企画書『詩羽のいる街』

山本弘

第1話

【おことわり

 以下の文章は『詩羽のいる街』(角川文庫)執筆前に角川書店に提出した企画書です。

『詩羽のいる街』のプロットが詳しく書かれております。ネタバレになっていますので、未読の方はご注意ください。できれば完成した実物を読んでからお読みになることをおすすめします。この企画書のプロットを、書き上がった『詩羽のいる街』と比較し、初期の構想から何がどう変わったのかを検証してみれば、創作を志す方への参考になるかと思います。】



企画書


      詩羽のいる街

                            山本弘



 舞台は現代日本。東京に近い小都市・賀来野(かくの)市。

 ここに一人の女性がいる。名は詩羽。

 自分のことは何も語らない。姓は不明。若いという以外、年齢も不明。さほど美人というわけでもない。いつも陽気。おしゃれには無関心で、いつもジーンズ姿。謎めいた言動。常識はずれの奇矯な行動。にもかかわらず、彼女は多くの人に慕われ、感謝されている。

 物語は、詩羽を取り巻く人々の視点から、彼女の生き方を描いてゆく。


 この物語には宇宙人もタイムマシンも超能力者も魔法使いも出てこない。

 にもかかわらず、これはファンタジーであり、SFである。

 なぜなら、詩羽には普通の人間にはない特殊な才能があるからだ。

 これは小さな都市で起きる春夏秋冬の物語――小さな奇跡の物語である。


(プロットはあくまで仮のもので、変わることがあります)


●第1話「それ自身は変化することなく」


 僕はマンガ家志望の大学生。夢は大きいものの、原稿を何度編集部に持ちこんでもボツにされる。自分には才能がないのかと悩みはじめている。アルバイトもクビになってしまい、金がない。

 そんなある日曜日、公園で子供と遊んでいる若い女性を目にする。男の子たちが開いているトレーディング・カードの交換会を仕切っているようだ。やがて子供たちが解散すると、彼女は僕に声をかけてくる。

「ねえ、あたしとデートしない?」

 それが詩羽との出会いだった。

 僕はとまどう。なぜ初対面の男にデートを申し込むのか?

「あなたが不幸せそうだったから」と詩羽は言う。この街で不幸せな人間がいることが許せないというのだ。

 デートしたいが金がないと言う僕に、詩羽は「お金なんか要らない」と言う。お金がなくても楽しめる場所がいっぱいあるから、と。

 彼女はまず、僕を昼食に誘う。ある喫茶店に入り、主人に「この人にもお願いね、チェック2つ」と不可解なことを言う。店の主人自ら、喜んで料理を運んでくる。困惑する僕。詩羽は食べ終わると、主人にあいさつし、金を払わずに店を出る。

 次は「映画」。大手電器店の大型モニターの前に座り、2人でビデオを見る。店員はちっとも迷惑そうではなく、むしろ詩羽に親しげに声をかけてきて、イスまで用意してくれる。

 続いて「ゲームセンター」。ゲーム売り場で、ただでゲームを楽しむ。

 どこに行っても詩羽は誰かから声をかけられる。彼女にはこの街に大勢の知り合いがいて、みんな親切にしてくれる。服をプレゼントしてくれる女の子。アクセサリーをくれる露天商。展覧会の無料券をくれる男……みんな彼女にちょっとした恩があるらしい。

 彼女はアドレス帳を見せてくれる。バインダー式のノートには何百人もの名前と住所。そして鉛筆で「チェック数」が書かれている。

 夕方、別のレストランでディナー。やはり詩羽は金を払わない。ようやく僕にも理屈が分かってきた。

 彼女は金を持っていないのだ。

 その代わり、彼女は人々の相談に乗ってやる。車を換えたいのだが、中古を手放したいという人はいないか。料理の材料を安く卸してくれる店は。パソコンの使い方を教えてくれる人は。子供の面倒を見てくれる人は。留守中、ペットを預かってくれる人は……そうしたちょっとした悩みを解決してやる。自分の交友関係を最大限に利用し、問題解決に最適の人材を紹介する。

 彼女は謝礼を常に金以外のもので受け取る。レストランなら「何食分は無料」という形で。それが「チェック」の意味だった。その店で食事をするたびに、ノートに書きこまれたチェックを消してゆく。そうした店をたくさん確保しているので、彼女は一銭の金も持たないのに、食事には困らない。

 彼女には家もない。だが、いわゆるホームレスではない。この街の何百人もの知り合いの家に順番に泊めてもらっている。衣服、アクセサリー、生理用品……生活に必要なものもすべて、謝礼として誰かからもらう。

 なぜ金を持たないのかと訊かれ、彼女は「お金は便利すぎるから」と答える。こうした綱渡りの生活をしていると、ちょっとでもさぼると餓えて死ぬ。だから必死で生きようと思うし、人に親切にしようと懸命になるのだと。

 そんな生き方はまねできない、という僕に、詩羽は笑って言う。まねできないのは当たり前、これは自分の才能だから。

 人の心理を見抜くこと、その人が最も必要としているものを探し出すこと、その人の居場所を見つけること――詩羽はその才能に長けているのだ。

 彼女は僕にちょっとした仕事を紹介してくれる。パソコンを使ってレストランのメニューを作るアルバイトだ。評判がいいようなら、他の仕事も紹介してくれるという。僕の絵の才能を活かせる仕事。マンガ家になるまで食いつなぐための仕事。

 人にとっての最大の不幸は、すべての人が自分のいるべき場所にいるわけではないことだ。詩羽はその状況を変える。限られた範囲内で、その人が最も幸福になれる場所を探し出し、導いてやる。ジグソーパズルのように、この街の人々をあるべき場所に当てはめ、全体として巨大な絵を構成してゆく。

 詩羽の周囲の人々はみんな笑顔だ。彼女の存在はみんなを幸福にする。触媒のように、それ自身は変化することなく、周囲の人間関係に化学変化を起こさせる。それが詩羽だ。

 彼女と知り合って、僕は知った。この世には奇跡が存在する。不可能を可能にし、夢を現実にするのは、才能と、それを最大限に発揮するための強い意志だ。

 僕は詩羽の存在に勇気づけられ、マンガ家になる夢を再確認するのだった。


●第2話「ジーン・ケリーのように」


 あたしは中学生。家出し、森で首をくくろうとしていて、詩羽と知り合った。

 詩羽は自殺を否定しない。他にどうしても解決策がないのなら、自殺という手段もアリではないかと考えている。

「でも本当に、死ぬ以外に解決策がないのかな?」

 この世には何も面白いことなんかない、というあたしに、詩羽は言う。

「雨の中で傘を差さずに歩いたことは?」

 そんなことをしたら風邪をひくというあたし。詩羽は、夏なら風邪をひく心配はないと言う。面白くて、自分は何度もやってるからと。

 なぜ、傘を差さずに雨の中を歩くのか、と問われ、詩羽は問い返す。

「なぜあなたは傘を差さずに雨の中を歩かないの? 服なんか濡れたって洗濯すればいいだけでしょ? わざわざ傘を差す理由は何?」

 あたしは答えられない。雨の日には傘を差すものと思っていた。濡れて歩くなんて考えもしなかった。

 詩羽はあたしに、24時間だけつき合わないかと誘う。この世界がどんなに面白いかを見せてあげる。明日の同じ時間になってもまだ考えが変わらないようなら、死ぬのもいい。止めはしないと。

 詩羽はあたしをつれて、夜の街をあちこち案内する。

 ハンバーガーショップの深夜の清掃作業。

 ゲイバーの陽気なオカマたち。

 駅の近くを根城にするホームレス。

 山の上で開かれる天文マニアたちの流星観望会。

 あたしは、この世にはいろいろな生き方をしている人がいることを知り、いじめに耐えかねて自殺しようとしていた自分が、いかに視野が狭かったかを思い知らされる。学校と家だけが人生だと思い、それがつらくなったので死ぬことを考えた。その気になれば、登校拒否をすることだって、家を捨ててホームレスとして生きることだってできるのに。死以外の選択肢なんていっぱいあるのに。

 翌日の昼頃、雨が降ってくる。あたしは詩羽といっしょに雨の中を歩く。街全体が巨大なシャワールーム。その中でジーン・ケリーのように歌い、踊る。それまでの絶望が洗い流されてゆく。

 約束の24時間が終わりに近づいた頃、あたしは詩羽のアドバイスを受け、メガホンとビラを持って繁華街のビルの屋上に登る。ビラを撒いて通行人の注目を集め、地元のテレビ局が生中継を開始したところで、秘めていた想いをすべてメガホンでぶちまける。自分をいじめてきた同級生たち、見て見ぬふりをしてきた教師たち、ちっとも親身になってくれなかった両親を糾弾する。

 みんなから愚かだと笑われるだろう。親や学校や警察からは叱られるだろう。でも、たとえ愚かでも死ぬよりはまし。生きていればきっといいことがあるはずだから。

 また雨の中で歩いてみたいから。


●第3話「恐怖の『ありがとう』」


 俺は他人を不快にするのが好きだ。

 人の家のポストから新聞を抜き取って読む。庭にゴミを投げこむ。公衆トイレを汚す。ガラスを割る。マンガ喫茶の本を破る。ネットで荒らしをする。

 誰かが困っている光景を想像すると、気分が良くなる。

 だが、何週間か前から、何者かが俺を妨害しはじめた。

 常に誰かに尾行されているのを感じる。壁に落書きしようとしても、コンビニで万引きしようとしても、誰かに見られていて隙がない。破ったはずの本は新しいものに交換されている。ネットカフェで書きこみをしていると、急に回線が切断される。

 被害妄想ではない。何十人もの人間が、交替で俺を監視し、活動を阻止している。どこかに彼らを指揮している黒幕がいるようなのだ。

 ある日ついに、俺はその黒幕と対面する。詩羽という奇妙な女だ。

 彼女は俺を「宿敵」と呼ぶ。自分がこの街を良くしようとしているのと正反対に、あなたは悪くしようとしている。無視できない。それで街の人々に協力してもらって、交替で尾行しつつ被害を未然に防いでいたのだ。だが、こんなことは長く続けられない。

「悪いけど、あなたは叩き潰させてもらう」と、詩羽は宣戦布告する。暴力に訴えるのではなく、警察の手を借りるのでもない。彼女なりのやり方で、俺を葬り去るというのだ。どんな攻撃が来るのかと、俺は戦々恐々となる。

 翌日から攻撃が開始された。

 街の人々が俺に笑顔であいさつするようになった。郵便受けには毎日、たくさんの手紙が届く。無料のチケットや割引券などの、ちょっとしたプレゼント。見知らぬ婦人がケーキを差し入れに持ってくる。留守中に部屋は勝手に掃除され、服は洗濯されている。

 ある日、帰宅したら、詩羽が食事を作って待っていた。

 こんなことをして何の得がある、と言う俺に「得はあるわ」と詩羽は言う。

 自分はボランティアで人助けをしているのではない、と詩羽は主張する。自分は利己主義者だ。生き残るのに最も適した生き方をしているだけ。自分の才能を最も効率よく発揮できる仕事を。

「あなたが悪いことをするのをやめれば、街の人は喜ぶ。あたしも感謝される。あなたも幸せになれる。誰にとっても得なのよ。なぜ拒否するの?」

 彼女は俺が屈服するまで、この攻撃を続ける気だという。

「憎まれるのが楽しい? 嫌われるのが楽しい? 感謝される方が楽しいって、どうして分からないの?」

「俺の生き方だ。放っておいてくれ」

「あなたは恐れてる。生き方を変えたら自分が別の人間になってしまう。それは今の自分が死ぬということ。だから恐ろしい。あたしがやろうとしているのはまさにそれ。新しいあなたを誕生させるために、今のあなたを殺すつもり」

 俺はノイローゼになり、寝こんでしまう。街の人が交替で看病にやってくる。その一人は、中学生の少女だった。

 俺が怖くないのか、と言うと、彼女は答える。怖くないと言えば嘘になる。でも、死ぬのに比べれば怖くない。自分は前に、自殺しようとしていたところを詩羽に助けられた。世界がどんなにエキサイティングな場所かを知った。ごく簡単なことで人は幸せになれると気づいた。それをあなたにも教えてあげたい。

 少女は手作りのクッキーを残して去った。病気はかなり良くなった。その夜はハロウィン。仮装をした小さな子供たちがドアを叩き、「トリック・オア・トリート」と言う。俺はクッキーをやった。

「ありがとう、おじちゃん」

 その言葉に俺は恐怖した。「ありがとう」俺は人から感謝された――そして、それに喜びを覚えている!

 俺はついに街を逃げ出した。別の街に引っ越し、そこで嫌がらせを再開する。だが、以前のような張り合いがない。空しさが広がる。

 俺はあの街を――親切な住人たちとお節介な詩羽のいる街を、懐かしみはじめている自分に気づき、愕然となった。「ありがとう」という言葉をもう一度聞きたくてたまらなくなっていた。

 いつか俺は、あの街に帰るのだろう。


第4話「今燃えている炎」


 1月。賀来野市では「賀来野まつり」という市民たちの手作りによるイベントの準備が着々と進んでいた。

 私はタレントで小説家。東京のテレビ局のドキュメンタリー番組でリポーターを務めており、まつりの舞台裏を追っていた。バザーに出品するものを集めるPTAの人々。学生たちによる紙芝居や楽器演奏。街頭で行なわれるマジックやジャグリングなどのパフォーマンス。科学サークルによる展示。

 それらを取材するうち、人々が「詩羽」という女性の名を口にするのに気がついた。どの企画でも、詩羽が裏で動いている。企画を立案したり、ぴったりの人材を紹介したり、必要な材料を安く手に入れる方法を紹介したり。

 だが、かんじんの詩羽にはなかなか会えない。人々は詩羽の素性について何も知らないうえ、証言も矛盾している。彼女は宇宙人だとか魔女だとか言う人までいる。スタッフは、詩羽というのは都市伝説のようなもの、街の人々が共同で創り上げた幻想ではないかと考えるようになる。

 だが、私は真相を見抜く。街の人々は、詩羽がテレビで全国的に有名になるのを避けたがっている。それでわざとデタラメな話を流して、詩羽が架空の存在だと思わせようとしているのだ。

 まつりの日、ついに私は詩羽との接触に成功する。

 あなたの過去が知りたい、と私は言う。あなたがどんな人生を歩んできたか、視聴者は知りたいだろうから。

 詩羽はそれを拒否する。過去を知れば現在のその人が分かるというのは間違っている。同じような境遇で、同じような人生を歩んできた人が、同じ道に進むとはかぎらない。人の心はあまりにも複雑で、「こんな過去があったから結果的にこうなった」と、数学や化学実験のように単純化できるものではない。

 それどころか、「こんな過去があったから結果的にこうなった」と単純化することは、その人の複雑な本質を見誤ることになる。

 何物にも原因はある。でも、原因だけ見ても本質は分からない。人は炎のようなもの。火をつけるのに使ったのがマッチなのかライターなのかなんて関係ない。大切なのは今、炎がどう燃え上がっているかということ。

 だからあたしは過去を話さない。星座も、血液型も、出身地も、家族のことも、決して教えない。自分という存在を単純化して見て欲しくない。複雑なままのあたし、今燃えている炎を見て欲しいから。

 みんながあなたのように生きられたら素晴らしいのに、と言う私。詩羽はかぶりを振る。あたしのまねをするのは無理、あたしのは特異な才能だから。

 街の外にあたしのことを広めて欲しくない。他の街の人に助けを求めに来られても困る。この街だけで手いっぱいだから。

 でも。

 みんな、ほんのちょっとだけ考え方をみればいい。多くの人は目の前の現実だけ見て「不幸だ不幸だ」と嘆いている。ほんのちょっと、いつもと違うことに挑戦してみれば、幸せになるための選択肢はたくさんあると分かるのに。


 私は取材を終えたスタッフと別れ、東京に帰るために駅に向かった。改札口の前で、紙袋が破れて、中のものが散乱した。ちょうど下り電車から降りて改札口から出てきた男が、拾うのを手伝ってくれる。

「ありがとう」

 と礼を言うと、男は「ありがとう、か」と恥ずかしそうに微笑む。何かおかしなことを言っただろうか、と訊ねると、男は言う。

「俺はその言葉を聞くために戻ってきたんですよ」

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企画書『詩羽のいる街』 山本弘 @hirorin015

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