オイシイ関係 スピンオフ3

僕の名前は「カザママサト」といいます。

先日、例の実験で監禁された吸血鬼の方です。

性別は男性。

年は27才。

身長は187㎝。

体重は71㎏。

家族構成は父と母、そして兄が1人。

そういえばもう何年も会ってませんね。

特徴はこの身長と、整っていると言っていただけることの多い顔でしょうか。

趣味は、友人と食事をすることです。

友人といっても1人しかいませんがね。

趣味は、他人の食事をしている姿を見ること。

人間の方からしたら、血を飲むこともこちらに分類されるかもしれません。

お気に入りは「カザママサト」さんの食べ方です。

この方は僕と一緒に監禁されていた人間の方です。

とても素直で、良い方ですよ。

先程本人から説明がありませんでしたか?


  ○  ○  ○


 ひと通りの料理を頼み終わり、ビールの入ったグラスを片手に乾杯した瞬間、友人の携帯端末が鳴った。

顔が引きつったところを見ると、おそらく会社からの電話だろう。

「お仕事の電話ですか?」

「あぁ…うん……。」

僕が聞くと、友人は生返事をしながらカバンを漁り、資料を引っ張り出した。「あんま変なこと言うなよ」と家族に念を押してから、通話ボタンを押す。応対をしながら席を立つと、外を指さすジェスチャーをして店から出て行ってしまった。料理が来る前であったことに安堵しながら、彼は何をどやされるのだろうと想像して目を細める。

視線を戻すと、そこには何かを期待した様子で僕を見る友人のご家族の姿があった。

「何か…?」

対面してから時間が経っていないし、僕にとっての特別な友人の家族という事もあり、まだこの2人の扱いに戸惑いがある。憶測で行動するのはあまり良い傾向ではない。こういう時は相手のしたいようにしてやるが得策だ。

にこりと微笑んで見せると、2人はようやく僕を凝視していることに気付いたようだった。

「あぁ…ごめんなさい。あまりに素敵な人だから驚いちゃって…。」

彼のお母様が口元に手を当てながら微笑み返す。そういう社交辞令はよく言われる方だし慣れているが、あとに続いたホノカさんの言葉は違っていた。

「それにしても…まさかあのお兄ちゃんに友達ができてるなんてね。」

「初めて見た時には人違いかと思ったわ。てっきり上司の方に連れ回されてるとばかり…。」

「まぁ上司ではありますが…。」

「でもあまりに身分違いというか、あんなのと一緒に食事するような方がいたとは…。」

「ほんとふっしぎー!」

少しだけ、友人に同情する。家族にしてもあまりにかわいそうな言い草だ。さすがの僕も言葉に詰まってしまったので、とりあえず笑顔を崩さないことに徹する。

「お兄ちゃんって食べてる時めっちゃ自分に集中してるし、話しかけると今度はめっちゃ話し出すし、情緒不安定っていうか…?昔からの癖なんですよねぇ。」

「あの子も困ったもんよねぇ。こっちでやっていけるとは思えないわ。」

女性2人の話は止まりそうもないし、口を挟むのもどうかと思う。心の中で友人に謝っていると、ホノカさんが僕を見てハッとした。

「あっ…ごめんなさい!こんなこと言ったら誤解しちゃいますよね!これじゃまるでお兄ちゃんがめちゃくちゃ根暗のボッチ野郎見たいですよね!…あれ?あながち間違ってないかも?」

「いやぁねぇ。ホノカちゃんそんなこと言ったらお兄ちゃんが可哀そうよぉ。」

「本人がいないからいいのいいの!」

「うふふふ。それもそうねぇ。」

そう言って大きな声で笑い合う親子。

女性の怖いところはこういうことを平気で言えてしまうことと、それを笑い飛ばせることだと思う。

普段は仕事の話くらいしかしない僕にとって、こういう時に話のネタがない。僕と彼女らの共通の話題と言えば彼のことだが、僕以上に彼のことを知っている2人に話すことなどあるのだろうか。

ひとしきり笑った後、2人は私に向き直った。

「あぁ…話が反れちゃいましたね。それで、あのいっつもひとりで友達を家に呼ぶどころか遊んだこともないようなお兄ちゃんが、まともなお友達ができて、一緒に楽しんで食事できてるなんて私達からしたらびっくりなんですよ。」

「そうなんですか?」

僕が返答すると、彼の母親が続けた。

「えぇ。学生時代も帰宅部で、特に趣味らしい趣味もなかったもんだから、そういう話もなくって…。学校のことを話すような子でもなかったし、私達でさえ普段何をしてるのかもよく分からない。あの子が実家から出るって聞いた時には驚いたもんです。」

昔を思い出しているのか、視線が遠くなる。その口調からして、どうにかやっている息子の成長を誇らしく思っているのだろう。

「息子とはどこでお会いしたんです?」

「この居酒屋で隣席だったんです。今日からちょうど1年前になりますね。それもあって、今日はここで食事することにしたんです。」

「へぇ…。お兄ちゃんがここにね…。」

ホノカさんが、ちびちびとビールを煽りながら居酒屋にしては小綺麗な店内を見回す。きっと金銭面について考えているのだろう。そういう顔だ。

「その時、彼はお酒1杯だけで飲んでいらして、僕の焼き鳥を一緒に食べたんです。その時に意気投合して…。」

「あぁ、それで。」

ホノカさんはようやく納得したようだった。

なんとも不憫な友人である。

「おかしいと思ったんですよー。いつも同じ行動しかしないお兄ちゃんが、ここ1年くらいやけに外出が多かったので。」

「その時は電話も通じないのよねぇ。きっとお話に夢中で気づかないのね。」

電話が通じないのはお互いの食事に集中するために電源を落としているからなので特に気にすることはない。

それよりも、嬉しそうに笑う母親と、神妙な顔つきで言うホノカさんの言葉に何か引っかかりを覚える。

「何だかお兄様の行動を全て把握しているような口ぶりですね?」

余計なお世話と思いつつも指摘すると、ホノカさんは待ってましたとばかりにニヤリを笑った。

「うふふ…。お兄ちゃんの携帯端末にはGPSが仕込んであるんです。都会って色々物騒だから、心配で心配で…。お兄ちゃんは純粋ですぐに人を信じちゃうので変なことに巻き込まれたら大変ですから。こうしておけば何かあればすぐに確認とれますし、お兄ちゃんは嘘を吐くのがへたくそなので電話すれば安心です。あっ本人には言ってませんよ?絶対文句言うので。」

どうやら、妹さんは思っていたよりも上手のようだ。

「過保護とお思いになるかもしれませんが、あの子は昔色々と問題がありまして…。心配なんですよ。」

「そうですか。」

お母様もホノカさんの行動を容認しているようだった。

その問題というのは、彼が告白してくれている性癖のことなのだろうか。それともトラウマの一件のことだろうか。聞きたい気持ちはあったが、楽しい食事の席で聞く話でもないだろう。僕はそのまま聞き流すことにした。

「だからあの中継を見たときにはびっくりしたんですよ!頼まれたってあんなものに出るような度胸なんてない男なのに!しかもあんなふうにTVで堂々と発言ができるなんて思ってなかったんです。演技ができるような人間でもなければ、自分の考えを口に出すような人でもないから。」

「たしかに、普段の彼は、どちらかというと周りに合わせて行動するタイプですしね。」

その点では僕も同意する。

「でもちゃんと自分の意思で行動するところもあるので、考えをしっかり持っている方でもあります。」

「お兄ちゃんのことよく分かってるじゃないですか~。」

「それほどではありません。これも仕事の内です。」

ホノカさんとは妙な形で意気投合していると、お母様が嬉しそうに頬に手を当てた。

「こんな人と出会えて、あの子も私達も幸せだわ。」

「おふたりもですか…?」

僕が首をかしげると、不思議そうな顔で返されてしまった。

「当たり前じゃないですか!昔はめっちゃふさぎ込んでたお兄ちゃんがあんなに楽しそうにしてるんですよ!超心配してたんですから!これが幸せじゃなかったら何が幸せだっていうんですか!」

ホノカさんにも熱弁されてしまった。

想像以上の熱量に少しのけ反る。

ヒートアップするホノカさんをなだめながら、お母様が続ける。

「家族が幸せならみんな幸せになるもんじゃないですか。今のあの子の幸せは、私たちじゃあ与えられないものだからなおさら幸せ者です。」

「…それもそうですね。」

そんなものなんだろうか。

口で肯定しながら、僕はなんだか納得しきれずにいた。

家族という概念が薄い僕には、あまり理解しがたい感覚だ。

「帰ったらお父さんにも報告しなくちゃ。」

「そうね。きっと喜ぶわ。」

そう言い合う友人の家族の顔は、確かに幸せそうに見えた。

きっと彼女らにとってはそれが真実なのだ。

無理やり結論づけたところで、頼んでいた品々が運ばれてきた。

「お待たせいたしました。こちらがモモのタレと塩。それとレバー、タン、皮、ネギマ…あとサラダの盛り合わせとレモンですね。お好みでどうぞ。」

ひとつひとつ説明された皿が、テーブルを埋めていく。それを見ていたホノカさんとお母様は小さな歓声を上げていた。

「美味しそうねぇ。」

「うん!お肉も大きいし、さすが有名店って感じ。」

店員はそれらを見て、笑いながら「ごゆっくりどうぞ」と言った。

女性2人は流れるような動作で皿と箸をとりわけ、どの肉を食べようかと算段を立てている。最初のひと口に優柔不断なのは家族譲りのようだ。

僕はその様子を、肉の湯気越しに見ていた。

「それにしてもお兄ちゃん遅いね。」

「そうですね。」

もう席を外して20分は経っているだろうか。込み入った話にでもなってしまったのかもしれない。上司権限で彼を呼び戻してもいいのだが、彼が「僕が彼女らの食事を見るのを嫌がる可能性がある」ということに気が付いた。彼は嫉妬深い人だから、僕が他の人の様子を見ることをあまりよく思っていない。それだったら、今のうちにその様子を見ておいた方がいいだろう。

というわけで早々に彼女たちをけしかけてみる。

「料理は出来立てが一番ですから、彼には悪いですが先に食べてしまいましょうか。」

そう提案すると、僕の予想通りに向かいの女性陣は目を輝かせた。

「そうよね。美味しいうちに食べたいものね。」

「ふっふっふ~。空腹には耐えられないのだよ!」

思い思いに理由を上げ、いそいそと箸を手に取る様子は、まるで子どものようだった。そこにも友人の姿が重なり、なんだか微笑ましくなる。

「レディーファーストでどうぞ。僕はいつでも来られますから。」

「あら。じゃあお言葉に甘えて…。」

「ありがとうございまーす!」

それぞれ品定めをしている姿は、口出しするのも憚られるほど燃えている。

そうしてさんざん迷った後、お母様がタレのモモとネギマ、ホノカさんはモモをタレと塩をひと串ずつとタンを自分のさらに取り分けた。

僕はとりあえず迷っているふりをしつつ、時間を掛けて塩のモモをひと串と、サラダを少し皿に取る。そして水をひと口飲みながら、今日の食事鑑賞を始めた。

まずはお母様だ。

淑女らしく串から肉を外し、まだ油でぬめる串を空の皿に置く。肉同士が離れることによって湯気の量は倍になり、それが顔まで到達した瞬間、お母様の目がうっとりと緩んだ。これからおとずれるであろう肉の旨味に期待すればするほどあふれる唾液を一度飲み下し、ひと口目を頬張る。熱さをものともせずに噛みしめれば、肉の味を認識した瞬間に目が見開かれた。

「美味しいわぁ!お肉がとっても柔らかくってホロホロよ!ホノカちゃんも食べて見なさい!」

「はいはい。ちょっと待ってねぇ…。」

ホノカさんが口元をナプキンで拭えば、紅がとれ、桜色の唇が姿を現す。そうしてから串を手に取ると、湯気の溢れる肉に息を吹きかけた。まるで蝋燭の火のように一瞬にして湯気が消え、そしてまた立ち上る。どうやら熱いものが苦手なようで、お母様が2つ目の肉塊を食べ終わるまでしっかりと肉を冷やし続けていた。

ここで不審に思われないために、僕も自分の食事を始める。とりあえずサラダをひと掬いして口に突っ込んだ。よく噛むフリをしながら、またホノカさんへと視線を戻す。

多少湯気がおさまった串を満足げに見た後、ようやく串ごと肉を口に入れた。まだ用心しているようで、ひとかけら口に入れることはせず、ひとつの肉に噛り付く。その瞬間あふれる肉汁の熱さに顔をしかめながら、筋に沿ってうまく歯を入れ、難なく肉を引き離した。そのせいで串に残った肉の断面は、ほつれた布のようになってしまったが、歯型がつくことはなかった。食べ方はワイルドだが、最低限のマナーはわきまえているようだ。

「あっつー……。でも美味しいー!すっごい!こんなお肉初めて食べた!」

「そうでしょう!そうでしょう!」

「お兄ちゃん。こんな美味しい食べ物を食べておいて私達に教えなかったなんて罪深いわ……!」

「ほんとねぇ!」

肉のうまさに感動するご家族を見ながら、僕も2つの欲を満たしていく。

今日もいいものが見れた。

友人が食事をする度に「アンタも食べろ」と言ってくるのは、この2人の影響が強いかもしれない。

そんなことを考えていると、ふと傍に人気を感じ、顔をあげる。友人が帰ってきたとばかり思った僕は「おかえりなさい」と言いかけて、口を閉じた。

なぜなら、そこにはげんなりした顔で資料を抱える友人と、遠野の姿があったのだ。

「なんか…スマン。」

「やぁやぁ久しぶりだねぇ!いやなに。ちょうど道で盛大に資料をぶちまけておろおろしている少年を見つけてね。ご一緒してもいいかな?」

陽気に挨拶をして見せる遠野を見て、お母様とホノカさんは「会見の人…!」「遠野⁉」と驚いていた。あれだけ顔出しをしていたのだから有名人になっているのはしょうがない。それは僕と友人も同じだ。

僕はというと、友人に向けるはずだった笑顔を消し、嫌味のこもったスマイルに切り替えた。

「…なんであなたがここにいるんです?あなたをここに招待した覚えはありませんが。」

「それどころか私がセッティングした誘いも断ったよねぇ?悲しいなぁ…。」

「…何の用ですか?」

僕が凄むと、遠野はお手上げのポーズをして見せた。

「君には色々と冗談が通じないねぇ…。君たちともっとお近づきになりたいんだ。分かるだろ?」

「分かりかねます。」

「しかもこんなに素晴らしい女性2人も引き連れて…つれないじゃないか。」

「あなたに食事を邪魔されるいわれはありませんよ。お引き取りください。」

「そんな邪険にしないでくれよ。お相手さんが怖がっているよ。」

言われて目をやると、気まずそうにしている女性陣が、こちらを見守っていた。

「あの…私達お邪魔なようでしたら帰りますよ…?息子の顔も見れたことだし。」

「邪魔だなんて滅相もない。まだまだ食事も途中だし、むしろ大歓迎だ!ねぇ少年。」

「…俺は別にいいんスけど……。」

突然話を振られた友人は、僕の顔色を窺いながら譲歩案を口にする。おそらく、外で助けられたことに恩を感じているのだろう。ここであまり強く否定すると、彼のご家族に悪い印象が付く。

「………君がそう言うなら…。」

ため息交じりにつぶやくと、遠野に「さすが!」とウインクをされたので、わざとらしく目をそらしてやった。

「おや?せっかくの席に日本酒がないじゃないか!飲めないわけではないだろう?焼き鳥には熱燗だよねぇ。そこの君!椅子をもうひとつ。追加注文もいいかい?」

「はーい!少々お待ちくださーい!」

店員に声を掛けながらメニューを開ける遠野。僕はその間に友人を引き寄せ、遠野との間に自分が入るように荷物を動かした。それを見た遠野は僕を見て軽く鼻を鳴らす。

「君はそういうところが子どもっぽいねぇ…。可愛いとは思うけど、あまりに露骨だとさすがの私も傷つくよ?」

「危険人物のあなたが悪い。このくらいは我慢してください。」

「そんなに私の隣に座りたいなら、言ってくれればいいのに。」

遠野はなぜか嬉しそうに言った。

僕はイラっときたので、心の中で中指を立てる。

お互いの間に火花が散ったのが見えた気がした。

「さてさて、それじゃあ交流会を始めようか!」

「もちろんあなたのおごりで。」

「可愛い後輩のお願いじゃあしょうがないなぁ!」

「後輩とは誰のことでしょうか?全く身に覚えがありませんが…。」

「人生の後輩には変わりないだろう?」

「屁理屈がお上手なようで。」

僕らの静かな攻防に、彼の家族は困ったように笑うばかりだ。

大人気ないとは分かっていても、僕が折れるのは癪に触る。

あっちが折れるべきなのだ。

「……お前ら…お願いだから仲良くしてくれ………。」

か細く聞こえた疲れた友人の声にハッとする。

友人の頼みとあれば仕方ない。

僕は遠野の相手を止め、再び彼のご家族に奉仕するべく、椅子に座り直したのだった。


  ○  ○  ○


「お嬢さん2人は私が送っていこう!まだまだつもる話もあるだろうしさぁ!」

「さっすが遠野さん!分かってるー!」

すっかり意気投合した遠野とホノカさんが「イエーイ!」とハイタッチする。酒に酔ったのか、元々なのか、妙にテンションの高い遠野が僕たちを見ながらまたもウインクした。その意味はあまり考えたくない。

「じゃあ…。」

素直に従おうとする友人へ、すかさず釘をさす。

「一応少しは疑った方がいいと思いますよ。君は他人を信じ過ぎる。特にこういういかにも悪い男には、もっと警戒心を持って接することを覚えてください。」

「えぇ〜。こんな紳士他にはいないと思うけどなぁ。ねぇ。」

「そうですよー!遠野さん面白い人じゃないですか!」

「えぇ。こういう時は『いい人』を連呼すると悪いことはできなくなるもんですよ。」

「おぉ…!さすが少年のお母上。よく分かってるなぁ。いや、参った。」

なぜか猛抗議を受けてしまった。さすがの僕も、ここまで言われてまた説得するほど野暮ではない。というか、酔っ払いは面倒くさい。

僕は遠野をにらみながら、続けた。

「まぁ…とりあえず信用はしているので、変なことしないでくださいよ。何かあった時には、もうなんの誘いも受けてやりませんからね。」

「それってちゃんとしたら一緒に食事会してくれるってことかい?言質は取ったからね?」

「やるとは言ってません。前向きに検討して差し上げるという善処です。」

「素直じゃないんだから〜。分かってるよ。しっかりエスコートさせていただこう。」

そう言って遠野は自然に女性2人の間に入った。それを嫌がられないくらいには遠野も紳士である。

「マサト。」

彼のお母様が息子の名を呼んだ。自然と自分の名前を呼ばれることになり、僕も背筋が伸びる。

「今日は安心したわ。何とかやっているようで。」

「うん。いつも心配かけて悪い…。」

「そうだよ。たまには帰ってきなよ?」

ホノカさんの言葉と、お母様の優しい視線を向けられて、友人は照れくさそうに頷いた。

僕が経験したことのないその関係を、少しだけ羨ましいと思った。


 大きく手を振るホノカさんと会釈し続けるお母様、そして「あっちに車を用意させてあるんだ」と上機嫌の遠野を見送った後、僕は友人と駅に向かって歩いていた。来た時よりも人通りは少なくなっていて、僕らはちゃんと肩を並べて歩くことができた。

「アンタって、遠野さんのこと嫌いな割に正直だよな。」

「はぁ?どのあたりが…。」

露骨にうんざりして見せると、友人は笑った。

「いや…。ちゃんと信用してるって言ってやるあたり、すごく優しいと思うけど?」

「こういうのは言葉にしないと伝わりませんし、嘘を言うと後でバレた時に何を言われるか分かったもんじゃないですから。」

「あぁ…たしかに……。」

友人が何度も頷いている。酔っていることもあって、いつもよりもオーバーリアクションをしているように見えた。

「経緯はどうであれ、あの人には感謝してるんですよ。君と同じ職場になったり、なんの制限もなく普通に行動できるのも、あの人のおかげなんです。」

「確かに…。あの時はどうなるかと思ったぜ…。」

「僕もです。」

2人で声を出して笑った。今日は僕も酔っているのかもしれない。

少なくとも、自分が心と体が高揚しているのは分かっていた。

だから酔いのせいにして、ずっと疑問に思っていたことを投げかけてみることにした。

「マサトさん。」

「何だよ。急に改まって…。」

友人が仏頂面で僕を見た。名前を呼ばれることに慣れていないから照れているのだ。

僕はいたって真面目に問うた。

「幸せって何でしょうか。」

「はぁ?突然どうしたんだよ…?」

友人の顔が、怪訝なものに変化する。

その疑心じみたものを取り払うために、僕は笑顔をつくった。

「先程お母様とホノカさんがしきりに幸せだ幸せだと連呼していたので、改めてどういうことなのか、と思っただけです。」

「俺がいない間に何話してんだか…。」

友人は少し呆れ顔になった。

「昔から僕は疑問だったんです。周りにいる人たちは簡単に幸せだとか、好きだとか、楽しいとか、死ねばいいとかいう大事なことを簡単に口にしていました。当時は精神年齢や価値観の違いだとか、人間と吸血鬼の差だと思っていたのですが、どうやらそうでもないらしい。僕にとってそれらの言葉はとても繊細で、重要な言葉だったので、自分の中で決めたいくつかの項目を満たしていなければ口に出さないものでした。さらに言えば、今まで本心から発したことのない言葉でした。」

「ごく最近までね」と付け加えると、友人は気まずそうに目を逸らした。もちろん彼のことを言っている。分かってくれたようなら嬉しい。

「でも彼女たちは何度も言っていました。見る限り嘘を言っているようにも見えません。全部本心から言っているように見えました。幸せになりたいという願望ならまだしも、断言してしまいました。僕には理解しかねます。でも、それが不思議なんです。できることなら、理解したい。」

友人を見つめていると、視線が僕の元へ戻ってきた。

「お袋はともかく、ホノカの場合は深く考えてないだけだと思うぞ。」

「そんなことありませんよ。ホノカさんはきちんと考えを持っている方です。今回だって、あのお二方は君に会うためにここに来たんですよ。」

「はぁ?さっき俺に会うつもりなかったって言ってたじゃねぇか。」

「それはきっと恥ずかしかったんでしょう。君の携帯端末のGPS機能で場所を突き止めたみたいです。ご本人がおっしゃってました。」

「はぁ⁉こっわ!!」

友人は顔面蒼白になって自らの携帯端末を操作するが、それを解除する方法を見つけることはできなかったようだった。

「あいつ…何やってんだよ……。どおりで毎回連絡してくるタイミングがいいと思った。」

「ご家族も君のことが心配なんでしょう。」

「そうだとしても、本人に無断でやるなんて言語道断だろ。帰ったら文句言ってやる。」

そこでプログラムを解除させてやるとは出てこない所、この友人はどこかしら甘い。そうやってツメが甘いから、ふとした時に料理をこぼしたりするのだ。

「それで、幸せが何だか分からないって…?」

そのまま流してもらおうかと思ったのに、友人は話題を戻してくれた。それを嬉しく感じながら、言葉を続ける。

「はい。残念ながら、ごく最近までそういった感情を持ち合わせていなかったので…。」

僕のいた家庭は幸せと言えるようなものではなかった。吸血鬼自体が他人に無関心な傾向にあるとはいえ、僕は人間の食事を見たいがために自らも家族から距離を取った。始めこそ不思議そうにしていた家族や仲間たちは、僕が異常なことが分かると、自然と離れていった。そうしてできた溝は、いつしか広がっていき、対岸は一切見えなくなった。ある意味で食事を見ている時が幸せだったのかもしれないが、それはホノカさんを始め、周りの言っている『幸せ』とは何かが違っていると分かっていた。本心からそういう感情がもてること自体に憧れていたのかもしれない。

「他人のことを喜ぶとか、そういうのもよく分かりません。でも、君のことで幸せと言ったホノカさんたちは、確かに幸せそうだったんです。」

「…そうさなぁ…。」

友人は立ち止まった。

僕もつられて立ち止まった。

人が少ないせいで、僕らを邪魔する者はいなかった。

彼が僕の目を見る。

そこで少しドキリとしたのは、彼の目がいつも以上に煌いていたからだ。

「もし、俺が今幸せかって聞かれたら、幸せだって言えるぜ?」

それを聞いて安堵すると共に緊張した。

その理由もよく分からなかった。

「条件のいい職場に、優秀な仲間、まだまだ現役の家族。これだけじゃない。言葉にしきれないくらい幸せに囲まれてるなって思える。俺の過去はぶっちゃけ俺にとっての黒歴史だ。しかも、それが性癖って形で今も残っちまってる。それが結構クるもんでさ。」

はにかむように笑う彼の顔には憂いが見える。そこには自分と重なる部分があり、僕も心が痛かった。

「でも俺には、いい理解者がいる。この幸せはそこから始まったんだ。」

その理解者とは僕のことだ。

そのことには自覚があった。

友人がポツリポツリと言葉を紡ぎながら、間をつめてくる。

「幸せって、定義がないんだよ。金があれば幸せってやつもいれば、友達がいれば幸せってやつもいる。世間一般に言う幸せっていうのは、けっこうみんな持ってるもんで、それなのにそのまま満足するヤツっていないんだよ。結局は自分の尺度だ。それが俺にとっては今の生活が当てはまる。」

目を合わせながら、呼吸を合わせながら、ゆっくりと僕の目の前へ。

「俺は人生の終わりに『幸せだったなぁ』って思えたらいいと思う。俺たちはどうあがいたって自分以外の何者にもなれない。今の俺が明日死ぬとしたら、確実に言えるぜ。そう思えるようになったんだ。」

そう言って友人はにかっと笑った。

「アンタはどうだ?幸せが分からなくても、そのくらいは分かるだろ?」

世間一般的な幸せとは家庭があり、趣味があり、人生が充実していると感じることにあるのかもしれない。僕には家庭はまだないし、欲しいと思ったこともない。食事を見るという事以外に関して何か欲しいと思ったことはない。

さらに言えば、彼は人間で、僕は吸血鬼だ。

根本的に何かが違っている。

しかし、思えばこの友人のことを見つけた時、僕はどう思っただろうか。

『逃したくない』

そう思ったのではなかっただろうか。

「俺にとっての幸せはアンタありきだ。それは忘れんなよ。だから、これからもよろしくな。」

僕は彼が差し出した手をそっと握った。

あの時とは違い、向かい合って強く握手をした。

触った場所はチリチリとしびれるような、それでいて心地よい体温で、その手を離したくないと思った。

「幸せ」の概念が分からなくても、これだけは彼と共通している。そう思いたかった。

「はい。こちらこそ。君を失うつもりは毛頭ありませんから。逃げないでくださいね。」

反射的に引かれそうになった手を、グッと引き止める。ついでに距離も詰めてやると、友人は情けなく笑った。

「やっぱアンタ怖いわ…。」

「君に言われたくありませんね。」

「そりゃどういう意味だ?」

「分からなくても全く問題ありませんから聞かなくてけっこうです。」

「あー…じゃあそうしておくわ。」

友人はケラケラ笑いながらまた駅に向かって歩き出した。

僕もそれに続く。

初めて迎えた朝も、こんなことをしていたことを思い出した。

「今度実家帰るときに声かけるよ。」

「いいんですか?」

「きっとお袋たちは、俺に友達がいた事が分かって嬉しいんだと思うしさ…。これも親孝行だ。」

「いいですね。楽しみです。」

友人の意見に同意すると、彼は強引に僕の肩に腕を回し、嬉しそうに笑った。

僕もつられて腕を回し、声をあげて笑った。

ひょんなことから始まった僕らの関係は、いつの間にかかけがえのないものになり、離れがたいものとなった。

僕らの人生は奇妙で歪で、決して美しく完璧なものとは言えないかもしれない。

でも、今が幸せだと思えるならば。

それを噛みしめることができれば。

共有できるならば。

きっと『オイシイ関係』になりえるのだろう。

いつしかこんな幸せが、世界中の人々へ届きますように。

そんな柄にもないことを考えた。

空を見れば、きれいな満月が浮いている。

それを見て、僕は「幸せ」という意味を噛みしめながら、この素敵な関係をいつまでもいつまでも続けていきたいと願ったのだった。


END

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