聖ちゃん、絶望する

はあ……。

私、浅倉聖はチラチラと後ろを振り返り、白板に書かれた教科を見てはため息をついた。

ここのところずっと世界史の授業が潰れ続けているのだ。

本来は週2回なので、4週間あれば8コマあるところが、なんと今月はそのうちの5コマしか授業がないのだ。


もうここまで授業がないと、私もさすがに職員室の陰謀としか思えない。今日だって、私のクラスは授業がない。誰だ、塩田先生の世界史を阻むのは……。

さすがに陰謀ではないだろうが、授業が少ない原因はよくわかっている。先生は3年生の担任なのだ。今月は1月ということもあり受験シーズン真っ只中であるからとても忙しい。今日も今日で授業が潰れるけど、もう諦めてどうして潰れるのか、その理由でさえ確認していない。


はああ…と2度目の大きな溜め息をついて、私はぐてんと机に伸びた。これじゃあ、まるでいつかの柚月じゃないか。


そこへ落ち込んだ頭によく響く声で柚月が話しかけにやってきた。

「聖、さっき塩田先生がVONDAのEvening Shot買ってたよ」

「うん…そうなんだ」

返事は自分が思っている以上に暗い声だった。いつもなら、『塩田先生!?塩田先生が何だって!』と、尻尾を振って飛び付くはずの話なのに。

私が無反応だからか、奇妙に思った柚月は首を捻った。

「え、どうしたの。この話に反応しないなんて、まさか世界史を嫌いにでもなったの?」

彼女の問いかけに答える気力もなく、私はただ机に伸びたまま、弱々しく後ろの白板を指さした。

つられて柚月もゆっくりと後ろを見た。

「あー、そういうことね」

さ、さすが友……。言葉無しに私の気持ちをわかってくれるとは。きっと、柚月も、塩田先生の世界史を待ち望んでいるのだろう。(ちなみに全く待ち望んでいない。)


「確かに、午後は新学年に向けての二者面談だもんね。まあどうにかなるさ」



…………ん?


「大丈夫だって。だって我らが担任、彦島繁邦ひこじま しげくに先生は理系の先生だし。文系の私はともかく、理系の聖には良い相談相手じゃない?」

柚月はにっこりと微笑んで、励ますように私の肩へ手を置いた。このときの柚月はごく稀な純粋な笑顔で別人のように優しかった。とても授業中に『あたまだいじょうぶ?』と言うように見えな……な、何でもない。


でもそれにしたってごめん、君の話が理解できない。どういうことなんだ。

つまり、アレなのかい?


勢い良く立ちあがり、ダンッと手を机に叩きつけ、私は叫び崩れた。

「忘れてたアァァァァァァァァァ!今日、二者面あァァァァァァァァん!」


「どうせそんなことだろうと思ったよ」

やれやれと苦笑いの柚月は、ポケットから四つ折りにした紙を取り出し、それを広げて私に手渡した。


「はい、聖は今日の面談トップバッターだよ」

「な、なにい」

「だから、彦島先生が朝のホームルームで言ってたじゃん」

「あ………」

しまった、ホームルーム中、妄想に夢中で全く話を聞いていなかった。

言われてみればなんか名前を呼ばれて、とりあえず「ふぇ?あ、はい」とか間抜けな返事をした気がしなくもない。

「そういうことだから、まあなんとか頑張れ、ね?」

そう言って、ポンと肩に手をのせた柚月の表情は、先程とは打って変わってあの優しい微笑みは姿を消していた。代わりに、そこには、眉間に何かどす黒いものを溜めたかのような恐ろしい微笑みが浮かんでいた。


私としたことがすっかり忘れていた、柚月はこういう奴だった。

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世界史のメシア様 癸(みずのと) @Shostakovich

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