『MM9』番外編 藤澤さくらの憂鬱

山本弘

第1話

 二〇一〇年一〇月一日。愛知県知多半島の漁港の沖合に出現した怪獣が、複数の漁船の船員によって目撃された。気象庁特異生物対策部(通称:気特対)ではこれを怪獣8号と認定、ただちに機動班チーフ・室町洋二郎と三名の部下が現地に飛んだ。彼らは半日かけて町を回り、目撃者の証言を集めた。

 その夜、旅館の一室で、彼らは集めた情報を総合していた。外には雨が降っている。

「爬虫類型であることは間違いなさそうですね」

 目撃者の一人が描いた怪獣のスケッチを見て、灰田涼が言った。テーブルの上には他にも二十数枚のスケッチが散乱している。どれも素人が描いたもので、ひどく下手くそではあるが、長い首を海面から高くもたげているところは共通していた。

「ひれは目撃されていませんが、形状から見てシーサーペントではなく首長竜である可能性が高いでしょう」

「首長竜もシーサーペントも海棲ですよね? だったら上陸する可能性はないってことですか?」

 そう言ったのは藤澤さくらである。機動班に配属されてもう六年になり、多くの経験を重ねているが、他の班員と歳が離れているうえ、いまだに下に新人が入ってこないこともあって、「ルーキー」というイメージが払拭できないでいる。

「まったくないわけではないがな」室町は慎重だった。「一九七七年にアメリカで、湖の底でクリプトビオシス状態だった首長竜が水温上昇で目覚めて、陸に上がって人間を襲った例がある。めったにないことだが、いちおう警戒は必要だ」

「首の長さから推定して、大きさはMM3か4ってとこですかね」と小出朝也が言った。

「うん。水面下の大きさが分からないし、証言も多少ばらついているが、5以上ということはなさそうだ」

 今回、機動班にあまり危機感はなかった。首長竜は魚食性だから人間を襲う可能性は低く、小型船舶との衝突が心配される程度だ。MM5以下なら殺す必要もない。勝手に立ち去るのを待つだけだ。それどころか、害のない怪獣を殺したら環境保護団体がうるさい。

「あと、牙のある絵とない絵があるんですけど……」

 スケッチを見比べながら、さくらが首を傾げた。何人かの目撃者は、怪獣の口に大きな牙を描いていた。

「これについては信憑性が低いなあ」室町は顔をしかめた。「首長竜にこんな牙はない。それに、これほど目立つ特徴があるなら、目撃者の多くが描いてそうなもんなのに、三人しか描いてない。しかも同じ船に乗り合わせていた者同士だって言うし」

「記憶の汚染ですか?」

「その可能性はあるな」

 写真のない目撃事例の場合、こうしたスケッチは目撃者自身に描いてもらうのが原則だ。古生物図鑑や特異生物図鑑の図を示して「こういうやつでしたか?」と訊ねるのは、以前は行われていたが、現在では正体が八分以上定まるまではやってはいけないとされている。既存の怪獣の絵や写真に影響を受けて、目撃者の記憶が歪められることがあるからだ。これを「記憶の汚染」と言う。一九五〇年代の日本であった例だが、太平洋の孤島で怪獣を目撃した民間パイロットが、古生物図鑑のアンキロサウルスの絵を見せられ、「私が見たのはこれです」と証言したことがある。実際にはその怪獣はアンキロサウルスとは別種の生物だったのだが。

 一九九〇年代にフランスであった例では、パリの凱旋門付近の地中から出現してすぐに消えた怪獣を目撃した市民の一人が、「怪獣には鼻先に角があってゾウのような耳があった」と間違った証言をした。それを聞いた他の者たちの記憶も影響され、「怪獣には角と耳があった」と言い出した。その特徴のため、怪獣は六〇年代に日本の白根山に出現した人食い怪獣と同種とみなされ、ニュース番組のアナウンサーまでそれを報じた。実際には、そいつは六〇年代に南太平洋の孤島で発見された恐竜と同じもので、角も耳もなかった。

 こういうことがあるから、目撃証言は目撃者を一堂に集めるのではなく、別々に聴取しなくてはならない。目撃者同士の証言が影響を与え合うのを防ぐためだ。今回のように目撃者が二〇人以上いると、その聴取だけで半日がかりになる。だから三人は手分けして目撃者の自宅や仕事場を回らなくてはならなかったのだ。

「郷土史研究家の方は?」

「話を聞いてきました」さくらがメモを見ながら言う。「この地方の海の妖怪というと磯天狗というのがありますけど、これは河童の一種みたいですね。他にも妖怪話はいくつかありましたが、今回の怪獣に該当するものはなさそうです」

「ということは土着のやつじゃなく、外洋から伊勢湾に迷いこんできたってことか」

「でしょうね」

 過去に同種の怪獣が出現したことがある場合、その記憶が民話や伝承として残っている可能性がある。たとえば一九六〇年代に山梨県のトンネル工事現場に出現した古代哺乳類と古代鳥の場合、金峰山永林禅寺に保管されていた古い巻物に記録が残っていた。だから未知の怪獣が出現した際、その土地の郷土史や伝承を調べるのも、調査の原則のひとつだ。気象庁のデータベースには日本中の怪獣や妖怪の伝承が記録されているが、そこから洩れている情報もあるからだ。

「とりあえず、陸上には注意報は必要なかろう。今まで通り、港湾部と船舶にのみ注意を呼びかける」

「はい」

「規定通り、二週間目撃情報がなければ、湾内から退去したとみなして注意報は解除。もし退去しない場合は水中スピーカーで追い立てる……ってとこだな。明日、雨が上がったらヘリを飛ばして、空から捜索だ」

「予報では明日は晴れです」と涼。「海上保安庁も捜索に協力してくれることになってます」

「じゃあ、今日は早めに寝ますか」

 朝也が大きくのびをした。怪獣出現となると、機動班は二四時間ぶっ続けの体制で監視に当たる。だから暇を見つけてこまめに寝ておく習慣が身についているのだ。

 立ち上がりかけた涼は、ふと、さくらの表情が気になった。いつもは元気がいいのに、今夜は何か沈みこんでいる。疲れが出たのだろうか。

 いや、今日だけではない。何週間か前から、さくらはちょくちょく憂鬱そうな顔を見せていた。涼も気になってはいたが、プライベートなことかもしれないと思い、訊ねそびれていたのだ。

「どうした? 体調でも悪いのか?」

 それとも失恋でもしたか――とは言わなかった。本当に失恋だったら傷つけることになる。

「いや、そうじゃないんですけど……」さくらは恥ずかしそうだった。「ちょっと昼間、嫌なことがあって……」

「嫌なこと?」

「いや、たいしたことじゃないんですよ、ほんとに」さくらは手をぱたぱた振った。「個人的なことですから、先輩に相談するほどのことじゃ……」

 室町も興味をそそられた。「藤澤らしくないな。悩みを抱えこむなんて」

「そうだよ、水臭い」朝也も身を乗り出してきた。「僕たちはチーム仲間だろ? 悩みがあるんなら言ってみなよ。何があったの?」

「いや、こういうことって、あんまりおおっぴらに口にしたらまずいかなって……」

「ここは内輪の場だ。何を言ってもかまわんよ」

「はあ……」

 さくらは少し悩んでから、ぽつぽつと語りだした。

「今日……郷土史研究家の方のお宅におじゃました時に……」

「何かあったのか?」

「そこの家の奥さんに身分証を見せた時に、一瞬、嫌な空気が流れたんですよね」

「嫌な空気?」

「ええ。表面上はにこやかに迎えてくださったんですが、何かちょっとぎすぎすした感じで……気にしないようにしてたんですけど、トイレに行った時に、偶然、奥さんと高校生らしい娘さんの会話が、ちらっと聞こえちゃったんです」

「どんな?」

 さくらは、ぐっと息を詰めてから、思い切って言った。

「『ほら、あの、生意気な口の利き方する子よ』……って」

「はあ?」

「前に大阪の親戚からも、実家に電話がかかってきたそうなんです。『さくらちゃんって職場であんな喋り方してんの』って……」

 呆然となる涼たち。さくらは泣きそうな顔で訴えた。

「あたし、あんな喋り方しませんよね!?」

「ああ……」

 涼たちにもようやく納得がいった。

「あのドラマか……」

 七月から東京と大阪と名古屋の三地区で、気特対を題材にしたドラマが深夜に放映されていたのだ。先日、最終回を迎えたばかりである。実際の気特対の活動を元にしているというふれこみで、キャラクターも一部は実在の人物をモデルにしていた。気象庁としては、気特対のイメージアップにつながると考え、喜んで企画にOKを出したのだ。

 もっとも、ドラマの設定は現実のそれとはかなり違う。深夜ドラマで予算が少ないため、大勢の部員を出すことはできず、対策部は「対策課」に縮小になった。特撮の予算も最小限で、怪獣はほとんど出てこない。ドラマの中で描かれる事件も大半が架空のものだ――まあ、ヒメの事件なんか実写映像化できるわけがないのだが。

 それぐらいなら「まあ、しかたないよね」と、さくらも笑って許すことができた。

 驚いたのは、キャラクターがまったく変えられていることだ。特にドラマの中の「藤澤さくら」は、現実の彼女とはまったく何の接点もないと言っていい。新人なのに生意気で礼儀知らず、きわめて不愉快なキャラクターとして描かれていた。

「あたし、あんな嫌な女じゃないですよ! ちゃんと敬語使ってますよ! 年上にタメ口利いて『マイルール』なんて失礼なこと言いませんよ!」彼女は涼に顔を向けた。「先輩を『ハイディー』なんて呼んだこともないですよね!?」

「まあなあ……」室町は彼女を傷つけないように言葉を選んだ。「藤澤は現代じゃ珍しいほど素直ないい子だから……」

「でしょう!? 実物のあたしと違いすぎますよ! て言うか一八〇度反対ですよ!」

「でも、実物よりかなり美人じゃないか」涼はフォローしようとした。「俺なんかあんなひょろっとした優男じゃないぞ」

「私もあんなメタボ体形じゃないしな」と室町。

「僕なんかドラマに出てこないんですよ」朝也がぼやく。

「みなさんはいいですよ! 確かに実物とは違うけど、悪くは描かれてないじゃないですか! 何であたしだけあんな嫌な女なんですか!? 現実と変えるなら、せめて好感持たれるキャラクターにしてくださいよ! 何でわざわざ視聴者を不快にするようなキャラにするんですか!?」

 気がつくと、さくらの眼には涙が光っていた。それに気づいた涼たちは沈黙した。この三ヶ月間、彼女は誰にも言えず、ずっと不満を抱えてきたのだ。

 不満を抱えていたのはさくらだけではない。これがただのドラマだったら、自由に文句を言える。だが、気象庁が協力しているドラマへの批判を、気象庁職員がおおっぴらに口に出すのはまずい。だからみんな「あれはおかしい」「間違っている」と思っていても、職場では話題にしなかったのだ。

 正直、ドラマが終わってくれてほっとしている。

「藤澤くんみたいな、古風な熱血一直線のキャラクターは、現代的じゃないと思われたのかもしれないな」室町は腕組みをした。「ああいう軽薄な娘が、番組スタッフの考える『現代のギャル』なのかも……」

「いやいやいや、いくらなんでも、あんなわけの分かんない女の子、現実にいませんって! いたとしても、あんなんで気象庁に入れるわけないじゃないですか。仮にも公務員ですよ!? 面接で落とされますって」

「監督も言ってましたね」朝也が思い出した。「『さくらは宇宙人的な“分からない”存在』だって」

「はあ? 何ですか、それ?」

「雑誌に監督のインタビューが載ってたんですよ。『俺には分からないけど、女優さんには分かって演じてもらわないといけない』って」

「えええ!? 何それ!? どんなキャラクターなのか監督にも分かってない? なのに分かって演技しろって……それ無理難題でしょ! 女優さんだって困っちゃいますよ。むしろ監督の考えがわけ分かりませんよ!」

「ああいう性格にしないと『対立が生まれづらい』とも言ってましたね」

「対立が生まれちゃだめじゃないですか! 気特対内部で!」

「そうなんだよな」涼がうなった。「俺もそこが気になった。どうもスタッフは、キャラクター同士が対立するのがドラマだと勘違いしてるふしがある。聞いた話じゃ、シナリオライターの学校では『コンフリクト』という概念を教えるらしい。人間同士の対立や、人間内部の感情の衝突によってドラマが生まれるって――でも、俺たちの敵は怪獣だ。そうだろ?」

「ええ」「そうだな」「ですね」と三人がうなずく。

「はっきり言えば、人間同士のいざこざなんて、怪獣災害の前じゃ些細な問題だ。だったら、俺たちと怪獣のコンフリクトを描くべきなんじゃないのか? キャラクター同士の対立なんかよりも」

「そう言えば、ドラマの中じゃ、気特対は自衛隊と仲が悪いみたいですね」朝也は不思議がっていた。「二話では久里浜部長が『防衛省に借りを作りたくない』とか言ってたし。五話じゃ、自衛隊が気特対の助言を無視して、失敗をやらかしたり」

「あれも分からん設定だな」室町は顔をしかめた。「怪獣災害を防ぐためには、自衛隊と気特対が密接な関係を保たなくちゃいけないのは当然だ。そもそも対立する理由がない」

「僕ら自衛隊さんにはいつもお世話になってますもんね。ヘリ飛ばしてもらったり。現場からの中継映像なんて、自衛隊の協力なしじゃありえないし」

「自衛隊も我々の助言をよく聞いてくれるしな」

「まさか作ってる人がサヨクで、自衛隊が嫌いだとか?」さくらが疑わしげに言う。

「まさか」涼は笑い飛ばした。「そんな深い理由じゃなかろう。さっき言ったコンフリクトさ。単にドラマ的に対立の構図が欲しかっただけだろ。海外のディザスター・ムービーでも、軍と一般市民が対立するのがパターンだしな」

「でも、無意味な対立ですよ。あたしが一番ひっかかったのは、いま小出さんが言った二話なんです。久里浜部長が、防衛省に借りを作りたくないからって理由で、自衛隊への出動要請を拒否するじゃないですか。でもって、女性二人を怪獣に立ち向かわせる……」

「ああ、あれはありえないなあ」朝也は笑った。「部長は部下が死ぬのを死ぬほど恐れてる人だから」

「いやー、久里浜部長でなくてもありえないでしょ」さくらは力説した。「どこの世界に、ろくな装備もなしに女性二人を怪獣に立ち向かわせる人がいますか。死にますよ。それこそ自衛隊呼んでこいですよ」

「まあ確かに、プロの目から見ると、ツッコミどころの多い番組ではあるな」室町は苦笑した。「あの五話の怪獣もなあ。あれでMM5はありえないだろ」

「ないですね」涼が断言する。「榴弾砲の集中砲火でも平気だなんて、MM7か8でないと」

「尻尾しか見えないってのも不自然ですよね」と朝也。「陸自が偵察ヘリぐらい飛ばすだろうし、その映像は気特対にも入ってきますからね」

「だいたい、山梨で怪獣が出たのに、今からだと間に合わないから出動しないなんて、無茶苦茶な設定ですよ」さくらがぼやく。「あたしら北海道だろうが沖縄だろうが出動しますよ。現地に駆けつけなくて、何のための機動班ですか」

「あれは『怪獣が出たのを登場人物がテレビでただ見てるだけ』という話をやりたかったから……と聞いたな」と涼。

「でもそれ、前に映画でありましたよ」と朝也。「二〇年ぐらい前のフジの深夜ドラマでも……ほら、猫がどうとかってやつ。怪獣が出たのにテレ東だけいつもの番組を流してるってネタも、すでにやられてるし」

「スタッフが知らなかったんじゃ?」

「どうすかねえ。有名なシナリオライターの書いたドラマだったんですけど」

「四話で案野先生があたしといっしょに山で遭難するっていうのも、何なんですかね」さくらは口をとんがらせた。「案野先生、何で最前線に出てるんですか。意味ないですよ。山の中で何の役に立つんですか」

「あと、怪獣をM、妖怪をSって呼んでますけど、あれも不思議ですね」朝也が便乗する。「僕らそんなこと言わないのに」

「ああいう符丁みたいなものがあった方がかっこいいからじゃないの?」涼は投げやりに言った。「刑事ドラマで『ガイシャ』とか『ホシ』とか言うみたいに」

「でも、怪獣は『怪獣』でしょ、普通」

「いや、ドラマは現実そのままでなくてもいいから、そういうオリジナルの設定を作るぐらいはべつにかまわないんですよ」とさくら。「問題は、そのMやSって言葉を、ドラマの中のあたしが知らないってことなんですよ。ありえないでしょ! いくら新人だって、気特対の中で頻繁に使われてる用語があるなら、研修で教わってるはずですよ。ドラマの中のあたし、まったくのドシロウトじゃないですか! 無能もいいとこですよ。何で上の人たちはあんなシナリオを許したんですか!?」

「いやあ、企画が上がってきた時、上の方の人間がプロデューサーに言っちまったらしいんだな」室町が言いにくそうに言う。「『事実をそのままドラマ化するのは無理でしょうから、自由にやってください』って」

「何でまた」

「気象庁としても、ドラマの舞台になるなんて初めてだし、ドラマのことなんか何も分からないから、どこまで口を出していいか分からない。餅は餅屋で、向こうにおまかせするのがいい……と思ったんだな。それに監督も脚本家もいちおう名の通った人だから、そんなにひどいものになるわけがないという安心感もあった」

「でも、あまりにおかしな描写にはクレームつけるべきですよ」

「いや、いちおう言ったらしいんだ。シナリオが上がってきた段階で、部長がチェックして、何箇所かの問題点を指摘してプロデューサーに送ったらしい。今、君が言った、いくら新人でも無知すぎるという点も含めて。そしたら……」

「どうなったんですか?」

「どうにもならない」室町は肩をすくめた。「シナリオはまったく修正されず、そのまま撮影されて、そのまま放映された」

「あらら」

「それを知って部長もあきらめたそうだ。『彼らは私たちの意向を聞くつもりはまったくないみたいだ』って」

「はあ……」涼たちはあきれた。

 そこから先はこきおろし大会になった。みんな番組に対して、胸にためこんでいた不満を一気に吐き出した。

「一〇話の居酒屋の話もひどいよなあ。あれ、怪獣とまったく何の関係もないだろ。何で気特対のドラマであんな話をやるんだ?」

「あんな居酒屋もありえないですよね」

「人件費が高くつきそうだよな」

「逆にいちばんましだったのは……一一話?」

「まあ、あれは話として納得できたけど……」

「でも、クリスマスの夜にデートの相手を待たせおいて、他の女性のアパートに行くって、どうなんですか?」

「俺はあんなことしないぞ」と灰田。「相手の女性に対するデリカシーに欠けてる」

「最終話も問題でしょ。あのドンデン返し、何の伏線もないじゃないですか」

「ああ、『金枝篇』とか言われても、視聴者はちんぷんかんぷんだろうし」

「普通、ああいう展開は伏線張るもんでは?」

「ひとりよがりだな」

「納得できないですよね」

「そう言えば、卵が小さくなったり手にくっついたりするのって、何か意味あったんですか?」

「さあ?」

「最後に出てきた謎の男が伊豆野ですよね? 研究所の科学者とつるんで何かやってる……てな説明がありましたけど、結局、何が目的だったんですか?」

「さあ?」

「整合性なんて何も考えてないっぽいな」

「あと、生きものって宅配便で送っちゃいけないんでは?」

「それ以前に、箱の中で音がするから気づかれるだろ」

「自衛隊のヘリが上から降りてくるんじゃなく崖下から出てきたのは何で?」

「かっこいいからだろ」

「危ないでしょ、あんな低高度から接近するの」

「だいたい、あんなでかい怪獣が出現してるのに、何で攻撃しないんですか。MM9クラスだったら自衛隊が問答無用で攻撃開始してるはずですけどねえ」

「予算の問題だろ。自衛隊じゃなく番組の」

「それにしても最終回なんだから、もうちょっと派手な展開にしてもバチは当たらなかったでしょうに。あの怪獣、ただのんびり歩くだけで何もしないじゃないですか」

「それを言ったら第一話からしてそうだろ。普通、第一話って視聴者を惹きつけるために派手な話をやるもんじゃないか。危険な怪獣が現われて大ピンチになるような話を」

「常識的に考えて、そうですよね」

「何であんな地味な話からはじめたのかねえ? あれじゃあ、シリーズの途中で観なくなった視聴者、多いだろうに」

「まあ、予算の問題もあるんだろうけど……」

「でも、やっぱり一番の問題は六話でしょ」さくらは力説した。「案野先生がタイムスリップする話。あれ何なんですか? タイムスリップってのもありえないけど、ストーリーがさっぱり分かりませんよ。あの結末ってどういうことですか? あの女の子の目的は何だったんですか? あの手紙には何が書いてあったんですか? みなさん、理解できました?」

「いやー」「ぜんぜん」「何だかなあ……」三人はそれぞれに首をひねる。

「でしょ? 何であんなわけ分かんない話やるんですか?」

「小津安二郎のパロディをやりたかったんじゃないかって言われてるな」と室町。

「誰ですか? オヅヤス・ジローって?」

「映画監督だよ。昭和初期に活躍した」

 さくらは涼の方を向いた。「先輩、知ってます?」

「名前は聞いたことはあるが、観たことはないな」涼は困惑した。「俺の生まれる前だし」

「同じく」と朝也。

「私も詳しいわけじゃない」と室町。「映画ファンの間では有名らしいが」

「その人の映画って、怪獣の出てくる映画なんですか?」

「いや」

「じゃあ、何でそんなパロディやるんです? 怪獣と関係ないのに。その監督のパロディやりたかったら、別の番組でやりゃあいいじゃないですか」

「訊くな。私にも分からん」

「だいたいタイムスリップっておかしいじゃないですか。刑事ドラマでタイムスリップ起きないでしょ? 教師を主人公にしたドラマでタイムスリップ起きないでしょ? 何で気特対のドラマでだけそんなことが起きるんですか?」

「それはアニメ的な感覚……なのかもしれないな」涼は少し自信なさげに言った。

「アニメ的な感覚って?」

「聞いた話だと、あの脚本家はアニメ畑出身なんだそうだ。だからアニメ的な感覚が染みついてるんじゃないかな。たとえば『藤澤さくら』みたいな現実味のないキャラクターでも、アニメだったらそんなに違和感がないと思うんだ。アニメだったらそれこそタイムスリップが起きてもかまわないだろ。

 しかし、。脚本家にはそれが分かってなかったんじゃないかな。作品を外から眺めているだけで、作品内の人間の視点が欠け落ちてる。俺たちが普段どれだけ苦労してるか、どんな責任を負ってるかってことを理解できてないんだ。だから部長が自衛隊への出動要請を拒否するなんて、ナンセンスな描写が平気で出てくる。部長の立場になって考えたら、絶対ありえないって分かりそうなものなのに」

「こういうドラマの脚本をアニメ出身者にやらせちゃだめってことですか?」

「俺はそう思うな」

「いや」室町がさえぎった。「その考えは間違ってるぞ、灰田」

「と言うと?」

「アニメ関係者の中にも、我々のことをきちんと理解してくれている人がいる――聞いたことあるか、アニメ化の話?」

「ああ、ドラマ化よりだいぶ前からありましたっけね。どうなったんですか、あの企画?」

「ペンディング中らしい。スポンサーが見つからなくてな。アニメ業界も最近は苦しいらしいんだ――しかし、アニメ版の脚本はいいぞ」

「読んだんですか?」

「ああ、何本かな。はっきり言って、ドラマ版のシナリオとは月とスッポンだ。オリジナル・エピソードもいいが、実際の事件を元にした話も、実にアレンジが上手い。特に監督自身が脚本を書いた第一話と第二話が見事だったな。二〇〇五年のシークラウドの事件をベースにしてるんだが、後半に大胆な脚色が加えてあって面白い」

「へーえ」

「あれは舌を巻いたな。これがプロの仕事というものかと。何よりも愛が感じられる」

「愛……ですか」

「そう。怪獣というものや我々の活動をよく理解してくれている」

「キャラクターはどうなんです?」さくらは興味をそそられた。「あたしはどんな風に描かれてます?」

「多少コミカルではあるが、好意的な描かれ方だな。少なくとも、ドラマ版よりはるかに現実味がある。あれなら藤澤も納得するはずだ」

「へえ……皮肉ですねえ、アニメの方が実写ドラマより現実的なんて」さくらはため息をついた。

「結局、リアリティとか作品の良し悪しというのは、実写かアニメかには関係ないんだろうな――『ミステリー・ゾーン』って知ってるか?」

「昔の海外ドラマですよね」と朝也。「再放送で観たことあります」

「あの番組は特撮なんかほとんど使っていなかった。でも毎回、見事なSFやファンタジーやホラーが展開されていた。特撮なんか使わなくても、予算がなくても、シナリオさえ良ければいいドラマは創れるってことだ。だから予算の制約は言い訳にはならない。その気になれば、怪獣を出さなくても、面白い怪獣ドラマはできるはずなんだ」

「なるほどねえ」さくらはうなずいた。「そうなるとやっぱり、実現してほしいですね、アニメ版。そのいいシナリオ、早く観たいですよ」

「ああ、そうだな――さてと」

 室町は壁にかかった時計を振り仰いだ。

「もう遅いな。そろそろ寝るか」

「そうですね」

 一同が立ち上がりかけたその時、室町の携帯電話が鳴った。着メロで気特対本部からだと分かる。彼らの間に、さっと緊張が走った。こんな時刻にかかってくる電話は、たいてい悪い報せだ。

「室町です」

 電話に出る室町。その表情が見る見るけわしくなる。

「庄内川?」彼は送話口を押さえ、三人の部下に言った。「8号だ。名古屋港に侵入して、庄内川に迷いこんだらしい」

 涼たちは慌てて地図を広げた。庄内川の河口はこの知多半島のずっと北、名古屋港の奥にある。川は名古屋市の西部を流れていた。

「北上中なんですね? 現在は中川区?」室町は地図を指でたどって確認した。「はい、分かってます。とりあえず川にかかってる橋と川沿いの道路はすべて通行止めに。上陸する可能性は低いと思いますが、いちおう近隣住民の避難を」

 涼が地図から顔を上げた。「俺の記憶じゃ、確かこのあたりにゼロメートル地帯があったと思います」

「灰田がこのあたりにゼロメートル地帯があったんじゃないかって言ってます。そうです。確認してください。8号に堤防を壊されると厄介です」

 さらにいくつか情報を受け取って、室町は電話を切った。

「やれやれ。今夜はたぶん徹夜だな――藤澤くん、運転は頼んでいいか?」

「はい!」

 さくらは元気よく返事した。

 先ほどまでの陰鬱な空気を吹き飛ばすかのように、機動班はきびきびした動作で部屋を飛び出していった。

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『MM9』番外編 藤澤さくらの憂鬱 山本弘 @hirorin015

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