第2話

 ……負けたのか。私……

 

 盤上を凝視していたタニ子は、顔面から血の気が引いていくのが自分でも判った。


「ありません」


 小さく呟く様に言ったタニ子の声は、投了を意味するものであった。この瞬間「三木龍」の一団から歓声が上がった。「播磨虎」と「三木龍」の、お互いの不良組織の全てをかけた真剣勝負は「三木龍」が勝ったのである。このこの勝敗が切っ掛けとなって誕生した「三木連合」が、後に関西有数の武闘派組織として県内外を席巻する事になるのだが、それはまた別の話。


 うなだれているタニ子の背中に、暗い面持ちの「播磨虎」の側から追い打ちを掛ける様な声が掛かる。


「タニ子。判っているだろうな」

「うっ」


 タニ子は自分が勝負に負けた時の事を一切考えていなかった。


「まさか、落とし前をつけるのが嫌だとは言うまいな?」

「いや、そんな事は……」


 タニ子は覚悟を決める時であった。「代指し」として真剣に負けた落とし前を払わなくてはならない。


 しかし落とし前って言っても、この勝負の場合、どうするつもりだ?命をとった所でなんにもならないだろうし…… 金っていう話にしても、ワタシは金なんて持ってねーぞ。まさかワタシを風俗に売ろうって話になるのか……


「だったら、話は早ぇ。さっそくこの場でやっちまおうか。良く見りゃお前は悪かぁないしな」


 そう言って「播磨虎」の先頭の不良が自分のズボンのベルトに手をかけた。その後ろに何人もの不良達がいる。負けた腹いせをタニ子にぶつけることで、この場を終わらせようと言う心づもりなのだろうか。


 まてまて。この場でみんなしてワタシを犯そうというのか?ワタシはまだ処女だぞ。ていうか一体何百人いるんだよ。体が裂けるだけじゃ済まないぞ。


 恐怖を感じたタニ子の頬に冷や汗が流れる。


 これは、もうを決め込むしかないな。


 トンズラは真剣で負けて支払いが出来ない状態になった真剣師が良くやる手である。大抵は精算の前に「トイレに行ってくる」などと言って、そのまま帰ってくる事は無い。


 しかし今の状況でトンズラする隙はあるのか?


 周りは不良どもに囲まれている状況である。支度がどうとか乙女らしいフリをして言った所で許される気がしない。タニ子が絶望的な状況で諦めかけた時に、不意に別の所から声が上がった。


「僕の方の報酬の話も忘れてもらっては困るよ」


 そう言ったのはタニ子と戦っていた真剣師の少年だった。その言葉に「三木龍」のトップの三木龍太郎が答える。


「はい。先生の報酬は、もう、ちゃんと用意してますから」


 三木の言葉に少年は首を振った。


「気が変わった。報酬を別のモノにしてよ」

「先生。こっちにも約束ってのがあるんですぜ」

「だったら、この勝負は、わざと負けにするよ」

「そんな馬鹿な話。もう勝負がついているのに、負けにするとか、そんな無茶な話はありませんぜ」

「未だなんだよ。僕の耳には、お姉さんの。このまま将棋を進めると、僕がとんでもないミスをしでかすかもしれない」


 少年の言葉に三木は怯んだ。 


「わ、わかりましたよ。で、一体何を先生の報酬にすれば良いのですか?」


 少年はそこで急にもじもじとしはじめた。


「あのう。お姉さんを……」

「へ?」

「目の前の、お姉さんを下さい」 

「えっ?「マムシのタニ子」を!?本当にこんなので良いのですかい?」


 少年はこくんと頷いた。


「そりゃ勝負に勝たとなりゃ、「元播磨虎」の連中にも、こっちの言う事を優先して言って聞かせますがねぇ」


 三木はそう言って「播磨虎」の連中を睨んだ。「三木龍」を仕切る三木の立場からすると、自分達の傘下に入った事を「播磨虎」の連中に判らせる最初の機会であるように見えた。何よりも用意していた報酬を支払わなくて済むのも有り難い。 


 タニ子は今ひとつどういう流れでそうなったのかよく判らないまま、とにかく少年のおかけで「助かりそうだ」と言う事だけはわかった。

 その時、土手の方から大きな声があがった。


「おい。こら!お前等、直ぐに解散しろ!」


 土手の方から、谷川刑事と羽生刑事が叫びながら駆け降りて来るのが見えた。


「げっ


 谷川刑事の姿を捉えたタニ子が叫ぶ。勝負が終わったタイミングで割って入ってきた刑事達に、不良達は蜘蛛の子を散らすように塵じりになる。タニ子もまた逃げる不良達に紛れてその場から逃れようとする。と、目の前に少年の姿が目に入った。


「あっ今日の所は助けて貰ったようだな。礼を言っておくぞ少年!」

「いえ、そんな。あっ僕の名前は剣持ケン太と言います」

「ケン太か。ワタシはタニ子谷川タニ子だ」

「知ってますよ。ずっと憧れてました」

「へ?」


 そこに谷川刑事が近づいて来る。タニ子の後ろから声が掛かる。


「おい!お前、タニ子か?」

「ひっ人違いですよ。兄貴の知らない人ですよ」


 タニ子は振り返らずにそう言った。


「いや、お前、俺のこと「兄貴」って……」


「行くぞケン太!」

 

 都合の悪くなったタニ子は、ケン太の小さい体を小脇に抱えて一目散に走り出した。




 ◆◆◆◆


 平成二十某年春



 加古川駅にセーラー服に学ランを羽織った小柄な少女が降り立った。剣持ケン子十四歳。身長ただいま成長中。ケン子にとって、ここは加古川は死んだ父さんと母さんが、学生時代を過ごしていた街であった。


「さてと。早速、将棋の打てるとこを探しますか」


 大きく体を伸ばしたケン子は、そう言って歩き出した。


 つづく






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しんけんしけん めきし粉 @mexicona

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