは彼女のおかげなのだ。それは紛れもない恩だろう。そういった事をすこし早口ぎみに伝えると、彼女はすこし照れくさそうに笑った。


「それじゃ、さっそく恩を返してもらおうかな?」


そう言うと彼女は、いたずらっぽく微笑んだのだった。



++++++++++



「できたーーー!!」


フライパンを置き、額の汗を手の甲でぬぐう。下味をつけるのに少し手間取ったため、すっかり日は昇っていた。


「どれどれ……おお、美味しそう」


彼女がフライパンの中を覗いて呟いた。恩返しに朝ご飯を作って、と言われてがんばってみたのだが、自分でも美味しそうにできたと思う。


今日のメニューは、ゾンビの手羽先だ。正確にいえば羽はないので手先なのだが、ゾンビの手先、と言うと部下かなにかのような感じがするので、手羽先と呼ぶことにする。調味料で下味をつけ、焼き目がつくまでフライパンで時間をかけて焼いたのだ。少し焦げた皮の香ばしい匂いが食欲をそそる。


「でも手なんてあったっけ?」

「えっと、まあ、うん」


何を隠そう、このゾンビの手は私の足首を掴んでいた奴のものだ。切り落とされた手首から上を足につけたまま、街から逃げて来てしまったのである。捨てるのももったいないので、私はそれを朝ご飯にすることにしたのだった。


「それじゃ、いただきます!」

「いただきまーす」


手羽先の端をつまみ、親指の付け根に噛り付く。ぱりっとした皮が裂け、スパイシーな味が舌先を刺激する。すこし焦がしてしまったが……うん、おいしい。


通常、手は肉が少ないためあまり食べることはないのだが、今回のやつはすごい握力を持っていただけあってサイズが大きく肉も多い。すこし筋っぽいが、じっくり加熱したので固いということはぜんぜんなく、繊維質がほろりと解れて食べやすい。


彼女と私、ふたり揃って黙々と手羽先を食べる。ひとり片手ずつということもあり、すぐに食べ終わってしまった。


「ふー、美味しかった。ごちそうさま!」

「どういたしまして。ちょっと少なかったかな?」

「そんな事ないよ。朝も早いし、これくらいでちょうど」


満足してくれたようでよかった。幸せそうに笑う彼女につられて、私も笑顔になる。すると彼女はふと思い出したかのように、私の顔を見つめた。


「な、なにかな……?」

「アンタ、これからどうするの? 行くあてはあるの?」

「う……」


そうだ。当初の私の計画では街にいる親戚を頼るつもりだった。しかし街は既に廃墟と化していたし、他に頼れる人などいない。行くあてはまったく無かった。


「もし、もし良かったらだけどさ……あたしと一緒にいない? 他にあてが出来るまででいいからさ」

「えっ! いいの!?」


彼女は食べ終わった手羽先の骨をぷらぷらさせながらそう言った。それは私にとって願ってもない提案だ。私一人では到底生き残っていくことなど不可能だし、それに、彼女と一緒にいられるのは私としてもとても嬉しい。


「まあ、手は多い方がいいし。それに、アンタと居るのも悪くないかな、って……」


小さめの声でそんな事を呟く。朝の陽ざしのせいか、その顔は先ほどよりもすこし赤く見えた。


「それじゃ、一緒にいてもいいの?」

「う、うるさい! 二回は言わないからな!」

「うん。私も一緒に居られたら嬉しいよ」

「ーーッ!」


私が目をまっすぐ見つめてそう言うと、彼女はうつむいて顔を隠してしまった。しかし、一瞬だけ見えたその顔は笑っていたように思う。


「じゃあ、これからもよろしくお願いします」

「う、よろしく……」


顔を下げたままの彼女に笑顔でそう告げると、もごもごとした、それでいて可愛らしい声が返ってきたのだった。短く切られた髪から覗く耳は、真っ赤に染まっていた。




つづく

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おいしいゾンビの食べ方 笹間ささみ @sasamasasami

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