第3話
翌朝、夢を見た。私は緑の野を駆け回っていた。青い空と、青々とした新緑の丘がどこまでもどこまでも続いていた。
誰かが一緒にいたような気もするが、とんと思い出せない。まぁ良かろう。所詮、夢だ。
放課後、私と絹延、鳥居は、昨日サンミーを渡してきた付き人と委員長に、土佐堀川を臨むカフェへと連れられた。
私達に気を使ったのか、黒張りの車は用いず、徒歩であった。
道中、鳥居が付き人に手をずいと差し出した。付き人は何かを察したのか、狼狽しながらも懐からサンミーを取り出し、幾度かの逡巡の後、それが全財産であるかの如く苦悶の表情を浮かべながら鳥居に手渡した。
昨日はサンミーなどと思っていたが、どうやら、この付き人にとっては相応のものであったらしい。
付き人は鳥居を恨みがましく睨んでいたが、鳥居は意にも介さず平らげた。
私達が連れてこられたカフェは、大大阪時代に私企業の社屋として建てられた二階建ての洋風建築を改装したもので、一階では持ち帰りの洋菓子や珈琲豆に豆挽きなどの雑貨を供し、二階が喫茶室となっている。
川に面した窓際の席に案内されると「お好きなものを」と委員長がメニューを差し出した。
喫茶メニューも充実しているが、洋菓子や軽食も中々のものである。
鳥居が目敏くマクガフィンバーガーなるものを店員に向かい指差した。
「鳥居さんはこう見えて、注文の仕方をご存知なのですね」と委員長がいたく失礼に感心したが、そもそもこのマクガフィンバーガーは販売されることのない幻の逸品なのである。
そのあまりにもウマすぎる究極至高のハンバーガーのレシピを巡り、過去、CIAとKGBが抗争を繰り広げ、後にMI6とモサドが介入。挙句、北朝鮮がアラブ過激派に武器やらミサイルを売りつけ、なんやかんやあって、結果多くの悲劇が生まれたが故に、オーナーはレシピの封印を決断したという、嘘のような、多分十割嘘である。
売れないと聞き、鳥居は心無しかしょんぼりしているように見えたが、気を取り直し、―取り直すべき気はないであろうが―ハムと玉子のサンドウィッチを注文した。
委員長と絹延も思い思いの珈琲やら菓子を頼み、「妙見さんもどうぞ」と委員長がメニューを私に向けたが、私にはこんなところで使う無駄金はないのである。
「手元金不如意でね」
まぁ水道水でよかろう。大阪は目の前に流れる、緑に泥めく土佐堀川を見れば納得の水の不味さであったが、水道局の不断の努力によりここ数年は飲める品質になっている。
実際には金を持ち合わせていないので、偉そうにしてごまかしておくほかない。
「いえ、礼ですから」とヤクザの娘は豪気なことを言った。どこからとの上がりとも知れぬ、人の懐を掠め取るようで気乗りはしないが、呉れるというのを断る道理もない。
それに店に入った時から、珈琲と焼ける洋菓子の香りが私の鼻をくすぐっているのだ。全く不愉快である。金のないやつに嗅がせるものではない。しかし我慢は体に良くない。
健康第二を標語にしている私は渋々ながらも健康を労ることにした。
各々注文したものがテーブルに並べられ、手を付け始めたが会話は全く無かった。
女子高生がオシャレなレトロカフェにいるのである。きゃっうふふするのが普通であろう。
しかし、ヤクザの娘と自動人形にそんなものはないであろうし、絹延も怪我をしているとはいえ、陸上バカのマッスル女である。今もウマ、シカ言いながら洋菓子を貪っている。
私とて時の女子高生であり、そうであるが故にまさしくきゃっうふふを体現しているものと推察するが、この面子では、テーブルの上の沈黙を睨むほかないのは、致し方ない。
決して私のせいではない。
「昨日は有難うございました。本当にどうしたら良かったのか途方に暮れておりました」
沈黙にしびれを切らしたわけではないだろう。珈琲を堪能し終えた委員長が礼を言ったが、些か委員長が不遜に見えるのは、委員長を助けたその方法故だろうか。
「そういえば、あの後のオーロラ、見た?妙見も一緒に見たよね」
「ええ、拝見しました」と委員長は応えた。黒張りの車の中から見えたのか。それかヤクザの娘に似つかわしくなく、意外に近いところに住んでいるのであろう。
「委員長が変なことになっていたのは、あれも関係有るのかなぁ」
「変なことになっていたのは、私ではなく、服ですよ」
不可思議なことが、二つほぼ同時に起こっていたのである。これが関係あると考えるのは自然な発想かもしれぬが。
「何でだろうねぇ」
「知らん解らん興味ない」
「実は帰宅してから耕雲に他に似たようなことがなかったか、調べて貰ったのです。ああ、耕雲というのは」と言い、委員長の後ろで立ったまま周囲に目を光らせている黒服の付き人を指した。
カフェである。座れば良かろうに立ったままである。年の頃は二七、八ぐらいであろうか。昨日は暗くはっきりしなかったが、中々の美丈夫である。これならば付き人のみならず、鉄砲玉や肉壁としても申し分ないであろう。
「紹介が申し遅れました」と耕雲くんが名刺を恭しく差し出した。耕雲というのは名で、山下というのが姓であり、『鼓滝フードホールディングス社長室秘書』というのがこの鉄砲玉の、幾分凝った装飾のようである。いざという時の特別な弾なのだろう。
「社長の秘書が、何で委員長と一緒にいるの」
「日中は会社で秘書として業務を行っておりますよ。お嬢様の送迎や、ご勉強の指導なども行っておりますが、それは昔、先代にお世話になったご縁から、特別に仰せつかっているものです」
「くぅ~一宿一飯の恩義ってやつかぁ。泣かせるねぃ」
「殆ど違いますが、そのようなものですね」
「ところで、調べた結果は聞かせてくれないのか」
「ああ、これは失礼」といい、耕雲くんは何やら資料を取り出した。
「ではまず実施した調査の方法、期間、対象等について」
「いや、それはいい。何だ貴様。インテリか。インテリヤクザか」
鼻息が荒くなっていた耕雲くんは、少しばかり落胆しているようであった。ヤクザ扱いされたからではないであろう。
ふと思った。ヤクザは彼の天職なのだろうか。
「そうですねぇ。オーロラや川が光るといった大規模なものは見当たりませんでした。主なリサーチ結果としては、釣鐘町の鐘がひとりでに鳴った、ひとりで走るカブ、キャラクターグッズのギャング、あとえーと、女子高生の制服を着たおっさん・・・」
「それは昔からいる」
「勉強不足で・・・昔からですか。闇は深いですね」
「一区に一人はいるんじゃなかろうか」
「なるほど。しかし、興味深いのは、昨日より前には類似の報告が殆ど見当たらないことです。都市伝説の類になりますと定期的にちらほら見かけるのですが」
「そう、女子高生のおっさんとかね」
「んぐ」
「まぁまぁ実際にいるんだから、都市伝説とかじゃないよ」と絹延が珍しく気遣いを示した。
「地理情報について概ね特定できたものだけですが、中之島とその南北両岸地域に限られていました」
実際のところ、時期的な意味での例外をわたしは一つ知っている。
今もネットを彷徨っているか、掃除をしているのか、奴のSNSのアカウントが耕雲くんの調査から漏れたのは単なる幸運なのだろうか、それにしても一体SNSに何を書いているのだろう。
「結論しますと、オーロラと昨日のお嬢様の件、」
「私ではなくコスチュームです」
委員長は再度釘を差した。
「その他不可解な諸々の現象は何らかの関係がある蓋然性が高いと考えます!」
耕雲くんは鼻息を盛大に漏らした。
「なるほど」
「なるほど」と絹延は言った。
「なるほど」と委員長は言った。
なるほどと鳥居は、鳥居はサンドイッチを未だに食べていた。見るに二皿目である。
人の金で食う飯は余程うまいと見える。それにしても、何故、このような話をするのか。委員長は何故調べさせたのか。今日の話の種にでもするつもりだったのだろうか。
「で、それが何だというのだ」
「実は」と委員長は切り出した。
「私達は良いお友達になれると思うのです」
友達か。
私は昨夜の会話を思い出した。委員長は、微笑を私達に向けている。目を細め、目尻がすこしばかり垂れ下がっている。
実際のところ、眼輪筋の不随意な収縮の有無で、その笑みが感情を伴うものか愛想笑いかなのか判別できる。この時、委員長はお嬢様然としていた。ヤクザの娘ではなかった。
「昔から、訳あって友人を得る機会がありませんでした。そこで一念発起、大阪城から飛び降りる思いで委員長に立候補して運良く皆様にお選び頂いたのですが、未だに、それに皆様のみならず、クラスの皆様とお話することもあまり叶っていません。これでは委員長として不適格」
委員長は捲し立てた。
「それに、あの、お見受けするに皆様もお友達が、その、余り」
と言いながら委員長は私と絹延、鳥居にチラチラと視線を向けた。
何故私にも視線を投げかけるのだ。
全く不本意である。 鳥居や絹延と一緒くたにされたこともであるが、友達なぞ出来ないのではなく不要なだけなのだ。
「友人なぞいらん」
「あー妙見には手下がいるものね」
「黒川のことか?」
「うん」
黒川は違う学校に進学している男子だ。私がここに越して来たのは小学校二年生のときである。それ以前のことについて語る言葉はない。
奴は転校後すぐの私に目をつけ何かとちょっかいをかけてきた。私が純真華麗であったからであろう。腹に据えかねた私は、まず中大江公園で奴を制圧、次に中之島のバラ園で制圧したが、教師に見咎められたため私は大阪城まで逃れ、城内の桃園で奴を再々度制圧、ここに主従の誓いを立てさせたのである。
これを三顧の礼だとか桃園の誓いとか名付けたのであるが、三国志なるものを知ったのは後のことであった。
「まぁ、そこの黒服と似たようなものだ」
「いえ、私はマウンティングなぞされていませんが」
「意外だな。てっきり馬乗りされて喜んでいるものかと思っていたが」
「お嬢様が小さい頃は馬を仰せつかったこともございますよ」
「耕雲」
「ああ、本当のことなんですけどね」
「まぁそれはいい」
「で、友達と、昨日のことに何の関係があるの」と絹延が薄らぼんやりと問うた。
それだ。
「私達を先ず繋いだのは、昨日の不可解な現象です。私達が共有できるものとして、挙げることができるものでもあります」
友人として、繋がりや共通点を大事にするべきという委員長の認識に特に反駁する理由もないが、昨日のあれが果たしてそのようなものかどうか。
「うーん」と絹延も漠然とした感想を抱いたようだ。
「昨日のあの事態を、友情の足掛かりにすることに、躊躇われるのも無理は無いことと思います、ただ」
委員長は少し、言葉を探すように数拍逡巡した。
「私としては昨日かなり困りました。正直、かなり、困りました。ええ、本当に困りましたのよ。皆様も、とてもお困りになったものと思っております」
「オーケー。何が言いたいか分かったよ!みんなでヤキを入れるんだね!組長」
この時も委員長はお嬢様然と絹延に対し微笑を返すだけだった。
訂正しよう。こいつはナチュラルボーンヤクザだ。才能が、笑顔のまま人をなぶる才能がある。付き合いこなさなければならぬ。子羊のような私には些か荷が重いが、兄ちゃんと母ちゃんの顔が思い浮かんだ。
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