第4話 Castle
●第一章【Encounter】
■第四話『Castle』
虫の音と、夜鳥の声だけが聞こえる森の中を、複数の人影がうごめいていた。
静かな森の中に、ガサガサと草をかき分ける音がやけに大きく聞こえる。
小さく絞った、頼りなげなランプの明かりや、小さな松明の明かりだけが頼りだ。
村から幾分か離れ、森が深くなりはじめる頃、木々の間から、明りが漏れてきている場所が見えてくる。どうやら、この先にアジトがあるようだ。
「あそこです。あの古城がやつらのアジトです」
エイブラムが立ち止まり、正面を指した。
森が開け、そこには小さく、古いながらも、ガッチリとした城があった。
元は領主の住んでいた城らしいが、ガビー・リスティスが来てからは一度も姿を見せていないという。
幽閉されているのか、はたまた自分だけ落ち延びたか……
「意外としっかり見張りがいるのね……」
城門は固く閉ざされ、外には4人ほど、剣や槍を持って手持ちぶさたに立っていた。
「横合いと裏手には見張りはいなかったぞ」
周囲を偵察していた若者三人組が戻ってくる。
「そう。なら、入るのは左右か、裏手ね」
「だが、堀があるぞ」
「城壁もあるし、どうするつもりなんです?」
「んなもん、こいつの魔法なら吹っ飛ばせるだろ」
ジャンが笑いながら、馴れ馴れしくルーチェの肩を叩いてきた。
ルーチェはその手を振り払うと、一睨みした。
「そんなことしたら音で居場所がばれるでしょう。だからバカなのよ、アンタ」
「なっ!? お前なぁ!」
「やめろ、ジャン……」
「やめとけって、ジャン……」
ジャンが突っかかろうとするのをエドとアーサーが引き留めていた。
「でも、どうするんですか、ルーチェさん?」
アイラが隣に並びながら聞いてくる。
「そうね……まあ、手はあるわ」
「なんだい、城壁でも飛び越えて行こうってのかい?」
ローザが城壁の高さを見ながら問いかける。
「ええ、それが一番安全で確実だろうからね」
ルーチェの言葉を聞いて、周りにいた者が目を瞬かせる。
誰もがその言葉に唖然としていた。
「……ともかく、我々はどうすれば?」
「正面にいる連中をうまく挑発して、城の中に詰めてるだろう連中もおびき出せれば、それがベストね」
「ともかく、正面に敵を釘づけにしてくれるなら、手段は問わないわ」
「やれるだけはやってみましょう」
「頼んだわよ。やばかったら逃げなさい。死なれたりしたら寝覚めが悪いし」
「ええ、気をつけましょう」
「さて、全員覚悟と準備はいいかしら」
ルーチェが辺りを見渡すと、周囲にいた人間は皆頷いているのが見て取れた。
「じゃあ、行きましょう」
ルーチェが城の裏手側に回っていき、ローザとアイラがそれについてくる。
エイブラムをはじめとする村人達は、明りを消して、各々、鍬や鎌、石や弓、猟銃などを構えて、ゆっくりと城門へと前進していく。
ルーチェの背後から、発砲音や打撃音、怒鳴り声が聞こえてくる。どうやらエイブラムたちが始めたようだった。
城の裏手に回り、見張りがいないことを確認すると、ルーチェは茂みから躍り出た。
背負っていた革袋を降ろすと、中から飾り気のない、背丈よりやや長い、両先端が金属で覆われた、木製の六角形の棒を取り出した。
「はぁ、はぁ、ルーチェさん、それは?」
息を切らしながら追いついたアイラが問いかけてくる。
「ん? これも杖の一種よ。まあ、魔法というよりか肉弾戦メインかしら」
ルーチェは杖を地面に突き立てると、腰のポーチから、翡翠色の石があしらわれた、銀細工の指輪を取り出し、指にはめた。
右手の指輪を打ち鳴らし、胸の前に掲げる。
青白い魔力が奔走し、ルーチェの体を淡く光らせる。
右手をゆっくりと下ろし、目を閉じ、左手にはめた翡翠の指輪を胸にかざす。
すると、周囲の空気がルーチェに向かって流れ始める。風は徐々に勢いを増していく。ルーチェを中心に、空気の流れが風になり、渦を巻き、小規模な竜巻を作り上げる。
そばにいるローザとアイラは吸い込まれまいと足を踏ん張る。
十二分に風が渦巻き、魔力が高まった瞬間、ルーチェは左手を天高く掲げた。
「ウェントゥース・フォルマ!」
今まで渦巻いていた風が、翡翠の指輪に集まり、そして、周囲へと広がっていった。
かなりの強風に、ローザとアイラは顔を背けた。
再びルーチェに顔を向けると、ルーチェは翡翠色の生地に、銀の縫い文字が施されたローブを身にまとっていた。
ルーチェは杖を引き抜くと、目をつぶり、意識を集中する。自らの周りに風を起こし、徐々にそれを強めていく。ローブがはためき、風が足元で渦巻きはじめる。
「さて、じゃあ、行ってくるわ」
アイラとローザの方に向き直り、片手を挙げる。
「ああ、気をつけるんだよ」
ローザが手を振り、見送る。
そして、アイラがルーチェの隣に並んでローザに手を振る。
「はい! 行ってきます!」
「……待ちなさい。アイラ、アンタまさかついてくる気じゃないでしょうね」
「? はい」
首を傾げ、不思議そうな顔をするアイラ。ルーチェは額に手をあて、頭痛が起きたような錯覚に陥る。
「そんな、さも当然みたいな反応されても困るのよ……だいたい、こっから先、何があるのかわからないのよ。そんな場所に連れて行けるわけないでしょう」
「大体、ローザが許すわけないでしょう。どうなの、ローザ?」
「……許可するよ。連れてってやってくれ」
「なっ……!?」
てっきり反対するものとばかり思っていたローザの言葉に、ルーチェは眩暈を覚えた。
「アイラは一度言いだしたら聞かないんだ。お荷物なのは十分分かってるつもりさ」
「それでも、ついて行きたいって聞かないんだ。危なくなったら逃げるようによく言い聞かせてるし、本人も分かってるだろうから、頼むよ、ルーチェ」
ローザがルーチェに頭を下げる。
ルーチェは空を仰ぎ、額に手をあてて呆れていた。
「さすがに許容できないわよ! アイラ、アンタ私とガエルがやりあってるところ見たでしょう! 最悪死ぬわ! 絶対連れて行かないからね!?」
ルーチェの剣幕にアイラは肩をビクリと震わせたが、怯むことなく、口を開く。
「わ、私なら大丈夫です! 危なくなったら逃げますし、それに、私、ほんの数回ですけど、領主様のお城に行ったことがあるんです!」
「だから、大広間とか、玉座の間とか、ある程度は覚えてますし、役に立つと思うんです!」
「役に立つとか、立たないとかの問題じゃない! 連れていけないものは連れていけないわ! 時間がないの、離れてなさい」
「い、嫌です!」
アイラがルーチェに縋り付いてくる。さすがに、ルーチェの苛立ちを抑えきれず、力ずくで引き離しにかかる。
「アンタね……!」
「ルーチェさん、一人で行ったら絶対無理するはずです! だから、心配で!」
「はぁ? わけのわからないこと言ってないで離しなさい!」
「嫌です! 友達の心配しちゃダメなんですか!? いいから連れて行ってください!」
「ともっ……!? い、いいいいいから離れろ! 心配なら外でもできるでしょうがッ!?」
「……アイラ、もうやめな。行ってもいいとは言ったが、さすがにルーチェがこれだけ反対するんじゃ……」
黙って見ていたローザが、アイラの手を優しく引いた。
「おばさんまで……」
三人が揉めていると、死角である曲がり角から、数人の村人たちがこちらに逃げて来ていた。
「いたぞ! 追え!」
「ひぃっ! た、助けてくれぇ!」
逃げる村人たちの後ろには、武装した、盗賊らしき男たちがいた。
「ああっ、もうっ!?」
ルーチェは意識をアイラから盗賊に向ける。
幸い、逃げてくる村人たちと盗賊とは少し離れた位置あいだ。
右手を挙げ、意識を集中する。風が渦巻き、圧縮されていく。わずかに魔力を帯び、風の動きが微かに光っている。
「いけっ!」
ルーチェは、風の塊を、村人たちと盗賊たちの間へ投げ込む。
地面にぶつかると同時に、風が盗賊に向かって爆ぜる。突然の出来事に、身構えることもできずに盗賊たちは遥か後方に吹き飛ばされた。
後ろを振り返り、その様子を見ていた村人たちは、開いた口がふさがらない様子だった。
「こっちで音がしたぞ!」
「見ろ、倒れてるやつらがいるぞ!」
「こっちだ!」
曲がり角の向こうから声が近づいてくる。
「ああ、もう!」
「いい、絶対私から離れるんじゃないわよ!? あと、危なくなったら逃げなさい! いいわね!?」
「は、はい! 約束します!」
「ルーチェ、アイラ!」
「ローザ、アンタは逃げなさい! ……無茶すんじゃないわよ!」
「ああ! ルーチェ、アイラを頼んだよ!」
ルーチェは再び意識を足元に集中する。自分一人だけでなく、アイラの足元にも、風が渦巻くのをイメージする。
「ル、ルーチェさん、なんだか、足元がムズムズします!」
「我慢して! しっかりつかまってなさいよ!?」
ルーチェがアイラの腰に手を回し、自分の方に引き寄せた。アイラもルーチェに抱き着く。ぐっと、足裏が地面に押し返されているような、奇妙な感覚をアイラは覚えた。
そして、不意に、地面から足が離れ、宙ぶらりんの状態になった。
「ル、ルーチェさん! う、浮いてますよ!?」
「行くわよ! 黙ってないと舌噛むわよ!」
辺りに砂塵が舞い、体が地面に向かって押さえつけられるように重くなる。
その感覚に驚き、アイラは目を閉じる。重みを感じていたのは一瞬で、ふっと、体が軽くなる。
固く閉じていた目を開くと、地面がはるか下にあった。
ルーチェのローブや、アイラのスカートがはためく音と、風の音がはっきりと聞こえる。喧騒は遥か遠くから響いているように感じた。
眼前には迫りくるような巨大な城壁と、その先に中庭のような場所が見える。
どうやら、魔法で城壁の上へと飛んだようだった。
軽々と城壁を越え、浮遊感から一転、今度は急に地面に向かって体が加速し始める。内臓がすべて体の上へ向かって移動しているような錯覚を覚える。
「ひっ!?」
「ウェントゥス!」
ルーチェが杖を握った右手を地面に向かって突き出す。深緑の魔法陣が現れ、ルーチェとアイラを包み込むように、風が渦巻きはじめる。
落下の速度が緩み、ゆっくりと降下し始める。
「うぅ……」
アイラは、ひたすら強くルーチェにしがみつく。ルーチェは、押し付けられるアイラの体に、心底窮屈そうだ。
地面が近づくと、風が消え、2人はふわりと着地した。
「アイラ……アンタいつまでしがみついてるの……」
「だ、だって……」
膝が笑い、まともに力が入らない。そんなアイラを振り払うでも、置いてきぼりにするでもなく、ルーチェは黙って支えていた。
時折キョロキョロと周囲を見回して警戒し、入口の位置や窓などがないか観察していた。
「時間ないんだから、シャキッとしなさいよ」
「は、はい、もう大丈夫です!」
アイラがルーチェから離れる。まだ脚は震えていたが、何とか歩けそうだった。
改めて、アイラは中庭を見渡す。右手側に壁のない渡り廊下を見つけた。
目を閉じて、昔来た時のことを思い出してみる。大まかな構成は、城壁、中央に城館、その周りを囲むように中庭がある。
中庭に出入りできるのは左右、どちらかの渡り廊下だけだ。
「行きましょう。あそこの渡り廊下から中に入れます」
「ええ。中も分かってるんでしょ? 案内頼んだわよ」
「……はい!」
2人は渡り廊下に向けて歩き出す。
渡り廊下近くに、何も植わっていない花壇と、枯れ果てた生垣があった。誰も手入れする者がいなかったのだろう。
アイラは立ち止まり、それらを見て、何とも言えない表情になる。
「どうしたのよ?」
「あ、いえ、花壇も生垣も荒れてしまってるなぁって……」
「そうね。誰も手入れしなかったんでしょう。結構立派そうなのにもったいないわ」
「アンタ、何か思い入れでもあったの?」
「ええと、その、知り合いがお仕事で手入れしていたので」
「ああ、なるほど……さ、行きましょ? 悪いけど、いつまでも見てられないわ」
「はい、行きましょう」
アイラはギュッと拳を握りしめ、再び歩き出した。
渡り廊下から城館内に入り、複雑に曲がりくねった廊下を左に右に、またも右に曲がり、左に曲がりと繰り返してゆく。どこもかしこも同じような造りで、ともすれば、本当に前に進んでいるのか分からなくなってくる。
「さっきから似たような場所ばっかりね……」
石造りの壁や、床に敷かれた赤い絨毯、はたまた壁にかけてあるタペストリーや、光源である松明やオイルランプまで何もかもが同じにしか見えない。
「ねえ、これ本当に先に進んでるの?」
「そのはずですけど……」
「はずってアンタね……」
アイラは若干焦った。城の中は分かっているなどと大口を叩いたが、最後に来たのは6年ほど前の話だ。
記憶力には自信があるが、間違わない方がおかしい。
「ところで、何も聞かずについてきたけど、盗賊の首領がどこにいるのか分かってるの?」
「はい。恐らく、玉座の間だと思います」
「玉座の間ね……よくわかるわね。というか、何か根拠でもあるの?」
「いえ、根拠と言うほどではないんですけど……」
「昔、物珍しそうにキョロキョロしてた私に、領主様が|玉座の間(ここ)はこの城で最も頑丈で安全な場所なんだって教えてくれたので」
「もし、襲撃されて逃げ込むなら玉座の間じゃないかなって」
「ふーん……なるほどね……」
再びやってきた曲がり角を左に曲がる。
すると、やけに暗い廊下に出た。廊下の入口と、出口にのみ松明が掲げられ、ほんの少し先までしか見えない。
絨毯が途切れ、床が石畳に変わっていた。
怪しいにもほどがある。まるで、罠があると言わんばかりだ。
「……罠にはめる気満々ね……いい、アイラ、その辺にある物とか、壁とか絶対に――」
ガコンッ! と、明らかに何かが動いた音が響く。
ルーチェが顔を引きつらせながらアイラを見やると、アイラもまた、笑顔を引きつらせながらルーチェを見ていた。その手には、壁にかけてあったであろう、松明が握られていた
「………」
「………」
一瞬の沈黙の後。
グラリと、地面が揺れる。
というより、さきほどまで平面だった場所が、立っていられないような急斜面になっていた。
「ッ!?」
「きゃあっ!?」
抵抗する間もなく、二人は転倒し、斜面を滑り落ちていく。
アイラの持つ松明で、一瞬、斜面の先が照らし出される。どうやら、底の見えない、深い縦穴になっているようだった。
「なんて古典的な罠……!」
落とし穴。古典的かつ、単純かつ、簡単で、最も効果を上げやすい罠の一つだろう。
「アイラ!」
「ルーチェさんっ!」
ルーチェがアイラに向かって手を伸ばす。それに気が付いたアイラもルーチェに向かって手を伸ばす。
2、3度空振ったものの、何とか手を繋ぐことに成功した。ルーチェはアイラを自分に引き寄せ、即座に意識を集中する。
「ウェントゥス!」
足元に風が起き、減速し始めるが、一瞬遅れたのか、それともそこまで深くなかったのか、減速しきる前に底が見え始める。
「クソ!」
ルーチェはとっさに自分を下にする形で体を倒した。
背中から、落ち、ドンっと鈍い音がたつ。衝撃で首が思い切り後ろに曲がり、グギリと嫌な音が頭に響く。打ち付けた箇所が熱を持ち、痺れて感覚がなくなる。
「かはっ!?」
「ひゃあっ!?」
ルーチェは息をつまらせ、アイラは悲鳴をあげた。ルーチェの集中が途切れたためか、風が霧散していく。バサバサと、床に敷かれていた布がはためいた。
背中の痺れが薄れ、代わりに鈍痛がルーチェを襲った。
「る、ルーチェさん!? 大丈夫ですか!?」
アイラはすぐさま起き上がると、ルーチェに膝枕をして口元に手をあてたり、首筋に指をあてて脈をとりはじめる。
ルーチェはされるがまま、痛みで顔をしかめていた。
「アンタ、それ違うと思、げほげほっ!」
「えっと、ええと!? こういう時はどうしたら……!」
「はーっ……とにかく落ち着きなさい……」
痛む背中と、慌てふためくアイラを気にしつつ、ルーチェは腰の革製サイドバッグから、琥珀色の石がはめられた、銀の指輪を取り出した。
人差し指のウェントゥスの指輪を外し、代わりに琥珀色の指輪をはめる。
「かっこつかないけど……テラ・フォルマ……!」
右の指輪を胸にかざし、続けて左の琥珀色の指輪を胸にかざす。左手をゆっくりと天井に向かって手を伸ばす。
ルーチェの周囲に落ちている小石が、カタカタと音を立てて動く。
そして、微かだが、地響きのような音が聞こえてくる。
「あ、あの、ルーチェさん、揺れてませんか……?」
「まあ、ちょっとだけ揺れてるかもね」
体を預けている地面から、何か、力の塊のようなものがルーチェの中に流れ込んできているのを感じる。
天井に向けて伸ばしていた手を、ルーチェが振り下ろす。
まとっていたローブがまばゆい光を放ち、翡翠色に銀の縫い文字だったものが徐々に、裾の方から、琥珀色に銀の縫い文字のものに姿を変えていく。
「あれ、色が……」
「ふぅー……」
ルーチェが目を閉じて、深く、ゆっくりと呼吸する。琥珀の指輪が淡く光り、その光が指先を、腕を、その体を徐々に包み込んでいく。
すると、徐々にだが、ルーチェの表情が和らいでいく。アイラはそれを見て、驚くと同時に安堵した。
「はぁ……骨とか折れてなくてよかった……」
「えっと、大丈夫、なんですよね?」
「ん、まあ、そうね。大丈夫になったって言った方が正確だけど」
「大丈夫になった?」
「そ。魔法でね」
「ま、魔法って便利なんですね……」
「便利は便利なんだろうけど……これ、師匠曰く寿命縮むらしいわよ」
「えっ!? 大丈夫なんですか、それ!?」
驚きで身を乗り出し、勢いでルーチェに頭突きでもしそうなアイラを押し戻す。
「傷が自然に治るでしょ? これはそれを無理やり早めてるのよ。あんまり大怪我じゃなきゃ影響は微々たるものらしいけどね」
ルーチェは起き上がり、肩を回したり腕を前後に動かして体の調子を確かめる。
「よし、特に問題なさそうだし、行くわよ」
ルーチェは立ち上がり、アイラを振り返る。
「………」
「ん? アイラ?」
アイラは俯いて黙ったままだ。膝に置かれた手が強く握られ、唇を噛みしめていた。
「ごめんなさい、ルーチェさん、足を引っ張ってしまって……」
「そうね、確かにさっきのはやばかったわ」
「………」
「でも、アイラが居たおかげでここまでは随分スムーズに来れたわよ」
「けど、ルーチェさんの警告も聞かず、こんな……」
「過ぎたことをいまさらとやかく言ったって、どうにもならないでしょ。もしあるなら、次、気をつければいいのよ」
「次、ですか?」
「そう。失敗したら、それをよく覚えておいて、次に同じことしないように気をつければいいのよ。失敗したこと自体悩んだって何にもならないし」
「ルーチェさん、前向きなんですね」
「前向きというより、そうやって考えないと長旅なんてやってられないのよ」
ルーチェは苦笑し、アイラに手を差し伸べる。
アイラはその手をしっかりと握り、立ち上がった。
「それに、逆に考えれば、これだけ大がかりな罠があるってことは、それだけ人を近づけたくないって自分から言ってるようなものよ」
「そういうものなんですか?」
「そういうものよ。おとぎ話なんかでも宝物はやたらと強い魔物が守ってたりするでしょ?」
ルーチェが笑ってみせると、アイラの顔がいくらか明るくなった。
「でも、どうしましょう……私、さすがにこんな場所知りません……魔法で上まで戻れませんか?」
「んー……戻れなくはないけど……戻ったところで廊下の対岸に渡る手段がないわ」
「中庭に入った時みたいに魔法で飛べないんですか?」
「ウェントゥスは中庭の時みたいに高く飛ぶとか、風で落下速度を緩めるぐらいのことしかできないのよ」
「とにかく、進んでみるしかないわね。地下牢みたいな場所だし、そうなれば必ず出入り口はあるわ」
ルーチェは鉄格子の扉を開ける。幸い鍵はかかっていない。キイキイと耳障りな、錆びついた音を立てて扉が開く。
オイルランプで照らされた、薄暗い通路に出る。通路を挟んで6つの牢が並んでいた。ルーチェ達が落ちたのはどうやら最も奥側の牢の様だった。
牢をすべて越えた通路の先にオイルランプが吊るされ、その明りに薄らと照らされて、上階へと続くであろう階段が見えた。
「出入り口はあそこ一ヶ所だけみたいね……行くわよ」
ルーチェが歩き出し、アイラはその後について行く。左右の牢はどれも空だった。
階段に近づく。通路と階段の間には少し開けた空間があった。恐らく、見張りの詰所だろう。
「ストップ。一応確認するからここで待ちなさい」
「はい」
ルーチェは通路から詰所にさっと、踊り出て、周囲を確認する。外の騒動に釣られて出て行ったのか、それとも元々いなかったのか、詰所には誰もいなかった。
「誰もいないわ、行くわよ、アイラ」
ルーチェが振り返ると、アイラは一つの牢の前で立ち止まり、牢の中をじっと見つめていた。
「アイラ?」
ルーチェがアイラの元に歩み寄る。薄暗く、よくは見えないが、アイラの視線の先に、壁にもたれかかり、ぐったりとしている人物がいた。生きているのか、死んでいるのか、微動だにしない。
「さっきは気づかなかったけど、誰か捕まってたのね……」
「この人、領主様です……」
「領主?」
「はい」
ルーチェに答えつつ、アイラは格子戸をあけて中に入って行った。
「領主様……?」
アイラは領主と思しき人物の前に膝をつき、肩を揺する。長い間囚われていたのだろう、その身から、かび臭さと、垢のたまった、独特の鼻を突くにおいがした。
「うぅ……だ、誰だ……」
弱々しく、掠れて聞き取りづらい、か細い返事が聞こえた。
「私、アイラ・フェニエと言います。アンシェクの住人です」
「アンシェクの……フェニエ……おお、庭師のフェニエの娘か……」
「は、はい、そうです。フランシス・フェニエとエルザ・フェニエの娘です。覚えていて下さったんですね……」
「覚えているとも、ゴホゴホッ、ああ、一体なぜこんなところに……」
ルーチェが近づき、領主の顔を覗き込む。頬はこけ、目は落ちくぼみ、露出した肌はどこか土気色で、痣や切創の痕、まだ新しい擦過痕などがあった。扱いが非常に悪かったのが見て取れる。
伸び放題の髪や髭、かろうじて下半身にまかれたボロキレ、とても、領主だとは思えない風貌だ。
「私、いえ、私たちは、ガビー・リスティスと戦うために来ました」
「や、やつらと、戦うだと……勝てるはずがない、やつらの首領は……うっ、ゴホゴホッ!」
「りょ、領主様!?」
「アイラ、どきなさい」
ルーチェは咳き込む領主から、アイラを離れさせる。
ルーチェは領主の手を握り、肩を叩き、声をかける。
「いい? 気をしっかり持ちなさい。回復できるかどうかは貴方しだいよ」
「なにを……?」
「テラ・フォルマ」
ルーチェが指輪に意識を集中する。すると、指輪が琥珀色に輝き、ルーチェと領主を同じ色の光が包み込む。領主は、何か、暖かな力が体中を巡っていくのを感じる。
「おお……これは、一体……」
ほんの少しだが、領主は己の身体に活力が戻ってくるのを感じる。
心なしか、顔色が少し良くなり、声に張りが戻っているようだった。
「……これが限界かしら」
ルーチェは領主の体力を考え、魔法を中断するために手を放した。琥珀色の光が薄れ、霧散していく。
「あなたは魔法使い、なのですね?」
領主がルーチェの姿をまじまじと見ながら問う。
「ええ、そうよ。訳あってアンシェクの村に味方した魔法使いよ」
「ああ……なんという……魔法使いなどろくでなしばかりかと……」
「いや、これではあなたに対して失礼ですね……」
「いいわ。気にしてない。それに、魔法使いがろくでなしばかりってのも本当のことだし」
ルーチェは膝についた埃をはたき落し、立ち上がる。
「戦うのですか、首領と」
「ええ。そのためにここまで来たんだし」
「やつは強力な炎を操る魔法使いです……くれぐれもお気をつけて」
「覚えておくわ。……じきに助けが来るはずよ。もう少し頑張りなさい」
「ええ、もう少しここで耐えます。そうだ……この先の階段を上ったら、倉庫があるのですが……」
「そこに一点だけ、絵画がありまして、実はその絵画の裏に、隠し通路があります。そこを通れば、玉座のすぐそばの部屋に出られるでしょう。やつらも知らない、秘密の通路です。きっと役に立つはずです」
「ありがとう。使わせてもらうわ」
ルーチェはアイラを促して、牢の外へと出る。
「大丈夫でしょうか、領主様……」
アイラが牢を振り返り、心配そうに見つめる。
「テラ・フォルマは、体の中にある生命力を活性化させて傷を癒すわ。ほんの少しでも回復できるなら、まだその人間には、生命力が残ってる証拠よ。そう簡単には死なないわ」
ルーチェがアイラの背を押しながら答えた。
階段を上りきると、金属で装飾された木製の扉があった。厚みがあり、重い扉を開けると、埃っぽい倉庫に出た。
ルーチェは倉庫を見渡し、壁に布がかけられているのを見つけた。その布を引き落とすと、ゆうに、大人一人分の高さのある、女性が天上にいる神に祈りをささげている絵画が現れる。
その左側、額縁の裏に手をかけて手前に引くと、絵画が壁から離れ、薄暗い通路が現れた。奥の方に梯子があり、上へと続いているようだった。
「行くわよ」
「は、はい」
薄暗い中、梯子を上っていく。そう登らないうちに、梯子を登りきる。再び薄暗い通路に出た。しかし、通路の先は分厚い石レンガの壁があり、行き止まりになっている。
「ここは、行き止まり……でしょうか……?」
「どこかに出入り口があるはずよ」
薄暗い中、二人は行き止まりの壁や床を手で触り、何か仕掛けがないか探すが、特に何かがある様子はない。
床を調べていたアイラが立ち上がる。すると、首筋に、ひょろひょろと、何か細いものがかすめる。
ぞわりと気味の悪い感触が背筋を伝わり、全身へと広がっていく。
「ひゃっ!?」
「なにっ?!」
アイラの悲鳴に驚き、ルーチェが身構える。
「ご、ごめんなさい……何かに首筋を撫でられてびっくりしちゃって……」
「なんだ……驚かさないで」
「ごめんなさい……あれ? ルーチェさん、これ、この紐、天井から垂れてきてますよ」
「ん? ……これっぽいわね」
おそらく仕掛けを動かすためであろう、細長い紐が天井から垂れ下がっている。
しかし、ついさきほど痛い目にあったばかりの2人は恐る恐る、慎重に紐を引く。
壁の向こうか、天井か、それとも床か、ガコン、と何か仕掛けが動く音が狭い通路に反響する。
目の前の壁が、埃を舞い上げながら横にスライドしていく。壁の先は、部屋になっているようだった。
ここも倉庫か何かなのか、埃をかぶった家具や壺、武具などが、雑然と置かれていた。
倉庫を抜けると、再び廊下に出た。今までの廊下とは違い、壁は白塗りで清潔感があり、ところどころに装飾が施されていたり、絵画が飾ってある。また、窓から入る月明かりが廊下をうっすらと照らしていた。
「ここ、見たことあります……確か、こっちに……」
アイラが記憶を頼りに廊下を歩いていく。覚えの通り、ツタや、花をイメージした華美な金細工の装飾の施された、両開きの大扉が現れた。
「確か、ここが玉座の間だったと思います」
「そうね……これだけご立派な扉ならそうでしょうね」
ルーチェが扉に手をかける。
しかし、一向に扉を開ける気配がない。
「……ルーチェさん?」
アイラがルーチェの顔を覗き込みながら呼びかける。ルーチェはゆっくりとアイラに顔を向け、口を開いた。
「……いい、ここから先は間違いなく殺し合いになるわ」
「それも、魔法使い同士のね」
「はい……」
「いまさら戻れとか言っても聞かないでしょうし、もう私も言うつもりもないわ」
ルーチェが扉から手を放し、アイラの肩をつかむ。
「でも、これだけは絶対に守って……私が逃げろと言ったら、私のことは気にかけず逃げて。アイラを頼むってローザと約束したし……」
「その、あれよ……アンタが傷つくのは嫌と言うか……コホン、とにかく、約束して」
「はい、約束します」
ルーチェの言葉に、アイラは微笑みながら答える。それを見て、ルーチェも笑い返す。
「よし。じゃあ、行くわよ」
再び、扉に手をかけ、そして、押し開く。
華美な装飾の大扉を開くと、豪奢な装飾の大きな広間、玉座の間に出た。
金や銀で繊細に作られた装飾、燭台や調度品、どれも年季が入っているが、古臭さはない。全て手入れが行き届いている。
大理石の床には、真紅の絨毯が敷かれ、その絨毯の先、数段高くなった位置に玉座が置かれている。
その玉座の上に、黒いローブを身に着け、螺旋状に絡み合う木製の杖を持った人物が腰かけている。その顔はフードで隠されており、よく見えないが、体格からして男だろう。
いかにもと言った風貌だ。
「外が騒がしいと思えば、これはとんだ闖入者だ……何者だ?」
ローブの男が、しわがれた声で問う。
「アンタが、ガビなんちゃらの首領?」
ルーチェが片手を腰に当て、逆に問いかける。首領はルーチェを鼻で笑い、尊大な態度で答える。
「いかにも、私がガビー・リスティスの首領、ドルフだが……」
「小娘二人がいったい何のご用かな?」
ドルフが、頬杖をつき、小馬鹿にしたように聞いてくる。
ルーチェは変わらず腰に片手をあて、アイラはドルフを睨みつけていた。
「アンタを倒しに来た」
「なに? はっ、これはこれは……ははははは!」
ルーチェの答えに、ドルフは心底愉快そうに大笑いした。
「随分余裕ね。この状況で勝てると思ってるの?」
「なに?」
「この城には今、アンタしか残ってないわ。外にいる部下も、アンシェクの村人全員相手にどれだけもつかしらね?」
ルーチェは杖をドルフに差し向ける。ドルフは、肩を震わせていた。
「ふはははは! これは異なことを……」
ドルフは高笑いし、顎を撫でつけた。
「部下など、痛めつけたければいくらでもそうするがいい。殺したければ殺したとて構わん」
「そも、村の人間が束になったところで、この私には勝てまい? そして、目の前にはたかが小娘二人。なぜ私が慌てる必要がある?」
「まあ、そうなるわよね……ただ、一つだけ間違ってるわよ」
「ほう、なにかな、お嬢――」
ドルフが言葉を終える前に、ルーチェが杖を地面に突き立てる。
すると、大理石の直方体が、玉座の数メートル手前の床から伸び、玉座を押しつぶした。
巨大な物体がぶつかる轟音が玉座の間に響き、玉座のあった場所には大量の埃が舞った。
「私はただの小娘じゃないわよ」
玉座の方を見つめながら、ルーチェがひとりごちる。アイラがルーチェの肩に触れる。
「倒した……んですか?」
「……そうあっさりいってくれればいいんだけど」
ゴウ、っと、玉座のあった場所から炎が噴き出てくる。ルーチェはアイラを一歩下がらせ、片手を伸ばしてかばう姿勢をとる。
炎が激しさを増し、石柱の先端が爆ぜ、吹き飛ぶ。瓦礫がガラガラと音を立てて、四方に転がっていく。
「不意打ちとは、やってくれるではないか、小娘……いや、魔法使い」
石柱の陰から、ドルフが現れる。
衝撃でフードが脱げ、長い白髪と、長い白髭の生えた素顔が露わになっている。面長で、痩せこけたように細い。目つきが鋭く、どこか神経質そうな印象を受ける。
また、服の端々に石柱によるほつれや擦れ、破れが見られる。
「正面からぶつかるとろくなことにならない。アンタも魔法使いならわかるでしょう?」
「ふん……いかにも小物らしい物言いよ……真の強者ならば、正面から叩き潰すものよ」
「あら、小物らしいってのは、アンタにも当てはまるみたいね」
「小娘が……!」
不意打ちを食らい、苛立っていたドルフは、ルーチェの安い挑発に乗ってくる。ドルフの周りの空気が揺らめき、熱と光を伴って火球が発生する。
「この私を愚弄したこと、後悔するがいい!」
ドルフが杖をルーチェに差し向けると、火球がルーチェに向かって飛んでくる。
「テラ!」
ルーチェはその場で素早く杖を地面に突き立てる。
すると、目の前の床が盛り上がり、石壁が形成される。
直後、石壁に火球がぶつかり、爆音を響かせて爆ぜる。石壁の上や横から、爆ぜた炎が見え、熱風が伝わってくる。
「いい、アイラ、ここから動くんじゃないわよ!」
アイラに言葉を投げかけ、ルーチェは石壁範囲外へと、右側面から躍り出る。
「いけ!」
ドルフを視界にとらえつつ、ルーチェは不定期に地面を杖で小突きながら、柱の陰へと駆け込んでいく。
杖で小突かれた床が隆起し、鋭くとがった礫をドルフに向かって飛ばす。
「こんなもの!」
ドルフは炎をまとった杖を横薙ぎ、礫をすべて叩き落とした。
「やっぱり無理か……」
柱の陰からドルフの様子を窺い、ルーチェはひとりごちた。サイドポーチを開け、中から金属製の箱を取り出す。
蓋を開けると、紅、蒼、翠の石のはまった銀細工の指輪が収められていた。
「イグニス……いや、アクアの方がいいか」
ルーチェは蒼色の石のはまった指輪を取り出し、今嵌めている琥珀色の指輪と交換しようとする。
しかし、それより早く、爆音とともにルーチェの隠れる柱が吹き飛ぶ。
「がはっ!?」
ルーチェは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。背中を強く打ち、息がつまる。
「ふん……隠れた所で無駄なこと。そのようなやわな柱、私の魔法の前では紙切れ同然」
「クソ……」
悪態をつきながらルーチェが立ち上がる。背中は痛むが、他は特に問題ないようだ。
間髪入れず、火球がルーチェ目がけて飛んでくる。
ルーチェは転がるように横飛びし、火球を避ける。すぐに立ち上がり、ドルフに向かって駆け出す。
「テラ!」
駆けながら、ルーチェは地面を杖で小突いて礫を飛ばしていく。
しかし、そのことごとくがドルフに当たることなく、炎で叩き落されてしまう。
「その程度か、魔法使いの小娘! 威勢がよかったのは最初だけか?」
ドルフが口元を歪めながら、放つ火球の間隔を縮め、数も増やしてくる。
「そら、どうした? 私を倒すのではなかったのか?」
攻撃はさらに激しさを増していく。回避がほんの少しづつ遅れ始める。
「くっ!」
避けきれなかった火球がルーチェの目前に迫る。
ルーチェはなかば叩きつけるように、杖を地面にぶつけた。
火球がルーチェの身体を捉えるすんでのところで、石柱が生じ、何とか火球を防いだ。
しかし、最低限、体を守る範囲しか生成できておらず、ローブの端を消し炭にし、腕や足に軽度の火傷を負っていた。
「はぁ……はぁ……」
「くくっ、息が上がっているぞ、小娘?」
ドルフは愉快そうに笑うと、杖をかかげ、火球を生み出す。
「まだまだ終わらんぞ? さあ、無様に逃げ回るがいい!」
再び、火球がルーチェに向かって飛んでくる。
ルーチェはその場から動かず、杖を地面に突き立て、石壁を形成する。ドルフの放った火球は、またしても石壁に阻まれた。
間髪入れず、何発もの火球が放たれるが、全て壁に防がれていた。
(一瞬でいい……指輪を換える隙を見つけないと)
「ふむ……攻撃は大したことはないが、その壁は厄介だな? なかなかに固い」
ドルフは呟くと、今までよりも大きな火球を出現させる。
「では、これならどうか!」
ドルフが杖を差し向けると、巨大な火球がルーチェの隠れる石壁に向けて飛んでいく。
部屋全体を揺らすような轟音と共に、石壁が粉々に砕け散る。
ルーチェは間一髪、後ろに飛び退き回避した。間に合わなければ、吹き飛んでくる破片で怪我をするか、漏れ出た炎に焼かれていただろう。
「避けたか……では、もう一度だ!」
ドルフが再び巨大な火球を出現させる。ルーチェは杖を突き立て、石壁を形成する。今度は、三枚の壁を作り出して迎え撃つ。
(今のうちに……!)
ルーチェは指輪を交換しにかかる。琥珀の指輪を外し、蒼の指輪をはめる。
一枚目と二枚目の壁が崩れ、炎が辺りに拡散する。
「よし……アク――」
ルーチェが魔法を発動しようとした瞬間、最後の壁が爆散する。
気を抜いていたルーチェは、とっさに腕を交差させて防御するが、衝撃で吹き飛ばされる。
床にたたきつけられ、二、三度転がり、ようやく止まる。
景色が回り、頭がぼーっとする。まずいと思いつつも、体は言う事を聞いてくれない。
ドルフが高笑いしながら、今までで最大級の火球を作り出している。当たればひとたまりもないだろう。
「ルーチェさん!」
アイラの叫び声が聞こえ、ルーチェの視界に人影が割って入る。
覚悟はしていたが、想像以上の音と衝撃で、アイラは、ルーチェが作り出した石壁の後ろで縮こまっていた。『怖い』、素直にそう思った。
石壁を飛び出していったルーチェの姿はもう見えない。確認しようにも、壁の向こうから聞こえてくる音と、時折予兆なくこちらに着弾する火球が恐ろしく、とてもじゃないが身を乗り出すことはできない。
戦いが始まる前、ルーチェは危険だと言った。その言葉を信じていなかったわけではないが、ルーチェのチンピラたちとの戦いや、ガエルとの戦いぶりを見て、どこか高をくくっていたのかもしれない。
ルーチェに止められたにもかかわらず、『心配だから』などと、自分の気持ちを優先させて、無理やりついてきたことをアイラは後悔した。
自分にできることはない。心配されるべきは何もできず、挙句ここまでの道のりで足を引っ張り通しだった自分の方だと、アイラは自責の念にかられた。
せめて、足手まといにはなるまいと、ここで縮こまっているのがせいぜいだ。
ほんの一瞬の静寂。
直後に部屋全体を揺らすような轟音に、アイラは肩をすくめた。
そして、また、一瞬の静寂が訪れ、直後に再び轟音が二度響く。
震えながらも、アイラは何とか立ち上がり、壁際まで歩く。恐る恐る顔を覗かせると、ルーチェが今まさに、吹き飛ばされ、床に叩きつけられているところだった。
床を転がり、倒れ伏すルーチェ。ドルフが高笑いし、最初に見た時とは比べ物にならないほど巨大な火球を生み出していた。
「ルーチェさん!」
アイラは思わず叫び、ルーチェの元へ駆け寄っていた。
ルーチェの前に立ちふさがり、両手を広げて守ろうとする。
(ルーチェさんを『怖い』助けないと。『怖い』何もできないなら、せめて『怖い』盾になって……)
(『怖い』、怖くない! 『怖い』、でもやらなきゃ『怖い』、守ります、だって、友達ですから!)
「私が、ルーチェさんを守ります!」
震える声でアイラは叫んだ。恐怖を押し殺し、震える足で踏ん張り、力一杯両手を広げた。
「ふっ……!」
「ふははははははっ! これはいい、こんなところで三文芝居が見られるとは!」
ドルフは心底愉快そうに笑う。アイラはそんなドルフを睨みつけ、歯を食いしばった。
「そんなにお望みとあらば、二人同時に焼き払ってくれる!」
ドルフが杖をかかげる。
その腕がやけにゆっくりと振り下ろされるように、アイラの目に映った。
「私が、ルーチェさんを守ります!」
アイラがルーチェの前に立ちふさがる。
「っ!?」
驚きのあまり、声が出ない。逃げろ、どきなさい、言葉は浮かんでくるが、声にならない。
「ふっ……!」
「ふははははははっ! これはいい、こんなところで三文芝居が見られるとは!」
ドルフが高笑いし、杖をこちらに差し向けようとしている。
(動け……! この程度、何だっていうのよ! ふざけんな!)
身体はまだ回復しきっていない。指一本動かすのだってしんどい。
焦りといらだち、そして怒り。何より、アイラを守りたい一心で、全身を奮い立たせる。
ルーチェの全身がカッと熱を持つ。
無意識のうちに、テラの力を引き出し、魔力を全身に行き渡らせる。
有り得ない、もはや、自然回復とは言えないような速度での回復に、体が悲鳴をあげるが、それすら、魔法で無理やり回復してしまう。
「そんなにお望みとあらば、二人同時に焼き払ってくれる!」
ドルフが杖を振り下ろし、巨大な火球が周囲の壁や床をも焦しながら、こちらに向かってくる。
「っ!」
アイラは顔を背け、強く目をつぶる。
「無茶するなって言ったでしょ! このバカッ!」
ルーチェは、アイラを突き飛ばすように横に押しのけ、アイラの立っていた位置に自分が立つ。
やけに時間がゆっくり流れているように感じる。
火球の熱すら、ゆっくりと伝わってきている気すらする。
「アクア……!」
ルーチェは呟きながら胸に左手をかざす。
蒼色の指輪から光が溢れ、ルーチェを包んでいく。
そして、直後、巨大な火球がルーチェの目の前で爆ぜた。
すべての音を奪い去るような爆音。衝撃で天窓が割れ、爆心に近い柱にひびを入れ、爆風がタペストリーや絵画を揺らし、そのうちのいくつかを落下させた。
「ルーチェさん!?」
アイラは混乱していた。あの火球は自分が受けるはずだったのに、こうして無事で床に転がっている。
ただ、ルーチェが自分を突き飛ばして守った。それだけは分かった。
「どうして……ルーチェさん……」
アイラの目に涙が浮かぶ。アイラは体を起こし、自分の立っていた場所を見つめる。
ぽろぽろと、涙がこぼれる。
「ルーチェさん!」
アイラは叫んだ。白い煙の上がる、ルーチェが立っているはずの場所に向けて。
「はっはっはっは! どうだ、これでわかったろう、私の力が!」
ドルフが両手を広げ、天を仰ぎながら高笑いする。
ルーチェが立っていた位置にはもうもうと煙が立ち込めている。白い、湿っぽい煙が。
「……なんだ? 何か……」
高笑いしていたドルフがおかしな様子に気が付く。あれだけの爆発なら、床や壁を抉り、埃が舞ってもおかしくはない。ならば、たちこめる煙は埃混じりの汚れたものになるはずだ。
それに、今放った魔法はただ爆破するだけでなく、対象を高温の炎で焼くものだ。だというのにどこも燃えている様子は見えない。否が応でも臭ってくる焦げ臭さすらない。
今たちこめているのは真っ白な煙。そう、まるで水蒸気のような……。
煙が晴れ始め、その中にぼんやりと人影が浮かび上がる。
「あー危なかった……今のはさすがにひやっとしたわ」
影から声が発せられる。それは紛れもなく少女の声。
「何……!?」
影が腕をあげ、振り下ろす。すると、煙が瞬く間に晴れ、青い色の幾何学模様で構成された魔法陣が出現する。その魔法陣の後ろに、蒼い布地に、金の縫い文字の施されたローブをまとう少女。
指輪の魔法使い、ルーチェ・アマルが立っていた。
Ring of Wizard. 竹林笹之助 @takesasa
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