第6話 Cola Limit

 男がナイフを振り下ろした。


 鍛え抜かれた俺の動体視力をすれば、目で追う事は容易い。

 だが、見えたところで体は動けない。

 たとえ見えても……避けれないっすよ!


 そして、刃の軌道は──


「は……!!?」


 ──曲がらないっ!!



「かっ──あっ……」


 俺の首が燃えるように熱を帯びる。噴き出す鮮血が男の顔に紅を指す。


 これは俺の血……?


 そう理解した直後、俺の思考は止まった。

 熱い血に塗れ、体から力が抜けた。

 もう、立っていることすらもできない。

 血溜まりに力無く膝を着いた。


 首をハネられぬ限りは反撃、逆転は十分に可能。

 そう思っていた時期が俺にもありました。

 だが実際に受けてみれば……。

 立ち上がることすら遥かに遠い……。


「がっ……ぐふぅ……ッ!」


「ふむ……変に急所を外してしまったようだ。恐らくは地獄の苦しみだが……いつかは死ねる」


 男は、血を吐きながら地を這う俺に対してそれだけ言うと、真っ直ぐに出口に向かって行く。


 くそ、なんだ……? もう目を開けていられない……。毒……?


 頭の中が黒く塗りつぶされたように暗くなる。

意識が薄れゆく。

もう、前が見えねぇ……。


最後に見たのは、俺に背を向けて去ろうとする男が、一瞬だけ見せた横顔。


 長い鈍色の髪に隠された、蒼い瞳の男の顔……。


 男が扉を開いた。

 だめだ……。

 その先に居るのは……。


「が……ま……」


 俺の言葉は、俺の意識は、そこで途切れた。

 もう二度と目覚めえないだろう眠りに堕ちた。








 私こと甲岡香也は、大きな皮張りの肘掛椅子に腰掛けつつ、部屋の中へと入っていったヒューマンこと甲岡統人を待っている。


 それにしてもこの椅子は、何というすわり心地のよさでしょう。

 フックラと、こわすぎずやわらかすぎぬクッションのねばり工合、わざと染色を嫌って灰色の生地のまま張りつけた、鞣革なめしかまわの肌触り、適度の傾斜を保って、そっと背中を支えてれる、豊満なもたれ、デリケートな曲線を描いて、オンモリとふくれ上った、両側の肘掛け、それらのすべてが、不思議な調和を保って、渾然こんぜんとして「安楽コンフォート」という言葉を、そのまま形に現している様に見えます。

 こんな素晴らしい椅子を堪能できる私は、きっと特別な存在なのだと感じましたり

 まぁ、そんなことはどうでもよかろうなのだ。


 ヒューマンが部屋に入ってから1分もしないうちに、部屋のドアがまた開かれた。

 バカな……早すぎる……。


 おおかた、例の医師に恐れをなして逃げたのだろう。しょうがない兄だ。


「おや? ずいぶんお早いお帰りでは__」


 言いかけ、止まった。


 違った。

 じゃなかった。



 ただそこに居るだけで他を圧倒する威圧感。

 年齢を推察することが困難な容姿。

 そして、全身から滴る血。

 私の知る、甲岡統人の特徴とは何一つ重ならない。


「誰だ、お前は!?」


 私は全身の毛穴が縮むのを感じながら、見知らぬ相手に叫んだ。

 その男はゆっくりと首だけを動かして、爬虫類じみた目で、私の事を見つめてきた。


「おお、これはこれは失礼致しました。あなたの様な高名な方に挨拶が遅れるなど、私としたことが……」


 やたらと芝居がかった口調で男は言う。


「ポリー・G・ユース・ヤック。ポリー・G・ユース・ヤックと申します。しがない殺し屋です。『水死者達ドラウ・ビクティム』のね」


 ポリーと名乗った男は、どこか不快な笑い声を上げる。


「まぁ、そんなことよりも今は、あなたのお兄さんの心配をなされたらどうですか? 遺言は無理にしても、死水しにみずくらいは取れるのでは?」

 そう言って血塗れのナイフをわざとらしく地面に落とした。


 それを見た瞬間、私は全てを理解し、部屋の扉へと向かって走った。


「あぁ、故も知らぬ彼のソウルにお伝えください。『死してなお、勝利の栄冠に輝かん事を』と__」


 もはやその言葉は私の耳に入らなかった。

 私の兄が……。ヒューマンが……ッ!


「ヒューマンッ!」


 めちゃくちゃに荒れ果てた部屋の中、入口すぐの所に、ヒューマンは

 首から酷く血を流しながら。


 私は駆け寄り、その身体を抱いた。

 その体温は、無機質な人形のようだ。


「ヒューマンッ! ……統人ッ! しっかりしなさい!頼むからッ!」


 息が浅い。意識はない。血に関しては、だめでせう、とまりませんな、がぶがぶ湧いているですからな、といった状態だ。


「そんな……嘘だッ!!! 嘘だと言ってよ、統人……ッ!」


 私の呼びかけにも統人は答えない。

 もはや魂魄なかば身体を離れたのですかな。


「クソッ……私だけを置いて死ぬなよ……ッ!」


 私の声は、私以外に生きるものの居ない部屋の静けさに、ふいにゾッとするほど虚しく響いた。

 そう、まるで霊安室のような静けさに……。


 もはや、救急車を呼んだところで間に合うはずがない。救急車の到着よりも、遥かに早く死ぬ。

 まるでコーラの缶のようや赤い血を流して……。


 まるでコーラの缶のような……。



 __コーラ?



 刹那、私の灰色の脳細胞がトップギアになった。


 祖父の古コーラ、この研究所のような病院、水死者達ドラウ・ビクティム、瀕死の統人。そして、私。


 それらの要素がカップリング的に結びつき、私の脳は悪魔の答えを導き出した。


「……はっ……はは……。私は、何を考えているんだ……? こんなこと出来る筈がないじゃないか。だが、この方法ならば……。いやいや、フランケンシュタイン博士にでもなるつもりか?もはや人として……」


 統人の身体が一層冷たく、殊更に軽くなったように思えた。

 思い悩む時間は無い。選択肢は2つしかない。

 見捨てるか、それとも……。


「………すまないな、統人。私はきっと恨まれる。殺されかねないほどに……。けど……」


 統人の身体を強く抱き締めながら私は小さく呟く。


「私は統人に死んで欲しくない。ワガママかい?ワガママだな。フフッ……。あぁ、こういう時にはもっとカッコつけた言葉を言った方が良かったかね?」


 自嘲気味に少しだけ笑い、そして私は覚悟を決めて問いかけた。


「統人……。残りの人生をDo you want to 砂糖水を飲むことにspend the rest of your life費やしたいかい?  drinking sugared water,それとも世界を変えるto change the world?チャンスが欲しいかい? or do you want a chance?


 酷い選択肢だと、我ながら笑ってしまう。




_________




 SPECIAL THANKS


・リズムにハイな人様

・白亜紀まで連れションに行った反逆者様

・グルグルパンチ海王様

・せせらぎ(ごきげんようおひさしぶり)の弟子様

・ぁ様

・エンピツしんちゃんのモデル様

・法の光様

・ペテン師と空気男ではない方も書かれた作家様

・某作品曰く偽者の方様

・盛大になにも始まらない様

・特撮史上最強秒殺ロボの友様

・800ソウル様

・ヴァンパイアマウンテンに住んでいる方々様

・カボチャの種でメロン様

・雨ニモ負ケナイ産みの親様

・Say it ain't so, Joe!様

・今度聞かせに行きます様

・矛盾ライダー様

・美味しいサンドイッチ様

・4スティーブ様


・AND YOU

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Drinker's High 森 メメ @kent

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