コンビニ強盗
伊藤一六四(いとうひろし)
コンビニ強盗
曲がりなりにもうら若き女子大生の私に……って、こんな表現今時誰もしないか。
しかしそんな言い回しの一つも使いたくなっちゃうよ。女の子に深夜の店番を頼むここの店長、いい根性してるよね。いくら今日当番の吉川くんが風邪でダウンしたからって、そんで他の男の子みんな捕まらないからって、何で私に振るのかな。立派な労働基準法違反じゃん。
そりゃ私は暇だったんだけどさ。
今日はいきなり1限休講でやる気失くしちゃうし、昼間はいきなり教室でコンタクト落っことすし、家で友達と携帯でうだうだ電話してたら、いきなり『彼氏が出来たの』だって! 私に黙ってコンパ行ってたらしく、そこで知り合った3つ上の男の子と気が合っちゃったんだって。私なんか入学して半年、今だにそぉんな話のひとつもない。誘えよ。なんてぶすくれてたら、この呼び出しの電話だ。
神様って不公平だと思う。嗚呼、何故わたくしにだけこのような試練をお与えになるのですか、イエス様。ってウチ浄土真宗だったわ。
レジの後ろの柱に掛かっている時計を見る。午前2時。別に深夜起きてるのは苦じゃないけど、労働ってことで目を覚ましてることそれ自体で何だか憂鬱になるのよね。
こんな時間になるとお客さんも殆ど来ない。店先でたむろする所謂ヤンキーの人たちもあらかた帰っちゃったし、ああ暇だぁ。読みかけの漫画を傍らに置き、椅子から立ち上がって大きく伸びをしていると……
入口の自動ドアががあっと開き、ピンポーンというチャイムとともに、一人の男の人が入って来る。おっとお客さんだ。抜けた気をよいしょっと引き締めて、
「いらっしゃいませー」
反射的にそう言う。パブロフの犬だ。
しかしまいったな。バイクで来たのか、フルフェイス姿はお断りしますって店先に書いてあるのに。これじゃまるで強盗みたい……そこまで考えて、はっとした。
ここに来る前にテレビで「衝撃映像・カメラは見ていた」とかなんとかいうスペシャル見て来たばっかりだ。防犯カメラに映っていた台湾の強盗は容赦なく店員を射殺したっけ。マジかよ?! 洒落になんないじゃん……なんて勝手に想像して、冷や汗をかく。
ところがこの男、私の方をヘルメット越しにちらちらと見るだけで、近づいて来る様子がない。その内、
彼はバツが悪そうに屈んで拾い集める。
こんなドジで迫力のない強盗は居ない。ちょっと安心した私も駆け寄って手伝う。
そして彼の姿を近くで見て、思い当たる。この皮ジャンといい、靴といい、腕時計といい、そして拾う時の仕種といい、知ってる人だ。
「川瀬くん!」
肩をびくっといからせ、気まずそうにこちらを見るフルフェイスの男。
「川瀬くんでしょ?」
素早くヘルメットのグラスを手で引き上げると、果たしてフランス語のクラスで一緒の川瀬くんの顔が現れた。となりの席になることが多くて、いつも辞書忘れて来るもんだから貸してあげてんだよね。でもバイク乗るなんて知らなかったな。
「どうしてここに居んのよ」
川瀬くんは慌てて銀色のヘルメットを脱ぐ。照れた様子で目を伏せている。つまり私を直視しない。
「いや、たまたま、ここ通ったんだよ」
不自然。クラス名簿で見たんだけど、彼の下宿先って、ここまで車で1時間は優にかかるはずだもの。『たまたま』で来れるような距離じゃない。
「そしたらいきなり、
なんか言い訳してるみたいな口調に思えた。
「でも女の子なのに夜勤なんて」
そう聞かれた私は、思いっきり不満を露にする。
「突然呼び出し食らっちゃったのよ」
床に落としたものをあらかた元の棚に直した私たち。
「でも最初フルフェイスで入って来るからビックリした」
「ごめんごめん。驚かせちゃったか?」
ってかね、と人差し指を顎先に当てて、
「強盗かと思った」
と、悪戯っぽく答える。
川瀬くんは、今まで見たことのない快活な笑顔を浮かべる。
「強盗かぁ」
ここで、初めて私は川瀬くんの視線をまともに受け止める。棚の前で屈んだ体勢のまま。
きれいな目、してたんだ。
暫し見つめ合う。
予感って、こういう時にも感じるもんだったのね。知らなかった。
突如、店長の声が飛んで来る。
「光恵ちゃーん」
振り向くと、いつの間にかレジに肘を突いてこっちを不満そうに見ている。
「お友達ぃ? サボってないで早くレジに戻ってよ」
私はもう一度川瀬くんの方を見る。川瀬くんも私を見つめる。
同盟成立。
二人で同時に立ち上がって、無言で文房具の置いてある棚に移動する。
川瀬くんはヘルメットを再び被ると、私を立たせた途端いきなり首から羽交い締めにして、
「動くな!」
と、店内に響く声で叫ぶ。
店長の顔が青ざめ、突いていた肘を起こして背後の壁に張り付いてしまう。
「おい、な、なんだよ?!」
川瀬くんは傍らの棚から、紙切り用の安全ナイフを1つ手に取り、包装紙を開け、刃をカチカチと引き上げて店長の方に翳す。
店長はすっかり狼狽している。こういう状況に慣れてないんだなぁ。防犯訓練では、レジの下の、ここから死角になって隠れている場所に防犯ベルのボタンが備え付けられている……って、教えた本人がその存在を忘れてちゃ意味ないじゃん。
『囚われの身』の私は、結構愉快な気持ちになる。
川瀬くんの口調は相手を威嚇する強盗というよりも、何だか勇ましい戦士のような雰囲気になって来る。
「女の子にこんな夜遅く店番やらせやがって」
行け行け。もっと言ってやって。犯人を後押しする人質も珍しいね。
店長も、その辺は悪いと分かっているんだろう。言葉に詰まってしょげている。
川瀬くんはますます調子に乗って、
「この子は俺の人質だ」
なぁんて言ってしまう。
その言葉で、私も何となく彼の気持ちが分かってしまった。全部全部分かってしまった。
私を羽交い締めにしたまま、川瀬くんはへっぴり腰でレジまでそろりそろりと向かい、ナイフを翳した手を一瞬引っ込め、ズボンのポケットから千円札をすばやく一枚取り出して、店長の前に音を立てて叩き置く。
「つりは要らない」
そう言い残すと、川瀬くんが店長を威嚇しながら後ろ足で自動ドアを抜け、私たちはとうとうコンビニの外に出てしまう。
店長は追って来ない。もしかして察してくれたのかな。少々罪悪感を感じて店の中を見ていると、目の前に赤いヘルメットを突き出される。
「はい」
それを手に取って、あっけに取られていると、川瀬くんは平然とバイクに歩み寄って行く。
「それ、買ってあったんだ。随分前から」
まだ状況が呑み込めないでいると、
「30分も走れば海まで行けるよ」
ケレン味のない快活な笑顔を浮かべる。
そっか。連れてってくれるんだ。やっと分かった。そこで私も戯けて、
「強盗と人質の、逃避行ね」
と、受けると、また歯を見せて笑いかけて来る。
様になってないのは分かってるけど、どうにかヘルメットを被る。バイクに乗るのなんか勿論初めてだ。先に乗り込んだ彼の後ろの方のシートが空いているので多分そこに座るんだろう。
恐る恐る腰掛けた途端、彼の右足がペダルを激しく蹴り下ろし、シートの下がうなりを上げて震え出す。エンジンがかかったんだ。
「しっかり捕まっててよ」
右手のハンドルを下にぐいっと回すと、銀色の車体がアスファルトを蹴って走り出し、徐々にスピードを上げて行く。
コンビニはあっという間に遥か後方に消え去り、真夜中の街並が放物線のように流れて行く。
すり抜けて行く風の心地よさに気が弛み、私はゆっくりと手を彼の前に回す。
川瀬くんがもしかしたらまた調子に乗ったのかも知れない。バイクはより一層吠えるようなエンジン音を上げて、海へ翔るように走って行く。
コンビニ強盗 伊藤一六四(いとうひろし) @karafune
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます