終章
* 再会のとき
『風』は常にそこにあってそこにない。『時』と同じように動いてこそ、吹いてこその存在だ。囚われた風捕りもまたそれに同じ。自由を失った風捕りは、この十五年間、確かにそこにいたのに、どこにもいなかった。
*
青々とした木々がその色を深める中、ショウはユウキや語らいたちと再び城前広場へと来ていた。
季節は初夏。王のお言葉が出されてからすでにひと月がたっていた。
ショウがここにやってきたのは、今日、風捕りたちが城の宿舎を離れることになっていたからだ。ショウは父親から、風捕りたちのフォローのために、語らいたちを呼んでほしいと言われていた。
ショウは知らなかったが、風捕りと語らいとの間には、古くからの付き合いがあったらしい。
城の風捕りが解放される日程は、そういった事情により知らされたものであったため、本来であれば他の者たちは知らないはずだった。
だが何故か、周囲には多くの町人の姿がある。どこから話が漏れたのかはわからないが、彼らの瞳は好奇心で輝いていた。それでも遠巻きに窺う程度に留めているあたり、多少の遠慮はあるのだろう。
ならば放っておくしかない。手を出せば逆に騒ぎになりかねなかった。
語らいにフォローをと言われたものの、国もすでに打てるだけの手は打っていた。
まず、特殊能力部隊に所属していた風捕りの一人一人に貴族の後援者をつけた。そして後援者との話し合いの場を設け、帰郷か、残留か、はたまた別の町に暮らすことを望むのか、など本人の希望を確認した。
帰郷する者にはその旅費や帰郷後の住居を確保するための資金、仕事を見つけるまでの生活費などが支払われる。別の町を選んだ者には、このほかに仕事の
査問会議あたりから、ユウキ同様一切のことに関わらせてもらえなくなったショウであったが、この報告を聞いて大きく安堵した。本当の意味で風捕り解放の準備が整ったと思ったものだ。
とはいえこれは将来に関わることであり、まだ決め切れていない者も多い。その相談役として、今回、語らいたちは呼ばれていた。彼らは一旦まとめて、ケッキの宿屋で預かることになっている。
それに特殊能力部隊に所属していた風捕りにとっては久しぶりの外界だ。これはその環境に慣れるという意味も兼ねていた。
「おい、出て来たぞ!」
誰かが声を上げた。それにショウはびくりとする。
いつになく緊張しながら、正門へと向かってくる馬車――戦場に兵士を送るときに使う輸送車だろう、それに視線を向けた。
実はこの一ヶ月の間に、リョッカの生存と居場所がわかっていた。そう、リョッカは今まさにやってこようとしている特殊能力部隊にいたのだ。
リョッカの居場所を掴んだ時点ですぐ、ショウは会いに行きたかった。けれど、臨時書記官の職を返上してしまっていたショウは、特殊能力部隊が隠されている区域には立ち入れず、会うことは叶わなかった。
探せば方法はあったかもしれない。けれどショウはそうしてまで会いに行く勇気が出せなかった。
輸送車が目の前に止められる。ここにリョッカがいると思うと見ていられなかった。けれど完全には目を離すこともできず、ちらちらと繰り返し視線を向けた。
数台の輸送車から何人もの男女が降りてくる。風捕りだけでなく特殊能力部隊の仲間も混ざっているのか、その人数は予想以上に多い。見送りに来たのかもしれないが、たった一人を探しているショウにとってそれは障害でしかなかった。
なかなかリョッカを見つけられないことに苛立つ。そしてショウはたまらず輸送車に駆け寄った。降りてくる一人一人を確認しながら、合せて周囲を見て回る。
「リョッカ、どこだ……」
多いと言えども五十人程度。どうしてすぐに見つからないのだろうか。まさかいないのだろうか。それとももう見てもわからないほど様変わりしてしまったのだろうか。不安はむくむくと膨らんだ。
あっという間に輸送車は空になり、一台を残して引き返していく。それをショウは呆然と見送った。
――いない? まさか。大丈夫、絶対いる。
目の前が真っ暗になりそうになって、ショウは慌てて両手で頬を張った。
情報の出所は確かだ。ショウが見落としただけであって、ここのどこかには絶対にいるはずだった。そして気を取り直して周囲を見回し、はたとする。
「あー、しまった」
そこで初めてショウは側にユウキがいないことに気づいた。どうやらどこかに一人で置いてきてしまったようだ。
ショウは周囲にリョッカがいないことを確認してから、ひしめく人々の間をぬって歩き始めた。まずはユウキと合流しようと、最初にいた場所を目指す。
ユウキはすぐに見つかった。一番の密集地帯を抜けた先、そこでユウキは誰かとにこやかに会話をしていた。
「あの、戦場ではありがとうございました」
「いいのよ、気にしないで。結局、大したことできなかったもの」
前線で知り合った風捕りなのか、と納得しつつ、タイミングを見計らって声をかける。
「ユウキ、知り合いか?」
「あ、ショウ!」
ユウキが声を上げると背を向けていた女性が振り返った。その途端、ショウは声を失った。
「こちらはね、戦場で風捕りたちと
ショウにはユウキの言葉はほとんど聞こえていなかった。ショウの目に映るのは、目の前の女性ただ一人。その女性から目を離せぬまま、ただ衝撃が過ぎ去るのを待っていた。
「リョッカ、か……?」
落ち着かないまでも何とか頭が働くようになると、ショウは恐る恐る尋ねた。その横でユウキが驚きの声を上げている。
初め女性は何を言われたかわからないようだった。だが、やがてその目が大きく見開かれる。
「――ショウ」
懐かしい声だった。優しく、温かく、力強い声。
目頭が熱くなった。信じられない思いで一杯で、言葉がどうにも続かない。
リョッカに会ったら、話したいことも聞きたいこともたくさんあったはずだ。けれど、そのどれもが言葉にならなかった。胸が苦しくて、込み上げる想いが大きすぎて、ショウは立っているだけでやっとだった。
そんなショウに、助け舟を出すかのようにリョッカが口を開く。
「久しぶり。大きくなったわね、ショウ。立派になったわ」
「ひ、久しぶり…です……」
まっすぐ向けられた眼差しが照れくさく、ショウは思わず視線を反らした。けれど、やっぱりリョッカを見たくて、ちらちらと視線を戻す。
リョッカはくすりと笑ってさらに続ける。
「ショウ。捜してくれて、助けてくれて……ありがとう」
「え? あ――いや、俺は、何も」
ショウは口ごもり
それに、お姉さんと思っていたリョッカも歳を取り、見上げていたはずの顔が今は下にある。そこから感じられる年月を思えば、責められこそすれお礼など言われるような立場にはない。ショウは心苦しくなった。
だがそんな感傷も次の瞬間、吹き飛ばされた。
「ふふ、ごめんなさいね。私のせいでお父上と喧嘩されてたんでしょう? 仲直りできたって聞いてほっとしたわ」
「え、いや、ちが……って、誰が、そんな」
問うまでもなく、そんな情報を流せるのはアキトかスイセイしかいなかった。スイセイは面倒がって話さないだろうからおそらく前者だろう。
「いつの間に……って、じゃなくて。あの、リョッカ、俺、リョッカに謝らなきゃいけないと思ってて」
「謝る?」
「あぁ。前に、俺が軍人にリョッカのこと話しちゃったから、こんなことになって」
「ええと……もしかして、子どもの頃のこと? まだ気にしてたの?」
リョッカはくすりと笑い、背伸びをしながらショウの頭をなでる。
「たぶん、ショウは思い違いをしているわ」
「思い違い?」
「ショウが言ったから、私が捕まってしまったわけではないの。あの人たちはすでに私があなたの家にいることを知っていたわ。だからショウのせいじゃない」
「でも」
「ショウ。気にしないで。ショウは何も悪くないわ」
リョッカは念を押すようにもう一度繰り返す。
リョッカのことであるから、ショウに負担をかけまいとそう言っているのだとわかる。だが、だからこそなんと言えばいいかわからなくなり、ショウは押し黙った。
そんなショウにリョッカは優しい眼差しを向ける。
「それより私は感謝してるのよ。ショウが口添えしてくれたって聞いたわ。私たちが軍を離れる選択ができるように、そのために国に生活の保障を迫ったって」
ショウは驚きの眼差しを向ける。本当にアキトは、どこまで話していったというのか。
「あなたは自慢の子よ。私のショウが助けてくれたのよって、みんなに自慢しちゃったわ。あ、あとでみんなにも紹介しなくちゃね」
「いや、それは、ちょっと……」
そこに、ふふっと小さな笑い声が響いた。
声の主は、完全にショウの意識の外にあったユウキだ。ショウが視線を向けるとユウキは穏やかな笑みを浮かべた。
「よかったね、ショウ」
続けて何か言おうとしたユウキは一瞬言いあぐね、おそらく最初に言おうとした言葉とは別のことを口にする。
「会えたね」
そこにユウキなりの配慮を感じ、ショウは素直にうなずいた。
それがきっかけとなった。後悔や後ろめたさ、そういった複雑な思いを全て横に置けば、そこには純粋な喜びしかない。
ショウは一歩、二歩と近づき、リョッカに手を伸ばす。リョッカもまたそんなショウを受け入れ、そっと抱きしめた。
「リョッカ。会いたかった」
「えぇ、私も」
ユウキはショウが罪悪感ゆえにリョッカを捜していたのだと気づいているだろう。だが、こうして会うことができて、生きているとわかって、ショウがどれだけほっとしたか、嬉しかったか。それもまたユウキはよく理解してくれていた。
「あぁ、そうだ。ユウキちゃん。あなたにもお礼を言わないとね」
ひとしきり再会を喜び合うと、今度はユウキへと視線を向けた。ユウキが少しだけ驚いた顔をする。
「私?」
「えぇ。助けてくれてありがとう。前線にまで出て……怖かったでしょう?」
「ううん。私は――自分のために動いただけだから」
はにかみつつユウキは答えた。
戦場での恐怖はもちろん、ユウキがナダとの交渉でもかなりの神経を使っていたことをショウは知っている。それらの苦労が
「ふふ。そういうところ、よく似ているわね」
そのリョッカの言葉にユウキがきょとんとする。
「私ね、ユウキちゃんのお母さん――チョサちゃんのね、幼馴染なの。あ、お父さんともかな?」
まさかの発言にユウキの目が大きく開かれる。ショウもまたこの偶然に驚愕を隠せなかった。
「お母さんたちを知ってるの……?」
「えぇ」
途端にユウキがそわそわしだした。そして救いを求めるかのようにショウに視線を向ける。けれど、ショウはそれに答えることはできなかった。その視線が何を求めているかはわかるが、それはショウが口を挟むようなことではない。
ショウが黙ったままでいると、ユウキはしばらく目を泳がせ、それから覚悟を決めた様子でリョッカへと視線を戻した。
「あ、あの、それで、お母さんたちは、今……」
躊躇いつつもユウキは何とかそれを問うた。だが、リョッカは静かに首を振る。
それが答えだった。それはユウキが望んでいた答えとは違う。
ユウキの両親は、やはりもう生きてはいなかったのだ。
見るからに落胆するユウキに、かける言葉は見つからなかった。けれど、そんなショウの戸惑いをよそに、ユウキは努めて明るく尋ねる。
「そっか。どんな人だった?」
「そうね……。チョサちゃんはとても優しい人だったわ。それから、ちょっとだけ怖い人でもあったかしら」
「怖い……?」
恐る恐る尋ねたユウキにリョッカは茶目っ気たっぷりに答える。
「私、いたずらっ子だったのよね。チョサちゃんは私の三つ上で、お姉さんみたいな人だったから、毎日、怒られてばかりだったのよ」
その答えにはユウキも噴き出した。ショウもつられて思わず笑う。
「たぶん今も怒ってるんじゃないかしら。『私だけに留まらず娘にまで手を焼かせるなんて何やってるの』って」
「ふふ、そっか。……じゃあ、お母さん、褒めてくれるかな?」
「もちろんよ」
リョッカは大きく頷いた。
ユウキが両親のことをどう思っていたのかを、ショウは聞いたことがない。ほとんど覚えていないという話を一度聞いたきりだ。
生きていてくれたらいいと思ってはいただろう。亡くなったと聞かされて、悲しくないはずがない。だから、リョッカの話がユウキの心の負担を軽くしてくれることを、ショウは願っていた。
それからしばらく、落ち着いたところで改めてショウは口を開く。
「リョッカ。これからどうするんだ? もう決めてるのか?」
「そうね……まず一度、里に戻るわ。部隊でも十分な給料が支払われることになったから、残るという人もいるけれど、私はまだ決められてないの。ただ――」
リョッカは言葉を
かつては命の手とも呼ばれた風捕りの手。自分の意に反していたとはいえ、多くの命を奪ったからこそ、次は救いたいと願うのだろう。
「そうか。里に……」
帰ってしまうのか、と少しだけ残念に思う。またうちに来てくれと言いたかった。けれど、もうショウの家に病人はいない。
そして、未だにそんな甘い考え方ばかりしている自分に愕然とした。
「リョッカ」
「なぁに?」
「またリョッカたちが誇りを持って働ける国にする。責任もって、最後までやり通す。だから戻ってきてほしい」
国民たちの不安は解消してきたつもりだ。けれど、風捕りが国を信用するためにはまだ足りない。生活の保障をすることなど、これまで国がしてきたことを考えれば当然のものでしかなかった。
「考えておくわ」
遠回しな拒絶ともとれる答えに肩を落としかけ、けれどリョッカを見て驚く。
リョッカはこれまでで一番の笑顔を見せていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます