二人目 人皮アイドル


 剥いだ皮膚から肉をこそげ落としているとき、体が震えるほどの閃きが降ってきた。突然、暗かった人生に明かりが灯ったかのようだ。なぜ、私はもっと早く思いつかなかったのか。

 冷静になってみれば、顔認識システムをくぐり抜けるために、いちいち人を殺すなど馬鹿らしい。ライブへ行きたいだけならもっとシンプルな方法がある。当選者から皮膚とチケットを奪うなんて、まどろっこしい手法だった。


「そっかあ!そうだよねえ!うんうん。まじなのかは二人のユニットだもんね。よく考えたらちょうどいいや」


 部屋には死体と自分しか存在しないというのに、私は思わず言葉を出さずにはいられなかった。この興奮をどうしても声に出したかったのだ。もちろん、私がどれだけ興奮していても、私の腕は淡々と皮膚をマユ由来タンパク質の細胞保存液へと漬けていく。

 最初のころは、折角剥いで一枚にした皮膚を癒着させてしまったり、力具合を間違えて破いてしまったりしたものだったが、だいぶうまくなった。剥いだばかりの皮膚は非常に破れやすいが、この時期に満遍なく保存液に漬けておけばより長く肌を生かすことができる。普段はライブに行きたいだけなので、精々使って数週間だが、最新の細胞保存液を使えば理論上は数年以上肌を生かすことができるはずだ。


「数年あれば十分すぎるよな。なんなら、一回だけでもいい」


 思えば私はずっと自分の気持ちから目を逸らしてきた。彼女たちを支えるお財布としていられれば、それでいいと思っていた。しかし、私はまじなのかの二人のお財布になりたいわけでも、ファンになりたいわけでもない。特別になりたかったのだ。彼女たちの友達になりたいし、親御さんになりたいし、彼氏になりたいし、旦那さんになりたかった。だが、現実問題、太陽のようにきらきら光る彼女たちが、地に這うゴキブリのような私に興味を持つはずがない。餓鬼のように醜く華奢な私は、到底彼女たちの隣に立っていい存在ではない。わかっていた。だが、それなら私はせめて、


 彼女たち自身になってみたかった。







 私は笑顔が引きつらないよう細心の注意を払った。暑くてたまらない。原理としては着ぐるみをかぶっているようなものなのだから、当たり前だ。


「どうもーー!《まじなのか》の元気担当!なのかでーす!」

「うふふ、《まじなのか》のお色気担当、まじかです」


 その瞬間、地鳴りのような歓声が会場から湧き起こった。2280年のネット社会だというのに、人々はなおもアイドルに飢えていた。否、2280年だからこそかもしれない。今は家族も戦争も友情もセックスも全てがバーチャルでまかなえる。そんな時代だからこそ、生身で触れ合えるなにかが必要なのかもしれない。


 暑くて熱くて臭い。


 ライブ会場は空調が全開だというのに、今日も空気はどことなく湿気っている。だが、今日は少なくとも隣の人と肌がぺたぺたと触れ合うというような、気持ちの悪い思いをすることはなさそうだ。他人のペンライトが頭に当たるようなムカつくこともない。なにしろ、この広いステージには私とまじかさんしかいないのだから。

 見渡す限り埋め尽くされる人は皆、自分を愛している。こんなすばらしい景色をなのかちゃんはずっと見てきたのか。ダンス直後で乱れた息を整えながら、羨ましいなと思う。私は生まれてからこのかた、誰からも愛されたことがなかった。もっとも、当の本人は今ごろ東京湾で藻屑となっているのだろうけど。それにしても、今まで何十人と人を殺めてきたが、彼女の体は人工物のように完璧で柔らかかった。なのかちゃんはやはり、アイドルとして生まれるべく生まれた人だったのだろう。凶行に及んだ日のことを考えると、愛おしさのあまり未だに胸が苦しくなる。

 私は彼女から顔と体の皮膚は奪ったが、レイプだけはしなかった。もちろん、私も男なので考えないわけではなかった。だが、それは彼女への冒涜だとはっきりわかっていた。私は彼女を穢したかったわけではない。ただ、一度だけでいいから彼女になってみたかっっただけだ。


「今日はなのかにとって、特別な日よね」


 まじかさんが流し目でそう私に語りかける。今日のライブのためだけに、反応する性器は取り去ってしまったが、名残惜しそうに体がズクンと疼いた。幻肢というやつだろうか。まじかさんは艶かしく私の手を取り、指を絡める。観客席からは耐えているような呻き声と雄たけびが聞こえてくる。

 わかる。わかるぞ。百合は最高だよな。ちょっと前までは私もこのような光景に出くわしたのなら、耐え難い多幸感に身を苛まれて奇妙な声を漏らしていた。今も気を抜けば声を上げそうだが、笑い声にして無理やり誤魔化した。


「えへへ、実はですね〜!今日は私の誕生日なんです!」


 まじかさんはセンター席に向かってウィンクすると、私の頬にキスをくれた。お決まりの流れだ。私はいつもなのかちゃんがしていたときのように、照れたポーズをたりながらはにかんでみせた。何千回も何万回も見てきた動きだ。寸分違わず同じ動きができる。

 まじかさんからはジャスミンの香りがほのかに漂ってくる。それだけで、私は喜びのあまりどうにかなってしまいそうだった。何十人殺しても何百万貢いでも、これほど近い距離にいられたことはなかった。どちらを殺すべきか何日も迷ったが、まじかさんを選ばなくてよかった。間近で見てみると、つくづく男がどうすれば興奮するのかを、知り尽くしている。私には真似しきれなかっただろう。元気いっぱいというキャラクターのなのかちゃんの方が比較的真似しやすい。

「それでは、次は、なのかのソロソングです!」


 曲が流れ出して、観客席の絶叫が止まる。何千人、何万人が口を閉ざし、曲に聞き入ろうとする瞬間、私はいつも厳かな気持ちになる。見ている側、応援する側のときでさえ、そんな気持ちになったのだ。応援される側が自分になったとき、私は思わず涙がこぼれた。

 こんなに多くの人が心を一つにする瞬間というのは、そうあるものじゃない。まして、それをぶつけられるなんて。舞台に立っているという自覚が少しでも足りなければ、あまりに巨大なエネルギーを前にして、小便を漏らしていたかもしれない。

 私は涙をぬぐって、感謝を述べる。「今まで応援してきてくれて、今日来てくれてありがとう。みんなのおかげでがんばってこれました」と。今までがんばってきたなのかちゃんは、正確には私ではなかったが、そんなことは観客には関係ないようだった。ライブの最中、いつ警備ロボットが飛んできて、私を拘束するのかとヒヤヒヤしていただが、どうやらそんな気配もない。なのかちゃんの顔で、なのかちゃんの体で、なのかちゃんらしく歌って踊っていれば、世間は満足なのだ。もともとアイドルは大勢が作り出す虚構に過ぎない。ステージという特殊な環境の上では、本質は関係ない。

 結局、私の心配はまったくの杞憂で終わった。つまり、なのかちゃんのお誕生日記念ライブ兼私の初ライブは、誰にもバレることなく大成功に終わったのだ。これを最初で最後と思っていたが、この分なら本格的になのかちゃんの活動を引き継いでもいいのかもしれない。


「改めてお疲れ様。なのか。やっぱりいつもより気合が入っていたみたい。ソロのとこ堂々としててよかったわよ。違う人みたいだった」


 アンコールも滞りなく終え、関係者への挨拶も済むと、まじかさんは楽屋でそう声をかけてくれた。さすがに、相方ののまじかさんさんはやや違和感を覚えたようだった。 だが、この程度の違和感なら問題ない。


「えへへ、やっぱり誕生日ライブは緊張しちゃうから、うまくいったならよかった。まじかさんもいつも通りすごかったです」

「やだ、もう楽屋なんだからまじかでいいわよ。なのかったら」


 クスクスとまじかさんは笑う。私の凡ミスだった。二人きりの時は呼び捨てだと知っていたのに。しかし、固まってしまった私のことなど気にせず、まじかさんは「ねえ、」と私の腕に腕を絡める。


「今夜、うち来るわよね?久々に息抜きしたいの……なのかと二人きりで」


 二人は百合色が強いアイドルだったが、どうやら百合営業ではなかったようだ。心臓がバクバクする。ガチ百合。ガチ百合だったのだ!こんなに幸せなことがあるだろうか!

 すっかりうかれてた私は、ライブが終わった後のマネージャーからの叱咤激励も連絡事項もまるで耳に入らなかった。あとで、まじかさんに聞けばいいだろう。

 「今日は改めてお疲れ様!」やっとお開きを迎えると、私は韋駄天のような勢いでタクシーに乗り込み、まじかさんと共にまじかさんの自宅へ向かった。


「まじか……は明日オフでしたっけ?」

「もう……さっきマネージャーも言ってたでしょ。明日は私もなのかも久々の完全オフだから、体を休ませるようにって」



 そうだったのか、と安堵していると、まじかさんがタクシーの中だというのに耳元に吐息交じりに囁いてきた。


「だから、今晩はゆっくりアレができるわよ♡」


 アレ、とは私が思うアレだろうか。私はどぎまぎとしながら、膝に視線を落とした。タクシーは横浜のとある一軒家の前で停まった。タクシーから降りた私は、夜の涼しい空気を思い切り吸う。体温を少しでも下げなければ死んでしまいそうだ。こんなにワクワクドキドキするのはいつぶりのことだろうか。よかった。思い切って、なのかちゃんを殺してよかった。本物のなのかちゃんは私の胸の中で生きている。私以外の馬鹿なオタクどもには、私が演じる虚構のなのかちゃんで十分だろう。



 それから、30分後、私からは喜びが一切消え失せていた。いや、もしかすると、感情自体消失したのかもしれない。私はうまく考えられず、ただただあまりのことに手が震えていた。そんな私をまじかさんは不思議そうに見つめる。否、目の前にいるのはまじかさんではない。まじかさんだったモノだ。


「んだよ、どうしたんだよ。なのか。久しぶりに俺とお前だけなんだ。男に戻って楽しくやろうぜ。アイドルなんかやってると気軽に尻もかけねえからな」

「そ……そうですね、まじか」

「今日もライブ中、Tバックが食い込んでどうしようかと思ったぜ」


 まじかさんは胡座を掻いて、タバコをふかす。そんな姿ですらいつも通り美しい。だが、喉から出る声はいつもの清廉とした声ではなかった。それは地獄の底から響くような醜いダミ声で、まぎれもなく男のものだった。


「っかし、キモいキモい言われていた俺たちも今や国が誇るアイドル様だ。つくづく全身整形万々歳だな」


 ギャハハ、と下品な笑い声をあげる。見た目がまじかさんなだけに、言動がちぐはぐで、できの悪い吹き替えでも見ているかのような錯覚に陥った。


「ハアハアしている相手が実は元キモ〜イおっさんだったって知ったら、どう思うんだろうなあ。どっちかが死んだらバラすか。俺らの元の写真とかネットに出してよ。面白えなあ。自殺するやつとかでんじゃねえのか」


 何も面白くないが、まじかさんは愚痴とも自慢ともつかない話を延々と暴露し続ける。興味本位で寝た人気男性アイドルが整形した元女だったのでイジメ倒して喘がせてやっただの、ファンの女の子たちをレズと称して食い漁り、風俗に売り飛ばした話。これ以上は到底誰にも言えないような、汚い世界の話だった。私は耳を覆ってこのまま逃げかえりたいという欲求に、絶えず襲われなければいけなかった。


 そして、張り詰めた糸が切れる瞬間はいとも簡単にやってきた。


「なんかオメー、今日はえらく静かだな。下痢か?」


 まどかさんは美しく白い小指をぴんと立て、顔の中心にむかってゆるやかに手をを動かす。その時点で、私の頭で警報がけたたましく鳴った。まさか!そんなはずがない!そんなはずがない。上品を具現化したかのようなまじかさんが、指で、鼻をほじるなんて。あってはあけないことだ。ありえない。それだけはあってはいけないことだ。


 私が手を伸ばすよりも先に、指は鼻腔へと侵入した。そのまま指は反転し、鼻糞を探すべく醜く動く。その許しがたい光景を前にした私は、伸ばした手の目標を咄嗟にまじかさんから灰皿へと変えてしまった。


「あああああああああああああああああああああ!!!!!」


 これは彼女のあるべき姿ではない。戻れ、戻れと渾身の力をこめて灰皿を彼女の側頭部へ叩きつける。女の体ではなかなかうまくいかなかったが、数十回打ち付けた後、まじかさんはようやく凶行をやめてくれた。ただ、頭蓋が窪んで別人になってしまった。美しさなど影も形もない。ここにあるのは私が何十と目にしてきたありふれた死体だけだ。不思議と皮を剥ぐ気にもなれなかった。


 私は嗚咽するのを、我慢することができなかった。自業自得だとわかっていたとしてもだ。


 太陽に近付きすぎた罰がくだったのだ。もっと熱心に神話を読んでいればよかった。私は取り返しのつかないことをしてしまった。


「うううううううううううう……ひぐっ…うおええ……うううう。ごめんね…ごめんねえ…」


 泣いて謝っても許してくれる人はこの世にいない。もう私の世界にはアイドルも太陽もいないのだ。とんでもないことをしてしまった今の私に、できることは一つだけだった。私はなのかちゃんの皮膚を脱ぎ捨てる。そうして、終わりに向けて準備を整え始めた。









 パチパチと燃え盛る家を背中にして、私は私の姿のままで海へと進んでいく。海水に浸かっている部分は冷たくて仕方ないのに、背中だけが燃えるように熱かった。家ごと燃やせば、おそらくまじかさんやなのかちゃんが隠したかったものは見つからないはずだ。私の犯した罪がこれで覆るはずもないが、これ以上罪を重ねることだけはしたくなかった。

 夜の海は23世紀になっても、灯火一つ孕んでいない。(これからどれだけ科学が発展しても、夜の海が明るくなることはないだろうなあ)と私は死ぬ間際にどうでもいいことを悟る。それほど深くて暗く、冷たい場所だった。ファンとしての一線を大きく超えた私には似合いの死に場所だ。ブラックホールを溶かしたような海の水を掻き分けながら、私は沖へ沖へと進んでいく。


「地獄にアイドルはいるかなあ」


 それが私が最後に口にした精一杯の強がりだった。

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キモオタ神話異聞 羽流木はない @warugi871

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