クエスト1 中途リアル


 その日、いつも通り俺がゲームにログインすると、そこは草原だった。

 そう、そこは草原だったのだ。


「……」


 圧倒的違和感に思わず周囲を見渡してみるが、やはりそこは草原である。

 まぁ、違和感を違和感として正しく受け入れるためにも、なぜ俺がそう感じたのかを簡単に説明してみよう。

 『ファンタニア・ワールド』では、どこでログアウトしようとも、あらかじめオート、あるいはセルフで定めたいわゆるセーブポイントから再開される。

 これはダンジョンの途中でログアウトしたとしてもダンジョンの入り口からまた開始されてしまう、ということである。

 これについては賛否両論だったが、ダンジョンの難易度を著しく下げてしまうなどの面から見ればわりと正しかったと思う。

 そして、もしセーブポイントを定めずにログアウトした場合、ホームタウンからのスタートとなる。

 昨日、俺は特にセーブポイントを定めずに、ワールドクエストの貢献度の集計が終わり次第さっさとログアウトしていた。

 つまり、本来であるならば、俺はホームタウン、見慣れた街中にいなければおかしいのだ。

 なのに、今目の前に広がっているのは草原。


「えっ」


 思わず漏れた声。

 自分の両手を見ればそれはもはやこの三年で見慣れた小さな手だ。

 つまり、俺は今、シュリアとしてゲームにログインしていることは間違いない。

 バグだろうか?

 その疑問から即座にGMコールを飛ばそうとして、愕然とした。

 メニューウィンドウが開けないのだ。

 慣れている思考操作は勿論、決められた動作で開くアクション操作すらも出来ない。

 どう考えてもおかしかった。


「わけわからん」


 そうやって悶々とする前に、俺は考えることを止めた。

 そして、改めて自分のいる草原を見渡してわかった事実を受け止めよう。

 まず、俺は草原にいる。

 俺は操作キャラクター、シュリアである。

 そして、どうやらシュリアとしていつも手で引き摺っていた、武器である巨剣が無い、というか、あれば絶対に気付くだろうし。

 ここまでが、簡単にわかったことだった。

 次に、少し試してみる。

 まず、俺は地面へと手をついた、そして、


「んー、ふっ!」


 力いっぱいに地面を一気に押してみる。

 すると


  ドッ


 と音が鳴り響き、地面へと亀裂がはしり、俺の腕は地へと埋まった。

 地中から腕を引き抜いて、傷一つないそれを見て思う。

 つまり、ステータスはきちんと反映されているんだろうな、と。

 それと同時に、ここがゲーム世界で無い可能性が生じてきてた。

 ゲームでは、地形破壊は基本的に出来なかった。


 だからこそ、ただ手で押しただけで手が埋まる、なんてことは起こらなかったし、そもそもそういう自由度を認めればさすがに一ゲーム運営が出来る仕事を超えている。

 更に言えば、先程地へと手をついた時に感じる触感もゲームでは再現されていなかったモノだ。

 形状が様々な小石や砂に一々触感を持たせるなんてもはや仮想ではなく現実世界の構築レベルだろう。


「なるほど」


 つまり…………どういうことだ?

 まさかここが現実世界ということはないだろう。

 現実ならば俺は冴えないリーマンとして……あれ?


「俺、なんて名前だっけ?」


 途端に、猛烈な勢いで嫌な予感が駆け巡る。

 俺は誰だった?

 『ファンタニア・ワールド』古参プレイヤーにしてキャラネーム【シュリア】の……誰だ?


 性別は男だったはずだ。

 歳は20代後半だったはずだ。

 アパートに一人暮らしだったはずだ。

 彼女等のパートナーはいなかったはずだ。

 友達も少なかったはずだ。

 喫煙者だったはずだ。

 はず、はず、はず……。


「は、はは……」


 しばらく思い出せることを列挙し続け、そして、理解してしまった。

 経歴は思い出せる、けれど。

 俺は、自分の名前を忘れてしまっていた。


「ふー、あむ、あい? ってか?」


 状況は依然として不明な上に名前すらも不明となった俺はただただ呆然とその場に佇んでいるしかなかった。



  ※  ※



 しばらくして、ようやく気を取り直した俺は、取り敢えず自らがゲームキャラであるシュリアになって、なにやらよくわからない世界(仮想世界ではないだろう)にいると仮定して考えてみることにした。


 容姿は確か、薄紫のロングヘアに赤い瞳の10になるかならないか程度の少女と言うよりも幼女に近いものだっただろう。

 昨日に見たステータス画面ではそうなっていたはずだ。

 そして、それは今の手や体を見れば概ね間違いはないのだろう。

 次に、ステータスは力一点振りの他は完全な初期ステータスを装備で補うものだった。

 着ている衣服を見れば、装備品はそのままだ。

 つまり、わりと上位プレイヤーだった時のそこそこレア度の高いもの。

 職業はもはや俺の代名詞である巨剣士からの純上位派生【巨剣師】、なのだろうが、肝心なその武器が無い。

 まぁ、今はそのことはどうでもいいだろう。


 ここまでが確認だ。

 問題なのは、何度も言うが、見た目は俺の持ちキャラであるシュリアとなって見知らぬ草原に放り出された現状をどうすればいいのかと言う点だ。

 けれど、考えるには些か材料が足りない。 


 前方を見る。

 草原がある。

 左右を見る。

 草原がある。

 後方を見る。

 草原がある。

 下を見る。

 地面(罅割れた)がある。

 上を見る。

 快晴の青空に太陽が輝いていた。


「いい天気だなぁ……」


 しばしの間、現実逃避をしてみるが、やることは決まっていた。

 ……やはり、進まねばなるまい。

 今向いている前が本当に前なのかはわからないが、とにかく、進まなければならないだろう。


「行くか」


 やるべきことを声に出して自分の志向性を強める。

 そうして、俺はわけもわからないままで前へと進むことにしたのだった。



  ※  ※



 しばらく進んでみるが、何もない。

 本当に何もない。

 いや、訂正しよう、森があった。

 森である。

 紛うことなき、木々が立ち並ぶ森があった。

 やはり、ここに入らないといけないのか。


「森、かぁ……」


 俺のその声には多分に嫌な感情が混じっていた。

 森は『ファンタニア・ワールド』ではわりと定番のステージだ。

 街と街の間にはたいてい途中であったし、なんならそれが一個のダンジョンとなっているものもあった。

 ちなみに、わりと珍しい、俺の得意なステージでもあった。

 周囲からの非難が無ければ、という言葉が付くが。


 森林エリアは開発者たちの巨剣士という悪ふざけのような職業に対する優しさで満ちていた。

 その優しさは一点に集約される。

 その木々が破壊可能オブジェクトであったこと。

 つまり、極めて珍しい、地形破壊が可能なエリアだったのだ。

 実際、初期から巨大な武器を振り回していた俺はかなり助かった。

 なにせ、モンスターを遮蔽物ごと攻撃できる。

 今までせこせこと上から敵に振り下ろすという、馬鹿でかい武器の癖に単体攻撃が強要されることが多かった俺にとって、横に薙ぎ払い数多の敵を一気に殲滅することが出来るのは、もはや快感すら覚える行為だったのだ。

 気を良くした俺は森林エリアで序盤はレベル上げを行っていたのである。


 しかし、そこで一つの過ちを犯してしまうハメになる。

 つまり、森林エリアが切り株エリアとなってしまったのだ。

 馬鹿でかい武器でモンスターを木々ごと切り倒しながら殺し続けた俺は、僅か一週間で完全伐採を成してしまう。

 メンテナンスが入れば修復するのだが、俺の伐採速度は運営の植林速度を上回っていた。

 結果、そこで採集可能な木の実などのアイテムが長い時間手に入れられなくなってしまったのだ。

 今でこそ【破壊天使】なんて二つ名として定着してはいるが、当時は俺のこの行動を揶揄する意味で付けられた軽蔑の名であったのだ。

 いや、もしかすると、モンスターも木々も、たまに途中で紛れ込んできたプレイヤーも一緒くたに倒し続けたことが原因だったのかもしれない。


「此処、あなただけの狩場じゃないんで」


 あるプレイヤーから指摘されたこの言葉は、俺にも頷くことしか出来なかった。

 まぁ、そのような経緯から、俺は早々に適正レベルが高く、それなりに広い上に何も無い荒野エリアへと狩場を移さざるを得なくなったのである。


 つまり、簡単に言えば、俺はちょっとしたトラウマになっているような森というエリアが好きではないということだ。

 しかし、そんなことを気にしていても変わらないだろう。

 プレイヤーから注意されたとしても誰かに会えるだけでもありがたい。

 それに、今は武器を持っていないのだから、もし戦闘になったとしても……

 そこで、俺はまたしても呆然とした。


「戦闘?」


 そう言えば、ここが何処かはわからないが、もし敵性存在と出会った場合、俺はどうやって迎撃すればいいのだろうか。

 いや、そもそも、こんなわけのわからない場所で常に安全だと思っていることがそもそもの間違いなのでは?

 今の俺は何も持っていない状態だ。

 例えゲームのスキルが使えたとしても、それは巨剣師としてのスキルであって、無手で発動可能なものはバフぐらいしか存在しないし、それも巨剣という武器があってこそだ。

 つまり、俺は(地面に亀裂を走らせることが可能な膂力のある)か弱い幼女でしかないのである。

 せめて、武器があれば良かったのに、と、俺はゲームで愛用していた剣(全長4メートル弱)へと思いを巡らせた。

 その時、


「お?」


 なぜか脳内にこう、びびびっとした何かが走る。

 なんだろうか、この、具体的に説明できないものは。

 この感覚を簡単に言えば、俺は今、愛剣を持っている、という確信だ。

 実際には今存在していないが、何故か俺は愛剣を持っているという確信がある。

 むしろ、いつでも取り出せるような状態だとすら思える。

 えーと、どうすればいいんだろうか。

 つまり、インベントリ的な何かを開く感覚で、愛剣を選択したような風味を加えてやれば……


 そうやって俺が色々と考えていると、


「誰か、誰かぁ!! 助けてくださいぃ!!」


 森の中からそういう切れ切れな声が聞えてきた。

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巨剣士シュリアの冒険 夜未 @yorumix

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