境界をこえて

梅田 つばめ

序章

 足がもつれて倒れる瞬間、三度乾いた音がなった。

 場所は狭い路地のまがり角。ほんの一、二メートル先には左へと続く道がある。

 どうして。どうしてこんな場所で。

 舗装されていない道は走りにくい。わかっていたはずなのに。

 わかっていたはずなのに、なぜこの道を選んでしまったのだろうか。

 倒れながら強く目を瞑った。多分もう、目をあけることはないだろう。後悔だけが自分のなかを支配していく。

 もし、もし別の道を選んでいたら。そしたら、結果は別のものにかわっていたのだろうか――。

 衝撃が走った瞬間、しかしその思考はすぐに切り替わることとなる。

 おかしい。意識がある。まだ、意識があるのだ。

 恐る恐るゆっくりと瞼をひらく。かすむ視界。

 その中で、瞳に映しだされたのは空中に浮かぶ人型の青いワイヤーモデルだった。

 ……赤色じゃない?

 思わず散瞳する。通常、目のまえに展開されるデータは致命傷を負うと色が変化するはずだった。だが、今の色は撃たれる前となにも変わっていない。

 二、三度瞬きして視線を左へと動かすと、四角い枠のなかに一行だけ文が表示された。

 「外傷――擦り傷のみ」

 それを確認するや否や、ふたたび勢いよく走り始めた。すぎ去り際に壁を一瞥すると、三か所に穴があいている。どれも、頭とおなじ位置だ。おそらく、転ぶのが一呼吸遅れていたら被弾していただろう。皮肉にも、選んだことを後悔したこの「舗装されていない道」に助けられたのだ。

 後方から憤りの篭った声がすると、すぐさま耳元に雑音と割れた音声が聞こえてきた。

「目標を取り逃がした。至急、増援を頼む」

「了解。増援を送る。現在の座標データと予測経路を送れ」

 それを聞くと、すぐにヘルメットの右耳の部分を探った。指に引っかかったダイヤルを掴むと、くるくると急いで回す。すると、目のまえに緑色のデータが表示され、回すたびに画面が左から右へと流れていく。

 あった。これだ。

 ダイヤルの中央を軽くたたくと、その部分が淡く発光して目的の画面をひときわ大きく表示させた。傍受した通信の中で男が話していた「座標データ」だ。

 大丈夫。

 エネルギーは残ってる。

 「座標データ」をもとに地図を照らしあわせ、そこから道を探すとふたたび狭い路地を走る。しかし、向かう場所はどこもあと一歩のところで警戒区域へとかわり、逃げ道が塞がれていく。

 だめだ。ほとんどの道がマークされている。

 地図を見ると、旧繫華街と住宅地はすでに逃走経路として予測されていた。どうやら残された場所は地下ショッピングモール施設だけのようだ。そこから地下に降り、避難通路をとおって行くしか安全に街をでられる方法はないだろう。

 今までとおってきた道と違い、形の残った建物がおおくなってきた。なかには洗濯物が干したままの家やマンションも見受けられたが、今はそんなことで速度を緩めるわけにはいかない。

 もしかしたら追いつかれるかもしれない。今は少しでも距離をあけないといけない。

 迫りくる焦燥感にかられ、光の中へと飛び出したその瞬間――。

「な、なにこれ……」

 想い描いていたシナリオは音を立てて崩れさった。脚は完全にとまり、開いた口はなにかを訴えるように小刻みに震える。

 この場所には来たことがあった。ちょうど一年ほどまえの、晴れた昼下がり。地下を眺めることのできる円状のガラス張りの壁と、その両端に設置された昇降口。待ち合わせをする人や話し合う人、笑う人に怒鳴る人。ガラス張りの壁の一部が印象的で、モザイクを用いて綺麗な天使が描かれていたのを今でも覚えている。そんなどこにでもあるような、いたって普通の場所だった。

 しかし、いまはそんな施設の存在そのものが無かったかのように、ただひしゃげた円がそこにあった。

 その円は暗く深い。ここで起こったであろう惨事をただただ冷たくかたり、自分の置かれている状況が日常とは切りはなされた存在であることを再認識させる。

「すごいだろ? この穴。ニ週間前の空爆で空いたんだぜ」

 後ろからの声に、とっさに振り返る。

 一メートル九十センチはあろうかという長身の男が、その筋肉質な腕で独特な形状のアサルトライフルを構えていた。首元にはにぶい銀色のタグが光っている。

 間違いない。さっきふり切ったはずの兵士だ。

「どうして居場所が分かった? ……って顔をしているな。お前、無線を傍受してなかったか?」

 途端、心臓がはげしく脈うつ。

 ここまで逃げてくるのに、散々使用してきたデータの数々。それは、いま被っているヘルメットからの情報だった。

 もし。もしこれが敵にも流れていたとしたら……。

「ご明察だ。そのヘルメットは無線や座標データを拾えるのだけじゃない。自分のデータも送ってるんだ。さすがに持ち主の確認を取るのに手間取ったが……お前のデータは全てこっちに漏れてる」

 その言葉を聞き、すぐに別の画面をひらく。

「仲間に連絡ってとこか。だがな、その通信――ちょいと遅かったようだ」

「……どういうことだ?」

 操作のために動かしていた指がぴたりと止まる。

 男はその反応をたのしむように左手の人差し指と中指をたて、頭の高さまで上げる。

「何時間前だったか、ちょうどこの辺りでヘルメットを被った奴を見かけてな。本当はそういう奴はお前と同様、捕獲する手はずなんだが、あまりに抵抗されたんで……」

 そこまで話すと、笑いながら指先をこっちへと向けた。正しくは、自分の後ろにある大穴へ向けて。その意味を分からないほど馬鹿ではない。


 落としたのだ。

 わざと。


「ああ、だが心配することはない。他の奴が後で必ず回収に行く。だが、その前にやることができちまってな」

 男はアサルトライフルに手を掛けると、その銃口をゆっくりとこちらへ向けた。

「本当は手間かけずにつかまってくれりゃこんな方法取らなくても良いんだがな。この方が逃げられる心配も無くて好都合なんだよ。なんなら、時間をやるから痛覚を遮断してくれても良いぞ?」

「……一分で良い」

「おーそうかそうか。話が早くて助かる」

 そう言うと、男は向けていたアサルトライフルを外し、胸からタバコを取り出す。しかし、それはおそらくこちらを油断させるための芝居だろう。右手の人差し指は引き金から外れていない。

「ああ、逃げようとか考えてるんならやめとけよ? 数分で他の兵士も来るし、お前の周りに遮蔽物は無い。いくらタバコ吸ってるからって走って物陰に隠れる頃にはお陀仏よ」

 監察していたのがわかったのだろう。男は言葉で逃げ道をつぶしにかかる。

 その話を聞き、男に背を向けてしゃがむとゆっくりと右ひざに着けたポーチを探った。

 痛覚を遮断するためじゃない。

 もし、奴の言うように本当に自分が回収対象ならば……少なくともお前らの時間を無駄に浪費させることくらいは出来るだろう。

 ポーチから筒状の物体を取りだすと、強く握りしめる。そして、見えないようにピンを抜くと両手をほんの少しまえに出し、体重をゆっくりと傾けた。同時に、右手に持った物体を横向きに置く。

 多分、あの男にはわからないだろう。この態勢からの――

「おぅい、もういいだろう。無駄弾撃つのは――」

 ――駆け出しが一番速いということを!

 左手の指先が地面にふれた瞬間、まえへと強く蹴りだした。

「野郎、嘘つきやがったな!」

 黒いライフルを持ち上げ、すぐさま照準を合わせる。しかし、その視界は突如、轟音とともに真っ白になる。

「くそがっ! 閃光かっ!」

 眩いひかりに後押しされながら、そして私は大きく踏み込み――空を飛んだ。

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境界をこえて 梅田 つばめ @Umeda_tubame

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