第二十九回にごたん投稿作(お題:ヘミシンク音/二人だけで通じ合える秘密の合言葉/かぼちゃの馬車/諦めたくなんてない)
デリバリー・シンデレラ
私には最近悩みがある。ありふれているだろうけど、恋の悩みだ。
「ジュンちゃん、デリバリーお願い! 注文はハンバーグ定食一つね」
「わかりました! ついでに切れてた卵の買い出し行ってきます」
「よろしくー!」
すでに用意されていたハンバーグ定食をデリバリー用の箱に入れて、店の裏口からデリバリー用のバイクが停めてある駐車場へ出ようとした時、あの人が駆け寄ってきた。
「あ、あの……替わろうか? ジュ……西山さん」
顔を真っ赤にしながら、ぼそぼそとそう言うのは同じバイト先に勤めるタカオさん。なんでわざわざ名字に言い直したのだろう。名前で呼んでくれればいいのに。そのもどかしさに、私は少しだけモヤっとして。
「大丈夫です。タカオさんこないだ免許取ったばっかりなんだし。じゃ、行ってきますね」
逃げるようにバイクのエンジンをかける。しょぼんとしてキッチンに戻るタカオさんが横目に見えた。……あーあ、またやっちゃった。どうしてもっと可愛く甘えられないんだろう。少女漫画とかテレビドラマに出てくる女の子たちが羨ましい。
私の悩みとはそう、彼・タカオさんとのこと。
元々はただ同じキッチンで働く人だったけれど、今は一応……恋人。二週間くらい前に初めて二人で店の外でデートして、その時に彼から告白されて。以前から仕事でも頼りになるし、私が失恋した時に励ましてもらっていたから、付き合うことに何の違和感もなかった。
……でも。
恋人っていうラベルがくっついてから、私たちの距離は以前にもまして遠くなってしまったように思う。普通に話すときでさえタカオさんは顔真っ赤でしどろもどろで、私も何だか付き合う前に比べて思っていることをそのまま言えなくなった。
「はぁ……付き合わない方が良かったのかなぁ」
そんな独り言を漏らしながら、着いたのは単身用の小さなアパートの二階。私は配達先の部屋のインターホンを押した。ピンポーン。少し待ってみたけど、物音がしない。もう一度鳴らす。ピンポーン。やっぱり反応がない。配達先を間違えたのだろうか。一旦バイクのところに戻って確認しよう……そう思った時だった。
「……”門限は”?」
「へ?」
どこからともなく女の人の声が聞こえてきた。
私は辺りを見渡してみたけど、誰もいない。空耳だろうか。
「ねぇ、”門限は”?」
「ひゃぁっ!?」
声の主に気づいて、私は思わず持っていたハンバーグ定食の箱を落としてしまった。本来なら郵便物を入れるためのドアの下部のポストの入り口から、こっちを見ているグリーンの目が二つ。
「あ、なんだー、ハンバーグ屋さん?」
目はポストの奥から消えて、代わりに部屋の内側からガチャリと鍵を外す音がした。ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ。一体何個鍵がついているのだろう。私も単身用のアパートに一人暮らししているけど、普通は二個くらいのはずだ。
ドアがゆっくり開いて、そこから顔を出したのは緑のカラコンを入れた、金髪の細身の女性だった。ショッキングピンクの部屋着のハーフパンツから、病的なほどに白い足が伸びている。
「もー、驚かさないでよー。はい、お代」
そう言って彼女はにっこりと笑ってしわくちゃの千円札を差し出してきた。驚かされたのはこっちの方なんですけど……。私の気もよそに彼女は無邪気に笑うと、「あ、そうだ」と言って手をポンと叩いた。
「あなたも一緒に食べよーよ。ごはん、一人じゃさびしいし」
「えぇっ!? あの、お客様、そういうことは……」
「いーから、いーから。エーラがゆるす」
「エーラ?」
「私の名前。エーラっていうの」
何が何だかわからない。ポカンとしているうちにグイッと腕を掴まれ、部屋の中に引きずり込まれていまった。白く細い腕は、見た目に反して力強い。
部屋の中に入るなり鼻をかすめる甘いお香の匂い。まだ昼間にもかかわらずカーテンを閉め切って間接照明で薄暗く灯る中、ヒーリング音楽のようなものが流れていて、ドリームキャッチャーとか色とりどりの数珠が壁に掛けられている。
……ハッキリ言って、ここは異質だ。
こんなことなら素直にタカオさんに代わってもらえば良かった。なんて、今更嘆いたところで遅いのだけれど。
「はーい、いただきまーす」
小さなテーブルの上に広げられたデリバリーのハンバーグ定食。私が落としてしまったせいで盛り付けはすでにぐちゃぐちゃだったけど、彼女……エーラさんは子供みたいな握り方でプラスチックのフォークを掴むと、弁当の中をさらにぐっちゃぐっちゃとかき混ぜ始めた。見ていられなくなって、私は思わず目を背ける。
「あれー、あなたも食べないのー?」
「たたた食べませんよ! 普通、こんな風にお部屋に上がらせてもらうなんてこともないですし……! 私、次の配達があるのでもう戻らせてもらいますっ」
そう言って立ち上がろうとすると、私の身体は後ろに引っ張られた。エーラさんが黒いマニキュアを塗った長い爪で私の制服の裾を引っ張っている。
「食べないならー、エーラが食べ終わるまで一緒にいて?」
首をかしげながら上目遣いで見られ、なぜだか私はドキッとして、再びその場に座り込んでしまった。同性なのに。しかも初対面のお客さんで。きっとこの空間のせいで私も頭がおかしくなりかけているんだ……そう思い込まないと、自分の中の何か大事なものが崩れてしまいそうな気がした。やっぱりタカオさんに頼まなくて正解だったかもしれない。そうとさえ思う。
「そういえばさっきのって何だったんですか……? ”門限は”ってやつ」
「あー、あれはね、合言葉なの」
くちゃくちゃとハンバーグを頬張りながら、エーラさんは答える。
「合言葉?」
「うん。私の大事な魔法使いとのお約束なの」
「魔法使い……?」
この人、きっと頭がおかしいんだ。私は異質な置物が大小所狭しと置かれた六畳一間を眺めながら確信する。
「そうー、大事な大事な魔法使い。エーラと違って頭良くてー、頼りになってー、私をお姫様にしてくれるの」
エーラさんは唇の端にデミグラスソースをつけながら、目を輝かせて言った。
「あの、その人は今どこに……?」
「わかんないー。最後に見たのは、この新聞の写真の顔かなぁ。早く帰ってきてくれないかなぁ」
エーラさんは壁に貼ってある一枚の新聞の切り抜きを取ってきた。新聞に載るほど有名人なのかなと一瞬思ったけど、内容を読んで、そのあとはもう何も言えなかった。
「……で、そのエーラさんが『大事な魔法使い』って言ってるのが、三年前にスピリチュアル系の詐欺で逮捕された男だったってこと?」
ランチタイムの営業時間が終わり夜の仕込みをしている間、私はタカオさんにデリバリーであったことを話していた。
「そう言えばその事件、昔掲示板で色々書かれてたよ。ターゲットは主に女性で、最初は無料の悩み相談なんだけど、だんだん高額のインチキ商品を買わされていくんだって。なんかヤバそうな感じだね。あんまり深入りしない方が良いよ」
タカオさんは皿洗いに目線を集中しながら、優しい声で言う。
「そうですよね……私も態度悪かったし、もう注文入らないと良いんですけど……」
こんな不思議な体験は、たった一度きりで終わるものだと思っていた。けど、どうやらその見立ては甘かったようで。
翌日も、翌々日も……毎日のようにエーラさんからハンバーグ定食の注文が入った。しかもわざわざ私のことを指名していて、私がシフトに入っていない日は注文を取り下げるのだそう。店長には最初に何があったのか伝えていたのだけど、特に害がない限りは断る理由がないの一点張りで、私は泣く泣く何度も彼女のアパートに通うことになった。
配達に行くと、いつもお決まりのように「”門限は?”」と合言葉を聞かれ、私は彼女に教えてもらった通り「”十二時”」と返す。そして部屋の中に招かれ、彼女が食べ終わるまで横にいるというのの繰り返し。
彼女の部屋に向かうたび憂鬱な気分になるけれど、私を出迎える時の無邪気な笑顔を見ると少しドキッとする。たぶん、自分にはないと思っているものを簡単に見せつけられるからだ。
ある日、私は彼女の部屋の中で名刺のようなものを見つけた。彼女の着ている部屋着のようなショッキングピンクの背景に、金色の文字で「
「エーラさんってクラブで働いてたんですね」
源氏名の方がよほど本名っぽいと思ったのは口に出さないでおいた。エーラさんはごそごそとハンドバッグの中をあさると、他に何枚か同じようなデザインの名刺を見せてくれた。
「すごい、こんなにたくさんのお店で……?」
「うん。エーラ頭良くないし、借金返すためにお金稼げるとこでいっぱい働くしかなくって」
「借金、あるんですか?」
「あるよー。彼のために返さなきゃいけないの」
エーラさんは平然とそう言った。さも当たり前かのように。その表情に私の胸がチクチクする。信じられない。どうしてそこまでできるのだろう。相手は犯罪者なのに。
「……エーラさんはこの人に騙されてたんですよね?」
「違うよー。だまされたんじゃなくて、私と一緒に住むためのお金を稼ぐためにだましてたの。私はバカだから彼が何をやってるのかは知らなかったんだけどねー」
「どっちだって一緒ですよ。犯罪者じゃないですか。どうしてそこまでできるんですか?」
すると彼女はキョトンとした顔で首を傾げる。
「関係ないよー。エーラにとってはかぼちゃの馬車に乗ってる魔法使いだもの。人によっては白馬に乗ってる王子様の方がいいかもしれないけど、私にとっては魔法使いが一番なの」
……頭が痛くなってきた……。
そうだ、彼女はどこかねじが外れているんだった。そんな相手に対してまともに会話できると思っていた自分がどうかしていたのかもしれない。
そもそも、彼女に対してこんなにムキになってしまうのは……彼女の一途さが、本当は羨ましいからだ。
「前から気になっていたんですけど……どうして魔法使いなんですか?」
エーラさんはふふっと笑うと、少し恥ずかしそうに顔を手で覆いながら言った。
「昔ねー、エーラがまだシンデレラだった頃、私は意地悪なお母さんにずっと閉じ込められていじめられていたの。高校卒業してもどこにも行けなくて、働くこともダメって言われて、もう私一生お母さんの言いなりなのかなって思ってた時に彼に会ったの。一緒に逃げ出してくれたの。その時、シンデレラはエーラになったの」
エーラさんは体勢を変えて、体操座りのような格好になった。
「でもね……私がバカだったから、彼のこと助けてあげられなかったんだー。悪いことしてるって分かったら、ちゃんとメってしてあげられたのに。ケーサツの人が来るまで、ずっと気づかなかったの。私、恩返しできてないのよー。彼には与えてもらってばっかりだったのに、ね。……だから私待つよ。彼がもう一度帰ってくるのを、ずっと待つの。それで、ごめんなさいして、また一緒にごはん食べて、仲直り」
エーラさんは顔を上げて、私の方を向いてニコッと歯を見せて笑う。
「だからー、それまではジュンちゃんには付き合ってもらいたいな」
「あの……どうして私なんでしょうか? 別に他の人でも……」
すると、エーラさんはまたキョトンとした表情になって、それからビシッと私の顔を指差した。
「だって、あなたさびしそうな顔してるんだもんー」
「えっ!?」
さびしそうな、顔? いつの間にそんな表情になっていたのだろう。思い返してみて顔が熱くなる。そういえば最初彼女の部屋を訪れた時に考えていたことは——
「さびしい時は誰かと一緒にご飯食べるのが一番。私、仕事柄さびしい人の顔はよく分かるんだよねー」
そう言ってにっこりとあの無邪気な笑顔を向けられた。この人には敵わない……そんな風に思わされてしまった。
あの日から私の悩みはいくらか軽くなったように思う。
エーラさんの部屋からバイト先に戻った頃にはもうランチの営業時間は終わっていて、一人で仕込みをするタカオさんの背中が急に愛おしくなって……私は気付かれないように後ろに忍び寄って、ゆっくりとその背中にもたれかかってみた。タカオさんは振り返らないまま、「……ジュンちゃん、おかえり」って小さな声で言った。背中の向こうから、タカオさんの心臓の音が聞こえる。
「今度……美味しいレストランにでも行きませんか、二人で。私が一緒にご飯を食べたい人は、やっぱりタカオさんなんです」
「うん、行こう」
トントン、と野菜を切る包丁の音だけが響く。その静かさが心地良い。
「……ジュンちゃん、俺頑張るよ。君を喜ばせる方法とか、そういうのすぐに気づいてあげられなくて申し訳ないけど……君のこと好きだって気持ちは変わらないから」
「大丈夫ですよ。私も上手く気持ち伝えられてないですけど……タカオさんのこと、すっごく大事に思ってますから」
包丁の音が一瞬止む。そして、沈黙を作ってからの、深いため息。
「ごめん、今すっごくギュッとしたくなった……けど、厨房の制服汚れてるからそれはないよなぁ」
「ふふ。私はタカオさんのそういう不器用なところ、好きです」
それからしばらく、エーラさんからの注文は入ってこなかった。
仕事が忙しくなったんだろうか。それとも、私の悩みがもう解決してしまったから必要なくなったんだろうか。
いつもエーラさんからの注文が入っていた十二時ごろになるとなんだかそわそわして落ち着かない。それで何もないと、少しがっかりする。そんな日が何日か続いた。もうどれくらいかも数えるのが面倒になって、あの奇妙な部屋での出来事も全部夢だったんじゃないかって思えてきた頃のことだった。
「ジュンちゃん、デリバリーお願い! 注文はハンバーグ定食二つね」
「あ、はい!」
注文票を見る。住所はあのエーラさんが住んでいるアパートだ。
——あれ、”二つ”……?
オーダーの声を耳の中で反芻して、私の口元は思わずほころんだ。
***end***
滲む水彩<現代短編オムニバス> 乙島紅 @himawa_ri_e
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