水の夢 - 13 -

 男が朱に染まった耳に唇を寄せると熱の余韻なのか。びくりと身体を震わせながら甘い声を上げて、男を喜ばせているようだった。

 しかし、男は後戯をしている訳ではなさそうだ。乱れた黒髪の隙間から見える瞳が、徐々に熱を失っていく様が見えた。


 「ぅ……う、そ……」


 殊更大きく身体が震える。快楽に酔っていた時とは違い、その瞳は恐怖に支配されていた。瑞貴はぎこちなく頭を振る。まるで、今し方男から聞かされた何事かを否定するかのように。


 「ゃ……ぁ、あ、いやああぁぁっ——!」


 普段からは考えられない声量で瑞貴が叫んだ。尋常ではない状態に男は慌てるどころか、酷薄な笑みを浮かべて耳を塞ぐ瑞貴を見下ろしていた。

 男が与えた言葉は、受け止めきれる内容ではなかったのか。断末魔のような悲鳴を最後に、瑞貴は意識を失ったようだった。

 男はそんな瑞貴に興味をなくしたように衣服の乱れを整えて、仕上げに白衣をまとう。そのまま俊樹が立ち尽くしている扉までやって来て、平然と。まるでそこに誰もいないかのような素振りで彼の横を通り過ぎていった。

 いろいろなことが起こり過ぎて、何が何だかわからない。瑞貴に嫌悪感を抱いたり、可哀想だと思ったり。好きだと思ったり、嫌いだと思ったり。もう明日からここに来たくないと思ったり、明日も会いたいと思ったり。

 最終的に、この問題は一時休廷として、鉛のように重い足を騙し騙し動かして室内に入った。

 いつもの匂いと情事後の生々しい匂いが混ざった空間に、何とも云えない気分になる。

 俊樹は糸が切れた操り人形のように、不自然な体勢で倒れている瑞貴の元に駆け寄り、呼吸を確認した。微かだが、生きていることは確認できて額と膝がついているつらそうな体勢から、仰向けに変えてやる。

 ボタンが無くなっている衣服は整えてやることもできず、せめてもと肌掛けだけかけた。そして顔に貼りついた髪を除けてじっと顔を見る。その表情は恐怖に歪んでいて、痛々しかった。

 あの男に何をされて、何を云われたのだろう。今まで見たことも、想像もしたことがなかった瑞貴の姿に俊樹は戸惑う。

 曝された身体は先ほどまで男を喜んで受け入れていたというのに、綺麗だった。だが、それ故に哀しかった。

 俊樹は悲痛な面持ちで瑞貴を見下ろしながら、一気に与えられた情報を少しずつ、噛み砕いていく。

 胸は膨らんでいるが、下半身は男性のようだった。その事実が一番俊樹の幼い心を惑わせる。

 どうして、瑞貴が男だったらいけないのだろう。別に友達なら性別など関係ないではないか。瑞貴は瑞貴なのだから。

 けれど……。


 (俺は、瑞貴が……?)


 いたたまれなくなって、病室をあとにした。

 空から舞い落ちて来る雪が、瑞貴を思い出させて苦しい。俊樹は先ほどまでの出来事を振り払うために走り出す。

 今苦しいのは瑞貴のことを考えているからではない、走っているからなのだと。

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