第5話 生ゾンビ

「うー……」


廃ビルの三階に、生気のない呻き声が響いた。


ゾンビのものではない。それは、床の上に仰向けに寝そべり、だらしなく半開きにされた私の口から発せられた声だ。


街に着いて二日目。一時の拠点とした飲食店で目覚めた私を襲ったのは、異常な高体温からくる大量の汗と強烈な頭痛だった。


同行者の少女は私の身体のあちこちを確かめると、風邪かなにかに罹ったのだろう、と私に告げた。心配ない、じっとしていればすぐに治る、とも言っていた。


そして私とキャンピングカーをこの場所に置いたまま、物資を集めるため屋根伝いに街に繰り出していったのだ。彼女が戻るまで私は一人おるすばんである。


一緒に行きたかったなあ、と私は動かない体を震わせ悔しがった。ゾンビが溢れているとはいえ、ここには私の知らないもの、知らない景色がある。それを存分に見れたらどんなに楽しいことだろうか。


背中の肌に湿った布地がべたりと張り付き気持ちが悪い。彼女が着替えに、と自分の服からきれいなものを選んで置いて行ってくれたが、全身に重りをつけられたかのような現状ではとても一人では着替えられそうにない。


「うー……ぬうー……」


口からは言葉にならない、まるでゾンビのような声しか出ない。


このまま死んだら、私もゾンビになるのだろうか。そうなったら、彼女は私を食べてくれるだろうか。そんな事を思った。



++++++++++



何時間かが経過した。


日はすでに登り切ったのであろうか。窓の外は朝方とは比べ物にならないほど明るく、薄暗い室内に光がこぼれてくる。顔に光がかかり少し眩しい。


しかし、今、もっと私を悩ませているものがあった。


空腹だ。おなかが空いたのだ。


思い返せば今朝はあまりのだるさに何も食べられず、昨日スープを食べてから今まで水を数口飲んだだけである。そのくせ身体は熱を出し汗を出し、寝ているだけでエネルギーを消費していく。おなかが減って当然だ。


スープはすこし残っているが、そこまで歩いていくのは今の私では不可能だろう。這っていくことも考えたが、行ったところでテーブルの上の鍋を取る方法などない。


さて、どうしよう……彼女が帰ってくるまで空腹のまま、というのは嫌だ。しかし、他にすぐ食べられそうなものなんて……


その時、私の視界にあるものが映った。


足だ。私のじゃない、ゾンビの足。


それは、昨日の食事中に彼女が仕留めたゾンビだった。今は部屋の隅で動かない。本当なら今日解体するはずだったのだが、私が体調を崩してしまったために、そのまま放置してある。


……あれは、食べられるだろうか?


……………


うん。まあ、やってみるか。何事も挑戦だとおかあさんも言っていたし。私は重い体を床に引きずりながら、ゾンビの方へ這って行った。


改めて近くで見るとソレの体は結構な大きさがあった。すんすん、と匂いを嗅いでみるが異臭はしない。損壊した部分もないので、死んでからまだ間もないのだろう。


私は以前ビデオで見た生肉食の事を思い出した。サシミだったか、新鮮な肉なら生で食べても大丈夫らしい。あいにくシェルターにそんなものは無かったが、目の前の肉なら食べられるのではないだろうか?


そう思うと、なんだかソレが美味しそうに見えてきた。引き締まった体には適度に脂がついているし、肌つやも悪くない。死んでいるが。


よし、と意を決した私は、まず肉を一口分切り分けようと、頭に刺さっているはずのナイフを取ろうとした。しかし、そこにナイフは無かった。彼女が持って行ってしまったのだろう。私の手が空を掴む。


ふうむ。まあそうか。死んだゾンビにいつまでもナイフを刺しておく必要はない。だが、これでは肉を切る事ができない。


まあ、ナイフが無いなら仕方がない。私は切り分けることを諦め、ソレの剥き出しになった喉元に噛り付いた。


犬歯が皮膚を突き破り、血管からどろりとした液体が口の中に流れ込む。その鉄の味を確かめながら、さらに歯を肉に埋める。


十分に肉を噛むと、そのまま顔を遠ざけ肉をひき剥す。ぶちぶちと音を立てながら繊維が切れた。少し大きめにひき千切られたソレを口に押し込み、何度も噛む。


もぎゅ。ぐにゅ。むぐ。もぐ。ごくん。


口いっぱいに広がる、鉄味の混ざった肉のうまみ。すこし苦いが、それが脂の甘みを引き立てている。筋肉繊維と血管の食感差も楽しい。


肉が抉られ赤い色を晒す喉元に、もう一度噛みつく。今度は皮膚を破る必要はない。あふれ出す血液で口元を濡らしながら、私はその肉を貪った。


ああ、おいしい。



++++++++++



「ただいまー……あれ? もういいの、体」


「うん、だいぶ良くなったよ。心配かけてごめんね」


日が傾き空がオレンジ色に染まったころ、彼女が屋上へと続く扉から入ってきた。その背に担いだリュックサックは朝に見たものとは別物のように膨れている。おそらくあちこちで集めた物資が詰まっているのだろう。


「いやいや、こっちこそ一人で置いていったごめん。大丈夫だった?」


「うん。特になにも問題はなかったよ」


「そっかー……って、そこにあったゾンビはどうしたの」


彼女は部屋の隅を指さす。それに対して私は、


「ああ、その……一人でいたらなんだか怖くなっちゃって、窓から捨てちゃった。ごめんなさい」


私は、そう答えた。


「あーうん、まあそういう事もあるよね。気にしない気にしない!」


そう言いながら窓から頭を出し、その下の路上を見下ろす。そこには地面に叩きつけられたとおぼしきゾンビだったものが横たわっている。


「あれかー。だいぶ他のゾンビに食い荒らされてるっぽいし、諦めるかー」


「本当にごめんなさい……あっ、そうだ。服! ありがとうね」


「ん? ああ。着替えたんだ。なかなか似合ってるよ」


「そ、そう? えへへ……」


私はすこしにやけながら頭をかく。それを見て彼女も笑顔になった。私の好きな、花の咲くような笑顔だ。


「それじゃ、ごはんにしよう! 何も食べてないみたいだしお腹空いてるでしょ?」


「えっ!? あっ、うん!」


今日の夕食はなんだろう。おなかはさほど減っていないが、彼女と食べるものならなんだって美味しく食べられそうな気がした。





つづく

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