【side A】子どもたちに内包された完璧なもの
幼い頃から完璧な世界があると私は信じていた。
絵を描いている友人が言った。
「幼い頃からおままごとやお人形遊びで友達とみんなで遊ぶより、絵を描いている方が好きだった。そっちの方が完璧に、好きに、自分の世界の中で遊べるから」
私も、その気持ちはよくわかる。
小学校低学年の頃。放課後、近所に住む子ども達と公園にいた時のことだ。私は、砂場の縁に腰をかけて本を読んでいた。一緒にいる子どもが「あきこちゃん、お砂場で遊ぼうよ」と声をかけてくる。
「ううん、本、読んでる方が楽しいからいい」
迷いはなかった。
不器用な手で、周りの目や、大人の「そろそろ帰るよ」という声を気にしながら大してきれいにもできない砂の城を作るより、水晶でできた洞窟や、色とりどりの宝石が散りばめられたお城が完璧な形で出てくる本を読んでいる方がずっといい。
私は、本気でそう思っていた。
ものを作っている人間に聞くと、多かれ少なかれ似たような経験があるようだ。芸術家には幼い頃から完璧な絵や物語、音楽などが頭の中にあり、それらの方がよりリアルに見えるため、現実の世界に興味を持たない人間が多いという。
確かにものを作ることは、今ある「現実の世界」に自分の視界で見た「完璧な世界」を投げ込むことなので、「現実の世界」に目を向けている意味を見いだせないのは頷ける。
しかし、幼い頃から「完璧な世界」を内包している子どもはなかなか理解されないものだ。
私だって、今、大人の立場から振り返ると、公園で友達に「遊ぼう」と声をかけられて「本読んでるからいい」と言う子どもは「かわいくない、暗い」と言われるだろうな、とは思う。
けれど、私は、その子どもに「かわいくない、暗い」とは言わないだろう。
だって、当時の私は既に気付いていたし、どこかで信じていた。
無邪気にみんなで仲良く遊んでくれたらいいのに。そうしたら、楽なのに。
そんな大人の思惑より、自分の中の完璧な世界の方がずっと綺麗で本当だ、と。
その先生は、雨宮先生、という人だった。
小学校四年生の時に担任になった雨宮先生は、他校から赴任してきた教師で「物凄く厳しいが、生徒にも保護者にも評判がいい」という噂だった。50歳ぐらいの女性だったが、仁王像のような見るからに怖い顔をしていたし、実際に厳しく怖い人だった。ただ、私はその人が全く嫌いではなかった。
一瞬たりとも気を緩められない緊迫感のある授業も、手を抜いた提出物に対する叱責も怖かったけれど、嫌ではなかった。それは、その先生が「生徒から好かれる」「生徒からの評判を良くする」という倫理ではなく、「生徒を育てる」「生徒を伸ばす」姿勢でいた人だったからだと思う。
「やり方がわからない」「できない」ことを責められたことはなかったが、「手を抜いた」「諦めた、投げた」ことはずばりと指摘された。周囲との比較や優劣ではなく、自分が最善を尽くしたか否か。問われているのはそのことで、だからこそ厳しく、だからこそ嘘がなかった。
私が、文章を書いているきっかけは、この雨宮先生だ。
雨宮先生は、子どもたち全員に日記を書くように推奨していた。毎日でなくてもいい、短くても長くても構わない、とにかく書け、と。
一人の世界が好きな子どもは2パターンに分かれる、と私は思っている。とにかく一人になりたいので、自分だけでできてその場で完結し、しかもやっていればとりあえず褒められるから、勉強が好きな子。そして、外部の倫理にも役割にも他人に褒められることにも興味がなく、しかも面白くないので勉強が嫌いな子。
私は、読書好きでもあり、教科書を見ている方がクラスや学校のあれこれを見ているより落ち着くので前者に入った。しかし、勉強ができるといっても「好き」というより「他のものよりまし」ぐらいなので、本当に目標があって勉強している子や、本当に学ぶ才のある子には当然敵わない。
「他のものよりまし」というのは、消極的選択だ。完全に、渋々である。
私、これから世の中、「他のものよりまし」って感じで生きてくのかなあ。
そんな気持ちでいた時に、提出した日記を雨宮先生に褒められた。
その日記は、家族旅行で山梨の小淵沢に行った時の話だった。小淵沢駅から山道を延々と上り、小さな橋を渡ったところにある古い旅館。裏庭には猿が捕まえられていて、雉やニワトリもいた。『となりのトトロ』でメイがトトロを見つけたような、木でできたトンネルがあり、私はそこに水筒と本を持っていくのが好きだった。トンネルの中で見た木漏れ日の色をいまだにありありと思い出せる。現実にも、綺麗なものがある。東京生まれの私が、初めてそのことを知ったのは、その旅館でのひと夏だった。
もう当時の日記は残っていないが、その小淵沢旅行の日記だけはなんとなく覚えている。今、書いた文章とほとんど変わっていない、と思う。
本当に感動したのだ。見たこともない大きな蝶々や、緑に透明に透きとおる川、雉の色鮮やかさや森の中にわんと響く鳥とセミの鳴き声や、木々の緑の匂いの濃さに。
雨宮先生のその日記の褒め方も尋常ではなかった。生き生きとした描写、匂いや風や木漏れ日が伝わってくるなど授業中に10分ほど褒められ、学校便りに掲載することになった。
初めてだった。
自分がいいと思ったものを、自分の好きなように表したのも、それが人に伝わったのも。
嬉しかった。
「他のものよりまし」以外のルートが人生にあることが。
幼い頃から信じていた自分の中の完璧な世界と現実の世界がようやく繋がったような気がした。
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