* 最後の言葉

          *


 木々の生い茂る森の中を、隙間を縫うように風が抜ける。

 ユウキは近くの木に背を預け、どこからか聞こえてくる水のせせらぎに耳を傾けた。先程まで聞こえていた喧騒けんそうはもう聞こえない。静寂が、物思いにふけるユウキを優しく包む。


 ユウキは今、トーツ国のポロボに来ていた。




 三週間前。ケッキの宿屋の一室で、目を覚ましたユウキの枕元に、一切れのメモと一通の手紙が置かれていた。


 最初に手に取ったのはメモの方。真っ先に目に入ったのは謝罪の言葉。それから、この手紙が一年前に預かったものであることと、ユウキに風捕りとして動いてもらうために、あえて渡さずにいたものであるということが書かれていた。

 そのメモに署名はない。だがユウキはこのときすでに、それがアキトが書いたものであると確信していた。


 封筒を開けると、茶けた安物の便箋いっぱいに、たくさんの文字が書かれていた。

 差出人の名を見てユウキは口元を覆う。震える手を押さえながら、必死に読み進めた。


 そして――。

 手紙を読み終えたユウキは、目に涙をにじませながらひとりごつ。


「おじいちゃん、やっぱり文字書けたんじゃん。シュセン語まで……」


 差出人はジャンだった。

 ジャンはずっと文字が書けないふうをよそおっていた。だが、軍人であったのだから書けても不思議ではなかった。


 そしてその肝心な内容はというと、そこには懺悔ざんげともとれるようなジャンの罪の告白と、ユウキを案じる言葉が書かれていた。



 思い返せば、ジャンの人生は波乱万丈で――皮肉なものだった。

 自国トーツのために敵国シュセンを攻撃したにもかかわらず、休戦時にはあっさりとその身を売られ、生き延びるためには敵国に逃げ込まねばならなかった。

 さらに、自分の作戦の報復として行われた天誅作戦、それを強行したと言われていた風捕りの娘などを拾い育てる羽目になった。


 手紙によると、ユウキが八歳のときにはもうジャンはユウキが風捕り一族の娘であることに気づいていたのだという。

 トーツ人のジャンからすれば、自国の民を殺した憎き一族の娘。知ったが最後、到底受け入れられるものではない。四年も一緒に暮らせば情も移るだろうと言いきってしまうには、この事実は重すぎだった。ジャンは苦悩したはずだ。

 けれど、ジャンはユウキを捨てなかった。さらにこの天誅作戦さえも自分のせいだと考え、自らを責めた。



 悔恨を強く感じさせるジャンの文章は、ユウキの心を締めつけた。そして、ユウキにこれまで考えたこともなかった疑問を芽生えさせた。


 ――おじいちゃんは、幸せだった? それとも私を拾って後悔した?


 口では幸せだったと答えるだろう。けれど、本心がどうであったかはわからない。


 穿うがった見方をしていることには気づいていた。けれど一度、気持ちが落ち込んでしまったユウキは、前向きに考えることなどできなかった。

 そんなときだった。ショウが知らせを持ってやってきたのは。


「ユウキ、ポロボに行ってみたいか?」


 現在、戦後処理で多くの外交官が多忙を極める中、マカベに任せていた風の塔建設の現地視察が決まった。そこで、マカベ家の責任者と技師と一緒に、国の折衝役としてショウの父、コウダイが赴くことになったのだという。コウダイは元々は外交官だったため、白羽の矢がたったようだ。


「もし、風の塔ができる前に町を見ておきたいんなら、親父にユウキが同行できるように頼もうと思ってる。どうする?」


 風捕りや亡くなったポロボの民の慰霊を目的とするなら、風の塔が完成してからでも十分だろう。けれど、そのときにはもう当時の面影は消え去っているに違いない。それをおもんばかっての、ショウの申し出だった。



 そして、実際にやってきて目にしたポロボは、すすけた瓦礫の上を植物が覆い尽くす、遺跡か廃墟のような場所だった。

 トーツ軍が仕組み、シュセン軍が実行したあの大破壊のあと、ポロボは復興されなかったのだ。


 森の中にぽかんと開けた広大な空間。異質であるはずのそこは、何故か周囲の景色に溶け込んでいた。

 時の偉大さを感じた。


 一滴、涙が頬を伝う。


 ジャンはきっとユウキを拾って後悔しただろう。けれど、ずっとそのままではなかったはずだ。

 ジャンはユウキを孫と呼ぶ。そこからは確かな愛情が感じられた。



 初夏のさわやかな風を受けながら、ユウキは風の実を一つ作る。

 極北の地ではそろそろ恵の雨が降る頃だろうか。命生まれる短い夏が始まる頃だ。

 ユウキの記憶の中のあの地は、いつだって光り輝いていた。


 北の辺境の地に建つ、手作りの小さな小屋。ジャンが複雑な思いを抱えていたであろうあの小屋で、けれどユウキは間違いなく幸せだった。

 両親を捜すことなど思いつかないくらい、ユウキは幸せだった。



          *


 ユウキ、すまなかった。

 ずっと伝えずにいた私を許してくれとは言わない。だが願うならば、共に過ごした日々をなかったことにはしないでほしい。


 私は弱い人間だ。私は、どんな天罰が下されるよりも、私は私が犯してしまった罪を、ユウキに知られることのほうが恐ろしかった。

 ユウキが私の元から去ってしまうことが恐かった。


 ユウキの持つ特殊能力から、両親を捜せるかもしれないということには、それこそユウキと出会ってすぐの頃から気づいていた。

 だが何年もの間、私は足を踏み出せなかった。調べよう、捜そうと決意してからも、何かと言い訳をして、結果を先延ばしにしてきた。

 四年もたってからユウキの特殊能力が何であるかを知り、さらに数年たって、ようやくユウキの両親の行方にまでたどり着いた。


 そこで私は本当の意味で、自分の罪深さを知った。私は決して、こんな幸せな時間を過ごしていい者ではなかったのだ。

 私は、私こそがユウキを苦境に追いやった諸悪の根源だったのだから。


 ユウキの特殊能力は一般に「風捕り」と呼ばれているものだった。先の戦を境に、使い手を激減させた特殊能力だ。



 あぁ、ここまで粘ったが、やはり隠しておくわけにはいくまい。ユウキ、どうか驚かずに読んでおくれ。そして、これは過去のことであり、今の私とは立場が違うことを理解してほしい。


 私の名前はジャン・オハナ。かつてはトーツ軍に所属し、一将校としてそのシュセンとの戦に参戦していた者だ。

 その戦の中で私は船舶転覆事件というものを起こし、多くのシュセン人が命を奪った。当然シュセンは報復に出る。そこで行われたのが、ポロボの大虐殺――シュセンでは天誅作戦と呼ばれていたものだった。


 その作戦では多くのトーツ国民が命を落とした。戦争中の出来事だ。通常であれば問題視されるものではない。だが、非戦闘員が多く亡くなった点が命運を分けた。被害を深刻に受け止めたトーツは、休戦時、関わった者の処刑を求めたのだ。

 その関わった者というのが、風捕りだった。風捕りたちはポロボの大虐殺の責任を取らされ、処刑されてしまった。


 これは私が船舶転覆事件の計画を思いつかなければ、そして実行しなければ起こらなかった出来事だった。多くを奪えば多くを奪われる。そんなことはわかりきっていたというのに。


 ユウキはもう気づいただろう。ユウキの父、ハヤテも、その処刑された風捕りのうちの一人だった。それから母、チョサは、休戦後に起こった国内の暴動によって命を落としてしまったそうだ。


 私がユウキにずっと、人前で特殊能力を使ってはいけないと言い続けてきたのは、こういう事情あってのことだ。トーツ人はもちろん、シュセン人も風捕りに対して過剰に反応するようになってしまった。


 残念ながら戦はまだ終わっていない。ユウキが風捕りである以上、この戦はいつかユウキを巻き込んでしまうだろう。

 だができることならば、ユウキにはただの町娘として、ただの革小物屋ジャンの孫娘として生きてほしい。過去に縛られることなく、運命に振り回されることなく、幸せに。


 命数の少ない私が、ユウキにしてやれることはもはやほとんどない。これから一人で未来を歩むだろうユウキに、せめてものはなむけとして、私は祈ろう。


 ユウキの明日に、幸よあれ。



  ジャン





(風捕りの娘 完)

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風捕りの娘 露木佐保 @tuyukisaho

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