【side C】さようなら、砂時計

「心を踏みにじられるってよく言うよね。踏みにじられ続けたらどうなると思う? 砂になるの」


風が吹く度に舞い散り、どんなにこぶしを握り締めても指の隙間から零れ落ちていく砂をそれでも集めた。もう手のひらには何も残ってなくて、だから地面に這いつくばって、指を唾液で濡らし、一粒でも指にくっつけば、まだある、私にはまだあるから、と。


愛している、が、愛していた、になる瞬間を初めて知った。惨めさにも沸点があるのだと思った。砂になった心を這いつくばって集め続けた私は、もう手のひらに一粒も砂はないのに、幼い頃に当たり前にあった砂の城をそれでも築けると信じたがった裸の王様だった。


惨めさは沸点を迎えると恐怖に代わる。そして、恐怖に代わったことが私がまだ真新しい人生を選ぶ力があった証でもあった。恐怖の源は生存本能だ。惨めさの沸点はこの先にもう生きていく術はない、と知る時であり、その沸点を迎えた時、人には恐怖かあきらめの二つのルートがある。私は、恐怖を選んだ。


「ねえ、もう過去形でしか言えないよ。びっくりした。愛してるって本当に過去形になるんだね」

「手のひらから零れ落ちていく砂を地べたに這いつくばって拾い集めてた。でも、もうなくなっちゃった。もう、どこにもないよ」

「どこにもないものを追いかけて生きていくの、もう、私はできない」


そう言って、気づく。


そうだね、幼い頃に作ったあの砂の城は、もう、最初からどこにもなかった。


惨めさの始まりは報われる日を願うことだ。報われる日を願わなければ、惨めさは存在しない。

そして、報われる日を願うのは、自分の何某かの犠牲の意味を確かめたいからだ。


私はこれを差し出したよ。だから、ねえ、あなたも何かを差し出して。


欲しくて欲しくて欲しくて、だから何でもできた。踏みにじれば踏みにじるほど、よく頑張ったね、と誰かが頭を撫でてくれると思っていた。


ねえ、でも砂の城は砂の城だよ。いくら濡れ固めてもいつかは崩れていくだけ。


手のひらから零れ落ちた砂は、風に巻かれ波にさらわれ消えていく。


今日も海に行った。子ども達と遊んだ。海に出るまでに足についた砂は、波にさらわれ消えていった。


それでいい、と思った。


時間よ止まれと願ったあの頃の私は、本当に願っていたから、心を砕いて砂時計の中に入れた。


時計の砂が、落ちる。濡れた足でビーチサンダルを履いて、離れにある家の風呂に向かう。


「排水溝が詰まっちゃうから、シャワー浴びる前に砂を落としてね」


引き留めようがない瞬間に永遠を望む麻薬的な喜び。

砂時計の砂を一粒ずつ数えるように失ったものを取り戻そうとする不可逆の祈り。


取り戻せないことを呪いと呼ぶか、恩寵と呼ぶか。


私達はいつも選べ、そして、その選択も波にさらわれていく。

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