第18話 G――偉大なる魔法使い

 ドロシーが魔法を解いて、私の両足を封じていた氷が解けはじめた。アリアも落ち着いた呼吸になって、立ち上がれるほどに回復している。

 どうやら今度は本当に敗けを認めたらしい。

 ネルがタクトを懐にしまって、ドロシーに尋ねた。

「ドロシー、きみがこんなことをするなんて、ボクにはやっぱり信じられない。何かわけがあるのなら話してくれないか」

 ネルの言葉に、ドロシーは柔和に微笑む。

「ふふ。やはりあなた達を騙すことはできませんでしたね……。私はあるお方の密命を受け、ネルと戦うよう指示されたのです。本当はそんなことしたくなかったけど。でも……」


「――もう良いドロシー。お前は十分よくやった」


 突然背後から聞こえてきた声に全員が振り向いた。

 後ろに立っていたのはしわくちゃの老人。白い顎鬚は地面に届くほどに長い。


 老人を見て、唖然とした顔でネルが言った。

「し、ししょー……どうしてここに?」

「バカモンが! 時空間転移などしおってからに。リカードから話を聞いた時は腰を抜かしたぞ! 転移魔法の研究が禁忌とされていることを、よもや知らないわけではあるまいに……」


 ネルは何も言い返せず黙っていた。この老人がそこまで怖い人物なのか、ネルはすっかり青い顔をしている。


「ドロシー、お前さんは良く頑張ってくれた。じゃが、ちと修行が足りんの。このちんちくりんに敗けるようじゃまだまだじゃの」

「はい。自覚しております」


 なんだなんだ!? 仮にも選ばれしスーパー魔法使いであるはずのネルとドロシーがぺこぺこしているだって? この老人は一体何者なんだ?


「おじいさんは一体何者? 私にはさっぱりわけがわからないんだけど!」

「れ、麗華さん! このお方はですね――」

 アリアが慌てて私を止めようとする。このお爺さん、そんなに偉い人なのか? だって、どこからどう見ても普通のお爺さんだ。顎鬚が長すぎるけど。

 老人は私を見ると、嬉しそうに微笑んだ。

「ほっほ。君には一番迷惑をかけることになったかもしれないね。名は何と言ったかな?」

「家達、麗華です」

「そうか麗華君。今更かもしれないが一言謝らせてくれ。すまなかったな」

「い、いや! いきなり謝られても困ります!」

「はっは。まあそう言わんでくれ。私から全てを説明しよう」


 老人は顎鬚をいじりながら話し始めた。

「――事の発端はネルが転移魔法の研究を完成させてしまったことから始まったのじゃ。転移の魔法は禁忌とされておってな、固く禁じられている魔法なのじゃ」

「どうして?」

「ふむ。麗華君、君はネルに会って何も驚かなかったかな?」

「いやいや! もう、大変でしたよ! それまで、魔法なんて見たこと無かったですから」

「そうじゃろう? 転移魔法が容認されれば、そのようなパニックがいたるところで起こってしまう。人々の混乱は世界に歪を生じさせ、二つの世界を破滅へと導きかねない……。時空間転移とは本来、それほどまでに危ういものなのじゃ」


 確かに……。魔法技術の存在をマスコミが嗅ぎ付けでもしたら、それこそ大変なパニックが起こるに違いない。それだけを考えても、転移魔法がどれほどの影響力を持つのかが窺える。


「それをこのバカ弟子は!」

 老人はぽかりとネルにげんこつ。ネルは痛そうに悶えていた。

「世界観に影響を生み出さぬうちにこいつを連れ戻さねばならんのでな、ドロシーにネルを捜索させたのじゃ」

 しかし、それでは腑に落ちないことがあった。

「けれど、何故二人を戦わせる必要があったのですか? 商店街のヒトダマだって……あんな噂を流す必要も無かったんじゃないですか?」

「麗華君の言うこともわかる。確かに、ネルを説得してさっさと連れ帰るのが一番手っ取り早い。だが……それではこいつが反省しないじゃろう。また同じことを繰り返さんとも限らん。じゃから、ワシの願いでドロシーに一芝居うってもらい、ネルにちょっぴり痛い目に遭ってもらおう、と考えたわけじゃよ」

「ちょっぴりってレベルじゃなかったですよ……。ひょっとすると、あの攻防で商店街に被害が出なかったのって、お爺さんのおかげなんですか?」

「わっはは! 確かにちとやりすぎたかもしれんのう! しかし……麗華君は鋭いのう。こいつらの戦いで、この世界に影響を与えるわけにはいかんのでな」

「まさか、あの時ししょーいたの? そうか……どうりで商店街が無事で済んだわけだよ」

「私もおかしいとは思ったんです。大音量の音楽を鳴らしたのに、店の人たちが誰も起きてこないんだもの。お爺さんが結界を張ってくれてたおかげなんですね」

「ワシはあの時、君達の陰に隠れて、こっそり街を守るための結界をかけておいたのじゃ。ワシ特製の結界じゃからな。あの夜の出来事を知る者は君達だけじゃ。その点は安心してくれ。それに気づかぬとは……ネル、お主もまだまだじゃの」


 この爺さん……確かにネルの師匠というだけある。その能天気さと自由人っぷりはネルの上をいっている。だが、この人が結界を張っていてくれたおかげで、あんな戦いの後でも商店街はほとんど変わらない姿だ。結界が張られてなかったら……翌日は凄い大騒ぎになっていたかもしれない。


「だいたいドロシーもドロシーよ! こんな悪ふざけに付き合うなんて、どうかしてるわ!」

「ごめんなさい。麗華さんには本当に悪いと思ってるわ。けど……この人には私逆らえないもの。本当は戦うのだってあまり好きじゃないのよ、私」


 ドロシーはもじもじした口調でつぶやく。さっきまでの彼女とはまるで別人である。これが彼女の素の姿だというから驚きである。私はふと思う。今回の事件の一番苦労したのはドロシーだったのではないか、と。やりたくもない芝居をやらされ、自分を殺して役になりきった。結果、私たちは彼女の演技にすっかり騙されてしまったんだ。


「あんたがそこまで言うなんて、この爺さんは何者なのよ!?」

「麗華さんは私達がGの称号を持つ魔法使いだってことは知ってるわよね」


 ドロシーの言葉に私はうんと頷く。


 G――世界に六人だけ選ばれる、《偉大なる魔法使いグランドマジシャン》の素質を持つ者達に与えられる称号。それはネルからも聞いたし、戦いの最中にドロシーも言っていた。ネルたちの世界ではGという称号が、とても重い意味を持つことは会話の感じから推測できた。


 ふぅ、と息をついてからドロシーは言った。

「……私たちの前に立っているこのお方こそ、世界最高の魔道士、《偉大なる魔法使い》その人なのよ」


 そ、そんな……この爺さんが魔法使いたちの頂点に立つ人だっていうの?

《偉大なる魔法使い》なんて言うからには、もっとカッコいいイケメンを想像していたのだが……何とも残念な気分だ。


「お爺さんが……《偉大なる魔法使い》……?」

「ほっほ、驚いたかの? じゃがワシも、もう年じゃ。そろそろ引退しようかと思っての、後継者を決めねばならん」

 その言葉にネルの耳がピクリと動く。

「し、師匠それは本当? じゃあいよいよウィザーズオブファイトが始まるの?」

「まだ先の話じゃ、バカモン! とはいえ……近いうちに開催せねばならんの。六人の候補による後継者争い――通称、ウィザーズオブファイトを」


 ウィザーズオブファイト……。その戦いで六人のGを持つ魔法使いが集い、《偉大なる魔法使い》の座を賭けて戦うわけか……。なにやら私など及びも付かないくらいスケールのでかい話である。

 正直、私には遠い世界の話過ぎて、話を聞いていてもまったくピンとこない。


 そんな時、老人が私のほうをじぃっと見つめているのに気が付いた。

「あ、あの~……私に何か?」

「麗華君。ワシはずっと君たちの事を影から見守っていたのだが、一つどうにも腑に落ちないことがあってじゃな……。麗華君、君が時折見せる、あの突飛な発想はどうやって思いついたんだね?」

「いや、突飛だなんて! 私は普通の高校生ですから」

「ワシの目は誤魔化されんぞ。君には何か特別な力があるんじゃないのかね? 商店街に出たヒトダマの秘密を見破ったのも見事だったし、ネルにこの世界での魔法の使い方を教えたのも、他ならぬ君だったじゃないか。ワシはネルに、魔法が使えない不自由さを味わってもらう計画だったのに、君が次々と的確な答えを導き出していくものだから、計画が随分狂ってしまったよ」

「そ、そんな! 私に特別な能力なんてないです。……ただ一つ言えるとするならば。私は小説を書くのが趣味でして、登場人物になりきって想像してみることがよくあるんです。それと同じように、その人の気持ちになりきって考えているといい案が浮かぶ。今回はそれがたまたま上手く言っただけの話ですよ」


 老人は私をもう一度しかと見定めると、ネルとドロシーに向けて言った。

「……この分じゃと、一番偉大なる魔法使いに近いのは麗華君かもしれんな……」


 これには一同唖然。私が《偉大なる魔法使い》? いやいや分不相応すぎる。私は頭に一瞬浮かんだ妄想を全力でかき消した。


「ネル、それにドロシーよ。魔法使いにとって最も大事なこととはなんじゃ?」

「知識じゃない? 色んなことを知っていればいるほど、多種多様な魔法に応用できる」

 と、ネル。

「……技術でしょうか。弱い魔法も、使う人の腕次第で驚くほどの強力な魔法になりますから……」

 と、これはドロシー。

「どちらも魔法使いにとって大事なことではあるが、一番大事なことではない」

「そ、そんな! だったら何だっていうのさ?」

 老人は深いため息をついてからつぶやく。


「それはな……知恵じゃよ」


「知恵?」

「知恵は知識とは違う。知恵とは……物事をありのままに受け止め、真理を見極める力じゃ。それすなわち、無から有を生み出す力じゃ。魔法とは森羅万象を司る力。《偉大なる魔法使い》ともなれば扱う魔法の種類も膨大。未知なる現象が次々と起こるだろう。そうした事態をありのままに受け止め、真実を導く力こそが知恵なのじゃ」

「大事なのは知恵……」

「じゃから《偉大なる魔法使い》に一番近いのは麗華君じゃと言ったんじゃ。お主らには知識はあっても、知恵が足りん! もっと物事を柔軟な頭でとらえるよう心掛ける事じゃ」

 その言葉にネルもドロシーも頷いた。


「それじゃあ、そろそろ行くとしようか。……ドロシー」

「はい」

 ドロシーが立ちあがって、老人の隣に並ぶ。

「ネル、受け取れ」

 老人が丸い物体をネルに投げ渡した。見る角度によって色が変わる不思議な物体だ。太陽の光を反射して七色に輝いている。

「ししょー……これは?」

「それはマナの種とでも言おうか……一度きりだが膨大なマナを生み出すことができる神秘の種じゃ。それを使えば、時空間転移魔法を発動させるに十分な量のマナを得られるじゃろう。お前はこの世界で色々な人にお世話になったはず。その人たちにきちんと礼を言って、戻ってくるのだぞ」

「わかったよ。ししょー、ドロシー。また向こうの世界で会おう」

「はい。待っていますよ、ネル」

 ネルとドロシーは別れ際に握手を交わした。


 老人が懐から古びたタクトを取り出して空中に円を描く。すると、何眞なかったはずの場所にぽっかりと穴が空いた。


「それじゃあの。麗華君、世話になったな」

「ドロシーたちも、お元気で!」


 私は笑いながら二人に手を振った。

 二人が旅立って間も無く、空中にぽっかりと空いた穴は消滅してしまった。

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