第4話「でも僕は、どうしてもそれを言えませんでした」
29 校庭
放課後。校庭の木も秋めいている。
メイドロボが生徒を迎えに来ては、一緒に連れ立って帰っていく。
ロヴィーサとフミエはとっくに迎えに来ているのに、アルファだけまだ来ていない。
金光とブタキムを待たせて、独りそわそわとする郁乃武。
ブタキム「珍しい事もあるもんだね」
フミエ「メズラシイ、アルファガ、チコク」
金光「(郁乃武の方を向いて)いっちゃん、何か聞いてないの?」
郁乃武、黙って首を横に振る。
ロヴィーサ「まさか、あのアルファさんに限って……何か、妙なトラブルに巻き込まれていなければいいのですが……」
金光「一度、家に戻ってみた方がいいんじゃないか?」
郁乃武「でも、行き違いになったら困るし……」
ブタキム「おかしな様子とかは無かったの?」
郁乃武「(少し考えて)そう言えば、今朝は起きて来なかったみたいだった。寝坊して、すぐ学校行けってお母さんに怒鳴られたからよくわかんないけど」
ロヴィーサ「郁乃武様、それはおかしいです。充電が終われば、基本的にタイマーでセットした時刻にスリープは解除される筈ですので」
金光「(顎に手を当てて)寝坊……する訳が無いしなあ」
ブタキム「もし見かけたらすぐ教えてあげるよ。ほら、一体しかいないと家で別の用事頼まれてたりする事あるし」
郁乃武「うん……」
ブタキムに背中を促されて、渋々歩き出す郁乃武。
普段二人で歩いていた帰り道が急に心細く思えて、何かを振り切る様に走って家に帰る。
30 駒木家・玄関
郁乃武「(ドアを開けて)ただいまっ!」
叫ぶが早いか、すぐに靴を脱ぎ散らかして駆け込む郁乃武。
派手な足音に、母親が居間から廊下に出て来る。
母親「(人差し指を口に当てて)しっ! 静かにしなさい!」
郁乃武「(駆け寄って)アルファは?」
母親、黙って和室の方向を親指で指す。
駆け出して行こうとする郁乃武の襟を引っ張り、制止する。
首が絞まる郁乃武。
郁乃武「(二、三咳をして)何すんだよ!」
母親「静かにしろっての! 治るもんも、治んなくなるわよ」
郁乃武「(目を丸くして)へっ?」
31 駒木家・和室前
初めてアルファと出会った場所。
ふすまを少し開けて、中を覗く郁乃武。
腕を組んで壁にもたれている母親。
部屋の中央に段ボール箱は無く、代わりに布団が敷かれている。
布団でメイド服のまま寝ているアルファ。顔は赤く、熱っぽい。
郁乃武「……どうしちゃったの?」
母親「大丈夫。医者……あ、いや。メーカーに問い合わせたら、大した事無いって。まあ人間で言うところの風邪みたいなもんよ」
郁乃武「(ふすまから顔を離して)治る?」
母親「安静にしてればね。しばらく和室には入らない事。いい?」
郁乃武「でも……」
母親「でも、じゃない。少しでも早く元気になってもらいたかったら、今は寝かせたげなさい。いいわね?」
郁乃武「……はい」
母親、その場を立ち去る。
独り言で「無理し過ぎなんだから……」と言ったのが郁乃武にも聞こえる。
郁乃武、母親が居なくなったのを見計らって、もう一度ふすまから部屋の中を覗こうとする。
母親「(背後から)入るなよ?」
びっくりしてつい三回頷く郁乃武。
母親、溜息を付いて立ち去る。
ふすまに額を当てる郁乃武。表情は浮かない。
32 駒木家・郁乃武の寝室
夜。
椅子に独り座る郁乃武。
机の上にはノートが広げてあるが、アルファの事が気になって集中出来ず、ペンを耳の上に乗せてみたり、上唇に挟んでみたりと落ち着かない。
母親(OFF)「郁乃武、郁乃武!」
郁乃武、声に気付いて部屋を出る。
吹き抜けの階段から身を乗り出すと、母親の影が映っている。
郁乃武「(階下に向けて)お母さん、なーにー?」
母親「ちょっとやっ....ええと買い物行って来るから、留守番お願いね!」
郁乃武(OFF)「(嬉しそうに)うん、わかった!」
母親「(眉間に皺を寄せて)和室には、絶対に入らない様に!」
郁乃武、肩を落とす。
玄関のドアを閉める音。
渋々部屋に戻って机に向き直るが、やはり気になってしょうがない。遂には頭を抱えうんうんとうなり出してしまう郁乃武。
ベランダから駐車場に車が無いのを確認すると、階段を降りて行く。
33 駒木家・和室前
そっとふすまを開けて、中の様子を見る郁乃武。
先程と何も変わっておらず、寝ているアルファの姿。
入るのを躊躇っていると、アルファがこちらに気付く。
アルファ「あ……郁乃武さん、どうされましたか?」
郁乃武「アルファ……」
郁乃武、和室に入り布団の傍で正座する。
アルファは体を起こそうとするが、郁乃武はそれを止める。
アルファ「ごめんなさいね、今日、お迎えに行けなくて」
郁乃武「それはいいけど、大丈夫なの? どこが壊れたの?」
精一杯笑ってみせるアルファ。
アルファ「大丈夫ですよ。心配しないで」
郁乃武「でも……凄く辛そうだよ。顔も赤いし。何か出来る事とか無い?」
アルファ「でしたら、手を握っていて下さい。ちょっと心細いです」
言われるがままに、布団からはみ出したアルファの手を握る郁乃武。
郁乃武「熱っ!」
あまりの熱さに、反射的に手を離してしまう郁乃武。
再び目を閉じて、うなされているアルファ。
郁乃武の脳裏に、永瀬の言葉が過ぎる。
永瀬M「メモリは熱に弱いから、ちょっとでも変にショートを起こしてたりしたら、肝心のデータが飛んでいた」
郁乃武、じっとアルファの手をさっきまで握っていた自分の手を見る。
わなわなと震え出す郁乃武。
咳き込み、息苦しそうに呼吸を荒げているアルファ。
34 駒木家・外観
車が駐車場に戻って来る。
薬局の袋を片手に、車を降りる母親。
急ぎ玄関に駆け寄ると、鍵を開け家に入る。
母親「郁乃武、郁乃武!」
返事が無い。
和室のふすまを開けると、アルファの姿も見当たらない。
走って表に出る。外は木枯らしが吹き荒んでいる。
辺りを見回しても、二人の姿は無い。
不安に駆られて街へと走り出す母親。
35 住宅街
夜。
郁乃武、アルファの手を引いて歩く。
熱で足取りのおぼつかないアルファ。その額には冷却シートが貼られている。呼吸も荒く、白い息を吐く。
郁乃武「……あと少しだからね、アルファ。あと少しで着くから」
アルファ「(朦朧と)はい……郁乃武、さん……」
誰も居ない道を、二人だけで歩いていく。
いよいよアルファが歩けなくなると、郁乃武は肩に手を回し支える。もたれかかるアルファを引き摺る様にして、街灯の下を行く。
郁乃武「アルファ……ごめんね、もっと大切にしてあげなくて、ごめんね」
目を閉じたまま、答えないアルファ。
郁乃武、アルファの重さに耐えかねて転びそうになるが、アルファの様子を見ると恐ろしくなり、何とか力を振り絞る。
郁乃武「消えないで、消えないでアルファ……!」
コンビニの前の道を通る二人。
窓際で、永瀬が漫画雑誌を立ち読みしている。
ふと店外に目をやると、郁乃武とアルファらしき姿が遠目に映る。
しばらく考えるが、人違いだと思い再び漫画を読み出す永瀬。
36 駒木家・外観
門の前でうろたえている母親。
母親から連絡を受けてタクシーで急ぎ家の前へ乗り付け、降りる父親。
父親「(母親の下へ駆け付けて)……郁乃武とアルファが居ないんだって?」
母親、必死で頷く。
母親「私、どうしたらいいかわからなくって……金光君と木村君のところには連絡したけど、行ってないって……」
父親「警察には……」
母親、首を横に振る。
父親「……智子ちゃんが一緒なら大丈夫だとは思うが、体調も悪いのに……」
母親「(はっと思い出して)郁乃武がずっと気にしてたから、まさかとは思うけど、何処かへ連れ出したんじゃ……」
父親「どちらにせよ、そう遠くまでは行ってないだろう。俺はこの辺りを探してみるから、君は家で待っていてくれ。何、ひょっこり戻って来るかも知れないしな」
母親、頷く。
父親、鞄を母親に預けると夜の闇へ走って消えていく。
鞄を両手で抱え、それを見送る母親。
37 永瀬の下宿付近
必死にアルファを肩に担いで進む郁乃武。
傍目には人形を担いでいる様にしか見えない。
遠くに明かりが見える。
郁乃武「(アルファに語りかけて)ほら、あと少しで永瀬さんの家だよ。あそこなら、きっとアルファの事、治せるから……」
応えないアルファ。苦しそうに呼吸を続ける。
郁乃武、不安を振り切る様にひたすら前へ進む。
遂に永瀬の下宿に辿り着く郁乃武。階段を前に、アルファを背中におぶる。
階段を一段ずつ上っていく。
途中何度も転びそうになるが、手摺りを頼りに、ゆっくりと、確実に上っていく。昇り切った頃には郁乃武までふらふらになっている。
永瀬の部屋の前。
郁乃武、ドアの脇にアルファを座らせると、チャイムを鳴らす。
反応が無い。諦めずに何度もチャイムを鳴らすが、誰も居ない。
必死にドアを何度もノックし、ドアノブに手をかけてがちゃがちゃと回すが、鍵も開いていない。
ドアノブからそっと手を離し、アルファを見る。見た目にも、容態は悪化する一方。
恐る恐るアルファの額に右手を伸ばし触れてみると、先程と比べ物にならないほど熱くなっている。手を離すと同時に、汗で剥がれ落ちるシート。
崩れ落ち、その場に横たわるアルファ。
その場にへたり込んでしまう郁乃武。その表情は戦慄を通り越して、今にも泣き出しそうになっている。
這うようにして、何とかアルファに覆い被さる。
郁乃武「(目に涙を浮かべて)ごめん……ごめんなさい、アルファ……」
袖を掴んで揺さぶってみるが、アルファは目覚めない。
郁乃武「(泣き出して)もっと、もっと大事にしてあげれば良かった……そしたら、こんな事にならなかったのに……嫌だよ、忘れないで。俺の事、忘れたりしないでよ。目を開けてよ、アルファ!」
郁乃武、言葉にならない大声をあげて泣く。
しかし誰もやって来ない。もうこれ以上背負って歩く余力も無い。
しばらく泣いていると、物凄い勢いで誰かが階段を駆け上がって来る音が聞こえるが、郁乃武は気付けない。
永瀬「(階段を上り切って)どうした! 郁乃武君!」
郁乃武、涙と鼻水まみれの顔を上げる。
階段の手摺りに片手を預けて、息を切らしている永瀬の姿。
郁乃武「(再度泣き出して)アルファが、アルファが……」
永瀬、郁乃武とアルファの傍に駆け寄ると、アルファを抱え起こす。
永瀬「アルファ君!」
アルファの顔を覗き込むと、顔色が悪く、唇の色も紫色になっている。
永瀬、郁乃武の方へ振り向く。
永瀬「事情は後で聞く。今はとにかく病院へ行こう。ついて来れるか」
郁乃武、啜り上げながら頷く。
38 病室
隣同士のベッドに並んで寝ている、郁乃武とアルファ。
パジャマ姿で、髪を解いたアルファ。その腕には点滴が繋がっている。
すっかり泣き腫らしてしまった郁乃武は、アルファに顔を見せられず背を向けている。
アルファ「(上を向いたまま)……ごめんね、郁乃武君」
郁乃武、そっぽを向いたまま応えない。
アルファ「(郁乃武の方を向いて)私、メイドロボじゃなくてただの人間なんだ。本当にごめんなさい」
郁乃武、布団の中に潜り膝を抱える。
悲しそうな顔をするアルファ。
病室の外では、父親と母親が永瀬に頭を下げている。
首を横に振りながらも、神妙な面持ちの永瀬。
アルファ「(上を向いて)……そうだよね。私、ずっと嘘ついてたんだもんね。許してもらえる筈、無いよね……」
郁乃武、もぞもぞと動くが、アルファは気付かない。
布団の中で歯を食いしばる郁乃武。
39 病院・外観
翌日。
入り口で看護師にお辞儀する母親。
その隣で立ったままの郁乃武。
郁乃武、母親に連れられて自動ドアを出る。
40 病院からの帰り道
昼前。
人の多い歩道を歩く、郁乃武と母親。
上着のポケットに手を突っ込んだまま、何も言わない郁乃武。
母親「……今回はお父さんとお母さんが悪かったわ。ごめんなさい」
黙ったままの郁乃武。
母親、申し訳無さそうに郁乃武を見る。
母親「アルファ……智子ちゃんはね、お父さんの親戚の娘さんなの。あの、永瀬さんと同じ大学を目指して勉強してたんだけど、彼女のお父さんの会社が倒産しちゃって、お金が払えなくなっちゃったのね。勉強もとっても出来たのに、諦めなくちゃいけなくなって。それもあまりにも可哀想だって話になったんだけど……(俯いて)でも、うちだってそんなにお金がある訳じゃないから、何の理由も無しには助けてあげられなかった。(郁乃武を見て、少し笑う)ちょうどその時だったのね。あんたがメイドロボ欲しい、って言い出したのが」
郁乃武、じっと正面を見つめたまま反応が無い。
母親「……それで、お父さんが考え付いたの。お金を出す事自体は決まりかけてて、智子ちゃんも昼間は働いたりだとか、困った事があったら何でもやるって言ってくれてたから。勉強は、あんたが学校行ってる間や寝た後にするからって。……だから、頑張り過ぎて体調を崩しちゃったのも、元はと言えば私達のせいなのよ」
それでも何も応えない郁乃武。
母親、郁乃武の顔を覗き込む。
母親「それでね、もう秋でこれからは勉強に集中しなくちゃいけないから、今度はメイドロボのふりじゃなくて、受験まで普通にうちに居てもらおうかって考えてる。ううん、それだけじゃなくて、大学もそんなに遠くないしこれから四年間下宿したらどうかって。お父さんと相談して決めたの。まだ本人には聞いてないけど、いいと思わない? あんたも、智子ちゃんには凄く懐いてたでしょ」
郁乃武、その一言を聞いた瞬間突然母親を置いて走り出す。
道行く人々をすり抜けて、どんどん加速する。
母親「郁乃武!」
母親、追いかけようと走るが、通行人が邪魔で上手く追えない。
どんどん遠ざかっていく郁乃武の後ろ姿。
母親「(足を止め)郁乃武……」
どこまでも真っ直ぐに走り続ける郁乃武。
目を瞑り、歯を食いしばり、何かから逃れる様、一心に。
41 駒木家・郁乃武の寝室
階段を駆け上がり、自室に飛び込む郁乃武。
病み上がりで足がもつれ、転びそうになりながら机の上に両手をつく。
両手の間には、モニターの記録を書き溜めたノート。
ノートを鬼のような形相で睨みつけ手に取ると、言葉にならない声を喚きながらページを破り捨てる。何度も、何度も。
部屋中にノートの紙片が舞い散る。
郁乃武、ノートを床に叩き付け、そのまま力無く崩れ落ちる。
バウンドして、開かれた状態で落ちるノート。
ぱらぱらとめくれて、ものが書いてある最後のページを開く。
郁乃武、恐る恐る手に取って、最後のページを見る。
途端に表情が険しくなり、一気に根元からそのページを破り捨てると、くしゃくしゃに丸めて投げ捨てる。
最後のページ、机と壁の隙間に落ちる。
42 駒木家・玄関
数日後の夕方。
チャイムが鳴る。
母親がドアを開けると、金光とブタキム、そしてロヴィーサとフミエが心配そうな面持ちで立っている。
母親「金光君に木村君じゃない、どうしたの」
金光「アルファ、どうしちゃったんですか」
母親、浮かない表情。
母親「(それでも静かに笑って)……どうしたの、急に」
ブタキム「いっちゃん……いえ、郁乃武君が最近変なんです」
母親「(無理をしてもう一度笑う)あいつは、いつでも変よ」
金光「そうじゃなくて……アルファが最近迎えに来てないねって話をしたら、飽きたから捨てたなんて言うんです。あのいっちゃんに限って、絶対にそんな事言う訳無いのに……」
ブタキム「まだ、期限の一年は経ってませんよね? それなのに急に来なくなったからどこか故障したんじゃないかって、みんな心配で……」
母親「(申し訳無さそうに)……そうじゃないんだけどね。でも、予定より早く戻る事になっちゃったの。郁乃武もしばらくは落ち込んでるかも知れないけど、皆、いつも通り仲良くしてやってちょうだい」
ロヴィーサ「……はい。一日も早く元気を取り戻される事を、祈っております」
フミエ「ガンバレ、イクノブ」
それぞれお辞儀して帰っていく四人。
玄関から手を振って見送る母親。
四人が見えなくなると、表情に影を落とす。
43 駒木家・居間
食卓。
父親と私服姿のアルファが向かい合って座っている。
父親「すまなかったね、無理をさせて」
アルファ、首を横に振る。
アルファ「いいんです。それより、郁乃武君の事……」
父親、腕を組む。
父親「君が気に病む事じゃないよ。……ただ、あれからふさいでしまってね。今日も学校から帰って来るなり、この通り部屋に篭りっきりなんだ」
アルファ「すみません……」
父親「いや、元はと言えば私が変な事を思いついたのが悪かった。こちらこそ、許して欲しい。ところで、この前の話は考えておいてくれたかな」
アルファ、黙って頷く。
アルファ「お気持ちは大変嬉しいんです。でも、ただでさえこの半年間お世話になった上、郁乃武君の心を深く傷付けてしまいました。これ以上は……」
父親「あいつだって、君の事が好きだろう。こう言うと本人に怒られるかも知れないけれど、まだ子供だ。君が残ってくれるって知ったら、きっと騙された事だって水に流してくれると思うんだ」
アルファ「……」
父親「どうかな」
アルファ、しばらく黙った後訥々と話し出す。
アルファ「……郁乃武君は本当に優しい子で、本気でアルファの事を好きでいてくれたんです。私はあの子の純粋な気持ちを裏切るどころか、彼からアルファそのものを奪ってしまいました。もう、合わせる顔もありません」
母親、ドアを開けて廊下から居間に入る。
父親とアルファ、揃って振り向く。
母親「(席に着いて)……あの子達よ。アルファの事、本気で心配してた」
アルファ「(俯いてしまう)……」
父親「……確かに、今更あの子達に本当の事を告げるのも酷だな。郁乃武ももう、茶番に付き合ってくれたりはしないだろう」
母親「(父親の顔を見て)あなた……」
父親「でも忘れないでくれ。私達は、特に郁乃武と君は間違い無く家族だった。困った事があったら遠慮せず、いつでも来て欲しい。……あいつも、いつかきっとわかってくれると思う」
アルファ、黙って頭を下げる。
父親、静かに微笑む。
44 郁乃武の寝室
扉に背を向け、床の上に膝を抱えて座っている郁乃武。
すっかり憔悴し切った顔で、ずっと俯いている。
表紙だけになったノートも、乱暴にゴミ箱へ突っ込まれたまま。
扉の向こうで足音が聞こえるのにも気付かない。
アルファ(OFF)「郁乃武……さん」
郁乃武、はっと顔を起こすと、ドアを見る。
だが、それ以上は進めない。苦い顔をして目を背ける郁乃武。
アルファ(OFF)「……いいんです、そのままで聞いて下さい」
アルファの声に、耳を塞ぐ郁乃武。
しかしすぐに居ても立っても居られなくなって、ドアにもたれ掛かり耳をべったりと貼り付ける。
アルファ、ドアに背中を預け、膝を抱えて座っている。
アルファ「……ごめんなさい。きっと、このドアの向こうでとても怒っていらっしゃるでしょうね。私は最新型どころか、メイドロボですらないただの人間だったんですから。きっと、がっかりしましたよね」
郁乃武、声を押し殺したまま首を横に振る。
アルファ(OFF)「金光さんやブタキムさんとサッカーした時の事、今でも覚えていらっしゃいますか?」
郁乃武、首を縦に振る。
アルファ「あの時、バレちゃったかなって本当に心配だったんですよ。だって、ロヴィーサさんがあんなにカッコよく取っちゃうんですもの。それから、フミエさんのボディを探しに行った時。……私の事を心配してくれたのも、とっても嬉しかった」
郁乃武、顔を赤らめる。
アルファ「それだけじゃないです。この半年間とちょっと、本当に、本当に全部楽しかった。……私、色々あって、世の中の全部が壊れちゃえばいいなんて思った時期もあったんです。でも、ここに居る間私はアルファでいられて、みんなが家族みたいに優しくしてくれて、友達も出来ました。特に郁乃武さん。可愛い弟が出来たみたいで、とっても嬉しかったです」
郁乃武、「違う」と叫び出そうとするが、声にならない。
アルファ(OFF)「皆さんにも謝らなければいけないんですけど、そんな勇気も無くて……ごめんなさい。でも、私は死ぬまで皆さんの事を忘れません。何があっても。それだけは間違いないと、お伝え下さい」
郁乃武、咽び泣きながらうん、うんと頷く。
アルファ「……すみません。本当はこのドアを開けて、郁乃武さんには直接謝りたかった。でも、今の私では無理なんです。……さようなら」
郁乃武「あっ……あ、アルファ!(泣きじゃくりながら)おっ……おれ、俺は、き、あ、あな、あなたの事がっ……す……(咽び泣くあまり、もう言葉にならない)」
アルファの返事はいつまで経っても聞こえて来ない。
扉の前、うつ伏せになって泣く郁乃武。
45 教室
半年後。
放課後、席に座って窓の外を見つめる郁乃武。
しかし、そこにアルファの姿は無い。
六年生になり、背が少し伸び、雰囲気も随分大人っぽくなった三人。
金光「(席に駆け寄って)いっちゃん、帰ろうぜ。ブタキムも待ってるよ」
金光、教室後ろの入り口を見る。
一人違うクラスになったブタキムが立っている。
郁乃武「(席を立ち上がり)ああ、行くか」
肩掛けのショルダーバッグを持ち上げる郁乃武。
廊下を歩く三人。もうランドセルは背負っていない。
46 校庭
桜の季節。
相変わらずメイドロボが大勢迎えに来ているが、その中にはアルファどころかロヴィーサやフミエも見当たらない。
郁乃武「ブタキム、フミエは?」
ブタキム「もうとっくに帰ってるよ。今年から妹が一年生だから、これからはそっちに回る事になった。それを言ったら、ロヴィーサは?」
金光「お前ら二人とも迎えに来てないのを、うちだけ呼べるかよ」
郁乃武「別に気にする事無いのに」
ブタキム「それにしても、半年前からは考えもつかないよね。まさか三人とも、迎えが来なくなるなんて……」
金光、アルファの事を思い出し黙ってしまう。
ブタキムもしまった、と郁乃武を見るが、本人はきょとんとしている。
郁乃武「(笑って)でもどうせ家に帰ったら、ロヴィーサがべったりで離してくれないんだろ? 人間、そう簡単には変わらないよな」
金光「あ、ああ。まあな。メイドロボだけど。(お手上げして)もし来てたら、ロクに女の子に声もかけれやしないだろ?」
ブタキム「気になる子でも居るの?」
金光「(むっとして)……居ないけど。どうせ帰るの、この三人だし」
郁乃武「何だよそれ」
大笑いする郁乃武とブタキム。
つられて笑い出す金光。
金光「じゃあ、いっちゃんは気になる子とか居るのかよ」
郁乃武、空笑いするばかりで言葉が出て来ない。
終いには黙ってしまう。
金光「……何だよ、そうやってごまかし通す気か? 同じクラスの子?」
郁乃武「……いや、違うけど」
金光「でも、その答え方なら居るには居るんだよな。誰だよ、言えよ」
郁乃武「あ、俺宿題やってから行くわ。サッカー。早く帰らないと。じゃ」
全速力で逃げ出す郁乃武。
金光「あ、ちょっと! おいっ!」
郁乃武「(後ろを振り返りながら)練習には間に合わせるから! また後でな!」
遠く校門に消えていく、郁乃武の後ろ姿。
金光「あいつ……」
ブタキム「(遅れて歩いて来て)でも、アルファの事思いの他引きずってないみたいで良かったよ。一時は酷かったもんね」
金光「まあ、結局は遅かれ早かれ少しの差だったしな。そんなもんだよ」
ブタキム「アルファ、元気かなあ……」
金光「(空を見て)……大丈夫だよ、きっと」
広がる青空。桜が舞い散っている。
47 駒木家・玄関
郁乃武「ただいまー」
以前の様に乱暴に脱ぎ捨てず、片方ずつ脱いで靴をその場に揃える郁乃武。
母親「(廊下から顔を覗かせて)おかえり。早かったわね」
郁乃武「(立ち止まり)ちょっとね」
母親「またすぐどっか出掛けるの?」
郁乃武「かもね」
母親「(怪訝そうに)またサッカー? もう今度中学生になるんだから、ちょっとは勉強しなさいよ。勉強。学校の宿題は?」
郁乃武「ああ、やってから行くよ。今日はちょっと多いんだ」
階段を駆け上がって行く郁乃武。
母親、郁乃武の変貌に未だ驚きを隠せない。
母親「……あいつ、半年で急に変わったわね。(眉をしかめ)何かあったのかしら……(けろっと)ま、いいか。そういう時期よね」
顔を引っ込める母親。
48 駒木家・郁乃武の寝室
目に見えるところに実用的な物が増え、レイアウトが少し大人っぽくなっている。
郁乃武、机の上に鞄を載せると中から算数の教科書とノート、筆箱を取り出して並べ、席につく。一息ついて伸びをすると、勉強を始める。
机の前に座ると、必死で文章を書いていた頃がフラッシュバックして、どうにも落ち着かなくなってくる。
それでも自分に言い聞かせる様に、首を振って雑念を払う郁乃武。
郁乃武「(消しゴムを落として)あっ」
机の下を覗き込む。が、届かない。仕方なく椅子から降りて、机の下に入り込む。
見つけたのは、丸められた最後のページ。
49 駒木家、外観
玄関から出て来る郁乃武。
庭に置いてあった自転車を押して門を出ると、跨り一気に漕ぎ出す。
スピードを上げる郁乃武。
郁乃武M「メイドロボを作っているところのみなさん、こんにちは。突然ですが、僕は変なのでしょうか。アルファの事を見ていると、心臓が激しく動き出すのです。ただ見ているだけならまだいいのですが、一緒に笑ったりすると、もっとひどくなります。それだけではありません。アルファがいつか帰ってしまうところを想像しただけで、胸がきゅっとなるのです。前はこんな事はありませんでした。これは、病気なのでしょうか」
50 住宅街
カーブで勢い余って転びそうになるが、強引に回る郁乃武。
行き交う人々の間をギリギリで抜け、歩道橋を押して登り、降りる時は一気に駆け抜ける。
駅の脇を抜け、電車の線路と平行して走る。
何かを叫ぶが、後ろから来た電車の音にかき消されよく聞こえない。
郁乃武M「昨日観たテレビによく似ています。男の人が、女の人の事を考えると苦しそうな顔をするのです。それはコイですと、一緒に見ていたアルファが言っていました。それを聞いた時、何だか嬉しくなりました。僕もきっと、アルファにコイをしているのです。でも僕は、どうしてもそれを言えませんでした。悪い事みたいで、怖かったのです。でもいつか、わかってもらいたいです」
どこまでも走り続けていく、郁乃武の後ろ姿。
51 大学駅
夕方。
名前しか知らない様な駅の、学生街。
講義を終えた大学生達が闊歩する中、流れに逆らって独り自転車を押して歩く郁乃武。
きょろきょろと辺りを見回すが、目指すアルファの姿は無い。
飲み屋街のある坂を上っていく。
52 大学前
正門。
まだ講義が終わったばかりなのか、人の流れは激しい。
邪魔にならないところに自転車を置くと、門中にもたれ掛かりながら、一人一人の顔をちらちらと確認する郁乃武。
やはり小学生は目立つのか、時折「かわいい」などと噂する女子大生。
郁乃武、一向にアルファが見当たらない中諦めかけたその時。
遂に出て来た学生の一団の中にアルファの姿を見つける。顔を綻ばせ、駆け寄ろうとするがアルファの隣に男の姿。
黒髪の、真面目そうな男子学生。歩きながら談笑する二人。
アルファが「やだもー」などと、男の肩をふざけて叩く姿。
郁乃武の、絶望に満ちた表情。
アルファ、郁乃武の姿に驚き嬉しそうに手を振って笑うが、次の瞬間そこにはもう郁乃武の姿は無い。単なる見間違えなのかと首を傾げるアルファ。男に促され、そのまま駅方面へと坂を下りていく。
取り残された自転車。
53 大学駅
来た時に比べ、すっかり暗くなっている。
走って逃げて来た郁乃武、電柱にもたれ、息を切らしている。
呼吸を整えたのも束の間、そのままその場にうずくまる。
見知らぬ街で為す術も無く。あまりにも人が多くて泣けそうにも無い。
膝を抱え、座り込んでしまう。
誰かが目の前に立つ。見上げると、永瀬。
永瀬「久し振りだな! こんなところで、どうしたんだ?」
郁乃武、その一言に緊張の糸が切れ泣き出してしまう。
当然の様に永瀬に集まる周囲の目。
永瀬「え……(今思いついて)いや、郁乃武! 兄ちゃんをこんなところまで迎えに来てくれるなんて、お前は本当にいい弟だな! よし、今日は特別だ、何かご馳走してやろう! な? よし、決まった」
泣きじゃくる郁乃武の肩に手を回し、強引に危機を乗り切る永瀬。
鼻歌を歌ってしらを切り通しながら、その場を後にする。
54 大学近くの公園
小高い丘の上にある公園。
張り出した展望台からは星空と夜景が、パノラマで見える。
展望台の手摺りにもたれて、泣き腫らした目をこする郁乃武。
永瀬「(後ろからペットボトルを渡して)ほら、とりあえず飲めよ」
郁乃武、黙って受け取るとお辞儀する。
永瀬、郁乃武の隣に立ち手摺りに背中を預ける。
永瀬「(缶コーヒーを開けて、一口飲む)景色が綺麗だろ、ここ。俺のお気に入りの場所なんだ。嫌な事があっても、ここに来れば忘れちまう」
受け取ったペットボトルの蓋を開けると、中身を自棄になって一気に飲む郁乃武。それを見て笑う永瀬。
永瀬「飲め飲め。飲んで嫌な事、全部流しちまえ」
一息で飲み干した郁乃武、最後に大きく息を吐く。
永瀬「そういやアルファちゃん、今年からうちの大学に入ったんだよな」
郁乃武の表情が険しくなる。
永瀬、やっぱりかと静かに笑う。
永瀬「聞いたぜ。居なくなって、ちょっと荒れたんだってな」
郁乃武「(まだ涙声のまま)……誰から聞いたんですか」
永瀬「おふくろさん。あの後、わざわざ菓子折り持って訪ねて来てくれてな。一部始終を全部話してった」
郁乃武、赤くした顔を両手で覆う。
永瀬「でも、こう言っちゃあなんだけど、全っ然わかってなかったよなあ」
郁乃武、はっとして永瀬の顔を見る。
永瀬「君はただ騙されたくらいで、そんなに怒ったりする程子供じゃない。本当は、彼女との関係に水を差されたのがたまらなく悔しかったんだろ?」
郁乃武、正面を向く。
郁乃武「……どうして、そこまでわかったんですか」
永瀬「(笑って)わかるよ。だって俺も、根っこは男の子だから。……彼女、どうだった」
郁乃武「(しゃくり上げながら)凄く……楽しそうだった。まるで、うちに居た時の事忘れちゃったみたいに」
永瀬「(上を向いて)……そっか。でもアルファちゃんは別に君の事忘れたり、ましてや嫌いになったとか、そんなんじゃないと思うぜ」
空には星がきらめき始めている。
永瀬、残ったコーヒーを一気に飲み干す。
郁乃武「……でも、俺、最後まで謝れなかった。あんな無理させて、嫌われて当然だよ。それなのに、こっちから一方的に好きとか。本当、最低だ」
永瀬「いや……(真剣な表情で)難しい話になるけど、愛ってのは二種類あるんだよ。彼女の君を思いやる愛と、君の彼女の事を好きになる愛。区別が付きにくかったりもするけど、やっぱり別なんだよ。この二つは」
郁乃武「(永瀬を見つめて)……俺じゃ、最初から無理だったの?」
永瀬「(つい目を伏せてしまう)……それは、一概には何とも言えないな。ただ一つ言えるのは、本当に欲しいものに限って手に入りにくいもんさ。だからこそ、余計に愛しく思えちまうんだ。辛いよなあ」
郁乃武、俯いてしまう。
永瀬「……君らは、メイドロボという存在である種満たされている様に見えて、本当はとても大変な時代を生きてくのかもな」
それっきり黙ってしまう二人。
永瀬「……冷え込んで来たな。そろそろ帰ろう。郁乃武君、君は電車か?」
郁乃武「……あ、自転車です。しまった、校門に置いて来ちゃった」
永瀬「そうか……。(少し考えて)ここから家までちょっと遠いけど、頑張れよ」
郁乃武「……はい」
駅の方面へと消えていく永瀬。
消えていく背中を見送り、大学の方へと歩き出す郁乃武。
58 校門前
人気の無い通り。
電灯を頼りに、校門までの道を独り歩いていく郁乃武。
自転車の隣に、誰か立っているのが見える。
郁乃武、それを守衛と勘違いして、慌てて走る。
だが近付いて行くにつれて、シルエットが違う事に気付く。
暗闇の中、灯りに照らされて立っていたのはアルファ。鞄を手に提げ、まるでメイドの様に凛として郁乃武を待っている。
立ち竦んでしまう郁乃武。
背中を向けて、立ち去ろうとした瞬間。
アルファ「郁乃武さん!」
懐かしい呼び方に、反射的に立ち止まってしまう郁乃武。
駆け寄って来るアルファ。
アルファ「(嬉しそうに)やっぱりそうだ。さっき見かけた気がしたから、待ってたんだよ。そこにおいてある自転車にも、名前が書いてあったし」
郁乃武、言葉が出て来ない。
こんなに愛されているのに、こちらからは届かない。
アルファ、返事をしてくれない郁乃武に、悲しそうな顔をする。
アルファ「……あ……(寂しそうな顔をして)永瀬さんに会いに来たのかな。さっき見かけたんだけど……」
違う、の一言が肝心な時にやはり出て来ない郁乃武。
気持ちが声にならないまま、アルファに抱きつく他無く。
好きだ、と口を必死に動かしてみるが、音は無い。
アルファ、郁乃武の頭を優しく撫でる。
電灯がスポットライトの様に二人を照らす。
<終>
ステップ・ガール 髙橋螢参郎 @keizabro_t
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