あとがき

あとがき

はじめまして。

蒼生真と申します。

この度は処女作『オイシイ関係』を読んでいただき、もしくは興味を持ってくださり、本当にありがとうございます。

今作はいかがだったでしょうか?

もちろん好みに合わなかった方もいれば、幸いなことに面白いと感じてくださった方もいるかもしれません。

それでも少しでも「この作者…やべぇな……」と思ってくださったなら本望です(笑)

ここからは蛇足ではありますが、作品を書いた経緯のようなものを示しておこうかと思います。

以下ネタバレを含みますのでご注意ください。


  ○  ○  ○


 この『オイシイ関係』の元となる短編小説ができたのは、たった3日間の出来事でした。当初ショートショートにするつもりで書いていたはずが、どうにも書きたいことがまとまらず短編として完成させました。そうしてできた1万字ほどの短編を3カ月かけて推敲を施したものが今作の1話目となります。本来なら彼らの話はそこで終わるはずでした。しかし、私の中の彼らへの思い入れが尽きなかったのです。3日間で作り上げられた彼らの生活が描き切れなかったことが心残りとなりました。寝ても覚めても書きたいエピソードが増えるばかり。そうして続編を製作することを決めました。その結果が10万字です。我ながらよくやったものだと思います。そのために様々なことを犠牲にしましたが、不思議と後悔はしていません。

 作品には作者の体験や性格が反映されるというのは文豪たちにもよく見られることで、私も例外ではありませんでした。今回の登場人物たちも、全く違う性格を持ちながら、どこかしら自分の鱗片を感じます。1話目の主人公の感じていた疎外感、2話目の友人の卑屈さ、遠野の例の事件、形はどうであれそれらは全て私の実体験なのです。こういった体験はよくあることでありながら、あまり共感を得づらいことでもあります。友人に話をしても、その時に適切な言葉を選べていなかったり、相手が完全に理解してくれているとは限らないのです。そういった意味では、実際の感情に比較的近いものを表現することができる「文章」という媒体は最適な手段でありました。自分の性格が嫌い、人間関係が嫌い、社会の仕組みが嫌い、そんな感情を抱いたことは案外よくあることではないでしょうか。そういった嫌われものは周囲にも嫌われていくものです。一番長く付き合っている自分が許せないことを、何も知らない他人が理解してくれるなんてことは滅多にありません。その結果がいじめであったり、差別であったり、切り捨てだったりします。世間から見れば、現在の私は若輩者に分類されるのですが、若いなりに周囲を観察してきたつもりです。そういった不条理にもさらされてきた身でもあります。異端者が排除される。それは生物の本能的なもので仕方ないことではありますが、自分が否定されたときのあの何とも言えない虚無感は何度体験しても慣れないものです。しかしだからこそ自分のことを認めてもらえた時は、嫌な時のことなど忘れて全てを肯定することができるのです。自分という判断基準が揺らいでいる、いわゆる「自信のない状態」では否定することはできても、肯定することは難しい。今作『オイシイ関係』では、思考が自己完結してしまっている人々が多々出てきますが、他人との干渉によってそれは変化し、心を動かすことができるようになります。これも私の体験であり、心の支えでもあります。無理に他人に干渉する必要はありませんが、最低限心を生かしてやるという点では、他人からの評価は必要だと感じます。好きなことにせよ、嫌いなことにせよ、肯定してくれる相手がいればやる気や嬉しさは何倍になります。だからこそ人は、仲間や友人と言った肯定してくれるくくりを作りたがるのではないでしょうか。吸血鬼である主人公にとってただ1人の友人は、言葉のまま友達のような、ペットのような、ビジネスパートナーのような絶妙なバランスを保った人物です。素直に親友等の形容詞をつけることができないのは、彼が今までそういった存在を作ったことがなかったということと、自分の性癖への背徳感や、お互いに腹を明かさないような緊張にあると思います。そのうち少しずつ打ち解けてはいくでしょうが、踏み出し難いのはお互い様なのです。今までは厄介で知ろうともしなかった人間が、自分の許容する範囲に入っていると分かれば知りたくなる。これもよくあることではありませんか?あまりいい例ではないかもしれませんが、ペットがそんな感じです。他人が飼っているペットよりも、自分が飼っているペットの方が可愛く見えるものですし、何かいたずらをされたとしても許せる。見返りを求めず色んなことをしてあげたくなる。主人公にとっての友人は、ペットや所有物とまではいかなくても、特別な関係があるというだけで愛着が湧き、離れられない存在となりました。主人公にとっては初めてそうなる相手があの友人だったというだけで、頭の良い吸血鬼の彼はきっとそこからは他にももっと良い関係を築いていくことが出来るでしょう。

そして忘れてはならないのが遠野の存在です。遠野と主人公は同族嫌悪の象徴として描きました。遠野は主人公と同じ吸血鬼であり、同じく孤立した人物でもあります。彼は主人公が『関係』を作ることが出来なかった未来の姿です。何も信じることが出来ず、完全な孤立を選んだ遠野は、野心のみで生きています。表面上は馴れ馴れしく接してきてはいても、心を許すことはできない。一方1人とはいえ、心を開ける相手を手に入れた主人公は目的はなくとも、あくまで前向きに生きていきます。根本は同じでも考え方や乗り越えた事象に応じて、人生はいかようにも姿を変えるのです。

 さてさて。作品のテーマについても語っておかなければなりません。この作品のテーマは『告白』『ぞくっとくる描写』『再読したくなる』『声に出したくなる文章』など多岐に渡ります。そしてこれだけ食べる描写について書いておきながら、私自身は食べることがあまり好きではありません。特に熱の通っていない食べ物全般がダメで、サラダなどは一切食べられません。信じてもらえないことが多いのですが、幼い頃から偏食気味で、少しでも味がダメと感じてしまったら全て吐いてしまいます。学校の給食には苦しめられたものです。少しでも残そうものなら先生からネチネチと文句を言われ、説教をされ、毎日辛かった。自分が不味いと思う食べ物を美味しいと言って食べるクラスメイトを、自分とは違う生き物なんじゃないかとも思いました。それが今回の吸血鬼に当たります。自分と姿形は同じであるのに根本的に何かが違う。そんな存在がすぐ身近にいる。なんだか気が気じゃありませんでした。また、今まで小さいものではありますが3回ほどいじめじみたものも受けていました。今回の差別や排除といった思考はここから学びました。そのおかげで部活動や読書に没頭できたことには感謝していますが、自分の精神が確実に歪んでいくのを実感しては、何か対策をせねばと焦っておりました。しかし、そんな時も私と接してくれる友人や先生、家族やペットの存在は本当に心強いものでした。私の人生には色んなことがありましたが、それらは全てこうして糧となっているのです。

 今作『オイシイ関係』はかなり癖の強い作品であることは自覚してますし、文章や表現の稚拙さも重々承知の上です。それでも、どうしても作品を通して伝えたい事というものがありました。作品を書き終えた今となってはそれが皆様に伝わってくれていることを祈るばかりです。

執筆中はとにかく楽しかった。

投稿後はひたすら達成感に浸っていた。

感想や評価をもらえて嬉しかった。

そして月並みの言葉でしか表現できない自分を恥じつつも、こんな感情を持つことができたことが誇らしかったりします。

誰に求められているでもなく、こうして物語が書きたくなってしまうのは若気の至りというやつかもしれません。それでも、こうしてひとつの作品を完成させることができたことは、少なくとも私の人生にまた影響を与えたはずです。そして皆様にもきっと何かしらの糧を与えたはずなのです。

そして、その事実がどうしようもなく嬉しいのです。

どうか、私の小説で、誰か心が救われていますように。

これが物語を作る上での私の願いであり、目標です。

私の目標が達成できているか。

些細なことでも教えていただけたら幸いです。

繰り返しになりますが、この度は『オイシイ関係』とこの長々としたあとがきを最後まで読んでくださってありがとうございました。これからも精進していきます。


それではまたどこかでお会いできることを楽しみにしています。


2017年1月某日

蒼生真

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オイシイ関係 蒼生真 @esm12341

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ