SOMEDAY ー いつか ー
RAY
SOMEDAY ー いつか ー
★
菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞深し
春風そよ吹く 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し
どこから聞こえてくるのかわからなかった。
ただ、それが「
小さい頃、お袋がよく歌ってくれた童謡。
この曲が聞こえてくると、火がついたように泣いていた僕はピタリと泣くのを止め、天使のような笑顔で眠りについたという。
後日談として聞かされた話だけに創作が含まれているのかもしれない。
とは言いながら、今でもこの曲を聞くと穏やかな気持ちになることから、満更作り話でもない気がする。
メロディが少しずつ小さくなる。
とって代わるように、たくさんの人の話し声が聞こえてくる。
ゆっくり目を開けると、自分が見慣れた景色の中にいるのがわかった。
澄み切った青空のもと、暖かな陽の光が降り注ぎ、心地良い風が吹き抜ける、街のメイン通り。
うれしそうな表情を浮かべた、家族連れやカップルが僕の横を通り過ぎていく――何の変哲もない日常の一コマ。眺めているだけで幸せを実感できる
ふと僕の目に一人の女の子の姿が映る。
真っ白なワンピースを身に
腰まで伸びた、長いサラサラの髪とフワフワのスカートの
黒目の大きな瞳をキラキラさせながら微笑む姿は「春の妖精」という言葉がぴったり。
彼女は宙を舞うように人の波をスラロームする。
その姿を必死に目で追っている自分に気がついて思わず苦笑する。
僕の視線に気付いたのか、彼女はこちらを見て小さく微笑むと、スカートの両端をつまんでちょこんとお辞儀をする。
緩やかな風がスカートを
しかし、次の瞬間、彼女の表情から笑みが消えた。
カラダを小刻みに震わせ、
視線の先には身長が二メートル近くありそうな男のシルエット――西部劇のガンマンが
男は舌なめずりをしながらいやらしい笑いを浮かべる――そんな仕草一つをとってもまともとは思えない。
彼女の大きな瞳が何かを訴えているのがわかる。
男は素早く彼女に近づくと、マントの中から取り出した、細い銀色のチェーンで細い身体をぐるぐる巻きにする。
もがきながら必死で脱出を試みる彼女。しかし、チェーンはびくともしない。彼女の
周りにはたくさんの人がいるのに誰も二人のことを気に留める様子などない。まるで何事もないかのように二人の横を通り過ぎて行く。気づいていないわけがない。明らかに見て見ぬふりをしている。
「今、助けるから!」
彼女のもとへと一目散に駆け出す僕。
しかし、途中で足が止まる――「止められた」と言った方が正しい。
ある地点から彼女に近づくことができない。僕と彼女の間に見えない壁があってそれが行く手を阻んでいる。
男は右手のチェーンをゆっくりと手繰り寄せながら、僕に向かって白い歯を見せてニヤリと笑う。マントの下にあるもう一方の手が
僕の身体を、全身が凍りつくような悪寒が駆け抜けた。
左手に握りしめられていたのは、死神が持っているような、大きな鎌。
その存在を誇示するかのように男はそれを高々と頭上に
たくさんの人で
どう考えても、その光景は尋常ではなかった。
「どうなってるんだよ!」
同じ言葉を繰り返しながら、僕は必死に二人への接近を試みる。
しかし、状況は何も変わらない。
「こんなに近くにいるのに……手を伸ばせば届きそうなところにいるのに……何もできない……僕は……無力なんだ」
泣き言のような言葉が口から漏れる。
すると、それが何かの合図であるかのように鎌が勢いよく振り下ろされた。
白い麦わら帽子がゴロンと地面に転がる――ただ、転がったのは帽子だけではなかった。
そこには、恐怖のあまり大きな目を見開いた彼女の顔があった。
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
僕の叫び声がメイン通りに響き渡る。
しかし、それを気に留める様子もなく、男は何度も鎌を振り下ろす。
そのたびに彼女の変色した白いワンピースがあたりに飛び散る――飛び散ったのはワンピースだけではない。
★★
いつものように七時に起きて朝食を食べた。
その後、少し眠気を催した――ただ、眠ってはいない。
しばらくベッドに腰掛けて窓の外をぼんやりと眺めていた。
枕元のデジタル時計に目をやると時刻は八時四十五分。
僕は二時間近くぼんやりとしていた。
僕が見ていたのは、起きている状態で見る夢――白日夢。
南向きの窓の外は抜けるような青空が広がり、あたり一面に広がる菜の花畑には
ふと窓の上方に視線を移すと、ある光景が飛び込んできた。
窓から張り出した
春の日の暖かな陽気に誘われ、たくさんのモンシロチョウが菜の花畑に集まっている。ただ、彼らにクモの巣にかかった仲間を助ける力はなく、見殺しにするほかなかった。
モンシロチョウの残骸を見つめながら、僕は下唇を噛みしめる。
「ごめん。こんなに近くにいるのに何もしてあげられなくて。僕は……今の僕は……無力なんだ」
ごめん――これまで何度も聞いた台詞が自分の口から出るとは思わなかった。
瞳を閉じて、これまでのことを一つ一つ思い返してみた。
どこからか懐かしい曲が聞こえてくる。
――菜の花畠に 入日薄れ 見渡す山の端 霞深し――
不意に笑みがこぼれた。
とてもそんな状況ではないのに自分でも不思議な気がした。
ただ、気持ちが穏やかなのは紛れもない事実。
「お袋や親父は、今の僕と同じ気持ちだったんだ。ずっと……ありがとう。こんな僕のことを心配してくれて」
窓枠にはめ込まれた、分厚い防弾ガラスの向こうに
背後から鉄製のドアが開く、無機質な音が聞こえた。
振り向くと、ドアの向こうに五人の男が神妙な面持ちで立っている。
「そろそろ時間だ。準備はいいかい?」
刑務官の言葉に静かにうなずきながら、僕はもう一度クモの巣にかかったモンシロチョウを見つめた。
「SOMEDAY――いつか、きっと」
RAY
SOMEDAY ー いつか ー RAY @MIDNIGHT_RAY
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