第4話

「中之島を中心に発生している現象について、か」

 帰宅した私は、お掃除ロボットに意見を求めた。

「オーロラについて、蓬莱さんと片桐さんが言うには」

「誰が地方ローカルのお天気キャスターの話をしろといった。お前の意見が聞きたい。意識を持ったお掃除ロボット君」

 お掃除ロボは、ため息を吐いた。いや、ため息のような音を再生した。

「わからん」

「無責任な」

「そもそも何で物が勝手に動くのだ。いや、おかしいだろ」

「お前がそれを言うか」

「私はそのようにできている。地面を這いまわり掃除することも、音声を認識し発生することも、ネットに接続することも、お前たち人間が私をそのように作ったのだぞ」

「しかし、意識がある」

「ちょっと配線ミスったんだろ」

 ちょっとどころではない。少しばかりの機械的な理由で意識を持つというのなら、今、世界中に意識を持ったコンピューターで溢れているだろう。意識は偶然持ちうるものではない。

「オーロラは措いておこう。物が動くことと何か関連はあるかもしれんが、突き止めることは困難だ。そして私が動くことと、意識があることが異なる次元の話であることからして、この二つも切り分けたほうがいい」

「魔法少女の衣装は意識があるようにも見えるぞ。人かハンガーを対象に動いた。犬猫やランダムな対象に動いたわけじゃない。また、動き自体も秩序だっていて、人に着られるか、ハンガーに掛かったのだ。そして着られるべき対象とそうでないものを、私と委員長を区別した」

「食虫植物はどうだ。虫を捕らえ消化し養分として吸収するが、意識はない」

「ゴミを放り込んでもそうするだろうよ」

「あの衣装は、より巧妙な仕掛けで動いているだけなのかもしれない。そう見えることと、そうであることはかなり異なる」

「うーん」

「何らかの実験が行えればいいのだが。おーい服ー」

 お掃除ロボが魔法少女の衣装に呼びかけを行う珍妙な光景が展開した。常識人としてはできればお近づきになりたくないが「人の声になら反応するかもしれん。お前もやれ。できれば近づいて触りながらやれ」とお掃除ロボに強いられたため、止む無くこれをしたが、服はうんともすんとも言わなかった。

「妥当な結果だ。そもそもただの衣装に五感はないであろうし、外部に作用するための筋肉やモーターなどもない。脳やプロセッサーなんかの演算装置もないので意識も持ち得ないだろう」

 それは解っていたことだ。だから不思議なのだ。

「さっきはああ言ったが実際のところ、私はあのオーロラはオーロラかどうか、疑っているのだよ」

「どういうことだ」

「昨日、衣装がこの部屋を飛んだ時、発光していただろう。お前は泣いていたからよく見ていなかったかもしれないが」

「覚えているとも」

 そうか、私は泣いていたのか。

「あの光と、オーロラの光は同種のものじゃないかと思ってね」

 確かに、色は似ていた。緑がかった薄っすらとした淡い光。普通はあれを綺麗と言うだろう。

「あの光が、何か悪さをしていると」

「そうだ。デカルトは精神と身体を媒介する物質として動物精気なるものを想定した」

「大きく出たな。さてはグーグル先生の入れ知恵だな」

「これは比喩だ。脳がお前たち人間の意識の物理的基盤であることに異論はない。だが、本当にそれだけか、ということだ」

「つまり、プラスアルファがある」

「或いは全く未知の何かで、それが全てである可能性だ」

「そしてそれがあのオーロラということか」

「そうだ」

 ここで、私達は行き止まりにぶち当たった。そんな話、やはり確かめようがないのだ。「サンプルがあればな。コミュニケーションを取れればベストだが」と極上のサンプルが、サンプル自身何もわからないことを棚上げしながら言った。

「ところで、それを突き止めてどうする」

「委員長は、多分ちょっとした復讐で、絹延はそれを面白がっている」

「お前は?」

「私か。私は・・・」

 友達と、遊ぶふりをすること。

「純粋な知的好奇心だ。将来を嘱望された若人として、唯一無二の人材たるために何事にも興味を持って取り組まねばな」

 だが、お掃除ロボは「ふん」と鼻を鳴らしたような音を出し、掃除に戻った。


 居間に降りると、母ちゃんと兄ちゃんが夕食を作っていた。母ちゃんの料理の腕はそこそこで、私もまだそこまでは及んでいない。

手持ち無沙汰な私は、棚に飾ってある家族写真を見て、父にただいまの挨拶を忘れていたことを思い出した。今、言うべきか迷ったが、兄ちゃんと母ちゃんが居るのでやめておいた。

 正直なところ、父のことは覚えていないのだ。私の父のイメージは、今もこの家に染み付いている断片を掻き集めて繋ぎ合わせたパッチワークに過ぎない。今も本棚に残る古びた法律の本からして、篤実な弁護士だったのだろう。

私の一番古い記憶は、父の葬式だ。

私がこの家に貰われて一年も経たないうちに、死神は父をここではないどこかに招待した。母ちゃんと兄ちゃんは葬式の間、気丈に振舞っていたように見えたけど、全てが終わった後、二人は私を抱きながらわんわんと泣いた。ここからだ。何も分からなかった私は、ただ二人に手を回すことしか出来なかった。でも二人は更に泣いた。

そして、二人のための私として、私は私になった。


 復讐を完遂するためには、条件がいくつかある。相手を特定すること、そして相手がギャフンということだ。そのためには、復讐する相手がただの物であっては困る。

 改めて、魔法少女の装束の処遇について委員長に問うたが、委員長は何も語らなかった。私が処分しろということか。

「私の仲間、あえて仲間というが、が仮に意識を持つとして、お前たち人間はどう思うべきなのだ。意識を持つ存在を迫害し殺すことに時として罪悪感を感じるお前たちは」とお掃除ロボットは言っていたが、委員長に絹延、そして私もあまりそのことを真剣に検討しないのは、まだ、ものが意識を持って動いていることにどこか半信半疑だからだろう。

「やっぱ人体模型」という、鳶の一声を受けて、理科準備室に侵入した私達を待ち受けていたのは、やはりというべきか、ただの人体模型であった。絹延が人体模型の脇をくすぐり、委員長が「申す申す」などと話しかけている間、私と鳥居は一歩引いて見ていたが、棚に置いてあるアルコールランプの紐が、くにゅくにゅと解けてはまた絡まるのを見つけてしまった。

黙っているべきかどうか、逡巡を脇に追いやったのは私を見つめる鳥居の視線だった。馬鹿は火が大好きなので、絹延は喜んでアルコールランプに火を点けるであろうし、委員長は何をするか分からない。火炎瓶と勘違いするかもしれない。二人にばらされてはたまらん。「黙っていよう」と鳥居に目で語りかけたが、鳥居の目は焦点が定まっておらず、私は只々徒労を感じた。

「次はモーツァルトの肖像画」という鳶の一声は、山彦のようにただの音として虚空に消えた。「まるで七不思議探検隊ですね」と言った委員長の声音に幾分かドスが混じっていたためであろう。結局、その日はお開きとなった。

 毎日毎日、こんな事に付き合わされる羽目になれば、私の生活に潤いなんぞあったものではない。兄ちゃんと母ちゃんに飯を作りたいが、女子高生のふりも楽ではなく、私はさっさとベッドに潜り込んだが、先日見た夢の野原で、絹延が駆けまわり、委員長がティーセットを拵えていたので、私は多少であるが当世を恨んだ。

「走れる!走れるよ!」と、怪我のため陸上部を休部している絹延も、夢のなかでは自由に動き回れるのであろう。犬っころのように転げまわっており、委員長はそれを微笑ましく眺めながら、紅茶を啜っていた。だだっ広い野原に三人ばかりというのは開放的ではあるがどこかこそばゆい。

「今日は、付き人はいないのだな」

 私は委員長に話しかけた。

「ええ」

「何時も忠犬のように付き従っていると思っていたが」

 何が可笑しいのか、委員長はクスリと笑った。

「耕雲はああ見えて、亡父の代わりに私の父たらんと思っているようです。でも、長年私の世話役をしていましたので、それがまだ抜けきっていないようではありますけど」

 夢が願望の表出ならば、私は委員長の口に、自身の父親への羨望を語らせているのであろうか、と思ったところで少女に手を引かれている事に気がついた。齢は六・七歳ほどであろう。何かを怨み心を捨て去った、何処かで見たこともあるような小生意気な風体のガキである。少女はシミがついている白いTシャツに、紺色のズボンを履いていた。

 少女は口を開き、何かを言わんとしたため、私は少女の口を、口から出てくるであろうことばを見つめた。しかし、余りにも注視し過ぎたのだろう。私の視点は少女の口の奥深くに入り込み

「あ」

「おはよう」

 そして目が覚めた。


「今ちょっと面白い事が起こっている」とお掃除ロボットがいうので時計に目をやると九時を少しばかり回った頃であった。

「一人で走るカブが市内をうろつきまわってて、委員長と付き人、絹延に鳥居がそれを追っている」

「へぇ、走る蕪か。中々のド根性ぶりだな。大根なら脚があるように見える奴もいるので理解できなくもないが、そうか、蕪か。どうやって走るのだ」

「今、私はお前がどう可哀想か指摘してやることもできるが、やめておいてやろう。カブと言うのは、オートバイだ」

「ふーん」

「興味なさそうだな。どうした、事態解明の糸口になるかもしれんのだぞ」

「今日は、土曜日なのだ」

「それが?」

「つまり兄ちゃんと母ちゃんも休みなのだよ。何しようかなぁ。国立国際美術館、特設展何やってるんだろ。ああ、久しぶりにプラネタリウムもいいかもしれん。そうだ、弁当拵えて中之島公園にピクニックもありだな。日中なら暖かいだろうし。兄ちゃんは寝てしまうだろうな。そしたら添い寝してやろう。母ちゃんも見守ってくれるだろう」

「そのことだがな」

 お掃除ロボに促され居間に降りたが、兄ちゃんと母ちゃんはいなかった。

「何故だ」

「既に出掛けた。お前が惰眠を貪っていたので、気を使って声を掛けなかったのであろう」

「そんな、私の潤い・・・」

「む」

 お掃除ロボットが動きを止める。

「どうした」

「鳥居がカブに撥ねられた」

「そうか、どうせ、怪我などないであろう。むしろ蕪とやらのほうが心配だな。いや、それにしても何故そんなことがわかるのだ」

「今お前の携帯にひっきりなしに、絹延と委員長からメッセージが来ている」

「ほう」

「お前の携帯クラックしたぞ」

「地味に凄いな。FBIに就職できる」

「デジタルネイティブ世代なもんで」

 人を喩えにするのか。このお掃除ロボットは。

「あと、家族写真は外部記録媒体かクラウドにも保存した方がいい」

「待て。私のプライバシーは何処に行った」

「改めて告白するが、実は私、お掃除ロボットなんだ」

「誤魔化しに掛かったな」

 本来ならば、家族団欒、一家円満、右手に花、左手にも花を抱える休日であったはずなのに、何故、お掃除ロボットなどと会話を楽しまねばならぬのだ。

「私にとって現実世界は、むしろ不便なことも多いのだよ。ネットなら私は自由に探索可能だ」

「そうか、それは良かったな」

「本当の私デビュー」

 なら、現実では掃除に精を出し、余計なことはすべきでないであろうが、奴は、とみに最近は、コミュニケーションへの欲求を隠さない。原初的な欲求は掃除だけではなかったのであろうか。

「ところで、行かないのか。鳥居が心配では、いや、鳥居は無事だな」とお掃除ロボは私をせっついた。

「勝手に走るバイクなんざ、警察がそのうち捕まえるだろう」

「無理だな」

「何故」

「交通法規を守っている」

 そんな阿呆な。

だが、交通法規を遵守し、公道を走行するためには相応の認知・判断に関わる能力が必要であろうし、更にそれに合わせて、身体を、エンジン、ギア、ハンドルを、協調的に動作させねばならない。法律の知識も必要だ。

「つまり」

「そうだ。意識がある可能性がある。無論、走行物や障害物と適切な距離を保つといった、簡単ルール群でこれを実現している可能性もある。鳥の群れが複雑な飛翔をしているように見えて、実のところたった三つのルールでこれを実現しているのと同様だ」

 そう言いながら、お掃除ロボットは二回転した。こいつは考えながら喋る時、回転する癖がある。人間味と言うべきか否か、人間味らしきものをどこか備えている。ヒトが作ったものだからであろうか。

「あとは、実際のところ、人間は意識しながら運転しているとは限らない。考え事や会話、時には電話をしながら運転できるだろう?認知と動作を強調させる適切なモジュールがあれば、可能なのかもしれない」

 インターネットに接続し、常に学習を続けるこのロボットの知識量は、既にわたしを凌駕しているであろう。

「だが、仮にそうであれば、何故ただのバイクがそのようなルールやモジュールを持っているのかという問いが必然的に発生する。いずれにせよ捕まえねば話にならん。さて、私達、やはりあえて私達と言おう、が何処から来て何処へ行くのかという問いを探求する時だ」

 またも、絹延からメッセージが届いた。

「とりあえずのところは、松屋町筋から来て大手通に行っているな」

「とっとと行け」

「兄ちゃんか母ちゃんが帰ってきたら、連絡をくれ。途中で切り上げて帰るから」

 しかし、返事はなかった。私に連絡せず、そのまま蕪とやらを確保させるつもりであろう。掃除奴隷と主人の、主従関係を今一度確認する必要がある。

「嗚呼!これカブじゃない。ヴェスパだ」

 絹延から送信された写真を確認し、お掃除ロボットがやにわに声を張り上げた。

「どういうことだ」

「カブで恥のかき損だな。頑張れ」

「畜生が。主人のちょっとした失敗をあげつらうなど、お掃除ロボットとして言語道断」

「汚い。無垢なロボットに掃除をさせる不埒者は言葉まで汚い」

「お前の役割について、自覚を促したい衝動に駆られているが、行ってくる」

 私は寝起きでぼさぼさの髪を結い上げた。

「おう、掃除なら任せておけ」

「連絡は、しろよな」

 小春日和の中、陽気の底で、蕪ではないヴェスパとやらを追わねばならぬ状況に私は落胆を禁じ得なかった。

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