【side B】人は馬鹿をやるために生まれてきたのかもしれない。或いは、それもノブリス・オブリージュ

頭が良く、人当たりが良く、ある種、人をコントロールできることを自覚していて、そのくせコントロールできる自分を憎んでいる。そんな男は、時にすさんでいる方が魅力を発揮する。持て余した自分に対して、冷酷になれるからかもしれない。彼は当時22歳。かわいらしい顔立ちで、けして老けて見えるタイプではないというのに、私は彼を老獪だと思った。きっと、見たくもないものをたくさん見てきたんだろう、と。


出会ってすぐ、毎日のように一緒に遊ぶようになった。頭がいい男はタイミングの読みもいい。彼からの連絡は必ず都合のいい時に来た。毎晩、「今どこいんの?」から始まって、「じゃあ、今日も夜にね」が当然のように続いた。


「もっと若い頃、人を人とも思わないような人生を送ってなかった?」

会って間もなく、そう聞いた。

「なんで」

「本当はどうでもいい、って感じのお金の使い方や、そのくせ、弱い人や心が壊れた人を捨てられないところが、なんとなく」


仕事の内容は聞いたかもしれないが、忘れた。とにかく、どこからともなく、やすやすと、彼は金を稼いでいた。そして、使い方は突拍子がなかった。飲み屋で隣り合ったすこし頭のおかしいおじさんに、酔って絡まれながらも奢ったりしていた。


「力や金があって当然の家だったからなあ。それを使わなきゃいけなかったし。でも、俺、それがいやでさ。人を人とも思わなかったのは、自分も人じゃなくなりたかったからかも」

「でも、なれなかった」

「そう」

「だから、今、そういう感じなの?」

「たぶん、そう」

「それって、贖罪かな。復讐かな」

「両方かなあ」

「両方、かあ」


彼と会っていた頃のことを思い出すと、色彩の印象がまるでない。ぼんやりと黒い風船の中にふたりで入っていたような気持ちになる。いつも、夜から明け方にしか会わなかったからだろうか。それともこれが贖罪と復讐の色なのだろうか。


毎日のように会う関係が少し落ち着いて、数か月した頃。久しぶりに会った彼は相変わらずすさんで、むくんだ顔をしていた。この数か月、彼は先輩と飲みまくっていたという。


「俺、無職だった時、先輩にずいぶんおごってもらったんだよなあ。でもさあ」


彼は、小首をかしげて笑顔を作るアイドルのような顔で、

「俺、今月、先輩に600万円、おごっちゃった」

と続けた。


「どこで」

「キャバクラ」

「600万、か。一日20万ならありえない金額じゃないね」

「シャンパンとか入れればね」

「だけど、それ、人生狂う金額だよ。先輩も、年下にそこまでおごられたら立つ瀬ないよ」

「金額はどうでもいいし、そんなつもりもない。ただ、お世話になったから」

「でも、こうやって話すってことは、先輩おかしくなってるんでしょ」

「うん、もう、俺のこと、財布としか思ってないと思う。今も、すごい電話来てるし。でもさあ」


のらりくらりと、ぐだぐだと、スツールをぎいぎい揺らしながら、彼は言った。


「嬉しそうだったからさ」


それから、彼とは疎遠になった。もし、その後、彼が先輩におごり続けているなら、私はきっと怒ってしまうし、もし、彼がその先輩と縁を切ったならば、彼は私に会いたくはないだろう。多分、私達はある種の状態にいた。黒い風船の中に入っていたかった。その暗黙の了解があったからこそ、私達は毎晩のように飲み歩いて、明け方になっても離れがたくて、結局「お互い風呂入ってちょっと寝たら、ニューオープンした串焼き屋に行こう」なんて話をしていた。


「そろそろ、俺に会いたくなった?」

「相変わらずチャラいね。そして、自信満々だね」

「いや、ほら、俺ってタイミングいいじゃん。この前も、ちょうど近くにいるときに電話したし」

「本当だよ、GPSでもつけてるのかと思った」


久しぶりに連絡があったと思ったら、彼は、案の定、こんな話をしだした。


成り行きでどこかの店を任されることになり、あっという間に繁盛し、何店かチェーン展開をして、ところがまた「あいつ、今まいってるから」と職を世話した友人に金を持ち逃げされたという。


「ねえ、ひょっとして持ち逃げされるのが好きなの?」

「ここまで繰り返してると、さすがに俺もそうなのかなと思ってきたよね」

「実は目的果たしてるんじゃないの?」

「ああ、俺、金なんてどうでもいいと思ってるからね」

「きみは人生でパチンコしてるね」

「大当たりしたら隣の知らないやつに箱ごと全部あげてスラれて」

「しかも、何故かそのあと酒をおごる」

「本当だよ、なんで俺がおごるんだよ!」


一息ついて、私は聞いた。


「贖罪と復讐のツアー、まだしたいの?」


息を吸って、彼は答えた。


「そうだね、俺、結構、まだクレイジージャーニーだね」


「だったら稼ぐ才能あるんだし、気が済むまでやりなよ」と私は言い、彼は「それもノブレス・オブリージュかもな」と笑った。


彼は、今もずっとお金で遊び続けているのだろうか。それとも、どこかひょんなところで落ち着いていたりするのだろうか。遊び続けたいならそれもいいよね、と思うのは所詮他人事だからで、けれど、何だか彼は死んだりはしない気がする。


「お前には金がある時に会う気がしない」

「うん。私も別にいい」


成功したとかしないとか、そんなの別の話。

勝つも負けるも本当はないことをあらかじめ知ってる彼の、人生の壮大なギャンブルは近くにいて付き合うと確実に面倒くさい。けれど、遠くから見たら何だか鮮やかで、人間は馬鹿をやるために生まれてきたのかもしれない、なんて、崇高な気持ちになったりするんだよ。

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