「正しい逆上がりのやり方」から学ぶ処世術

米田淳一

第1話「正しい逆上がりのやり方」から学ぶ処世術


 ――やっぱり、またできなかった。


 校庭の隅の鉄棒で、小学生の僕はあきらめの視線を、傾いた大きな夕日に向けた。


 僕は、逆上がりができなかった。

 小学校の小さな校庭は、すでに残酷な金色の陰にしずんでいる。

 体育館の向こう、送電鉄塔は、すでに大きな骸骨のような姿を黒く染めている。

 泣きべそをかきながら、逆上がりできない僕らの苦闘は、まだ続いていた。


 いつも体育の授業ではこうだった。

「ほら、こうして、こうして、こうやって、こうやるんだよ」

 先生がやって見せても、なにが『こうして』なのかがわからない。

「ちゃんと見てた?」

 先生のやってることの観察だけでやり方をわかれって言ったって、そんなの無理じゃん。


 クラスの中でおなじように何人かできない子がいた。

 先生の笛に合わせて、なんとか身体を持ち上げようとする。

「がんばろう! できるようになろう!」

「そうだよね!」

 僕らは励まし合いながら、一生懸命、工夫して逆上がりの方法を探した。


 だが、どうやっても鉄棒はあまりにも高く、身体は重く、手の力は足りなかった。

 友達と日の傾く校庭で延々と練習を続けていた。


 そんな日々のなか、ある日の授業でのことだった。

「!!」

 友達の一人が、突然、何事もなく逆上がりに成功した。

「できた!」

 僕は駆け寄ろうとしたが、それは周りの逆上がりできる子たちに阻まれてしまった。


 そこから、うすうすと感づいていた僕の予想の通りになっていった。

 また一人、また一人と放課後練習組のみんなが、突然逆上がりできるようになった。


 僕は、放課後、ひとりぼっちになっていた。

 なぜ?

 こんなにがんばってるのに、なぜ?


 そう思っているときだった。

 その、逆上がりできるようになったみんなの一人から、放課後、LINEが届いた。


「ごめんね。本当はね」

 僕は、そのケータイの画面を見つめた。

「あれはね、催眠術なの」

 僕は半分驚いたけど、半分は予感の通りだった。

「先生の笛を聞くとね、なぜか体が自然と動くんだ。

 先生が笛をあわせてくれて、それに従うと、身体が軽くなって、できるんだ」


 でも、先生の笛に合わせても、僕の身体は重く、手の力は弱すぎた。

 なぜ僕だけ、笛の催眠術にかからないんだろう。

 小さな僕は、心が折れそうだった。


 でも、できるようになれば、みんなと一緒にまた遊べる。

 がんばって物理的ないい方法を見つけよう。

 なんとかして、ぼくも逆上がりをできるようになろう!


 幼い頭で、僕は一生懸命考え、工夫た。

 身体をもうはじめから鉄棒に押しつけちゃおう。

 蹴り足も、前に蹴るんじゃなくて、膝を折るようにして小さくして回ろう。


 そして、そのときはやってきた。

 鉄棒の上に僕は身体をのせ、校庭を見下ろしていた。


 不格好だけど、みんなのようにうまくできないけれど、頑張ったんだ。

 でも、これでみんなと一緒になれる!



 授業で、僕は、僕の発見した方法で、逆上がりをやった。


 できた!


 でも、その日、誇らしげに逆上がりをした僕をホームルームで待っていたのは、

 異端尋問だった。


「Aくんの逆上がりはおかしいと思います!」

「先生のいうとおりにやらないのはいけないと思います!」


 それを止めない先生に、僕は気づいた。

 先生は僕を狙い撃ちに催眠術がかからないようにしたのだ。

 クラスの中で目立たない僕を生贄にし、クラスを掌握しようとしたんだ。


 僕は泣きそうになりながら、その場をこらえた。



 少数を生贄にして大勢を制御するやり方。


 それは全国レベルで行われている。

 僕はその後進んだ大学でその理論を学んだ。


 学んだその教室でも、僕は分からないふりをした。

 僕はすでに、わからない振りをして、軽く軽蔑される、そういう処世術しか生きて行きようがなくなっていた。


 その催眠術は、ありふれた圧電ブザーでも行われていた。

 電子レンジ、炊飯ジャー。すべてがその道具なのだ。

 みんな、そのブザーと笛の音で、行動をそろえている。

 だから平気で大人として同調し、そうでないものに圧力をかけるのだ。


「ゴミは全部、捨てる容器も丁寧に洗って再資源化してから捨てましょう」

「エスカレーターではみんなに習って、右か左によって立ちましょう」

「メールは目上の人から順番にto:に書き入れましょう」

「結婚は35歳までするのが普通です」

「子供は2人以上産んで育てるべきです」

「テレビや新聞のいうことをよく見聞きしましょう」

「流行に乗り遅れないようにしましょう」

「全米が泣いた映画では、つまんなくても泣いて心を動かされて勇気をもらわなくてはいけません」

「誰それの覚せい剤疑惑や誰それの不正政治資金疑惑には公然と怒りをあらわにしましょう」

「国の借金や年金の破綻にはどんどん不安になって、せっせとタンス預金しましょう」

「さあ、お笑い番組の時間です。嗤わなくてはいけません」

「さあ、アニメの時間です。じっくり見て萌えなくてはいけません。萌えないとしても何らかの反応をしなくてはいけません」

「大きな事件の容疑者は地の果てまで追いかけ、小学校の卒業文集まで暴きたてましょう」

「それがもし冤罪だったとしても、何も恐れることはありません」

「それは『みんな』でやったことです。それが『絆』です!」


 ぼくは、その恐怖の中、誰にも目立たないように、息を潜めて日々を過ごしている。

 同じことは、偶然成り行きで行った水泳教室でも、さらには消防署の救命講習ですら起きた。

 水泳で息継ぎのできない僕、三角巾をうまく結べない僕。

 できない僕をみんなは笑いながら、結束を確かめていたのは、僕には、ありありとわかった。

 そして僕は、薄ら笑いで『ごめんね、僕、どんくさいんだ』と言って、その場をしのぐしかなかった、


 一人がそれに言った。

「実は、私も、仕方なく、みんなのそれにあわせてるだけなんだ。

 ごめんね」


 僕はむしろ思った。

 ――謝らないでくれ。頼むから。

 だから、それすらも僕は、薄ら笑いに隠した。



「逆上がりができた時の達成感、みんなといっしょに成し遂げた『絆』は、何にも代えがたいものです!

 ぜひみなさんも、逆上がりをやってみましょう!」


 そして、薄ら笑いの僕の頭上で、また今日も、笛とブザーが鳴る。


<了>

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