世界旅行の刑

盛田雄介

世界旅行の刑

 これは、そう遠くない未来の話。


裁判所の中央で多くの人間に囲まれながら、囚人横山は自分の刑が言い渡されるのを待っていた。


彼は幼い時から窃盗、強盗を繰り返しは逮捕されていた。そして、遂に殺人を犯した。

あの晩に選んだ道は街灯一本の人通りの少ない寂しい道。

横山は、暗闇に乗じて目当ての人間の後をつけてた。


目標は仕事帰りの中年女性のハンドバック。

肩から掛けている鞄の紐をハサミで切って奪い去るだけ。何度も行った簡単な仕事だった。

「こんなのは朝飯前だぜ」


しかし、その日は手元が狂ったのか、自分の力を過信し過ぎていたのか、女性の抵抗が強かったのか、ハサミは運悪く女性の胸に刺さってしまった。

横山は恐ろしくなり、その場からすぐに逃げたが、1日も経たない内に逮捕され今に至る。


 厳粛の中、ようやく裁判長が口を開く。

「では、判決を言い渡す。被告人、横山敦を有罪とし『世界旅行の刑』と処す」裁判長の発言に周囲が騒ぎ始める。

「おい、聞いたか。『世界旅行の刑』だってよ」

「これで、五人目だな」

「でも、それだけの事はしたからな」

「みなさん、静粛に。罪人、横山敦。何か言いたい事はありますか」

「何もありません」裁判長と目があった横山は口角を上げ、にやりと微笑んだ。

『世界旅行の刑』の件は瞬く間に日本中に広がり、報道番組では全て横山の話題で持ちきり。

彼は一躍、時の人となった。


「おい。あんただろ。『世界旅行の刑』の罪人って」薄い布団の中で身体をダンゴ虫の様に丸めて暖をとっていた横山に隣の囚人が声を掛けてきた。

「それが、どうした」

「あんたの事でみんなが騒いでいるぜ」

「どうでもいいだろ。そんなこと。とりあえず、こんな豚小屋から出れるなら、世界でも宇宙でもどこでも旅行してやるよ」

「あんたは幸運だよ。一生をここで過ごす俺からしたら羨ましいぜ」

「まぁ、旅行って言ってもどこに居るかは常にGPSで把握されるし、小型カメラを頭の中に入れられて、俺が見た物を全て記録するらしい。プライバシーなんてあったもんじゃないぜ」

「それでもいいじゃないか。こんな豚小屋から自由になれるんだから。それで、ここを出たら、まずはどこに行くんだ」

「一応、最初は中国に行くことになってる。その後は、韓国に行って台湾、モンゴル、ロシアになる」

「なんだ。好きな所には行けないのか」

「最初の一年だけはな。でも、その後は好きな所に行って良いらしい。刑が執行されてる間、必要な日用品もただで支給されるし、どこでも使えるクレジットカードももらえる。一年我慢すれば天国だ」

「そうなのか。それじゃあ、欲しい物は何でも手に入るじゃないか」

「いやいや、必要な物だけだよ」

「それでも羨ましいぜ。それじゃあ、最後に一つだけ聞かせてくれよ」

「いいぜ。なんだよ」

「出発する前に食べる物って決まったか」

最後に何の質問かと思えばそんな事かよ。と横山は笑いながら答えた。

「最後に食べるのはハンバーガーだ」

「それ、いいな。俺も食べてえな。想像しただけでよだれが出てくるぜ」隣の囚人はそう言いながら袖で口の周りを拭く。

その後も、二人の会話は何十分も途切れずに続いた。

「おい。二人とも、いつまで起きているつもりだ。早く寝ろ」看守の命令の下、二人はようやく眠りに入った。


投獄されて一ヶ月後、横山は遂に刑執行の日を迎える。

いつもより、三時間も早く起こされ、頭の中に小型カメラを埋め込まれる。

その後は、クレジットカードの使い方や旅行の道順の説明を受けて日用品の入ったリュックを渡され準備完了。


 出発の午後二時までは、隣の囚人と他愛の無い会話で時間を潰し、昼食の時間になると最後の食事にリクエストしたハンバーガーが届く。


いつものドロドロのご飯とは全く異なり、形があるハンバーガーに横山は胸躍らせる。

夢にまでも見た目の前のハンバーガーは、大昔に食べたファストフード店の物と全く同じ。

湿ったバンズに挟まれた何の肉かわからないパテとしなびれたレタスにスライスされたトマトの合わさった香りが食欲をそそる。

そして、小さいピクルスを払い除けて、横山はハンバーガーの味を細かく感じ取りながら完食する。


後でコーラも注文しとけばと気づいたのは、出発10分前のことだった。

「それでは、罪人横山敦。前へ」

「そんじゃあ、いってらっしゃい」

「行ってきます」

鉄格子越しに最後の握手を交わした横山は看守に囲まれ、巨大な鉄板扉で厳重に管理されている玄関まで向かった。

「それでは、これより罪人横山敦の『世界旅行の刑』を執行する。扉を開けよ」

看守の号令により巨大鉄板扉が轟音を響かせながら開いた。

目の前に広がる光景は暗闇のみ。空は雲で覆われ、月明りも見えず、何m間隔かに設置されている外灯の小さな光を頼りに進むしかない。今日は、旅行日和とはほど遠い日だ。

「それでは、行って来い」

顔色一つ変えない看守に促され横山は外へと足を進める。

長い事、待った自由な世界。鉄格子に囲まれた狭い部屋とは、おさらばだ。十分ほど歩くと、住み慣れた監獄は既に小さくなっていた。

 季節で言えば初春を迎えていたが、肌寒い。横山はリュックからコートや手袋を取り出して暖を取り始める。


その後も必要な道具を次々に取り出し、旅路に備え始めた。

「シャバの空気は美味しい」とよくドラマで言っていたが、全然違った。

 鼻に入ってくるのは、工場から出た化学薬品の臭いばかり。長時間、吸っていると頭の中が混乱してきそうだ。


 最初は「念願の外の空気だ」と思い吸っていたが、たまらずにガスマスクを装着。

 行く手を阻む白い霧は汚染された空気の層。長時間、何もせずに直視していると、次第に両目に痒みが走り始め、横山はゴーグルを装着し再び目的地を目指した。

 横山の孤独な旅はまだ始まったばかり。前人未踏の世界旅行。

 彼のこれからの旅はそう遠くない未来で記録されている。


人類の化学は急成長を遂げた。しかし、それは同時に急速なエネルギー資源の消費と環境破壊を招いた。

地球上の生物は汚染された世界で次々と死に耐え、厳重な防備をしても外に出る事はかなりの危険を伴った。

生き残った者達は外界を完全に遮断した人工ドームで生活をし、命を繋いでいた。いつか、外の世界に戻れることを夢見て。

「こちら、横山。現在、第一チェックポイントと思われる場所に到着しました」

「了解。引き続き、予定通りの道順で進んでくれ。一年間、頑張れは君は自由だ」


これはそう、遠くない未来の話。

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世界旅行の刑 盛田雄介 @moritayu

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