第19話 ひびきのバスターズ

「……行っちゃったね」

 一筋の風が物悲しげに吹き抜けてゆく。

 ネルは穴が空いていた場所を見つめてつぶやいた。

「麗華、もう少しだけボク達を麗華の家に置いてくれない?」

 私はそうつぶやくネルの肩に手を置いて言った。

「当たり前でしょ。あそこはもう、あなた達の家でもあるんだから」

「麗華……ありがとう」

「……帰ろっか」


 ――こうして混乱を極めた商店街ヒトダマ事件は幕を閉じた。


 家に帰ると、伸兄とバンチョーが暖かな笑顔で出迎えてくれた。その晩はネルの大好きなカレーを作り、皆で食卓を囲んだ。こんなに賑やかで楽しい食事は久しぶりだった。ネルもアリアも伸兄もバンチョーも、そして私も。食卓は皆の笑顔で包まれていた。



 ――ヒトダマを見た人はやがて不幸な目に遭う。

 確かに、私はヒトダマの一軒で、ほとほと疲れたし、危険な目にもあった。それこそ、一歩間違えれば大変な事態になっていたかもしれない。

 だが、ヒトダマは私のもとに、ネルとアリア(ついでにバンチョーも)という、かけがえのない大切な友達を連れてきてくれた。

 だだっ広いだけで、閑散としていた私の家は、今、賑やかな喧騒に包まれている。

 私は胸の奥がなんだかほっこりと温まっていくのを感じていた。

 窓から入って来る風がさわさわと髪を揺らし、不思議と心地よい。



 そして、その翌日。私たちは晴れて、回らない寿司を食べに行くことになった。殊にネルは張り切りすぎて、ちょっとウザかった。初めて食べた回らないマグロはこの世のものとは思えない程の美味さだった。わさびも、びっくりするくらい効いた。アリアは神に拝みながら主に、イクラなどの軍艦巻きを中心に食べていた。海苔の食感がどうしようもなく好みらしい。一方、ネルはというと……お品書きにあるネタを片っ端から食べていた。その勢いには私も驚かされて言葉を失う。伸兄は、無邪気に笑いあいながら実に幸せそうに寿司を頬張る私たちを見て、満足げに笑っていた。バンチョーにはお土産でもらった刺身をちょっとあげた。目から滝のような涙を流しながら、刺身にがっつくその姿は何とも言えず微笑ましいものがあった。


   ◆


 あの事件から早いもので、一週間たった。


 バンチョーは噂を聞きつけた商店街中の野良猫から慕われるようになり、日本一のアニキへの道を着実に上がっていく。彼の舎弟はすでに千を超える、とかなんとか。家達が気に入ったらしく、(勝手に)頻繁に出入りしている。よく、階段の上で寝っころがってるもんだから、邪魔なことこの上ない。


 アリアは家達家の手伝いをしてくれていた。彼女の作ってくれるお弁当は、高級料亭で出てくるようなレベル。掃除もテキパキこなすし、来客応対も非常にスムーズ。本当に、ネルにはもったいないくらいの出来た娘だと思う。二人はさっさとくっ付いちゃえばいいのに……と、時々思う。


 伸兄は相変わらず事件で忙しいらしく家を空けることも多かった。けれど、以前に増して何だか明るくなったのは気のせいだろうか? 最近、身だしなみを気にするようにになったし、彼女でもできたのかもしれない。


 ネルは、家の手伝いはほとんどアリアに任せきりにして、いつもどこかへ遊びに出掛けていた。たまに、ブローチを着けて箒に乗って空を飛んでいた。あちこちで色々拾ってきては、これはなに? としょっちゅう私に尋ねていた。そういえば、ドロシーとの戦いで使った銀玉でっぽうをネルにあげたら、満面の笑みで、一生の宝物にする! って言ってたな……。そんなに大層なものではないのだけれど。ネルにとっては、とっても大事な宝物らしい。


 そして、私はというと……。

 ポストに届いていた茶封筒を開ける。中に入っているのは一枚の紙きれ。封筒から紙切れを取り出し、恐る恐る机の上に広げていく。

 紙に書いてあったのは、一次選考落選を示す評価シート。この前、新人賞に送った小説の結果だ。

 頭をぼりぼりと掻く。まあ、初めての投稿ってこんなもんか……。

 最近また、小説を書き始めたのだ。とは言っても、まだ全然だけど。文章もへたくそだし、かっこいい表現だって思い浮かばない。ストーリーもありきたりだ。それでも、私は一つの小説を完結させ、新人賞に応募した。夢への一歩を踏み出したのだ。結果は一次選考落選だったけれど、評価シートを手にすると、自然と笑みがこぼれた。


 ……と、アリアが私を呼ぶ声がする。今はまだ、午後五時半。ご飯の時間には少し早いけど何だろう?


 居間に降りていくと、ネルとアリアが並んで座っていた。二人とも妙に静かで、厳しい顔つきだった。

 私は椅子を引いて、彼らの向かい側に座る。

「なあに? 改まっちゃって」

 ゆっくりとした口調でネルが話し出す。

「……ボク達、もう帰らないとならない」

「え……?」


 それはあまりにも唐突だった。うまく言葉が出てこなかった。


「だから、ボク達……今までお世話になった麗華にお礼を言わないとって思って」


 お礼……? 勝手な話だ。私が礼を言われる筋合いはない。むしろ礼を言わなければならないのは私の方なのだから。


 あまりに突然切り出されたもんだから、感情のブレーキが効かない。つい、いらぬことを口走ってしまう。


「……あんたたちは勝手よ。いつでもそう。図々しく居候を頼み込んできたかと思えば、今度は出て行くですって……? どうして……どうして、もっと早く言ってくれなかったの!?」

「それは……」

「もう、勝手にどこへでも行けばいいじゃない! 私はもう、知らない!」

 ネルにそう言い放ち、勢いそのままに私は家を飛び出した。


 夕日に照らされた雲が長い尾を引いている。家の外はすでに夕暮れだった。

 私は何も考えず、ただただひたすらに走った。そして、気が付くと、二丁目の公園の前に来ていた。


 ここで……この公園で、私はネルと出会った。ベンチに座って一人、ぼんやりと物思いにふける。どうして私はこんなに不器用なんだろう。もっと素直になればよかった。


 妙ちきりんな格好をしたネルを、私は初め、コスプレイヤーと勘違いしたんだっけか。その可憐な容姿を見て、一目で女の子なんだと決め込んで。魔法が信じられなかった私に、ネルは箒で空を飛んでみせてくれた。すっご~い! と思いながら、私も乗せてほしいって頼み込んだなぁ。……一回だけ乗ったけど。あれはとっても衝撃的で、いつまでも色あせない、大切な私の思い出だ。

 あれから、バンチョーやアリアと出会って。それから――。


 それまでのことが走馬灯のように頭の中をぐるぐると回っていく。それらの思い出を私はおばあちゃんになっても、その日の出来事のように思い出せるだろう。それだけ、色濃くて衝撃的な体験の数々を私は決して忘れないだろう。


 あれ? ふと、目から涙の雫がこぼれているのに気づく。どうして涙が出るんだろう? 拭っても拭っても、涙はとめどなく溢れ出てくる。ついに私は手で顔を覆い隠すようにして、おいおいと大声で泣き始めた。止まらない涙。誰かに見られることなど全く気にせず、感情をさらけ出すようにして、嗚咽のこもった声でむせび泣く。


「……麗華?」

 涙で視界がぼんやりする。でも、声でわかった。目の前に立っていたのはネルだ。

「こんなところで、一人で泣いて……どうしたの?」

「うるさいわね! 放っておいてよ!」

 次第に視界がはっきりとしてくる。向こうの方にアリアが立っている。きっと、ネルを待っているのだ。

 ネルが空を見上げ、一人つぶやく。

「ここでボクは麗華に出会ったんだね……」


 爽やかな風が一つ吹いていく。風は私たちの髪を撫でるように揺らして去っていく。遠くへ、遠くへと去っていく。


「……行かなきゃ」


 ネルが歩き始めた。このまま向こうの世界に帰ってしまうのだろうか? 何も言わず、彼は行ってしまうのだろうか?


 ……そんなの……嫌だ!


 私はベンチから立ち上がって、背中を向けているネルに言った。


「ネル! 私は……私はネルのこと絶対忘れないから! きっと、またいつか会いに来てくれるって信じてるから!」


 ネルはこちらを振り向くと、穏やかに笑う。だが、その瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。

「ボクだって……絶対忘れないよ! えっ、ひっく……」

 私はネルの方にゆっくりと歩いていく。

 ネルは今にも泣きだしそうな顔をしている。

「ネル!」

「……?」


「私たちはたとえ離れていても、心は一つ。だって、私たちは……《ひびきのバスターズ》でしょ!」


 ネルの顔がぱぁっと明るくなった。

 私たちは互いに手を高く掲げ、笑いながらハイタッチした。互いの手と手が合わさった、パチンという音が私たちの他には誰もいない公園に、そして私の心の中に響いた。

「……じゃあね。ネル、アリア」

「麗華さん、今まで本当にありがとうございました!」

 こんな時でもぺこりと頭を下げて礼儀正しいアリア。しかし、彼女の瞳にも涙が滲んでいるのが私には見えた。

「麗華ぁ~、ボク、ボク……」

 たっぷり涙を滲ませているネルは、今にも泣きそうだ。けれど、そんなことは私も同じ。

「泣かないの! 笑うの」

「……う……ん」

「さよならは言わないわよ。きっとまた会えるって信じてるから」

「はい」

「……うん」

 ネルは私があげた銀玉でっぽうを大切に抱えている。それを見て自然に口元が緩む。

 ネルはポケットから虹色の玉を取り出す。師匠にもらったマナの種である。これによって膨大なマナを発生させ、時空間転移魔法は発動する。

 ネルがマナの種をぐっと握りしめ、魔力を送る。すると種が煌めき、破裂した。

 ネルは懐から取り出したタクトを頭上に掲げた。タクトはマナの種の光を帯びて、先端がきらきらと虹色に輝いていた。

 ネルが私をちらっと見た。私が何も言わず頷くと、彼も同じように頷いて、ゆっくりとタクトを振り始めた。


「Ишф□∥÷Å―― 今こそ狭間に捻じれを引き起こし我を時空の彼方へと誘え ――【ルーンムーブネス】」


 すると、ネルの頭上に不思議な幾何学模様がいくつも浮かび、それはやがて、空中にぽっかりと空いた穴になった。


「……じゃあ……ね」

 私は泣きそうなのを必死にこらえて、笑顔で言った。

「麗華さんも元気で」

「アリアもね」

 ネルはずっと黙っていた。唇を噛み締め、私の方を見ていない。穴の方だけをじっと見つめている。

「…………」

 そのまま、ネルはアリアと共に箒に飛び乗った。

 箒は穴に向かって飛んでいく。

 箒が穴に突入する寸前、ネルが振り返って私の目を見て言った。

「麗華……ボク、きっとまた会いに来るから! えぐっ……絶対、会いに来るからっ! だから……だからっ! ……またね」

 私は満面の笑みを浮かべて言う。

「うん、またね!」


 箒は穴の中に入っていく。真っ黒な穴の中に入っていくと、やがて、見えなくなった。

 宙にぽっかりと開いた穴はそれからだんだん小さくなっていって、それからすぐに、ぱっと消えてしまった。


「行っちゃった……か」

 それまで堪えていた感情が、一気に激流のように押し寄せてくる。

 誰もいない公園で、私は一人、泣いた。


 ――どれだけの時間が経ったのだろう。

 泣き止むころには辺りはすっかり薄暗闇になっていた。

「……帰ろう」

 と、公園を出ようとした時、足元に一輪のスミレが咲いているのが目に入った。

 スミレは春に花開く。今はまだつぼみで、種を飛ばす準備をしている時期だ。

 私は足元に咲いていたスミレをそっと摘んで、家に持ち帰った。






















 ――それから約十年あまりの月日が流れた。

 とある本が出版されるや否や、売り切れ続出の、空前絶後のベストセラーで大注目されていた。作者は家達麗華。

 それは、とんがり帽子をかぶった、箒で空を飛ぶ少年が主人公の物語。

 タイトルは――〈春風の魔法使い〉。



 家の庭にはたくさんのスミレが咲き誇っている。あの時公園で摘んできたスミレが種を飛ばし、たくさんの花が咲いたのだ。

 たくさんのスミレに彩られた庭には使い古した箒が立てかけられている。

 麗華はそれを目にすると、いつも自然と笑顔がこぼれるのだった。

 ふわりと吹いてきた春風が、小さなスミレの花びらをさわさわと揺らしていった。











 箒は今日も颯爽と空を翔る。

 こことは違う場所で、とんがり帽子の少年を乗せて飛んでゆく。

 ――銀色の髪をたなびかせながら。


   おしまい



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春風の魔法使い 秀田ごんぞう @syuta_gonzo

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