第7話

 翌日、そろそろ昼八ツになろうかとういう頃。澄んだ空から陽が降り注ぐ穏やかな陽気の中、お鈴は部屋でぼんやりとしていた。手元には黄表紙が一冊あるが、それも今は閉じられている。気を紛らすように一度は開いてみたものの、全く入ってこなかったので諦めた名残である。

 未だに獣はお鈴たちの前に姿を現していない。帰ったら何をおいても問い質す腹積もりであったのに、どうにも肩透かしを食らった気分で、もどかしい思いが積もる。

 そうして何も手に付かずにいると、浮かんでくるのは前日のことばかりだ。

 あれから日野屋は上を下への大騒ぎであった。そして後ほど福屋もそこに加わることになった。

 伯母の元へと送り出した子供たちが、翌日なぜか先の主人に伴われて駕籠かごで戻ってきたのだ。福屋の主人あるじであり、子供たちの父親でもある福兵衛は、すわ何事かと飛び上がらんばかりに驚いた。

 畏まりおちかと揃って話を聞いてみれば、日野屋には何の責もない出来事どころか、一番被害を被ったのが当の日野屋という顛末。下手をしたら大怪我をさせていたかもしれぬと手を付き頭を下げる久右衛門を慌てて押し止め、詫びる必要などないのだと説いた。久右衛門はそれでも気が咎めるらしかったが、最後は宗次郎とお鈴を褒め、また浅草見物の折にでも寄って貰えれば嬉しいと帰って行った。

 それからすぐにお鈴と宗次郎は福兵衛に呼ばれた。それは別に久右衛門の言葉を疑ってのことではない。むしろその逆で、こちらに気を使い伏せていることがありはしないかと案じてのことだった。

 宗次郎からも改めて事の顛末を仔細に――勿論、襲った犬が居候の獣であることは伏せて――語った。すると福兵衛はすぐに部屋を後にした。残ったおちかに尋ねてみれば、どうやら久右衛門はおえんが怪我をしたことは伏せていたらしい。

 生薬屋きぐすりやである福屋の看板は切傷擦傷によく効くと評判の軟膏である。福兵衛はそれを届ける為の使いを出しに行ったのだ。

 程なくしてから戻って来た福兵衛は子供たちを労り、特にお鈴に、怖い思いをしただろうから、暫くは稽古事も休んでゆっくり過ごせばいいと告げた。

 稲荷社で善吉に襲われかけてからひと月あまり。まだ、とも言える間にまた似たような目にあったのだ。塞いだ日々から近頃やっと抜け出したのに、また気が滅入ってしまうのではないか。そう案じた福兵衛の気遣いである。

 その時の福兵衛の顔まで思い出してしまい、お鈴の眉が下がる。薬屋の顔が怖くっちゃ商売上がったりだと、普段から笑みを浮かべていることの多い福兵衛だが、その時はことさら優しげな面持ちであった。

 その裏に隠してある、自分が与えた心痛を思うと、昨日の今日で獣を探すために出掛けたいなどとはとても言い出せなかった。

 大きなため息をひとつ零すと、お鈴は手元の本をめくった。

 このままでは延々と同じことを思い浮かべるばかり。ならば、入ってこずともそこにある文字を追っているほうがよっぽど心にもいいだろうと思ったからだ。

 それから浮かぬ顔のまま文字を追うこと暫く、おきよが茶菓の乗った盆を携えて部屋にやって来た。

「先ほど日野屋からの使いがありましてね。お内儀かみさんへの文と一緒にこのお菓子も届けてくだすったんですよ」

 おきよは給仕をしながらそのように告げた。お鈴は本を閉じ、脇へとやると僅かに表情を緩めて「そうなんだ」とだけ返した。そしてすぐに思案顔へと変わる。

 おちか宛ということは、もちろん差出人はおえんだろう。今回のことについても触れているに違いない。だがそうだとしたらどこまで、と考えてそこから先は巡らすのをやめた。今のお鈴ではよからぬ方にしか考えられないからだ。何かお鈴に関することがあれば追っ付け呼ばれるだろう。

 ならば折角のお菓子を存分に味わおうと手に取ったところで、おきよがそうそう、と手を打った。

「ここのところ姿の見えなかった雲珠うずですけど、いつの間にやら庭に戻ってましたよ」

「本当っ?!」

 驚きから勢いがつき過ぎて、手の上にあったお菓子の小皿がいささか乱暴に畳の上に戻った。

 お鈴は福屋に戻ってから何度か庭で獣の名を呼び、おきよにも姿を見てないか尋ねていたので知らせたてくれたのだ。

「ええ。全く、ふらっと消えたと思ったら何食わぬ顔で戻って来て、勝手なもんですよねぇ」

 だがお鈴はおきよの言葉を最後まで聞くことなく部屋を飛び出していた。後ろから「お嬢さんっ?!」と驚いた声が追いかけて来たが振り返りもしない。

 部屋には呆れ顔のおきよと、一口も手を付けてもらえなかった茶菓が残された。


 縁側へと辿り着いたお鈴が見たのは、沓脱石くつぬぎいしの上で体を伏せて、目を閉じ寛いでいる獣の姿だった。お鈴がやって来るのがわかったからなのか、尻尾だけは立ち上がってゆらゆら揺れている。それはまるで手を振っている様に見えなくもない。

「雲珠! 一体どこに行ってたのよ」

 お鈴は縁側の端に手を置き、四つ這いになりながら覗き込むように獣へと顔を近づけた。しかし獣はそれに何も答えず、耳を少しばかり動かして尻尾を下ろした。

「お嬢さん、危ないですよ!」

 慌てたように諌める声を背中に受けて、お鈴の肩がびくりと震えた。まさか追いかけて来るとは思っていなかったのだ。

 ぎちぎちとした動きで振り返ると、待っていたのは眉を顰めて近付いてくるおきよの姿。

「そんな風に覗き込んだら転げ落ちてしまいます」

「……ごめんなさい」

 ゆっくりと体を起こし、きちんと座り直したお鈴の傍に、おきよは先ほど置いてきぼりにされた茶菓を盆ごと置いた。

「戻ってよかったですね。でも、怪我でもしたら大変ですから、今みたいに覗き込んだりはしちゃぁいけません」

「はい」

「それと、陽があるとはいえ風は随分と冷たくなってますから、体が冷えない内に部屋に戻るようにして下さい」

「ありがとう」

 その言葉に対して、おきよはいいえと笑い返すとそのまま戻って行った。

 お鈴はその後ろ姿を見送り、見えなくなってからもたっぷり待って、ようやく向きを変えた。

 まずは落ち着くべく、おきよが持ってきてくれたお茶をひと口啜る。それはまだ冷めておらず、手と、喉を通り抜けて伝わる温かさにほっとした。

 そうしてから獣を見ると、獣の方も目を開けてお鈴を見返していた。

「ねぇ、どこに行ってたの? 心配したんだから」

 湯呑みを盆へと戻し、今度はきちんと声を潜めて話し掛ける。すると獣は面白そうに、喉の奥で笑い声を漏らした。

「人に心配されるとは、儂も見縊られたもんだのう」

「色々聞きたいことだらけなのにちっとも帰ってこないんだもの。そりゃあ心配にもなるわよ! なのにそんな言い種ったらないわ」

 お鈴の口が拗ねたように尖る。だが獣がそんなことを気にするはずもない。さらに面白いと言わんばかりに目を細めた。

「なるほどな。事の次第も聞かされぬまま居なくなられたのではたまらぬというわけか」

「ちがっ! そういうわけじゃ……」

 始めこそムッとした声を挙げたが、それはどんどんと尻すぼみになっていく。もちろん、獣の身が心配だったのも本当だが、本音のところにそういう思いがなかったとは言えなかったからだ。

 獣はそんなお鈴の様子に呆れたように息をひとつ吐いた。

「面倒な奴だのぅ。そういえば、おまえ儂が見るなと言うたのに結局鏡を見たな」

「ごめんなさい」

 何故それを、とは問うまい。鏡の中からお鈴に一瞥をくれたのは、やはりこの獣だったのだ。

 申し訳なさから、お鈴の膝の上に置かれていた両の手は拳を握り、体がさらに縮む。顔も俯いてしまった。

 そんな様子に、今度は笑い交じりの息が獣の口から零れた。それから緩慢に一度起き上がり、座り姿勢へと直った。

「まぁ、正面から覗き込んだのでなければどうということもなかったであろうがな」

「そっか…………ねぇ、あの鏡は何だったの? 何であんなことしでかしたの?」

 ほっとして、しかし俯き加減なまま、窺うようにちらりと視線を向ければ、笑っているようにこちらを見詰める獣の目と正面から行き合った。その目の奥にどのような思いが潜んでいるのか、お鈴には判らない。

「あの家で、おまえの兄に聞かせた事は知っておるか?」

 からかいのない声に、お鈴は小さく頷くときちんと顔をあげて獣に差し向かう。獣もそれに頷き返し口を開いた。

「中の見えなんだ箱、それがあの女の持って来た箱だ。あの鏡は生きた憑り代よりしろだ」

「憑り代……じゃあ、あの鏡の中に見えたのは――」

「老いた女の姿をしたもののことか? それならばあの憑り代から生じた妖怪だ。まぁ、多少別のものも混ざっておるがな」

 言葉の端に愉悦が見えた。

 お鈴はあの時の、忌々しそうな老女の顔を思い出し、小さく体が震えると同時に顔を顰めた。次いで湧き上がるのは戸惑い。

「妖怪が鏡の中にいたから、だからあたしが鏡を見ないようにあんなことしでかしたって言うの? でもじゃぁなんで。伯母さんに憑いてるのもあの妖怪なんでしょう? あの妖怪は何がしたいの? 別のものが混ざってるって何?」

「そう矢継ぎ早に問われても答えられぬであろう。そうだな……」

 それは何から話すべきか思案しているようであった。お鈴は次の句が紡がれるのを身じろぎもせず、じっと見詰めて待った。

 風に靡いているかのように獣の尻尾が揺れる。

「元々鏡はあの家の古いお内儀の輿入れ道具でな、その女は鏡を大層大事にしていたそうだ」

 淡々とした語り口で始まった獣の話に、お鈴は僅かに首を傾げた。鏡の出所など聞いてはいない。しかし、ここで全く関係のない話をするはずもないので、黙って相槌を打つ。

「その女はなかなかの目利きで商いは順調だった。だが子ども、跡取りとなった娘にはその才が受け継がれなんだそうだ。それから自分たちがいなくなった後のことを、毎日の様に鏡相手に思案していたらしい」

 茶屋の女の話では、日野屋は代々お内儀は商いの勘がいいと言われていたらしいのに。

 確かに噂だとは言っていたが、随分と話が違うものだと、お鈴は内心で零す。

「後事を憂う気持ちはいつしか執着へと変わったのだろうな。その強すぎる思いを向けられ続けた鏡は、その女が死んだことで生きた憑り代となり、妖怪が生じることになった」

「待って、そんなのおかしいわ」

 驚いて思わず話の腰を折ってしまった。だが獣は気を悪くした風もなく、むしろ続きを促す様に首を傾けて見せた。

「だって、輿入れ道具ならそんなに古くないじゃない。それに、その人が死んだからって、どうしてそれで生きた憑り代になるの?」

 長年使われた、というには余りにも刻が足りないのではないか。そして、生きた憑り代になるのは思いを向けられたからであって、人の生き死には関係ないはずだ。

 そのお鈴の疑問に得心したように、獣は「あぁ」と漏らした。

「それは鏡であったせいだ」

「鏡だったから……?」

「そうだ。そもそも鏡とは〈人の世と異なるところ〉と繋がるもの。そしてそこはあらゆるものが住まう処だ。故に、他のものより妖怪が生じやすい」

 そして本来映さぬものをも映し、触れられぬものにも触れられる。

 古くから祭事の道具として鏡が使われるているのは、人の世でもそうと知っている者がいたからだと、獣はついでの様に告げた。

「あらゆるものとは人の魂も然り。その女の魂は死ぬと同時に鏡へと入り込んだのだ。強すぎる思いの主そのものが住まうことで、鏡は生きた憑り代となったわけだ」

「そんなことって……」

「儂もそのようなことは初めて聞いたわ。だが、妖怪とうにんが言うておったのだから真実であろうよ。人とは恐ろしいものよのぅ」

「じゃぁ、さっき言っていた別のものが混ざってるって言うのはその人の魂」

「それは違う。その女の魂も生きた憑り代の一部。混ざりものは別だ」

 目を細め、心底面白そうな声を立てる獣を見るお鈴は困惑していた。

 獣が今語ったのは妖怪が生じる前の出来事。だのにそれを知っているということは、妖怪にその人の魂があるという証になる。全部ではないだろうが、人として生きていた頃のことを覚えていたのだろう。恐ろしい話でもある。

 だが、だから何だというのだ。

 あの家にいる、生きた憑り代と妖怪の正体は分かった。しかし、それはお鈴が問うたことの答えには関係ないものだと思えたのだ。

 お鈴が放つその空気を獣は察知したが、笑みを仕舞うことはなかった。

「さて、これにはまだ続きがあってな。その女が死んだ後、常なら鏡はどうなる?」

「え?」

 ここへ来ての急な問いかけにお鈴はどきりとした。獣は何と言わせたいのか。視線を彷徨わせながら頭の中でその答えを探す。

 生きた憑り代となった鏡。だが、ただの人にはそんなこと分かりはしない。残された人にとってはその人が大切にしていた輿入れ道具――。

 お鈴は何かを思いついたように「あ!」と小さく声を挙げた。それからおずおずと獣に視線を合わせると、自信なさげに答えを口に上げた。

「輿入れ道具で、よっぽど大事にしていたんだもの。形見として、その人の子どもが受け取った……?」

 言い終わると同時に、獣が大きく頷く。どうやら正解だったようで、お鈴はほっと胸を撫で下ろした。だがその安堵も束の間で終わる。

「妖怪の潜むその鏡を、跡取りの娘も大層大事に使ったそうだ。それからしばらくしてだ、才が無いと言われていた娘は徐々に頭角を現し、仕舞いには先代お内儀にそっくりだと言われるほどになった」

「……先代にそっくり」

 ゆっくりと吐き出した言葉とは裏腹に、お鈴の心の臓はそれまでよりも速くなっていく。つい先日、同じような言葉を、同じ立場の者に対して聞いた。それが意味するところは何か。

「妖怪は鏡を挟んで相対することで、覗いた者の身の内、魂に瞬く間に入り込んだのだ。そしてあれやこれやと仕込んでいった」

 その日々が長くなればなるほど、魂は妖怪のものへと染まっていく。商いの才と呼ばれるものを振るうと同時に、妖怪となった女のしぐさが見え隠れしだすのだ。

 さらに、次の代からは嫁いですぐに鏡を使わせるようにしたそうだ。そうすることでより早いうちから手解きを始められ、お店の切り盛りはより安泰となる。

 おえんも、そうして人の口に上るほど目利きとなり、先代そっくりに印象が変わってしまったのだ。

 日野屋での夜、宗次郎が口にした推量。外れていて欲しいと願っていた。だが実際はそれどころか、おえんだけではなくその前からずっと、あの家の女たちは己を奪われていたのだ。

 お鈴は自分の指先が冷えていくような気がした。縋るような思いで湯呑みを手に取ったが、それはもう求めた温かさを残してはいなかった。それでも、他の何かを求めるように湯呑みを持った両手に力が入る。

「あたし、伯母さんに嫁いで来るように言われたの。何なら養子でも構わないって……でも断って、伯母さんも一旦は了承してくれたのよ。なのにあの鏡を持ってきた。たまたまなわけないわよね? 伯母さんはあの鏡が何で、どうなるかも分かってて、あたしがそれを見るように仕向けたのね」

 見詰めてくるお鈴の顔を見て、獣は僅かに目を見開き、それまで浮かべていた表情を消した。

「あれはおまえが妖怪と関わったことをどこからか聞き及んで、ちょうど良いと思うたらしい。その存在を既に知る者のほうが、多少なりとも手間がないからな」

 はなから、そのための誘いの文だったのだ。

 言われるまま鏡を見て、一緒に来ていたのが宗次郎ではなくおちかであったならば、今頃本格的に話が進んでいたかもしれない。

「鏡を見たら魂を乗っ取られてしまうから、だから助けてくれたのね」

 だがそう言ったお鈴から、獣は顔を顰めて逸らす。

「あの時はそこまで分かっていたわけではない。ただ、憑り代となった鏡は魂を異なる処へと連れ込みやすい。そこに妖怪が潜んでいるなら尚更な。あちらに欠片でも持っていかれては面倒だと思うただけだ」

「生きてるのに、魂が入り込むなんてことがあるの?」

 獣は視線だけ戻し首肯した。事実、過去入り込んだ女の魂の欠片がそこにあったのだ。そしてそれこそが、混ざりもの。

「そう。でも、どちらにしろ助けてくれたことには変わりないじゃない。ありがとう、雲珠」

「……別におまえの為ではない。おまえたちに何かあった時、傍にいて何故何もせなんだのかと、あやつにうるさく言われては敵わんからな」

 そう言ってまた視線を外してしまった獣の姿に、お鈴は嬉しそうに笑みを浮かべた。それから手の内にある湯呑みを口元へと運び、残っていた中身を喉へと流す。一息ついて湯呑みを盆へと戻すと、その顔から笑みは消えていた。

「あの鏡を壊したら、伯母さんは元に戻る?」

 獣の耳がピクリと動き、続いてゆっくりと顔がお鈴へと向けられた。そこに垣間見えるのは、解せないという色。

「妖怪が消えれば、染まった魂も戻るであろう。だが何のためだ?」

「何のためって、乗っ取られてるなら助けなきゃ。こんなのおかしいもの」

「それでお店が潰れることになってもか?」

「それは……でも、潰れると決まったわけじゃないじゃない。伯父さんだって、奉公人だっているし、ふたりの子どもも修行してるんだもの。それに、妖怪がいるから絶対に潰れないなんてこともないでしょう?」

 いくら商いの才があったとしても、これからもずっと流行りから何からを全て読み切るなんてことはできないはず。ならば先が分からないのは同じだ。

 何のため、などという思ってもいなかった返しに、お鈴は獣へと顔を近付けるように体を傾け、段々と早口になりながら言い立てた。それに対し獣は呆れたように緩く頭を振る。

「まぁそれはそうかもしれん……だが、どのみちおまえにあの鏡を壊すことはできんぞ」

「どうして?!」

「おまえの周りに儂がおったことで此度のあやつの企ては失敗したのだ。いくらその存在を知っておるからとて、再びおまえに触れるよりは他から仕立てたほうがはるかに手間がない。あの女は、もう二度とおまえの前に鏡を出したりせんだろう」

「そんな……」

「諦めろ。仮に運良く壊せたとしても、おまえにはあの家が大事にしてきた品を壊したという咎が残るぞ。それはどう凌ぐ?」

「それは…………」

 お鈴の視線が泳いだ。そこまで考えが及んでいなかったことは明らかである。

 獣は大きな息を落とし、ゆっくりと見上げた。

「何もあの女の全てが妖怪に左右されておるわけではないのだ。あれ自身も関わるのは表のことのみと言うておったしな。何の不都合がある。商いが絡まぬところは、おまえたちの知る女のままだ」

 おちかとの昔話を楽しそうに話していたおえん。その後と明らかに違う空気を纏っていたそれが、本来のおえんなのだろう。

 お鈴は俯き唇を噛む。

 真相を知っているのに、また何もできないのかと。そしてこれから先ずっと、このことを胸に秘めていかねばならぬのかと。

 獣はそれ以後は何も言わず、ゆっくりとした動きでその場に伏せると目を閉じた。

 それでも、お鈴が部屋へと戻るまで、何処かへ姿を消すようなことはしなかった。




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およずれごと もり @morisan

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