明日の風
絋辺 朱里
Vol 1
何かが始まるときには何かが終わるものらしい。
わたしはあの時、それを知った。
「…あ! 綾香様、またこんなところにお隠れになって!」
指定席にいたところを見つかった。別に隠れてたわけじゃないんだけど。
「智子さん。あなたもここ来る?」
「参りません! それより、坊ちゃんがお呼びです! すぐ下りてきてくださいー!」
お屋敷の庭の南側、樹齢何年だよという立派な常緑樹の、2番目に低い枝。もともと高いところが好きなので、いつもここを昼寝場所にしている。
仕方なく体を起こして、見下ろしたところで。
メイド服の智子さんの姿が、ブレた。
本人がどうかなったわけじゃない。わたしの意識の中で、別の姿と重なったのだ。
同じ顔。だけど違う。現代日本人の目にはかなり奇抜な、簡素なくせにアクセサリーのじゃらじゃらついた服装。顔やら腕やらには赤い紋様描かれている。
最初にこれが見えたときは、正直、自分の頭がおかしくなったかと思った。
まあ…それはともかくとして。
「はいはい。今行くよ」
わたしは枝から飛び下りた。5メートルくらいならケガなんてしない自信があるけど、智子さんはまだ慣れてくれない。今も、表情は変えなかったけど、小さく息をのんだのがわかった。
「章仁が呼んでるって?」
「え、ええ…お部屋の方へお願いします」
「いや。その必要はない」
智子さんのうしろから別の声が聞こえた。芝を踏んで歩いてくるのは、10歳くらいの男の子だ。
…こうして眺めてるぶんには、なかなかの美少年なんだけどなぁ…
「こら、綾香。顔に出ているぞ」
子供らしからぬ口調と表情で、彼は「やれやれ」と首を振った。
そこにダブって見えるのは、ローブを纏ったガタイのいい男。これはさすがに歳がだいぶ違うから、同じ人間に見えないこともある。
それでも――『中身』が同じであることは、わたしの『中身』が知っている。
「綾香…そろそろ自覚してくれないか。お前の体は、今やお前一人のものではないんだ」
続いた章仁のセリフに、わたしは片方の眉を上げる。
「その言い方やめてくれる」
言いたいことはわかるけど、妊娠でもしてるみたいじゃないか。
と、智子さんが横でこくこくうなずいた。
「綾香様は、私たち一族の長。希望の光でいらっしゃいます。あまり心臓に悪いことをなさらないでくださいませ!」
「……」
「しかし、よりによってお前だけが、いまだ完全覚醒に至らないとはな。どうやら一考の必要がありそうだ」
章仁がこちらに歩いてくる。
わたしの目の前でぴたりと立ち止まって、見上げてくる。
「お前、目覚めるのがそんなに嫌なのか?」
わたしは驚いて、首を傾けた。
「そうなのかな?」
「違うのか」
「確かに…ちょっと、怖いっていう気はするけどね」
「怖い?」
「うん」
素直に、わたしはうなずいた。
「何がホントの自分なのか、わからなくなりそうで――」
章仁たちに出会った日のことが、忘れられない。…わたしの顔を見るなり「長!」とか叫んで駆け寄ってきてまわりの人に変な目で見られたってこともあるけど。
彼らの中に――もう1人の彼らが見えた。
それと同時に自分の中にも、もう1つの存在を感じた。
瞬間的に脳裏をよぎったいくつかの記憶は身に覚えのないもので。だけど、わたしの中のわたしは、「これがわたしだ」と叫んでいた。
そのことが、すごく怖かったのだ。
「あれから変化はないのだろう?」
「ない。それでも、何も知らなかった頃には戻れない。それだけは感じてるんだ。だからもう1人のわたしが本当に目覚めたら、『今までのわたし』はどうなっちゃうのかな、って…」
こんなことを考えるなんて、自分でも意外だった。変わるってけっこう勇気がいるものだ。
と、章仁が笑った。
「顔に似合わず繊細なことで悩んでいたのだな」
「ちょっと。それどういう意味」
「それでは私から、悩める青少年に良い言葉を贈ろう」
章仁はもったいぶって息をついでから、得意げに言い放った。
「『明日は明日の風が吹く』――だ」
一瞬、わたしはぽかんと口を開けてしまった。
「……はぁ?」
「明日のお前は今日のお前と同じものか? それこそおかしな話だ。時が流れる限り、たとえ何もせずとも人は変わる。細胞は代謝し、経験が蓄積される。それを一々、変わってしまったと嘆きはしないだろう? 『覚醒』もそれと同じこと。変化が少しばかり大きいだけだ」
「その話にその慣用句持ってくるのはちょっと違くない?」
そこで章仁は、苦笑する風にした。
「気に病まない方がいいと言いたいだけだ。そう思えるかどうかは、お前次第だがな」
なんだ。結局はそういうことか。
でも…なるほどね。
「章仁」
「うん?」
「ありがと。ちょっとすっきりした」
「…そうか?」
いや。嘘だけどさ。
今の口ぶりからすると、みんな、ひょっとしたら章仁も、同じように悩んだことがあるんじゃないか? わたしにはそんな風に聞こえた。
だったら――わたしだけ甘えるわけにはいかないな。
「そんじゃがんばってみるよ。早いとこ『覚醒』っての、できるように」
「あ、いや、そこまで急ぐ必要はないのだが…」
章仁が微妙に焦りだす。まあなんだかんだでいい奴なんだ。
心配してくれて、サンキュ。
「で? 何か話があったんじゃないの?」
わたしは先に立ってずんずんと歩き出す。後から章仁と智子さんがあわててついてきた。
新しい『わたし』が始まる時、これまでの『わたし』は終わるんじゃないかと思ってた。
今でもそれが少し怖い。でも、だからこそ、章仁のくれた言葉を信じてみようか。
明日は明日の風が吹く。
明日のわたしも、きっと『わたし』だ。
明日の風 絋辺 朱里 @watanabe_s
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