第33話
「……」
リピカの返事はなかった。だが、ダフニはさらに言葉を続けた。
「リピカの能力は過去というデータベースにアクセスする力ですな。データベースアクセスと言えばインデックスアクセスとシーケンシャルアクセスは常識なのですな。でも、リピカは今までキーを指定したインデックスアクセスしか使ったことがないですな」
ダフニが言っているのは藤沢奈都だったときに得たデータベースアクセスの知識のことだった。データベースアクセスでは
「できるよ。でもそれは……」
「魔力の消費が大きいですな」
シーケンシャルアクセスでは全項目が探査される。それはそれだけ必要な仕事が増えるということだ。これがコンピューターなら時間と電力が余分に消費されることになるが、魔法の場合なら魔力が余分に消費されることになるということは想像に難くなかった。
「ちょっとどころじゃなく大きいよ。もしかしたらさっきの奴みたいに君も死んじゃうよ?」
「イリスはこのままなら確実に死ぬですな。”もしかしたら”の賭けなら賭けてみてもいいのですな。それに、私はあの飛行機の乗員全員分の魔力と生まれたときから付き合ってきたのですな。ルキお兄さまみたいにはならないのですな」
「……分かったよ」
ダフニの意思が固いのを見て、リピカはようやく首を縦に振った。
「早くするですな。イリスは一刻を争う状況ですな」
「じゃあ、魔力をもらうよ」
リピカが前足をダフニの胸に当てると、そこからこれまでに見たこともないほどの大量の魔力のサプリがざくざくと湧き出してリピカの体内へと消えて行った。
――体の力が一気に抜けていくようですな。これはやばいですな。
と同時にダフニの脳内に大量の情報がフォアグラのカモの餌付けのような勢いで次々に流れ込んで来た。その量はエーテル知覚の奔流を制限して何とか処理しているダフニの脳の処理能力を大きく超える量だった。
しかし、ダフニは諦めるつもりはなかった。求めるものはイリスの身体情報のみ。それもできるかぎり最近のもの。それだけを頭にとどめ後はすべてのことを忘れてただひたすらに情報の海の中を探し続けた。
集中力によって限界まで引き延ばされた時間感覚の中で十数分にも感じられる時間、現実世界ではわずか1分程度の時間の後にようやくダフニは目的のものを見つけた。
――あったですな。
リピカに合図してシーケンシャルアクセスを止めると、すぐにダフニは3Dモデラーを起動して呼び起こしたイリスの身体データを取り込み、創造の魔法を使って傷ついたイリスの体を復元した。
「イリス様? イリス様!」
ダフニの隣ではクロエが並んで知っている限りの治癒魔法を掛け続けていたが、ダフニの魔法で怪我の治ったのを見て治癒魔法を止めてイリスに必死に呼び掛け始めた。体は復元されたもののまだ意識は失ったままなのだ。復元前に死んでいたらダフニの魔法はただ無残な死体をきれいな死体に変えたにすぎない。まだ安心できる状況ではなかった。
「……ク、クロエ……?」
「イリス様! ……イリス様!!」
――どうやら間に合ったようですn……
クロエの呼びかけに、イリスが朦朧とした様子ではあるものの名前を呼び返した。それを聞いて安堵に泣き崩れるクロエ。
ダフニが覚えていられたのはそこまでだった。
事件の後、王宮は一時騒然となった。王位を継承した2人の王子のうち1人が国家転覆罪で投獄されたと思ったら、もう一人の王子と摂政の公爵が死体で発見されたのだから当然のことだ。
しかし、その混乱はダフニによって助け出されていたレオがいち早く王宮に復帰したことで沈静化した。ルキと公爵の最期についての証言が大量にあり、貴族の中にこの事件は2人によるクーデターだったという認識が素早く共有されたこともレオに味方した。
そしてこれ以上の混乱を防ぐため、レオは復帰したその日のうちに王位の継承を宣言した。これにより先代テオドルの死により始まったオスティア王国の王位継承争いはようやく終止符を打たれたのだ。
クーデターの首謀者であった公爵家は爵位剥奪の上で家が取り潰されることとなった。詳細な調査で以前から市民の誘拐殺人を行っていたことだけでなく、先王テオドルの暗殺についても証拠が発見されたためだ。
さらに、他にクーデターに加担した者の調査も徹底的に行われ、関係者には厳しい処分が下された。幸い先王暗殺以前からの関係者は少なく、処分による国政への影響は最小限にとどまった。宮廷魔導士と衛士からは処分者は出なかった。
公爵家取り潰しの結果空位になった公爵位を誰が埋めるかについては調整が難航した。
クーデターに関わっていない貴族の中から選ぶことになるが、誰を選ぶかで貴族の派閥間で再び緊張が高まったのを見て、公爵家と縁のありながらも中立的な立場を守り通したヴィミナリエ伯爵にレオが鶴の一声で決めてしまった。つまり、イリスの父方の祖父だ。
そして、それによって空位になった伯爵位はレオとダフニの伯父であるチェーリオ子爵が
最後にダフニにランタンとの契約を解除させられたマルクだが、その後精神に異常をきたしたため王宮の地下牢に監禁されている。
「クロエ、大丈夫かしら?」
「イリス様」
慌てて立ち上がろうとするクロエを押し留め、イリスは隣に並んで座った。
ここは王宮の一室で事件直後から昏睡を続けるダフニの治療のために用意された特別の病室だ。クロエは事件後一度も家に帰ることなく付きっきりでダフニの看病を続けていた。今でも肩に毛布を掛けてダフニの小さな異変も見逃すまいと側に付き沿っていたのだ。
「休んだ方がいい、って言っても聞かないでしょうからせめてご飯は食べなさい。あなたまで倒れてしまうわ」
「……ダフニ様はこのまま目を覚まさないのでしょうか?」
絞り出すようなクロエのつぶやきに、イリスも心を掴まれるような胸の痛みを感じた。
ダフニが意識を失ったのは奇跡的なイリスの魔法治療を行った直後だった。そして、イリスが治療を必要とする大怪我をすることになった原因はクロエをルキの魔法から助けたからだ。クロエもイリスもダフニの昏睡の責任は自分にあると思って事件後から自分を責め続けていた。
「……あの戦いの時、ダフニの体が大けがをするたびにすぐに治ってたじゃない。どうしてあれが最後は起きなかったのかしら」
それはイリスがずっと疑問に思っていることだった。あの奇跡的な魔法治癒がどうして最後の最後だけ起きなかったのか。それさえ起きていればダフニがこんなに長い間昏睡するということもなかったのではないか。
「……私の治療で魔力を使い果たしてしまったのかしら」
それがイリスに思いつく唯一の理由だった。それはイリスにはつらい現実だった。
「それについてなんですが……」
と、その話を聞いてクロエは看病をしながらずっと考えていて誰にも話していなかったことをイリスに話し始めた。
「ダフニ様が……寝る前に一度話してくださったのですが、ダフニ様がその時研究していた精霊に待つだけの精霊というのがあるのだそうです」
「松?」
「待つだけです。ただ何かが起きるのを待って、起きたら何もしないで終わりというものなんだそうです」
寝る前にとクロエは言ったが、実際にはベッドで一緒に寝ているときに聞いた話だ。ダフニはベッドに入ってからその時に気になっていることをクロエに語って聞かせることが時々あり、これはそう言う時の話の1つだった。
「もしかして待つだけの魔法ってダフニに私たち2人がかりで剣術の稽古をした後に言ってた待機の精霊のこと?」
「そうですね。きっとそれだと思います」
イリスが言っているのはダフニがGUIの仕組みを説明した時の話だ。あれはボタンのクリックの検出に待機の精霊を使っていたが、プログラムのことを理解していない2人にはイメージが伝わりにくく今の今まで内容をすっかり忘れていた。
「その精霊は指定した条件が満たされた後で別の魔法を発動させるために使うのだそうなのですが、その条件の与え方が重要なんだという話をしていたんです。例えば1ケタの数を指定するには10未満の整数と言うだけでなく0以上という条件も必要だとか」
「負の数があるからね」
「はい。条件の与え方は過不足があってはいけない。普段意識していない当たり前だと思っていることでもちゃんと言葉にしないといけないし逆に余計なことを含めてもいけないんだと」
「……はっ、そういうことね」
「はい」
クロエの話を聞いてイリスはハッとした。そして、クロエがなぜこの話をし始めたかを一瞬で理解した。
「ダフニ様は戦いの中、自分自身が大きな怪我をした時には他の小さな怪我も含めて全部一度に治っていました。だけど、小さな怪我の時は何も起きていませんでした。今も見た目には大きな怪我はありません」
「つまり、あの魔法治癒の発動条件は大けがをした時だけで、その時には関係ない部分も含めて全身を治癒するというわけね」
クロエは頷いた。しかし、今この状況で大けがをすることなんてありえないことだった。……意図的に怪我でもさせない限りは。意図的に……
「……クロエ、私がやるわ」
「それは……、でもこれは仮説でしか……」
「私は今や公爵令嬢よ。何の因果か分からないけどね。だから、もしこれに失敗してダフニの意識が戻らないでただ大けがをさせただけになっても、何とかもみ消すこともできると思うの」
イリスは内心ではそんな単純なわけがないと突っ込みをいれていたが、そんなことをクロエの前で眉一本も表情に出したりはしなかった。
クロエの沈黙を肯定と取ったイリスは椅子から立ち上がりベッドで横になるダフニの脇に立った。そして掛け布団をめくって腕を外に出した。この腕をこれから切り落とすのだ。そうすれば、魔法治癒が発動して昏睡状態になっている原因も同時に治癒してしまうはずだ。……、仮説が正しければ。
イリスは大きく深呼吸した。
「豊原に集いし氷の精霊に請い願い奉る。我、汝に一つの求めあり。眼前の横たわるダフニの左腕に向かい……」
「待ってください!」
斜め後ろから掛けられた声にイリスが振り向くと、クロエが毛布をたたんで立ち上がったところだった。その目には決意の光が灯っていた。
「やはりそれは私の役目です」
そう言ってクロエはイリスを下がらせると代わりにベッドの脇に立った。そしてより魔法の効果を確実にするため、衝撃が分散しないよう近くに置かれていたお盆を左腕の下に入れると、無詠唱で魔法の準備をした。
「ダフニ様、失礼いたします」
DOGMM
鈍い打撃音とともにお盆が割れ、その上に乗せられていた腕が人体構造上不可能な角度に変形した。その直後、ダフニの体を一瞬見失ったかと思うとベッドの上に立ち上がったダフニの姿があった。自動回復が発動したのだ。
だが、立ち上がったのは一瞬。すぐに体の糸が切れたようにベッドの上に力なく崩れ落ちたダフニにクロエとイリスは慌てて駆け寄った。
「ダフニ様、ダフニ様!」
「ダフニ、いつまで寝てるの。早く起きなさいよ」
「……」
――ああ、もしかしてまた死んだのですかな。
意識が戻ったダフニが最初に思ったのはそんなことだった。しかし、すぐにそれが間違いだということが分かった。それはその手に感じた温もりであり、耳元に聞こえる優しい響きのためであった。
「ダフニ様ぁっ」
「……クロエ……ですかな?」
「ダフニ様!」
「ダフニ! ……に、二度とこんな無茶しないでくれるかしらっ。……心配したんだからね」
「……イリス、無事だったですな」
2人の顔を見て改めてダフニは2人の手を取り、ようやく事件が終わったのだと理解した。これでようやく平穏な日々に戻れるのだ。
そう思ったら、ダフニのお腹が盛大に自己主張をし始めた。苦笑して2人の顔を見てダフニは言った。
「…………えっと、積もる話はおいしいケーキをお腹いっぱい食べながらというのはどうですかな?」
【終】
ラムダの魔法使い ~ 純粋関数型プログラマーの異世界転生 七師 @tomo161382
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