潮風が居間を通り抜けて

京田原柊吾

第1話

「今日はほんとありがとうございました!!」


いつもより少し意識的に声を張って頭を下げる。


「いえいえ、せっかく若い子がよそから来てくれたんですもの。」

「縁もゆかりもないのにここに住むんや!これぐらいのことして当然やって!!」

「なんか困ったことがあったらいつでもウチに来てや!

あっこの看板の角曲がったところにあるから!」


この小さな島では足を踏み入れる前から新しい住民がやってくることが知れ渡っていたようだ。

ありがたいことにこの集落の住民たちがぞろぞろと集まってきて引っ越し作業を手伝ってくれたのである。

子連れの主婦や力仕事をしているであろう屈強な体つきのおにいさん、歳の割に背筋がピンと伸びた老夫婦など様々な人たちが俺の新居を後にする。

一人暮らしの最低限の生活用品とはいえ一人では運べないものもあったため正直とても助かったが……。


「……さて何日分だろうな、これ。」


おすそ分けとしていただいた野菜とお米は茶の間の一角を埋め尽くしていた。






「っくはーーーー疲れたっ!」


居間に倒れこむように大の字になって寝転がる。

以前住んでいたワンルームのマンションと違い風通しが良く心地よい。


「えーっと釣り好きの野里さん、お米屋の溝口さん、港で定食屋やってる寺前一家に……」


今日お世話になった人たちの顔と名前を復習する。職業柄顔と名前を覚えるのは得意な方だ。


「……冷蔵庫いっしょに運んだ香呂さんとその奥さんのちさとさん、これで全員かな。」


作業をともにしながらはさんだ世間話で職業など身辺情報も関連付けられた。

忘れないように明日から散歩でもしながらあいさつ回りでもしよう。

今日はとりあえず……。




おい、知ってるか?

あー聞いた聞いた、最初聞いたとき嘘だと思ったけど。

そういう目で見てたってこと?信じらんねえ。

っていうかよく来たな、アイツ。

正直うちの子をまかせられません。



―――――ごめんなさい、気持ち悪いです。



「――――――――っ!!」

いつの間にか眠ってしまっていたようだ青かった空も星空に変わっていた。

それにしても嫌な夢を見た。引っ越してきて最初に見る夢がこれとは気分が悪い。

捨ててきたはずのものがいまだに俺に付きまとうのか。

壁に立てかけていた木製バットを手にして外に出た。

振り払うかのごとく素振りを絶え間なく続ける。


「クソっ……クソっ……!」


輝いている星より暗い夜の空が目に付く。

手にできていたマメの痛みなどどうでもよかった。





「いや~大津茂先生が来てくれてほんまに助かるわあ。

2年に国立の大学目指してる子がおって指導しきれる先生がおらんかったねん。」


中年の社会科の先生が興味津々な様子で俺に話しかけてくる。


「そうなんですか……でも僕数学ですし他の教科は面倒見切れないですよ?」

「いやいや、名大出でおまけに……まあ国立いうても東大や京大ちゃうからそんな身構えることないで。」

「そうですね、それに他にも生徒はいますしまず学力把握したいです。」


大津茂風太おおつもふうた28歳、身長167cm、体重88kg

独身、職業高校教師


新天地となるこの高校は人学年50人ちょっとの小さな規模の高校。

バリバリの私立の進学校に勤めていた去年とは大きなギャップである。

卒業して地元で働く子もいるのだろう、進学する子も多くはないようだ。

今まで全員が大学に進学して当たり前の環境で育ち、働いていた俺としては手探り状態である。





「大津茂先生お疲れ様です。」

「あ、お疲れ様ですー。」


野球部の顧問を任された俺は練習を終えた後だった。

職員室に戻ると英語の福崎彩音ふくさきあやね先生がいた。


「どうでしたか?」

「人懐っこい子が多いですね、どういう子たちか把握しようと思って色々話をしたんですけど1聞いたら10返ってくるって感じです。」

「でしょう?以前は私立の進学校に勤めてらっしゃったらしいですし、いろいろ勝手が違うんじゃないですか?」

「まあ、そう、ですねえ。」

「どんな感じなんですか?この辺にはそういう学校ないんで。」

「……先生が想像しているようなところですよ。」


そう言い残して荷物をまとめて職員室を出た。

逃げるように、というより逃げだ。



……なんなんだ。

――――名大出でおまけに……

……なんでだ。

――――私立の進学校に勤めてらっしゃったらしいですし……

……なんでいまだにつきまとうんだ。


切り捨てたはずだ、すべてを捨ててここに来たはずだ。

それなのにどうして。


自転車をどんなにこいでも黒い霧を抜ける気配はなかった。





「あれ、どちらさんですか?」


家の前に見たことのない人影がひとつ。


「お~あんたが大津茂先生か。聞いとった通り立派なお腹しとるなあ!」


いきなり失礼な物言いに顔をしかめる。生徒に慕われる要素にもなるので気にはしていないが、それでもいきなり馴れ馴れしいというものだ。


「えーっと、どちらさんですか?」


やはりこの顔には覚えがない。

ご近所さんには一通り挨拶して把握しているので初対面なのは確実だ。


「おーすまんすまん、俺は四郷和也しごうかずやいうもんや。

漢数字の4に故郷のきょうでし・ご・う。

この島のそうめんの組合で働いとるねん。よろしくな。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」


見た感じ年上のようだ。

ラグビーかアメフトでもやっていたのだろうか、とても体つきが良い。


「ところで僕に何か用ですか?」

「昨日こっちに帰ってきたんやけどな、よそから新しい人が来たいうから挨拶しに来たねん。これ、ウチで売っとるそうめん。」


見覚えがある。お土産屋さんに売っていたものと同じものだ。


「ありがとうございます。普段は島の外にいるんですか?」

「いや、俺は事務職なんやけどな。出張とかで本州のいろんなところに行くねん。」


その体つきでスーツを着てるのか。

ジャージの上からでも見て取れる体格。ギャップがあり過ぎて想像できない。


「でや、せっかくやしちょっと先生とお話ししよー思ってな。」

「僕もこの辺のこととか色々聞きたいんですけど……。

仕事を持ち帰ってるんでまた別の機会でもいいですか?」

「そうか、そりゃ残念や。まあ今は忙しいやろうし余裕ができたらまた声かけてや。高丘んとこのカズって言うたら誰か教えてくれるはずやから。

ほな、お仕事頑張ってや~。」

「はい、お疲れ様です。」





「あら、カズさん。」

「お~彩音ちゃんやないか。」

「どうしたんですかこんなところで。」

「新しい住人に挨拶してきたねん。知っとるんやろ?大津茂先生のこと。」

「ええ、今日だって話しましたし。」

「彩音ちゃん的にどないや?大津茂センセ。」

「バリバリのエリートって聞いてたんでもっと堅苦しい人かと思ってたんですけど、実際会ってみたら人当たり良くて優しい人でしたよ。」

「せやなあ。ちーっとずんぐりしとるけど彩音ちゃんが昔好きやった荒川さんとこのケンジに似とるもんなあ。」

「え、ちょ、そっそういう」

「はっはっは!まだまだウブいなあ!」

「からかわないでくださいよ~。

……優しい人ではあるんです。でも、なんというか……。」

「壁を作っとる、ってか?」

「カズさんもそう思いますか……。」

「おう、あれは自然とやっとることちゃう。不慣れなくせにそうしとる。

そもそもこの島に突然来たこと自体不自然やからな……。」





少しそっけなかっただろうか。今になって少し後悔している。

実際仕事は持ち帰っていた。今日のうちにやっておかなければならない。

だが、こちらから一方的に会話を切り上げたのはまた別の理由だ。


シゴウカズヤさん……か……。


やばい。


結構タイプかもしれない。

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潮風が居間を通り抜けて 京田原柊吾 @onaka_ippai

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