第18話 役不足と墓参り

「小池リゾートの小池さん」

 私の名刺を受け取ると、針山めるこは緊張感のない声で読み上げた。

 市松町駅前東口から徒歩三十秒のところにある、系列ホテルのラウンジに招待したが、予約時間に彼女もうさぎの人形も現れなかった。電話をかけると「今起きましたあ、ウチでもいいですか」などとほざくので、お望み通りご自宅に訪問してやった。


「ええと、私、名刺ないんです。こもりきりで衣装をちくちくやるだけなので。職場のロッカーになら、何枚かあったと思うんですけど」

「お気になさらず。針山様とは、ビジネス上のお話をしにきたわけではありませんので」


 細心の注意を払い、柔和な笑みを浮かべてみせる。自分がわりに緊張しているのか、この女の薄らぼんやりとした態度にいらついているせいかわからないが、妙に居心地が悪かった。


 件のうさぎの人形は、しゃっきりと背筋を伸ばして針山めるこの隣に座っている。当たり前かもしれないが、写真で見るより小汚い。冒険家と呼んでも差し支えないほど奔放だった従大伯母様の“いちばんの親友”は、両膝に手を置いて黙ったままだ。たたずまいは無機物のそれなのに、その全身の神経が私に向かって集中している確かな気配があった。


「早速ですが、率直に申し上げます」

 うさぎの人形のほうに身体を傾け、前置きをする。私の台詞に被せて、うさぎが口を開いた(実際には声が発されただけで、口は動いていないが)。

「こみつちゃん、死んだんでしょう」


 意外に大きな声にたじろぎ、肯定の返答が一拍遅れた。針山めるこがうさぎの人形を見あげると「めるこちゃんの前の僕の持ち主」と抑揚のない声で言った。

「小池さん……ああ、そういうことか。ええと、この度はお気の毒に」

 全員がぎこちなく会釈をする。


「おはかまいり?」

 ごろん、と首が落ちるんじゃないかという不自然な角度でうさぎが首を傾げる。想像以上の気味の悪さに驚いて肩が跳ねてしまったが、バレてないだうか。

「いまからですか?」

 続いてたずねてくる針山めるこの声も、どことなく無機的な響きを帯びていて、きっとこのうさぎと同時に発声されたら聞き分けられない。早くも私の調子が狂いかけている。


「ええ、そうです。往復で半日ほど要しますが」私がイニシアチブを握るための、切り替えスイッチのように返答する。「急なご連絡と訪問で、驚かせてしまい大変申し訳ありません。しかし、どうしてもおふたりと直接お話をさせていただきたく……」


「僕、喪服持ってない」

「そうだね、どうしよう」

「ああ、ええと、構いませんよ。故人もそんなことを気にするような方では……」

「アレを着て行ったらいいんじゃない? 黒いネクタイは実家から借りてくるよ」

「ですから、お気になさらず」

「うーん、じゃあ、ネクタイはなしで、アレだけ着たいなあ。せっかくだし、こみつちゃんに見せてあげたら、めるこちゃんは良い人だって、安心するし」


 言いながら立ち上がり、うさぎは中座した。クローゼットに向かったらしく、針山めるこが「どこにあるかわかんなかったら呼んでー」と、やはりぼんやりした声音で言った。そして湯呑を両手で抱えてほうじ茶をすすり、事もなげに息をついた。


「わたくしがお預かりして、ご案内させていただくということでよろしいですか?」

 てっきり同行を願い出るものと思っていたが、その様子がまるでないのでこちらから聞いてしまった。こちらとしても、来ないほうがありがたいのだが。 

「ファニー氏とその方の時間を邪魔したくないので、今回は遠慮します」

 ずっしりとした含みがあるようでいて、けろりと爽やかに断られたような妙な心地だった。


「かしこまりました。お気遣い痛み入ります」

「べつに小池さんには1ミリも気なんか遣ってないですよ」

 やりづらい。すごくやりづらい。なんかこう適当に苦笑いして茶を濁すしかない。こんなことでへこたれてはならない。私は、あの人形を譲渡してもらわねばならないのだから。


「針山様。わたくしは、価値あるものはしかるべき評価を受け、しかるべき名誉ある居場所におさまるべきだと考えています。あなたのお父様も、お兄様も、そしてあなたも、そのようにして認められ、今の地位にいらっしゃる。先日の次期『ルメルシエ』の記者会見、拝見しましたよ。とても感動……うわ」

 針山めるこは、いきなり私の片腕を掴んだ。そして私の腕を曲げたりのばしたりしながら、ためつすがめつ眺め、スーツの表面を何往復か撫でた。


「メランコリック・ウール100%ですね。一見反射性の低い黒色の生地ですが、注意深く観察すると濃紺色に透ける非常に高価な素材です。私が生まれる少し前に見栄っ張りな人々のあいだで大流行し、私が物心ついたころに廃れました。その生地は、クロヒツジが極度のストレスを受けた時に分泌される色素によって濃紺色に透けるからです。業者が羊を痛めつける様子が報道され、愛護団体がブチブチにブチギレて、それに賛同する人々がデモをやったので、新しい法案が出来、生産が中止されました」

 抑揚のない声で、まるでドキュメンタリーのナレーションの台本を読み上げるように淡々と話す。私の腕は持ち上げられたままだ。


「服飾の専門学校に通っていた時、あらゆる天然素材の動物の毛皮を剥ぐ映像を見せられました。たいていの場合、ガスを吸わせるとか首を折るとかするわけですが、メランコリック・ウールは強烈ですよ。歯を全部抜くんです。自然界の外敵に、彼らの歯を抜く者なんかいません。羊の本能レベルで想定できない苦痛です。すると、きれいな発色の羊毛を刈れるというわけです」

  4つ重なった袖ボタンのひとつをつまんで外し、何かを点検してからボタンを掛けなおした。窓のサッシの埃をなぞる姑みたいに。


「『ヴェルガ』が当時販売・制作したものですね。お抱えの縫製工場でつくられた、正真正銘のヴェルガのスーツです。こんなものをお召しになられてるぐらいだから、私が蘊蓄を垂れる必要はないかと思いますが、ブランドの名前を使用することを許可されただけの、直営ではない外部の工場だとこんなにいいクオリティにはならないんです。ヴィンテージ品をわざわざご購入されたか、どなたかから譲り受けたものですかね」

「ええ、ヴィンテージを探し当てて買いました。さすが針山様、お目が高いですね」

 嫌味を言われているのは分かるが、何が気に障ったのかわからない。互いに妙な笑みを浮かべていると、うさぎの人形が戻ってきた。ダブルボタンのブラックスーツを着込んで。




 「おつりで牛乳と卵とトイレットペーパー買ってきて」と言いながら、うさぎの人形に金を渡し「それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい」と、針山めるこはあっさり我々を送り出した。


 社用車の後部座席にうさぎの人形を乗せ、墓地ヘ向かった。観覧車を横目に通り過ぎ、気色悪い色のひまわりが郡生する河川敷を超える。


「そのスーツは、どこで工面したんです? やけにぴったりだ」

 人形販売当初の標準規格の衣装なのではないかと思うほど、しっくりきていた。とはいえ、人形はつぎはぎだらけで布も薄汚れているのに対し、真新しいスーツが浮いてもいる。


「めるこちゃんがつくってくれたの」

 前を見て運転に集中していると、うさぎの声がどこから発されているのか分からなかった。カーラジオから流れている気さえしてくる。


「こんど、めるこちゃんがつくった衣装で、めるこちゃんのお兄さんがお芝居をするの。それのいちばんさいしょの回にね、招待してくれるっていうから、おねがいしてつくってもらった」

「なるほど。しかし、そんなに格式ばらなくてもよいのでは?」

「人間には、節目が大切なんだって、こみつちゃんが言ってた」


 まるで、ついさっき彼女と話したかのような質量のある話し方だった。

「お誕生日とか、結婚とか、そういうことは、たくさんよろこんで、たくさんお祝いするのがいいんだって。ティファニーさんも、ローレンさんも、ターニャおじさんも、そんなかんじだった。おめかししたり、きりっとしたり、みんなで乾杯したり。あ、みんな、前の人たちのことだよ」

「……持ち主?」

「うん」


 なんだか妙な気分だった。学芸員を複数人呼び、特殊な虫眼鏡であちこち点検したうえで梱包材で入念に包み、保険つきの業者に輸送してもらうべき価値を、この人形に見出していた。それがシートベルトを装着し、私の運転する車に乗り、雑談を交わしている。


「あなたには価値がある」

 私はいらついていた。

「あなたには、もう二度と身体が破れないような安全なところにおさまって、たくさんの人に讃えられてほしい。もしかしたら、私はあなたのことを尊敬しているのかもしれない。従大伯母様には数えられるぐらいしかお会いできなかったが、小池家をこれほど観光業界の中で大きな存在にできたのは、ひとえに……」


「お墓まであとどれぐらい?」

 ひと回り大きな声量で問われ、肩がはねた。

「この町をぬけた先の、丘の上です。もうすぐですよ」

「さっきお花屋さんがあった。お花買おう」


 うさぎの人形は、スイートピーの花束を注文した。金のことは気にしていないので、私が支払おうとすると「これはめるこちゃんの気持ちもあるから」と言われ、折半した。


 墓場には、生ぬるく、おだやかな風がふいていた。うさぎの人形は花を供え、墓石に掘られた文字の窪みを指でなぞり、しばらくしゃがみこんでいた。


 放っておいたら、いつまでも従大伯母様の墓石の前にいそうだった。丸められた背中に向かい、言い放つ。


「このまま、小池家に戻ってくれ。針山めるこにはあとで話をつける。あんなぼんやりした女と一緒にいたら、君もぼんやりして、自分の偉大さを思い出せなくなる」

「めるこちゃんはぼんやりしてない」


 うざきの人形が立ち上がり、こちらに距離をつめる。真正面に立たれると威圧的だった。

「必要とあらば、僕はあなたを何の躊躇いもなくひねり上げることができます」

 あまりにも唐突で暴力的な発言に、文字通りぽかんとするしかなかった。


「彼女はホスピタルに入ったその日に、僕に別れを告げました。もうわたしは大丈夫だから、あなたを必要とする人を探しに行ってほしい。死に顔がかっこ悪かったらイヤだし、あなたには見られたくない。しゃんとしてるうちにお別れしましょうって言われた。しわしわの婆さんになったわたしのこと、こみつちゃんって呼ぶの、あなただけだわって、笑ってた」

 うさぎの人形の背後で、花束の包み紙がそよ風にはためく。


「何故なのか分からないけど、こみつちゃんの前の3人の持ち主も、自分が大丈夫になったことに気づくと、後腐れもなく僕を送り出す。泣いて縋り付いたりしない。別れに適切な時期を理解し、守った。それがごく自然だった。だから、こみつちゃんの時もそうした。小池の家の人は、もう僕がいなくても大丈夫。時がひと巡りしたら、また縁があるかもしれない。でも、今は要らない。僕は僕の経験と直感を信頼してるから」


 焦点の合っていない、ぎょろついた目が、確実に私を見ていた。


「めるこちゃんはぼんやりなんかしてない。ぼんやりしてる人に、こんなスーツは仕立てられない」

 うさぎの人形が懐に手を入れると、小さな刃物を取り出した。反射的に後ずさったが、よく見るとそれは糸切ばさみだった。


「こんなに強く、僕を閉じられる人が、ぼんやりしてるはずがない」


 胸から下腹部のあたりまでに走る縦の縫い目に、鋏が入れられた。上から下に向かって、やりづらそうに切り込みを入れる。開いたところから、ポップコーンのように綿の塊が飛び出して不格好だった。


 切り口の中に手をつっこみ、自分の腹の中をひっかき回す。うさぎの人形が何をしているのか皆目見当がつかず、ぽかんと眺めることしかできない。

 やがて、ずるりと引き抜かれた手の中には封筒が握られていた。うさぎの人形はそれをためつすがめつ眺め「穴が開いててごめんなさい。前に刺されたことがあって」といい、私のほうに寄こした。


 皺のよった白い封筒の中央には、確かに射抜かれたような穴があった。促されて封を切り、便箋をひらく。

 小池こみつの直筆だった。


 ――小池家のおバカさんへ。ティファニーちゃんを今の持ち主の方から奪うことを禁じます。どんな方法でもです。この文言は、ティファニーちゃんがあなたに読ませる度に何度でも有効とします。

 ご存じでしょうけど、私ってお友達をつくるのがとても上手なのよ。この手紙に背いた場合、あの世のお友達を何千人も連れて化け出て、小池系列のホテルの全部屋にポルターガイストを起こします。書いたらちょっとやってみたくなっちゃったけど、やらないで済むように祈ります。

 お父様みたいな蒐集の気が耐えるといいのだけれど。それではごきげんよう。


 長い溜息が出た。あの人には勝てない。

「僕はあの車のタイヤもエンジンもアクセルも潰すことができます。ですから」

「分かった、分かったから。送るので早く乗ってください、市松町まで3時間はかかる。スーパーが閉まりますよ」


 うざきの人形はのこのこと私の後ろに続きながら、手紙を腹におしこんだ。

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いちまつちょう 小町紗良 @srxxxgrgr

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