p10 ノーエ節


最後に歌を取り上げる。意味もわからないのに歌っている歌がある。それがこれである。どこかで歌の一節ぐらいは聞かれたことがあると思う。


歌詞全文はこうである。

『農兵*節』


富士の白雪ゃノーエ 富士の白雪ゃノーエ

富士のサイサイ 白雪ゃ朝日でとける

とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ

とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ

三島女郎衆はノーエ  三島女郎衆はノーエ

三島サイサイ 女郎衆はお化粧が長い

お化粧長けりゃノーエ  お化粧長けりゃノーエ

お化粧サイサイ 長けりゃお客がこまる

お客こまればノーエ  お客こまればノーエ

お客サイサイ こまれば石の地蔵さん

石の地蔵さんはノーエ  石の地蔵さんはノーエ

石のサイサイ 地蔵さんは頭が丸い

頭丸けりゃノーエ  頭丸けりゃノーエ

頭サイサイ 丸けりゃ烏がとまる

烏とまればノーエ  烏とまればノーエ

烏サイサイ とまれば娘島田

娘島田はノーエ  娘島田はノーエ

娘サイサイ 島田は情でとける


何で、突然『三島女郎衆』が出てくるのか、化粧が長いと何故客は困るのか、島田娘が「とける」とはどういう意味なのか?ノーエは農兵から来ているとは、ちィーとも知らなんだ。


歌は、富士の白雪→とける→三島にそそぐ→三島女郎衆→お化粧がながい→御客がおこる→おこれば石の地蔵さん→地蔵さんは頭がまるい→まるけりゃ烏がとまる→とまれば娘島田→島田は情けでとける→とけてながれてノーエとつながり、まるで尻取りのように憶えやすく、水の流れのように輪廻させている。


「溶けて流れる」をキーワードとして、悠久なる富士の大自然と対比して、世の陰を「三島女郎衆」に代表させ、俗世の諸行無常を歌い流す鎮魂歌との解説は少し出来すぎとしても、富士の清流が巷(ちまた)をめぐり、海に注ぎ雨となって富士に再び降り巡る様が想像できる。三島は水が綺麗で有名なところである。

『富士には月見草がよく似合う』で知られる太宰治の『富獄百景』の中で、年に一度の解放日であろう、御坂峠に観光で来た遊女たちが、乗り付けた数台の車から降りて、ぞろぞろと歩く姿を「暗く、わびしく、見ちゃいられない」と太宰は書き、ふと、富士に彼女らの幸を頼むところがある。それを思い出して、この歌詞も中々に文学的?に思えてくる。


「三島女郎衆」の起源は、天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原北条氏攻撃に際し、将兵の休養のために女たちを与え、慰安したのが始まりとされている。秀吉の命により三島へ集められた女たちは、遠く京、大坂からの女達もいたと伝えられている。

その後、東海道の発達により、三島宿はさかえ、「三島女郎衆」となり、農兵節にも歌われて有名になったのである。


化粧が長いのは、一つにお客が待つ間の酒や肴に金を落とさせる店側のそろばん勘定が見て取れる


島田娘が溶けるのは、「富士の白雪 朝日で溶けて、娘島田は寝て(情を交わす)溶ける」と解すればどうだろう。富士の白雪と娘の白い肌…勝手な想像・解釈であり、あまり信用しないで欲しい。


*農兵制度:農兵隊は幕末、動員力を失った幕軍、藩兵を補強するためにできたもので、伊豆韮山代官江川英龍(担庵)は代官所管内に農兵隊(三島小隊、原小隊、吉原小隊)を組織し軍事訓練をした。


長々と書いて来たが、感じるのは、聖と性、性と生、『聖なるものと、俗なるものとの間には線を引くことは出来ず、渾然一体としてある』という思いである。

世においても、人の心においても…。ましてや「苦海に身を置く」とされる遊女においては…更にであろう。


次はオリジナルの「遊女物語」を書いてみたい。



 了




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『遊女記』 北風 嵐 @masaru2355

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