第3話 Magic

●第一章【Encounter】


■第三話『Magic』




 アイラはベッドに腰掛けたまま、ただ祈ることぐらいしかできなかった。

 階下からは怒鳴り声や何かが倒れる音が聞こえてくる。

 誰かが階段を上がってくる。ほぼ同時に、階下から一際大きな音が聞こえた。

「アイラ!」

 ローザが部屋に駆け込んでくる。

「おばさん! ルーチェさんは!?」

「ルーチェは下で連中の相手をしてるよ」

「そんな、いくらルーチェさんでも一人じゃ無理ですよ」

 アイラが青ざめた顔で立ち上がる。

 ローザがアイラの肩を押さえて制止する。

「待ちな。助けに行こうってんじゃないだろうね? アンタが行ったところでどうにかなるもんじゃないよ」

「でも!」

「任せるしかないよ……あの子に頼まれちまったんだよ、アンタを守るようにね」

 ローザがアイラを抱きしめる。

 二人とも何もできないもどかしさと悔しさを感じていた。

 そして、ただひたすらにルーチェの無事を祈った。

 外から怒号が何度も聞こえてくる。合間にがしゃがしゃと金属の鳴る音も聞こえてきた。

 それもそう長くは続かない。辺りが静かになる。

「……終わったんですか?」

「どう、だろうね……少し、下りてみようかね」

 ローザとアイラが顔を見合わせ、ドアの方を見る。  

 ローザがアイラを放し、部屋を出て行く。アイラも自然とその後について行った。

 用心しながら階段を下りる。中ほどにさしかかったその時、外からドンッと大きな音が聞こえてくる。

 ローザとアイラは顔を見合わせると、残りの段を駆け下りていく。

 机や椅子が乱れた店内を駆け抜ける。

「ルーチェさん……!」

 アイラが玄関先につくと、ガエルと真正面に対峙するルーチェの姿が目に入った。

 信じられないことにガエルが手のひらから火の玉を撃ちだすのが見えた。ルーチェはその場を動かず、火の玉が炸裂して埃を舞い上げた。

「ルーチェさ――」

 アイラは思わず叫びそうになる。

 しかし、途中まで出かかった声が引っ込む。

 ルーチェは無傷で立っていた。不敵な笑みを浮かべ、淡く輝く魔法陣に守られていた。

「ルーチェ……あの子一体……」

「分かりません……」

 ローザとアイラはその様子をただ呆然と見ていた。

 不敵な笑みを浮かべ、ルーチェが腕を動かすと、光が溢れ、そして火傷しそうな熱風が吹き抜けていく。

 緋色の生地に金の縫い文字の施されたローブ。それをまとったルーチェが立っている。

 ローザもアイラも目を丸くしていた。

「見せてあげる、本物の魔法ってやつを」

 ルーチェが不敵な笑みを浮かべて杖をガエルに向けた。

「魔法使い……」

 アイラは呟いた。

 指輪を掲げ、杖を振りかざし、魔法陣を描く、緋色のローブをまとった銀髪の少女。

 炎を操り、付き従える、それは紛れもなく魔法使いの姿だった。

「この……燃えろ、オラァ!」

 挑発を受け、ガエルが火の玉を連続で放つ。

 その全てがルーチェに命中する。当たったそばから次々に爆ぜ、炎をまき散らす。

 爆ぜた火の玉は地面を抉り、草や木を燃やした。土煙があがって視界が悪くなる。

「へっ……どうだ!」

 ガエルが薄ら笑いを浮かべる。

 土煙が徐々に晴れていく。

「何だ、こんなもん?」

 まず現れたのは緋色の魔法陣。そして、続いて緋色のローブをはためかせ、ルーチェが悠然と立っていた。

「なにっ!?」

 ルーチェが無傷なのを見て、さすがにガエルがたじろぐ。

 相手を見据え、ゆっくりとルーチェが歩を進める。

 気圧されたのか、ガエルは一歩二歩と後ずさる。

「今度はこっちからしかける!」

 ルーチェは杖を地面に突き立てた。拳に意識を集中する。すぐに空気が揺らぎ、拳が炎をまとう。

 ルーチェが駆け出す。

 炸裂音と共にルーチェが飛ぶ。地面が抉れ、残り火が揺らいでいた。

「はぁああ!」

 足元を爆破して得た勢いを、炎をまとった拳に余すことなく乗せる。

「っ!」

 ガエルが息をのみ、魔法陣を展開しつつ、とっさに後ろに飛び退く。

 しかし、ルーチェの狙いはガエルではなく、その目の前の地面だった。殴りつけられた地面に魔法陣が展開し、炎がまばらに噴きあがる。

 そして、魔法陣が一際まばゆい光を放つと、爆音が鳴り響き、同時に炎と熱風とがルーチェを中心に広がる。

 爆風に吹き飛ばされてガエルが地面を転がる。

「く、クソ!? なんだ、今のは!?」

 自らが操る魔法とは異なる魔法に、ガエルがたじろぐ。

 ガエルが扱うことができるのは、魔法陣を展開して壁を作ることと、炎弾を飛ばすことぐらいである。

 ルーチェのように、爆破の威力で飛んだり、爆炎を放出することはできない。

「まだ!」

 ルーチェは爆炎でできた、小規模なクレーターの中心から飛び出すと、再び拳に炎をまとわせる。

「もう一発!」

 よろよろと立ち上がったガエルに向かってルーチェが猛突進する。

 明らかな焦りを見せながらガエルが慌てて魔法陣を展開する。

「クソがッ! クソがァ!」

 炎が魔法陣から連発されるが、ルーチェは足元を小刻みに爆破し、突進の勢いを殺すことなく、ことごとく全てをかわして突き進む。

「はあああああ!」

 ガエルの展開する魔法陣に向かってルーチェが全力で拳を叩きこむ。

 相手の魔法陣に対抗するかのように魔法陣が大きく広がる。

「ぬぐぁ!?」

 少女の物とは思えないほど重い拳が魔法陣ごとガエルの身体を押す。

 押し返すことはできず、押し切られないように耐えるのが精一杯だ。

「吹っ飛べ!」

 ルーチェが叫ぶと同時に広がり続けていた魔法陣が一気に収縮し、拳大の大きさへと変わる。

「何だ……!?」

 収縮した魔方陣は輝きを増し、色を濃くし、その力をただ一点に集約する。

 小規模な爆発が起こる。

 しかし、そのエネルギーは凄まじく、強烈な閃光で目が眩み、ルーチェ自身も反動で2、3歩分後退するほどだ。

 ガエルが吹き飛ばされていく。遅れて、耳をつんざく爆発音。

 ローザがアイラをかばって倒れ込む。ガエルがこちらに向かって吹き飛んで来ていた。

 店の壁に激突し、そのまま壁を壊して店の中まで転がっていく。

「ふぅ……」

 ルーチェは微かに煙を上げる拳を振るった。

「あちゃー……やりすぎた……?」

 店の壁に大穴があいているのを見て、ルーチェは顔をひきつらせた。

 誰に責められたわけでもないのに視線をさまよわせる。すると、玄関先に倒れ込んだローザとアイラが目に飛び込んできた。心臓が跳ね上がる。

 ルーチェは急いで駆け寄り、呼びかけた。

「ローザ、アイラ! アンタたち、無事!? ねえ!」

 二人に駆け寄り、膝をついて背中を叩くルーチェ。ローザが咳き込み、顔を上げる。

「あいたた……どうなったんだい……?」

「な、何がどうなって……?」

 ローザが体を起こし、アイラもそれに続いた。二人とも無事だった。服が汚れてはいるが、怪我はない様子だ。

 ルーチェはひとまず胸をなでおろした。

「アンタたちね、二階にいろって言ったじゃない!」

 しかし、すぐに気を取り直して少し厳しい口調で二人を咎める。

「でも、ルーチェさんが心配で……!」

 アイラが真剣な瞳でルーチェを見つめる。

「アンタが来たところでどうにもなるわけないでしょう……」

「ならないかもしれないですけど、でも……!」

「足手まといよ。はっきり言って迷惑。怪我でもされたらたまったもんじゃないわ」

 アイラの瞳に耐えかねて、ルーチェは目を逸らし、俯いた。

「……それでも、心配で……ダメ、なんですか? 心配しちゃ?」

「……見たでしょ、あそこで伸びてる男の力」

 ルーチェは視線を店の中へと向ける。店の中でガエルは気絶していた。

「それに、私のも……」

 ルーチェは胸元にかかったローブを強く握りしめた。

 身体から引きはがすようにローブを引っ張ると、ローブは淡い光の粒子となって空中に霧散していった。

「魔法使い……」

 ローザが呟く。アイラはただただ、心配そうにルーチェを見つめる。

 ルーチェは俯いたまま、決してアイラとローザに顔を向けようとしない。

「危ないのよ、魔法っていうのは。たとえその気がなくたって他人を巻き添えにする可能性がある」

「相手に魔法使いが居るって聞いた時点で、遅かれ早かれこうなることは分かってた」

「だから、アンタたちには二階に逃げてもらったのよ。そっちの方がやりやすいしね。それに……」

 『見られたくなかった』その言葉は小さすぎて発した本人以外の耳には届かなかった。

 普段そんなことは思わないのだが、ローザとアイラに対しては魔法を見られたくないという感情が出てきていた。

「気味悪いでしょ。同じ人間なのにわけのわからない模様空中に出して、そこから色んな物出せるなんて」

 ルーチェは自嘲気味に笑って左手にはめた指輪を撫でた。指輪には深い緋色の石が光っていた。

「そんなこと……アンタはあたしらを助けてくれたじゃないか」

 どこか遠慮がちにローザが声をかける。

「そんなこと、ないです」

「魔法使いだろうと、何だろうとルーチェさんはルーチェさんです!」

 アイラがルーチェに詰め寄る。逃げるようにルーチェは立ち上がった。

「あいつら、縛り上げとかないと……起き出して逃げられても困る……」

 ルーチェは足早にローザとアイラのそばを離れた。

「……縄が必要だね。アイラ、取りに行くよ」

 ローザがアイラの肩を優しく叩く。

「……はい」

 ゆっくりとアイラは立ち上がった。とぼとぼと歩いていくルーチェを見つめる。

 ルーチェは重い足を無理やり動かして店へと入った。

 例えどんなに親しくしていようと、魔法使いだと分かったその時から、たった一歩、しかし絶対に埋まらない距離ができるのは知っていた。今までも何度か経験してきたことだ。最初はショックだったが、何度か経験するうちに自然と諦観していった。しかたがない、こんなものだと。

 だから、今回もそれだけのことなのだ。それなのに、まるで初めて経験した時のようにショックが大きい。もしかしたらそれ以上かもしれない。ルーチェはそう感じていた。

 飢えているところを助けられたから? 一緒にいて楽しかったから? 友達だと言われたから?

 理由はありそうだが、しかし、どれも当てはまらないような気がした。

 重い足取りのルーチェを見送り、アイラはローザに続いて裏手にある物置に縄を取りに向かった。

(ルーチェさん……)

 沈み込んだ様子のルーチェを見て、アイラも気分が沈んだ。

 何を気に病んでいるんだろうか? 考えてみるが、思い当たるふしはなかった。

(どうしたら……)

 ルーチェに何かしら声をかけたいが、何も思いつかず悶々とする。

「アイラはどう思う、あのこの娘このこと?」

 ローザが棚に被った埃を払いながらアイラに問う。

「どうって……何も思いませんよ、確かにびっくりはしましたけど……」

「……この村を襲ったのは魔法使いだよ? アンタの両親も……本当に何も思わないのかい?」

 ローザはただ淡々と質問してくる。アイラはチラリとローザを見やるが、ちょうど背中しか見えない位置に居り、その表情は読み取れない。

「……確かに、襲ってきたのは魔法使いでした。でも、だからって魔法使いがみんな悪い人というわけでもないと思います。それに、やっぱりびっくりしただけです。嫌悪感とかはありません」

 襲われた日のことを思い出して、アイラは身震いし、胸を痛めた。

 ローザも何か思うところがあったのか、手を止めていた。アイラはゆっくりとローザに向き直り、続ける。

「もしかしたら、悪いことをする人の方が多いのかもしれません。でも、ルーチェさんは違います」

「本当にそう言い切れるかい? あの娘がぶっ倒れてる連中みたいじゃないって」

「……言い切れないと思います。でも、ほんの短い時間ですけど、ルーチェさんと一緒にいて、悪い人じゃないって思ったんです。その、そう感じたんです。うまく言えませんけど」

 昨晩見せたルーチェの涙が偽物だとはアイラには思えなかった。自分がする、ほんの些細な家族の思い出話を、羨ましそうに、でも柔らかな微笑みで聞き入っていたルーチェの表情が、偽物だとは思えない。

「………」

「………」

 ほんの少しの沈黙の後、ローザが無言のまま作業を再開する。アイラもそれに倣ならい、作業を再開する。ややあって、縄を何本か見繕って二人は倉庫を出る。

「あの、おばさん」

 アイラがローザを呼び止める。

「うん? なんだい?」

 ローザは立ち止まり、振り返ることなく応える。

「どうしてあんなことを聞いたんですか?」

「ああ……そうだねぇ……」

「確認したかったのさ、アイラがあの娘をどう思ってるのか」

「確認、ですか?」

「ああ、そうさ。アンタも、アタシもあの娘が悪い子じゃないって思ってるって確認さ」

 ローザは振り向くと、にかっと笑って見せた。

「満場一致だね。あの子は悪い子じゃない。少なくともアタシらの中じゃね」

「……はい!」

「さ、そうと決まれば、さっさと戻ろうじゃないか」

 ローザが颯爽と歩き出す。アイラもその後に続く。

 しかし、どんな言葉をルーチェにかけようか、アイラは懸命に考えてみたが、店に戻るまでの短い距離ではまったくもって良い案を思いつかなかった。

 二人が店内に入る。埃が舞い、机や椅子が破壊され、がれきが辺り一面に散乱していた。

 今朝まで見ていた場所と同じだとは思えなかった。

「ふぅ……こりゃ片づけるのに骨が折れそうだねぇ……」

 ローザはため息をつくと、ガエルの前で俯いてぼーっと突っ立ているルーチェの元へと歩いて行った。

「ルーチェ、縄持ってきたよ。さっさと縛っちまおうじゃないか」

「ああ、うん、そうね……貸して」

 ローザに視線を向けず、縄を受け取ると手際よくガエルを後ろ手で縛り上げた。

 縛り上げる最中、何度かローザと目があったが、その度にルーチェは気まずそうに目を反らした。

「は~……アンタ、随分手馴れてるねぇ……一人旅のことといい、感心するよ」

「うん、まあ……」

「そういや、昨日ギャングかなんかの仲介役をやったとか言ってたね。やっぱりそういうところで鍛えられたのかい?」

「そうね……」

「……他の連中も縛り上げないといけないね」

「そうね……」

 二人の間に沈黙が降りる。

 どちらも動かず、ローザがルーチェの様子を窺うが、ルーチェは俯いたまま、ただ黙って立っていた。

「……まったく、ジメジメしてるんじゃないよ、シャンとしな!」

 痺れを切らせたローザが、ルーチェの背中を思いきり叩く。バシン! と乾いた音が少し離れたアイラの耳にも届いた。

「いっ!?」

 ルーチェは背筋をぴんと伸ばし、顔をしかめて硬直する。ふっと脱力すると、目を瞬しばたたかせ、眉尻をあげて、ローザを睨みつける。

「なにす……」

 ルーチェは怒鳴りかけるが、ローザがとった行動に閉口する。

 ローザは優しく、ゆっくりと、ルーチェの頭を撫でた。

「アンタが魔法使いだってアタシは気にしないよ。アンタは命の恩人じゃないか」

「……恩人でもなんでも、異質なのには変わりないでしょ」

 ルーチェはローザから視線を反らす。しかし、手を払いのける様子はなかった。

「そうだね。でも、ルーチェ、アンタは普通の女の子じゃないか。ぶーたれながらきちんと恩に報いようとして、借りは返そうとするし、なにより、アイラに呆れながら友達になってくれる、普通の子じゃないか」

「私は……普通じゃないわよ。魔法使いよ」

「いいや、普通の女の子さ」

「違う! 私は……」

「違うもんか。アンタはぶっきらぼうで小生意気だけど、人を思いやれる優しい普通の女の子さ」

「そんなこと……私が恩人じゃなければ、そんなこと言えないでしょ」

「関係ありません!」

 ルーチェが自嘲気味に言い放った言葉をアイラが大声で否定する。

「普通とか、魔法使いとか、恩人だとか、そんなの関係ありません! ルーチェさんはルーチェさんです!」

 アイラがルーチェを後ろから抱く。優しく、しかし、決して離す気はない。

「さっきも言いました。ルーチェさんはルーチェさんです。私の大切な友達です! それ以上でもそれ以下でもありません! いいえ、ありえません!」

 アイラははっきりと断言した。ルーチェを抱く腕に力がこもる。

 少し力が強すぎて痛いが、ルーチェはそれも悪くないなと思った。

「何それ……ああ、もう……私がバカみたいじゃない……」

 優しい二人を傷つけたくなかった。そして、なにより自分が傷つきたくなかった。

 だから、気持ちが沈んだし、二人から距離を取ろうとして黙り込んだ。

 けれど、二人は魔法使いだということを知ってなお、昨日までと変わらず接してくれている。ルーチェの無意識の心配は杞憂に終わった。

 そうか、と、ルーチェは一人納得した。

「……離しなさい、アイラ」

 ルーチェは抱きついているアイラの手にそっと触れた。

「………」

「もう大丈夫」

「本当ですか?」

「本当よ」

 アイラはもう一度強くルーチェを抱きしめる腕に力をこめてから離れた。

「さ、ちゃっちゃとこいつら縛り上げるわよ。手伝ってよね」

 ルーチェはいつもの不敵な笑みでそう言った。


「これは一体……」

 騒ぎを聞きつけてやってきたエイブラムとジャン、エド、アーサーの若者三人組は、唖然とした表情で縛り上げられたガエル達を見ていた。

「見ての通りガビなんちゃらの構成員よ」

 ルーチェは腰に手をあて、気だるげに説明した。

 エイブラムたちは顔を見合わせ、ルーチェとガエル達を交互に何度も見た。

 口にしなくとも、驚愕と疑惑が顔に出ていた。

「これを、お一人で……?」

 エイブラムが怪訝そうな顔を隠さず質問する。

「そうだけど?」

 対するルーチェはあっけらかんとそう答えた。

「まさか……」

「さすがにウソだろ……」

 若者三人がざわめき立つ。

 やはりにわかには信じられないのだろう。

「そう言えば、返事は? 一晩考えたんでしょ?」

 昨日の、盗賊まがいの連中を村から追い出すか否かの話を思い出しながらルーチェが問う。

「ええ、それは、まあ……」

 エイブラムの答えは歯切れの悪いものだった。それだけで、なんとなく答えが予測できた。

「話し合った結果、我々は現状を維持する方向で固まりました。それにもし、連中を追い出すにしても、見ず知らずの、その、素性の知れないあなたの力は借りないと」

 エイブラムは言葉に気をつけながら、一言一言確かめるように答えた。その様子は、答えに納得しきっていないようだった。

「なるほどね……」

 本来、そう言われたからには引き下がるのがルーチェだ。余計なことには首は突っ込まない主義だ。

 ちらりと横を見ると、どことなく不安そうなアイラと諦観ぎみのローザが目に入る。

 ルーチェは一つ息を吐いた。

「わかった。じゃあ、私はアンタたちに手を貸さなくていいわけね」

「……ええ」

「そ。いいわ。じゃあ、私一人でやるから」

「は? 今、なんと……?」

「いや、だから、私一人でやるって」

「な、何をバカな……」

 ルーチェの言葉に、エイブラムもさすがに呆れていた。

「この者たちの頭かしらは、ここにいるガエルなどとは比べ物にならない魔法使いなんですよ! いくらあなたでも不可能です! それとも、まさか……」

 エイブラムがガエルとルーチェを交互に見る。口にせずとも、言わんとしていることはなんとなく察しがついた。

「……わかった。信用できないなら、私がここまで言い切る、自信を持ってる理由と証拠でも見せようかしら」

「理由と証拠、ですか?」

「そ。一人でも連中に勝てるって自信の理由と証拠」

「ていうか、さっきの様子だと、薄々気が付いてるんじゃないの? アンタ、察しがよさそうだもの」

 ルーチェはチラリと縛り上げられたガエルを見た。

 再びエイブラムを見つめる。その視線に、エイブラムはたじろいだ。

「………」

 場に沈黙が訪れる。ルーチェはゆっくりと、腰につけたポーチから緋色に輝く銀細工の指輪を取り出す。

 ルーチェがエイブラムたちから距離をとる。ゆっくりと左の中指に緋色の指輪イグニス・フォルマをはめる。

「ルーチェさん……」

 アイラがルーチェに近づこうと一歩踏み出すが、ルーチェはそれを手で制した。

「よく見ておきなさい」

 右手にはめた一対の指輪を打ち鳴らす。カチンと、澄んだ金属音が響く。魔法陣となった右の指輪を胸にかざす。続いて、左手にはめた緋色の指輪を胸にかざす。

 炎が踊り、熱気が立ち上り、辺りの空気を巻き上げる。ルーチェが炎に包まれ、そして、その炎を振り払う。

 熱風が四方に散って行き、その中心に、緋色の生地に金の文字と記号とが刺繍された、身の丈ほどのローブをまとう魔法使いが立っていた。

「ウソだろ……」

「魔法使い……」

「魔法使いだ……!」

「……やはり、そうでしたか……」

 若者三人は驚き、エイブラムは冷静に見ていた。

「これでどう?」

 ルーチェはローブの裾をつまみあげて誇示するように見せた。

 ジャンが目を見開き、唇をわななかせる。拳を強く握りすぎて若干白んでいた。

 エドもアーサーもあまり態度には出ていないが、視線が鋭くなっていた。

「私が何の気なしに自信満々な奴じゃないってことはわかったでしょ。だから、私は好きにやらせてもらうわよ」

 ルーチェが真顔でエイブラムに告げる。エイブラムは眉根を寄せ、皺の多い顔にさらに皺を増やして目をつぶっていた。

「なんで……!」

「ん?」

「なんで魔法使いの癖に俺たちに味方するんだ……!」

 ジャンが声を震わせながら問い、ルーチェを睨みつける。

 ルーチェは特に動じることもなく、ただ淡々としていた。

「言ったでしょ、一宿一飯の恩義ってやつよ。助けられたのよ、そこの二人に。だから恩を返したい。それだけの話よ」

 ルーチェはローザとアイラをチラリ見やってはっきりとそう言った。

「だいたい、魔法使いが皆こいつらみたいなのだと思われちゃ困るのよね」

 ルーチェは未だに目を覚まさないガエルを睨みつけるように鋭い視線で見ていた。

「私の目的は師の使いを果たして、世界中を旅すること、ただそれだけよ。一ケ所に留まって領主ごっこするつもりなんかさらさらないわ」

「まして、あんたらみたいに何の才覚もない凡人に、魔法を振るうなんてバカバカしい真似、するわけないでしょ? 力の無駄よ」

 ルーチェは侮蔑の視線をエイブラムたちに向け、鼻で笑った。心底バカバカしいと嘲笑していた。

「てめえ……!」

 最も血の気の多いジャンが今にも飛びかからん気勢で一歩前に出る。

「下がりなさい、アンタ、昨日みたいに無様に地面に這いつくばらせるわよ?」

 ルーチェが鋭く冷たい視線をジャンに向ける。それだけでジャンはたじろぎ、その場に固まる。

「アンタ、そんな態度とるんじゃないよ」

 ローザがルーチェの頭を思い切り叩はたいた。

「いっ!?」

「そんな態度とるから嫌われるんだろうに、まったく……さすがに今の言葉はアタシでも引くよ」

「………」

 ルーチェは何か言い返そうとするが、なにも言えず黙り込み、涙目でローザを睨みつけた。

 若者三人はその様子を目を丸くして見ていた。

「ともかく、村長、この娘は強い。ガエルなんか赤子の手を捻るようにやっつけちまった。アタシとアイラが見てるんだ。間違いないよ」

 ローザが視線を向けると、アイラはコクコクと何度も頷いた。

「……いや、しかし……」

 エイブラムがルーチェを見る。その表情はなんとも複雑そうだった。

「それにね、この娘は悪い娘じゃないよ。それもアタシとアイラが保証する」

 再びローザがアイラに視線を向けると、アイラはまた何度も頷いて見せた。

「うーむ……」

 エイブラムは唸りながらルーチェを見やる。確かに、この状況を見るに、ルーチェがガエルを倒し、拘束したのは事実だろう。しかし、それでもやはり、エイブラムはにわかには信じられなかった。

 まして、ルーチェのしようとしていることは、失敗すれば、村人全員の命を危険にさらしかねない。下手をすれば、全員殺されてしまうかもしれない。

やはり、おいそれとは答えあぐねた。

「……みなの」

「ん?」

「皆の意見を聞きましょう。これから村の者を全員集めます。そこで、結論を出しましょう……村全体の問題です」

「我々だけで、決めてよい問題ではない」 

「いいわよ。ただ、最初に言ったけど、止めても無駄よ。私は一人でもやる」

「……その時は……いえ、やめましょう。とにかく、村の者を集めてきます。広場は分かりますかな?」

「村の中心でしょ? 市場がある。昨日行ったわ」

「ええ。そこで皆の意見を聞きましょう。ジャン、全員を広場に呼んでくれ。エドとアーサーはあと何人か連れて、ガエル達を牢に入れなさい」

 エイブラムの命を受けて、若者達が各々散っていく。

 エイブラムが歩き出し、ルーチェもその後に続く。

「これだけやっておいて悪いけど、この村に残された選択肢は、戦うか、黙って殺されるか、この二つしかないわよ」

 エイブラムは答えない。代わりに、皺深い顔に、より一層皺を寄せた。


 エイブラムの呼びかけを受けて、村の広場には村に住むものが老若男女問わずに集まっていた。

 広場の中心に、木製の号令台が置かれ、エイブラムがその上にあがる。

「みなに聞いてほしいことがある」

 エイブラムの一言に、村人たちがどよめく。

 エイブラムが右手をあげると、村人たちは徐々に静まっていく。

「今朝のことだが、ガビー・リスティスの副長、ガエルを捕えた」

 村人たちが再びどよめきはじめる。皆、信じられない、いったいどうやって、一体誰が、と言ったことを口にしていた。

「ルーチェさん、こちらへ」

 エイブラムに呼ばれるまま、ルーチェは号令台に上る。

 途端、村人たちが一斉に口を噤む。

 ある者は小さな悲鳴をあげ、ある者は息をのむ。

震える者、睨む者、泣き出しそうになる者、反応は種々様々だ。

「ガエル達を捕らえたのは、ここに居られる……」

 エイブラムは言葉を切って、深く息を吸い込んだ。

「ここに居られる、魔法使いの方だ」

 場の空気が凍りつく。ルーチェの格好を見て、すでにほとんどの者が予想はしていたが、いざ、言葉にされると、その衝撃は計り知れない。

「な、なにが目的だ、魔法使い……!」

 静寂の中、一人の男性が、震える声でルーチェに投げかける。ルーチェはその男性を見据えると、面倒くさそうに溜息をついた。

「特に、何も」

 何の感情も込めず、冷淡に言い放つ。

 ルーチェの答えに、村人たちが一斉にどよめきだす。

「どういうことだ?」

「魔法使いが理由もなく我々を助けるのか?」

「どうせ何か裏があるんだろう?」

「私たちをどうするつもり?」

「どうして私たちの味方をするようなことを……?」

 問いかけなのか、それともただルーチェの言葉に反応しているだけなのか、矢継ぎ早に言葉が飛んでくる。

「みな、静粛に!」

 エイブラムの言葉に村人たちが徐々に静まっていく。

「……さて、ガエルを捕えたことにより、我々には決断せねばならないことがある」

「連中と戦うか、さもなくば……」

 エイブラムはその先を口にしないが、誰もが言わんとしていることを察していた。

 皆、口を噤んで、誰一人として一言も発さない。

「私は戦う」

 沈黙を破り、ルーチェが一歩前に出る。

 村人たちが目を丸くし、ざわめく。

「別にアンタたちに戦うことを強要する気はないわよ」

「ただ、どのみち選択肢は二つに一つしかない。抵抗するか、黙って殺されるか。来るところまでは来てしまったんだから、後戻りはできないわよ」

 ルーチェが広場を見渡すが、皆一様に俯いたり、目をそらしたりしていた。

 予想通り、村人の支援は受けられそうもないが、それでもルーチェの気持ちは少しも揺らがない。

「……俺は行くぜ」

 号令台の後ろから声が上がる。

 一斉に声の主へ注目が集まる。声の主は三人の若者の中で最も血気盛んそうなジャンだった。

 ジャンを皮切りに、エドやアーサー、カスケット夫妻、他にも何人かが俺も、私もと続いた。無論、アイラとローザも入っている。

 だが、それでもほとんどの者は渋っていた。

 信用ならない、怖い、どうせ何もできやしない。諦めや恐怖、果てはルーチェへの不信感が村人たちからは滲み出ていた。

「そ。なら、行く意思のあるものだけ集まって。作戦を練りましょう」

「………」

 ルーチェは号令台を降りようとするが、ふと足を止め、ただ黙っているエイブラムに向き直る。

「私たちの意見はまとまったわよ」

「ええ……」

「一応聞いておくわ、エイブラム。アンタはどうしたいの? 村長じゃなくて、個人として」

 聞かれると思っていなかったのか、エイブラムは目を見開く。そして、静かに目を閉じ、眉間の皺をさらに深くした。

 再び目を開くと、険しい表情で口を開く。

「……私も戦いたい。娘たちや村の者の仇をとりたい……いや、連中を追い出せさえすればそれだけでも十分。もう、これ以上連中の好きにはさせたくない」

 エイブラムの言葉に、皆一斉にどよめきだす。エイブラムは気に留めずにルーチェをじっと見据え、頭を下げる。

「ルーチェさん、どうか、お願いしたい。この村をやつらから解放していただきたい」

「いいでしょう。きちんと決着をつけるわ」

 エイブラムの意見を聞き終えると、ルーチェは再び村人たちを見回す。

「アンタたちの長は戦うそうだけど、どうする?」

 再び村人たちが沈黙する。互いに顔を見合わせる。

 そして、また、何故魔法使いが我々を助けるんだ、本当は何か企んでるんじゃないのかといった言葉が聞こえてくる。

「はぁ、またその類の質問か……一宿一飯の恩義、とだけ言っておくわ」

「あと、好き勝手されてこれ以上魔法使いの肩身が狭くなっても困るのよ。最近じゃどこ行っても鼻つまみ者だもの。やりにくいったらないわ。隠すのも案外大変なの」

 ルーチェはローザとアイラを呼び寄せて、号令台に上がらせる。そして、ローザとアイラを隣に立たせて続ける。

「信用できないっていうなら、少しでもアンタたちに危害を加えるような素振りを見せたら、リンチでもなんでもして、あとは煮るなり焼くなり好きにしなさい」

「あと、私が信用に足る人物だっていうのは、この二人が保証してくれるはずよ。私はこの二人に返さなきゃいけない恩があるの」

 ルーチェは二人を見て、笑って見せる。二人も頷き、笑った。

「それでも信用できない、戦いたくないという者は、立ち去りなさい」

「さっきも言ったけど、強制はしない。別に戦わないことを恥じることはないわ。それは自分で選んだことなのだから」

「本当に……」

 ルーチェの目の前に立っている男性が声をあげる。

「ん?」

「本当に連中に勝てるのか」

「勝てる、いえ、勝つわよ」

 ルーチェは自信満々に胸を張って答えて見せる。

「何を根拠にそんなことを……」

 今度は集団の中ほどから声が上がる。

「見て分かるでしょ?」

 ルーチェの答えに皆首を傾げる。

「私が魔法使いだからよ」

 首を傾げる人々に向かって、ルーチェは不敵な笑みで、そう高らかに宣言する。

「さて、立ち去る者がいないなら、ここにいる全員、戦うということでいいわね」

 皆黙ってはいるが、広場からは誰も立ち去る者はいない。

「それじゃあ、作戦を立てるわ。っと言っても、もう大体は決まってるんだけど」

「時刻は夜明け前、アンタたちには連中のアジトまでの道案内と、そのすぐそばで騒ぎを起こしてもらう。後は私がやるわ」

「騒ぎ、ですか?」

「そう。なんでもいいわよ。連中のアジトに火をつけるとか、とにかく下っ端の気を引いてくれればなんだっていいの。アジトの中の人間が少ないうちに私が魔法使いだっていう頭を叩くわ」

 ルーチェの作戦に皆頷いたり、近くの者と相談し始めたりしている。

「もう一度言うわよ。開始は夜明け前、アンタたちは私をアジトまで道案内して、後は騒ぎを起こして、下っ端の気を引いて。そうしたら、人が少ないうちに、私が魔法使いの頭を叩く」

「意見のある者は? いなければこの作戦で行くわ」

 ルーチェの言葉に、おう、だとか、よしやるぞ、といった声が返ってくる。

 エイブラムが解散を宣言し、村人たちが散っていくのを見届けてから、ルーチェはローザ、アイラと共に店に戻った。


 店に戻ってすぐ、ルーチェは二階のベッドに横になった。

 夜明けまで、少しでも眠っておくつもりだ。

「あの、ルーチェさん」

 アイラがベッドに腰かける。

「ん、なに?」

「あの、一緒に寝てもいいですか?」

 おずおずとした様子で聞いてくるアイラ。

「どうせ断ってもムダでしょ。好きにすれば?」

 ルーチェは苦笑いしながら答えた。

「むぅ……酷いです……」

 アイラがルーチェの隣に横になる。

「あの、ルーチェさんは怖くないんですか?」

「……さあ?」

「さあって……」

「慣れてるもの」

「……そう、ですか……」

「怖いの?」

 薄目を開けてアイラの様子を窺う。表情は良く見えないが、不安や恐怖があるのだろう、微かに震えている気がした。

「そうですね……やっぱり、いざってなると……」

「……ん」

 ルーチェはアイラに手を差し出す。アイラは驚き、目をパチクリさせていた。

「え……?」

「いいから、手。そしたら多少はマシでしょう? 落ち着いたら寝ときなさい、少しでもいいから」

「……はい!」

 ルーチェの手がアイラにそっと握られる。

 アイラを落ち着かせるために手を握ったが、手を通して伝わってくる体温に、不思議と、ルーチェ自身も穏やかな気持ちになった。

 その心地よさに身を任せ、ルーチェはゆっくりと眠りについた。


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