Kの失踪~あるいは縦時間機について~
南枯添一
第1話
時間機を発明した、とKが言った。
秋の日の午後、閑散とした喫茶店の窓辺のテーブル席でのことだった。色づき始めた街路樹が窓から見える。
Kは俺の高校時代のクラスメートで、高校時代は話をした記憶がない。それが大学生になって二年目、奴の方から「会わないか」という連絡があって、会わない理由もないから、会うことにした。以来、社会人になってから一度途切れたのだが、年に一,二度、喫茶店で会って無駄話をするという程度の付き合いを続けている。
「うん?」と俺。「おまえ、文系クラスじゃなかったか?」
「君と僕はクラスメートだろう。君は何系だ」とKが返す。
「それはそうだ。しかし、時間機というのがなんだか、俺は知らんが、理系でない奴に造れそうな代物には思えん」
「君」とKは微笑んで「時間機とは何だと思う?」
「知らん」
「では、時間機と聞いて、何を連想する?」
「火星のタコ」
「ウェルズから連想が飛びすぎだ。素直にタイムマシンと言ってくれ」
「しかし、タイムマシンなど理論的に可能なのか」
「可能だ」とKは言い、亜光速宇宙船のウラシマ効果がどうしたこうしたと話し始めた。
俺は奴のワームホールをエキゾティック物質で支えてとか言う話を、ジャピァーンとつぶやいてから、遮り、
「俺が言うのは、そういうことではなくてコキュのパラドックスのことだ」
「コキュ?なんだいそれは」
「パラドックスを確かめるためとか言って、タイムトラベラーが苦労して父親を殺すというお話はよくあるんだ。必ず、親父は
「くだらない」とKは笑い「ようするに親殺しのパラドックスのことだね。しかし、僕の時間機では因果律は問題とならない」
「因果律が問題とならん?そんな抜け道があるのか」
「ある。まあ、僕の時間機は
「だったら何故タイムマシンの話などで余計な時間を取る?」
「君がひねくれすぎてるからさ」とKは笑い「超ひも理論のことを知っているかい?」
「ブライアン・グリーンの本なら読んだぞ」
「なら余剰次元や折りたたまれた次元のことは知ってるね」
「理解してるとは言わんがな」と俺。「この世界には3+1次元の他に短い次元が幾つもある――かも知れない、という話だろう」
「うん」とうなずくとKは真顔になり、窓から秋空を見上げた。それから、
「君は高校の卒業文集に自分が書いた文章を覚えているかい?」
話の向きがいきなり変わったのに俺は驚いて、「何だと?」
「僕はね、昔、死ぬことがひどく怖かった」と、Kは俺の言うことなど聞いてない。
「正確に言うなら永遠が怖かった。死は完全なブラックボックスだから、死後生を想定することを間違いだと否定は出来ない。だから単に死と虚無が恐ろしいなら、死後生への期待という抜け道が常にある。しかし、永遠の恐怖には救いがない。死ぬこと、自分が亡くなることが怖いと言っても、単に無が恐ろしいのではない。自分が存在しない世界が、自分なしで永遠に続いていくのが恐ろしいのだ。身体がじんと冷たくなるほど。だから、自分が永遠にそこに存在し続けると考えても同じことなのだ。
僕は高校時代をこんなことを思い悩んで過ごした。実際、友達も出来なかったし、何をしても楽しくなかった。常に永遠への恐怖が僕の中にあったんだ。ところが君は卒業文集にこう書いたんだ。僕のような人間はアホである、と」
何となれば、と俺は書いたらしい。
何となれば、時空間と言うくらいで、時間と空間は似たようなもンだからである。永遠に対する畏怖は、時間軸に於ける自己存在の有限性に起因する。がしかし、有限であるのは空間においても同様である。永遠に続くかと思える道に立っている自分を考える。ここで俺は今ここにいるだけで、3メートル先には存在していない。5メートル先でもそうだし、道の彼方でもそうだ。かといってこの道が怖いとは言わん。このことからして、永遠に対する畏怖が時間の特異性に基づくことは自明である。であるから、永遠が怖い、人生は空しいなどとほざいてる暇があれば、時間の特異性に対する研究に打ち込むべきである。この程度のことが、考えて解らんような奴はアホである。
「なんだかよく分からんが、とりあえず高校生の俺に成り代わって謝っておく」と俺。「しかし何故、そんなことを卒業文集に書いた」
「それは君が自分で思い出してくれ。でも、少なくとも僕には謝ってもらう必要はないよ。君のおかげで人生の目標が出来た」
「時間の探求か」
「正確には時間の特殊性の探究だね。何故時間だけが、他の次元と異なって非可逆なのか。僕はそのことだけを考えて生きてきた」
「ふん。時間機というのはその探求の副産物というわけか」
「その通り」
「おまえの探求というのはそんな副産物を生み出せるほど深化したということか」
「そうだ。僕は非可逆の謎を解いた」
Kは頬に少し、朱を昇らせてそう言った。俺はそれほど感銘を受けたわけでもなかったが、一応は改まって、
「では訊こう。時間は何故、非可逆なのだ」
「時間は本来、非可逆なんかじゃない。因果律なんかは存在しない。空間と同質だと考えるなら、むしろそのほうが当然だ。空間と同じに、自由に行き来できるんだ」
「ならば重ねて訊こう。では何故、現世の時間はおまえの言う本来から外れているんだ?」
「短いからさ」とK。
「短い?」
「折りたたまれた余剰次元の話は知ってるんだろう。プランクスケールとまではいかなくても、極めてサイズの小さい次元は、その次元の性質に拘わらず、感知することさえできない。つまり、その次元が僕らのよく知っている空間の三次元と変わらない性質のものであっても、充分に小さければ、僕らはそれを利用できないということだ」
俺は腕組みをして、天井を見た。
「俺にはこの世界にはもっと長い時間があるように思える」
Kはうなずくと、ノートを取り出した。白紙を開くと、そこに一本の線を引いた。
「三次元を図に表すことはすごく難しいので一次元で代用する。この線が三次元世界だと思ってくれ。この線上のすべてのポイントに時間次元が存在するんだ。こうだ」
Kは元の線に短い横棒を次々と書き加えて、線路の地図記号か、簡略化されたゲジゲジの画みたいなものを描いた。
今度は、俺がうなずいた。指をジグザグに振って、ゲジゲジをなぞり、
「なるほど。俺たちは空間的に違うポイントの時間次元に飛び移り続けていると言うんだな」
「そう。僕らは一つの時間次元の中に留まっているわけじゃないんだ。僕らは移動を続けていて、常に新しい三次元空間のポイントを占めている。そして、そこには新しい時間次元も存在するわけさ。僕らは常に新しい時間次元に飛び移ることを続けていて、そのことに気付いていない。だから、時は流れるんだ。本当に流れているのは時ではなく、むしろ空間の方なんだけどね」
「もし、仮に三次元空間の中で静止したとしたら?」
「多分、時間の流れも止まってしまうだろう。しかし、そんなことはあり得ない。僕らが言う静止とは、単に知覚できる周囲のもの全てが、同じ速度で移動している状態のことでしかない。三次元空間の絶対座標でいうなら、僕らは常に移動し続けている。地球は自転も公転もしているし、太陽系も天の川銀河の中を高速で動いているんだから。それために、僕らは過去に戻れないんだ。過去は」とKは上を指さして、
「宇宙の彼方で置き去りになってるから」
「なるほど」と俺。
「量子論的なミクロの世界において、因果律が成り立たないことは知ってるだろう。それは量子論的な微視的世界では一つのポイントに属する時間次元の中ですべてが生じるからだ。言ったように、時間次元の性格は空間のそれと変わらない。自由に前後することも出来れば、当然同じところをうろつくことも出来る。原因と結果という因果律も意味がない。結果から原因に遡ることも出来れば、一つの原因から無数の結果を生み出すことも出来る。同じことを何度でも、無制限に繰り返せるからね。これが、それは量子論的な微視的世界ではすべてが確率で存在する理由だ」
「なるほど」と俺はまた言った。が、まじめな顔を保つのには苦労した。どうやらKの探求というのは物理学を真摯に学ぶというようなことではなかったらしい。検証不可能仮説ですらなく、SFファン向けの与太にしか思えなかったが、それは言わないことにした。
「それで、おまえの探求は完成したわけだ」
「ところがそうじゃないんだ」とKは暗い表情を見せた。
「何故だ?」
「僕の本来の目的は永遠に対する畏怖の克服だ。時間の非可逆性の探求はその手段に過ぎない。探求に熱中するあまり、忘れていたんだが、謎が解けて改めてそのことを思い出した。そして畏怖が戻ってきてしまったんだ」
「困った奴だな」
「うん。薄切りにされた時間が過去から未来永劫、漆黒の宇宙に連なっている光景を想像すると怖くて仕方がない。時間の特異性を克服できたとしてもフェムト秒の幅ではどうしようもない」
「ふん」俺は腕組みをして「なにか永遠についての新しい講釈でも垂れようか」
「いや、いらない。僕は自分で気付いたんだ。君はブライアン・グリーンが、著作の中で、もし余剰次元に時間次元が含まれていたら、という議論をしていたのを覚えているかい?」
「時間の二次元目なんぞ、どんなものか、想像することも出来ないと書いてたんじゃなかったか」
Kは深くうなずいた。「その言葉が僕にとっての天啓となった」
「天啓?」
「そうさ」とまたうなずく。「仮にその想像も付かないものが、僕らの目の前にあったとして、僕らにそれが理解できる、いや、見えると思うかい?」
俺は考えた。「縦横高さの三次元空間にせよ、おまえの言う細切れの時間にせよ、それが存在しない世界の住民にとっては想像も付かんものだと思うぞ。それを俺たちが理解できるのは、それが目の前にあるからだ。時間の二次元目なんぞ、確かに想像も付かんが、それがあったとしたら当たり前になっていたはずだ」
「けれど、僕らは細切れの時間という特異なものに順応した生き物だ。時間とはこういうものだという思い込みに支配されて、そこにある、もう一つの時間が見えないんだ」
「つまり、その二次元目は折りたたまれていない、無限の時間だと言うことか」
「そうだ」
「解った」と俺。「おまえの時間機というのは、そっちの時間を探検するためのものか」
「そうだ」とKは破顔した。「君なら解ってくれると思ってた」
「ふん」
「僕はそれを縦時間機と名付けた」
「普通、横時間機と言わんか」
「どっちでもいい。僕の時間機は、実は機械じゃない。それは一つのメソッドと言っていい。それは、そこにあるけれど見えないものを見るための知覚の訓練法なんだ」ここで俺の渋面に気付いて笑い出し
「こいつ、おかしな宗教にでも嵌まったんじゃないかと思っているんだろう。心配してくれなくていいよ。その手のものには関わってない。これはあくまでも僕の個人的な探求だ」
「それを聞いて安心した」俺はうなずき、仕方がないので尋ねた。「それで、そっちはどんな世界だ」
「そこではすべての因果律が崩壊しているように思える。結果から原因が生ずることもあれば、一つの原因から無数の可能性が生じることもある。量子論でおなじみの確率の世界さ。この時間軸では一つの出来事に収斂するはずの現象が、並列で存在しうるんだ。そこは虚無のようにも見えるが、そうじゃないはずだ」
「なんだか曖昧な言い方だな」
「見ただけだからね」とKは微笑む。「足を踏み入れる踏ん切りが付かなくてさ。だから君に会おうと思ったんだ。君の顔を見たら、その勇気が出る」
「それは光栄だが」そこで俺はふと気付いて顔を上げた。「まさか、これからそっちへ向かうつもりじゃないだろうな」
「そのまさかさ」
「しかし、なんの準備もしているようには見えんが」
「準備なんか要らない。そこにある道を一歩踏み出すだけだ」
俺はまた考え込み、不意にそのことに気付いた。仮に奴の細切り時間論が正しかったとする。奴が踏み込もうとしている時間の二時限目というのも、俺たちが二度と訪れることない、空間のポイントに属しているのではないか。
「そして、そこにあるのは、ただ永遠だ。いや永遠を越えた永遠。僕が求めていた、畏怖する必要のない永遠」
Kが祈るようにつぶやいた。
「ちょっと待て」
俺が顔を上げたとき、Kは消えていた。空っぽのコーヒーカップだけが、そこにあった。
このとき以来、Kからの連絡は途切れた。俺の方はKの連絡先を知らない。だから、連絡の取りようもない。無理に探して、踏み倒されたコーヒー代を取り立てるまでもあるまいと思っている。もちろん、奴が宇宙の何処かの時間の迷路で迷子になっているなどとは思っていない。何処かの街角で俺にしかけたジョークを思い出して、一人で悦に入ってることだろう。
ただ、時折晴れ渡った空を見上げたときなどは、その彼方に奴がいるような気がすることはある。そんなときは思う。咄嗟に俺が考えついたようなことに、奴が気付いていなかったはずはないな、と。
Kの失踪~あるいは縦時間機について~ 南枯添一 @Minagare_Zoichi4749
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