第2話 Situation

●第一章【Encounter】

■第二話『Situation』




「ローザおばさん、戻りました」

「ああ、おかえり……ん? 村長じゃないか。悪いけどまだ店開けてないんだよ。仕込みもまだだし……」

「ああ、いや、今日は食事をしに来たんじゃない。悪いが場所を貸して欲しくてね

「うん? どうにも話が見えてこないんだけど、どういうことだい?」

「その……私が――」

「その辺の事情も込みで今からこの人と話すのよ。悪いけど、場所借りるわよ」

 理由を話そうとするアイラを制し、ルーチェが言った。

「……はあ、なんだか深刻そうだねぇ……しかたない、今日は臨時休業にするかねぇ……」

 溜息をつきながらもローザは休業の札をドアにかけに行く。戻ってくるとすぐにお茶の準備を始めていた。

「話しがあるんだろう? 適当なところを使っとくれ。今茶を出すから」

「ああ、すまないな……では、貴女……ええと……?」

「……ルーチェよ。ルーチェ・アマル。ルーチェでいい」

「そうですか……では、ルーチェさん、こちらへ」

 先に座ったエイブラムに促され、ルーチェも席につく。その隣へアイラが座った。

 ジャンと若者二人、カスケット夫妻、そしてお茶を持ってきたローザも席についた。

 全員が席についたことを確認すると、エイブラムが口を開いた。

「ではまず何から話しましょうか」

「そうね。とりあえず、あいつら、何者? それを聞かせて」

「ああ、そうですね、それから話しましょうか」

「やつらはガビー・リスティス。盗賊です。それも性質の悪い。ただ村から略奪していくのではなく、まず村を襲って金品や食料を略奪し、その村に住む者達に恐怖を植え付け、その後、自警団などと自称して村に留まります」

「そして、定期的に食料や金品を税金と称して要求してくるのです」

「まるで寄生虫かなにかね」

 ルーチェの発言に若者たちが頷いていた。

「いつ頃からいるの? あいつら、随分手馴れてように見えたけど」

「やつらが現れたのは6年ほど前ですね……」

 今までほとんど感情のなかったエイブラムが初めて眉をひそめた。他の者たちも何か思い出したのか、それぞれ不快感を示していた。

「6年前……」

 ルーチェは呟いて目を閉じる。脳裏に6年前のある光景が浮かぶ。それはルーチェが旅をすることになった原因。もしかしたら、そのガビー・リスティスという者たちが何か旅の原因と関わりを持っているかもしれない。ルーチェはそう考えた。

「………」

 目を開く。誰もが口を噤つぐんでいた。

 ルーチェはふと、アイラが眉間にしわを寄せ、俯き、微かに震えているのに気が付いた。どことなく、今にも泣きそうな様子だった。

「………」

「アイラ……」

 ローザがアイラの肩をぽんぽんと優しく叩いた。

「……なんだか、あんたたちそのガビーなんちゃらによっぽど酷い目にあわされたみたいね」

「酷いなんてもんか!」

 ルーチェの言葉にジャンが机を叩いて声を荒げた。ルーチェが驚き目を見開いていると、ジャンは呟くように謝った。

「すみません。彼を許してやって下さい。彼は父親を殺され、母親の足を潰され、自身もかなりの傷を負いました」

「別に気にしてないわ。こっちこそ、何というか、配慮が足りなかったわ」

 ルーチェはばつが悪そうに目を逸らした。ローザは困り顔でアイラを見ている。当のアイラは相変わらず黙ったまま俯いていた。

「……アイラ? あんた、大丈夫?」

「はい……」

 大丈夫そうには見えなかったが、ルーチェはそれ以上どう声をかけていいかわからなくなった。

「……その娘の両親も6年前の襲撃で殺されました。いや、その娘の両親だけじゃない、私も長男と三男、それに次女を殺されました。他にも家族や友人を殺されたり傷を負わされたり、酷い目にあわされた者が大勢います」

 エイブラムは手が白むほど強く拳を握った。

 ルーチェはアイラを見やる。唇を噛み、目を閉じて何かに耐えているようだった。

 ルーチェはためらいがちにアイラの頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「ルーチェさん……」

「な、何よ?」

 ルーチェは頬を染めて目を逸らした。

「……何でもありません」

 アイラは小さく笑った。それを見て、ルーチェもほんの少しだけ口角を上げた。

「……あいつらが何なのかはなんとなく分かったわ。あんたたちが相当酷い目にあったっていうのもね」

「それで、その七面倒くさい連中に手を出した私はどうすればいいわけ?」

 ルーチェはエイブラムの目をしっかりと見て問う。エイブラムは目を閉じ、眉間の皺を深くして唸った。

「そうだよ……あんた、連中を!」

「どうしてくれるんだよ、あいつら絶対に報復しに来るぞ!」

「ジャン、エド、落ち着けって! この人たちが居なかったら今頃カスケットさんたちは危なかったかも知れないんだぞ」

「アーサーさんの言う通りです、この人がいなかったら我々は……」

「今は助けたとかどうとかって話じゃないだろ! これからどうするかだろ!」

 ジャンと眼鏡をかけた若者エド、大柄の若者アーサーとカスケット夫妻とに分かれて言い争いが始まった。すぐに諌めそうなエイブラムも今後のことを決めかねているのか、口を噤んだままだった。

「ルーチェ、あんた、連中に何したんだい?」

「そこの夫婦がカツアゲされてて、アイラが助けに入ったら暴力振るわれそうになって、やばそうだったから膝蹴りした、それだけよ。それだけで終われば良かったんだけどね」

「知らなかったとはいえ、あんた度胸あるねぇ……」

「………」

「でもま、手を出しちまったからには何とかしなきゃいけないねぇ……」

 ローザも悩み始める。その場にいる誰もが頭を抱えて考えるが、特にこれと言った考えは浮かばなかった。

「思ったんだけどさ」

「6年前からずっと虐げられてきて、嫌なんでしょ? だったら、この機会を利用してあいつら追い出したらいいんじゃない?」

 ルーチェの言葉にその場にいる全員が唖然とした顔になった。

「……私、そんなに変なこと言った?」

「やつらを追い出すのは無理なんですよ、ルーチェさん」

「無理? なんでよ?」

「あいつらをまとめてるリーダー格と副リーダー格の2人が魔法使いなんだよ」

「魔法使い……」

 ルーチェは呟き、黙り込んだ。やはり6年前のことを考えていた。6年前と魔法使い。重要なキーワードが2つ出た。過去の事件に関与している可能性が大きくなった。

「そうだよ。だから……」

「ふーん……」

「ふーんってあんた……」

 興味なげに反応したルーチェにローザは呆れ気味だ。

「相手のリーダー格2人が魔法使いだから何? 戦って勝てないことはないでしょ」

「ふざけるな! あいつらがただの盗賊だったら俺たちだけでもどうにか対抗できてたさ!」

 エドが机を叩いて立ち上がり、ルーチェを睨みつけた。

「でも魔法使いが出てきたんだ……俺たちじゃどうにもできない……」

「魔法使いが出てきたからあんたたちは戦うのをやめたわけ?」

「そうだよ。どうしょうもないだろ、相手は魔法使いだぞ」

「そんなこと関係ない。魔法使いだって完璧、無敵じゃない。不意を突いたり大勢でかかればなんとかできるわよ」

「何言ってるんだ? そうしようとして何人やられたと……」

「それ、本当に作戦練ったり準備してから挑んだ? 必死だったから無策に突っ込んだとか、じゃなければ、魔法使いだからとか言う理由で大勢でかかってもびびってろくに抵抗しなかったんじゃないの?」

「それは……」

 ジャンが言い淀んだのを見て、ルーチェはたいして抵抗しなかったのだと確信した。

「だ、大体、お前が悪いんだろ! お前を、お前がこれからどうするかを決めるんだろ!」

「そうね。まあ、もう決まってるけど」

 ルーチェの言葉に全員が注目する。

「私は戦うわよ、そのガビなんちゃらって連中と」

(確かめたいこともあるしね……)

 その場にいる全員が閉口した。ジャンとエドに至ってはふざけるなとでも言いたげに睨みつけてきていた。

 エイブラムは眉間の皺をさらに深くし、ゆっくりと口を開いた。

「しかし、戦うと言われましても、貴女がそれほど強いとは到底思えませんが……」

「でも、チンピラ男二人は倒したわよ」

「それは、たまたま奇襲がうまく行ったからでしょう」

「はぁ……まあ、それもあるけどね」

「あれぐらいなら軽いもんよ。普段は関わりたくないからやらないだけで」

 ルーチェはつまらなそうに長い髪房の毛先を弄んだ。

「でも、私は見てました。助けてもらいましたよ」

「私たちもです。ルーチェさんがいなかったら……」

「……事実なのかもしれないが……だが、やはりにわかには信じがたい。たまたま、ということもあり得る」

「それに、事実、実力がおありでも、戦いに敗れてしまえばこの村は今度こそ皆殺しにされてお終いだ。やはり、実力が分からない以上、長おさとして安易に戦って下さい、などとは言えませんな」

 エイブラムがじっとルーチェの顔を見る。

「はぁ……そんなにいうなら試してみる? ちょうどそこに三人いるじゃない」

 ルーチェは面倒くさそうにジャン、エド、アーサーを指さした。最も血の気の多そうなジャンがイスを後ろに倒してしまう勢いで立ち上がった。

「上等だ、やってやろうじゃねぇか!」

「ジャン、落ち着けって!」

 アーサーがジャンを押さえる。エドがルーチェを睨みながらアーサーに言う。

「だがアーサー、こんなチンチクリンに好き放題言わせておいていいのか?」

「チンチクリンって……いや、そんなこと言われてもなぁ……」

 エドの言いようにアーサーは困り顔で頭をかいた。

 一方ルーチェはエドの発言に片眉を上げた。そして、エドを睨み返して、言い返す。

「誰がチンチクリンよ、根暗メガネ」

「ね、根暗メガネ……!?」

 今度はエドが眉を吊り上げた。何故かジャンも怒り、アーサーは困り顔で頭をかくばかり、他の者は呆れていた。

「今すぐその口閉じてやろうか!」

「上等よ。やるってなら相手してあげる。まあ、相手にならないだろうけど」

「こいつ……!」

 ジャンが挑発し、ルーチェも挑発し、エドもそれに乗る形で立ち上がった。互いに構え、隙あらば喧嘩が始まりそうだ。

「やめな! やるなら店の外でやっとくれ!」

 ローザが良く通る声で三人を制した。構えは解いたが、相変わらず睨み合っている。

「外出ろよ。はっきりさせようじゃねぇか、お前の実力とやらをさ」

「アンタがどんだけ身の程知らずか教えてあげるわ」

「泣いても許さんぞ、このチンチクリンが」

「そっくりそのまま返してやるわよ、根暗メガネ」

「ジャン、エド……まったく……」

 ジャンを先頭にエド、ルーチェが店外へと向かう。アーサーは頭を抱えて居た。

「ル、ルーチェさん、ジャンさんもエドさんも喧嘩はダメですって!」

 アイラが三人の後を追って出ていく。

「はぁ……まったくしょうがないねぇ……村長、あんたはどうすんだい? 見に行かなくていいのかい?」

「行くさ……ただ、呆れていただけだよ」

「若者なんてそんなもんさ。さ、さっさと行こうかね、誰か怪我でもしたら大変だ」

 結局全員が店外へと出て行く。

 アイラたちが呆れつつも心配そうに見つめる中、ジャンとルーチェが距離を取って構えあっていた。

「どうするよ? そっちからかかってきてもいいぜ?」

「そんなのどっちでもいいわよ……来るなら来なさい」

「チッ、いちいちムカつくんだよ!」

 ジャンがルーチェに向かって駆け出す。

 ルーチェは深く呼吸し、ジャンの一挙手一投足をしっかりと見極める。

 駆け寄る速度が落ち、ジャンの構えが低くなる。

(来る……右)

 ジャンが止まり、しかし、走りこんできた勢いは殺さずに拳を振りかぶる。ルーチェの予想通り、右の拳が後ろに引かれている。

 構えたまま動かないルーチェを見て、ジャンはニヤリと笑う。当たる。そう確信した。

「おらっ!」

 ジャンは最高のタイミングで拳を突き出す。腰の入った、勢いの乗ったいい正拳だ。

「………」

 ルーチェはしっかりとジャンの攻撃を見極めると、右半身を引き、90度移動する。ジャンの拳が目の前を通過し、ちょうど腕を上げれば触れられる高さに来る。

 ジャンは拳が空を切ったことに、何が起きたかわからないといった顔をしていた。ルーチェは容赦なく右の掌底でジャンの腕を突き上げると、左手でジャンの右腕をつかみ、右手をジャンの顎にそえる。右足をジャンの右踵に滑り込ませ、後ろに引きつつ、ジャンの顎をのけ反らせた。

「うおっ!?」

 あっという間にジャンはルーチェに倒されていた。

 ギャラリーは呆気にとられている。そして、倒された本人であるジャンが最も呆気にとられていた。

「これでわかった? 私の実力」

 ルーチェは手をはたきながらジャンに言い放つ。

「ウソだろ……」

 一撃も加えられないどころか、初手で無様に倒されたジャンは怒りなのか羞恥なのか、顔を真っ赤にしていた。

「さてと、アンタ、えーっと、エドとか言ったっけ? どうすんの? やるならさっさとやりましょう」

「ああ、いや……」

 ジャンがいとも容易く倒される様子を見て、エドは戦意を喪失していた。情けないと思いつつも後ずさる。その様子を見て、ルーチェは構えを解いた。

「クソッ!」

 ルーチェが構えを解いたのを見て、卑怯を承知のうえでジャンが立ち上がって飛びかかる。

「……ふん!」

 しかし、ルーチェに避けられ、よろけた所を後ろから足を払われ、背中を押されて前のめりに転んでしまう。

 ジャンが地面を拳で叩き、動きを止めるのを見て、ルーチェは緊張を解く。

「これでどう? 多少は戦力になると思うけど?」

 ルーチェが両腰に手を当てて、自慢げな表情でエイブラムに問う。

「ええ、はっきり見せてもらいました……」

 エイブラムは深くうなずきながら言った。

「しかし、あなたが我々のために戦う理由が分かりません」

「理由? 理由なんて必要なの? だったら騒ぎを起こした私なりの詫びのつもりだけど。これじゃダメなの?」

「いや、しかし命がかかるわけですし……」

「旅してる時点で命がけだし、この程度のごたごたならいくつも経験してるわ。慣れてる」

「それに……」

 ルーチェはアイラとローザを見る。二人は顔を見合わせて首を傾げた。

「まあ、その、一宿一飯の恩というか、やむにやまれない、返さなきゃいけない借りがあるというか……その、これで返せたらなーなんて、いうか……」

 段々と口ごもって行くルーチェ。その様子を見てローザとアイラが顔を見合わせる。そして、どちらからともなく笑い出した。

「む……笑うとこじゃないわよ……」

「あっはっは! だってアンタ、ふふ、なかなか可愛いじゃないか!」

 ローザとアイラが笑ったことで場の空気が少し和む。

 そんな中、ジャンが立ち上がり、エイブラムの前に進み出た。

「こいつが強いのは分かったよ……確かに普通のやつら相手ならどうにでもなる。でも、魔法使いはどうするんだよ!」

 その一言で場の空気が再び重いものになる。

「その点は大丈夫よ。私が何とかする」

「なんとかってなんだよ!」

「それは……まだ言えない。その時になったら言うわ。信用しろ、としか言えない」

「そんなの無理に決まってるだろ!」

「ジャン、もうその辺りにしておきなさい」

 ルーチェに食ってかかるジャンをエイブラムが制する。そして、ルーチェをまっすぐに見る。その目には迷いが見て取れた。

「ルーチェさん、あなたに実力があるのは確かに分かりました」

「ですが、やはり相手の頭が魔法使いである以上、安易に戦って下さい、とは言えません」

「さっきも言ったけど、魔法使いに関しての対処は信用してくれとしか言えないわよ」

「それも分かりました。しかし、やはりそちらも安易に信用することはできません。私にはこの村を守る責がありますから」

 エイブラムが目を閉じ、何かを考え込む。目を開けると、再びルーチェをまっすぐ見た。

「このお話は一度持ち帰らせていただきます。自治会のメンバーを招集して一晩話し合います。お答えはそれからでもよろしいですかな?」

「……構わないわ」

 ルーチェはぶっきらぼうに答えた。

「話しは終わりかい? ならほら、みんな店に入りな、何か御馳走してやるからさ!」

 ローザが手を叩きながら全員に店に入るのを促す。

 食事と聞いて、ルーチェが嬉しそうな顔をして店に入って行こうとする。

 が、ローザが入口の前に仁王立ちしてルーチェの行く手を阻む。

「……入れないんだけど」

「アンタはまだ仕事があるだろう」

 ローザが親指を立てて荷車を指さす。

「うげっ……」

「あれ中に入れないと、商売どころかまかないも作れないんだよ」

「ぬぅ……」

 妙な唸り声をあげ、ルーチェは渋々荷車に足を引きずっていく。

「あ、ルーチェさん、手伝いますよ!」

 アイラがルーチェの元へとかけていく。

「よいしょっと……」

「うわ……あんたやっぱ腕力おかしいわよ……」

「えぇ? そうですか……?」

「一体どれだけの量担いでるのよ……」

 和気藹々とやり取りを交わしながらルーチェとアイラが荷物を運びこんでいく。

 その様子をローザは笑ってみていた。


「だー! 疲れたぁ!」

 荷物を運び終えるころにはエイブラムたちは食事を終えて帰っていた。

 重労働から解放されたルーチェはぐったりと机に突っ伏した。

「情けないねぇ……これから店開けたらもっと大変だってのに」

 ローザが水の入ったコップを差し出しながらルーチェに言った。

「そんなこと言ったって、慣れない仕事なんだからしかたないでしょ……」

「アイラを見な、あんたの倍は運んだのにまだ元気じゃないか」

 ローザが顎で店内の床清掃を行うアイラを指した。

 アイラは笑顔で、鼻歌を歌いながらモップで丁寧に床を磨いている。

「あの子がおかしいのよ」

 ぶつぶつと文句を言いながらルーチェは水を一気に飲み干した。

「まったく……ほら、店開けるから、もういっちょ、頑張っとくれよ」

 ローザがルーチェの肩を叩いて店の出入り口に向かって行く。

「今日は臨時休業じゃないの……」

 話し合い前の一言を思い出してローザに投げかける。

「何言ってんだい、話し合いは終わったろ? なら店を閉めとく必要はないじゃないか」

「えぇ……」

 ローザの一言にルーチェは余計にぐったりした。

 店の営業が始まると、ぽつりぽつりと人が入りはじめ、しばらくすると店内はほぼ満席の状態になった。

「すごいわね……この店繁盛してるのね」

「皆さんよく来てくれる常連さんなんですよ、ありがたいことです」

「おーい、アイラちゃん、そっちの新入りちゃんでもいいけど、注文頼むよー」

「はーい♪」

 客に呼ばれてアイラが嬉しそうに注文を取りに行く。

 注文を取っている間もアイラは客と楽しそうに話している。

「おおい、新入りちゃん、注文いいかい?」

「はーい……」

 客に呼ばれてルーチェもしぶしぶ注文を取りに行く。

 注文を書き留めてローザに伝えに行く。座ろうとすると、別の席から声が上がる。

「おーい、こっちも頼むよー」

「はーい、ただいまー♪」

「こっちもお願いねー」

「今行きますー……」

 座る暇もないどころか、立ち止まる暇すらない。目が回るような忙しさだ。

 閉店する頃にはルーチェはすっかりばてて、机に突っ伏していた。

 対照的にローザとアイラは疲れた様子もなく、笑顔で話している。

 片付けが終わり、部屋に戻ったのは夜もかなり深まった頃だった。

「うぅ……」

 唸り声をあげてベッドに倒れ込むルーチェ。

「大丈夫ですか、ルーチェさん?」

 苦笑いしながらアイラが呼びかける。

「さすがにきついわ……」

 顔もあげずに答えるルーチェ。気を抜くと今にも寝そうだった。

「それじゃあ、今日はもう寝ちゃいましょうか」

 そう言いながらアイラがルーチェの寝るベッドに腰かける。

「……何であんたもベッドに来るのよ」

「あ、ごめんなさい、ルーチェさんが嫌なら床で寝ますよ?」

「いや、そうじゃなくて、何であんたも同じ部屋で寝るのよって」

「あ、あれ? ローザおばさんと話して、私とルーチェさんは相部屋ってことで決まりましたよね?」

「……そうだったっけ?」

 正直ルーチェはそんな話をした覚えはない。それほど疲れていたということだろう。

「まあ、いいわ……疲れたからもう寝させてもらうわ……」

「はい。おやすみなさい、ルーチェさん」

「ん……」

 返事にならない返事を返してルーチェは意識を手放す。

 普通なら知り合って間もない者と寝るなどありえないが、ルーチェは何故かアイラに対して知らぬ間に無警戒で接していた。


 眠ってからどのくらい経っただろうか。虫の声すら聞こえないほど辺りは静かだ。

 少し冷たい風がルーチェの頬を撫でる。

 目を薄ら開けると、隣で寝ているはずのアイラの姿が見えなかった。

 風でカーテンがなびいている。ガラス戸が開いているようだ。

 ルーチェは布団から抜け出すと、ゆっくりとガラス戸へと近づいていく。

 外が見えた。雲一つない濃紺の空が広がっている。その中に無数の星、一際光り輝く満月。とてもきれいで不思議な感覚の空だ。そして、どことなく寂しげな空だった。

 風に長い髪をなびかせながら、ベランダでそんな空を見上げている少女が一人。

「何してんの、こんな夜更けに」

「ル、ルーチェさん? ごめんなさい、起こしちゃいましたか?」

 ルーチェが声をかけるとアイラは驚いた様子で振り返る。

「いいわよ。どうせそんなに深く寝てないし」

 手をひらひらと振って答えるルーチェ。アイラの隣まで歩み寄ると、手すりに頬杖ほおづえをついて空を見つめる。

「何考えてたの? 結構深刻そうな顔してたけど」

「……昼間のことを」

「昼間? あの話し合いにもなってない話し合い?」

「あはは……」

 ルーチェの返しにアイラは苦笑した。

「あと……」

「あと?」

「昔のことを、ちょっぴり……」

 アイラは眉根を寄せ、困ったような、泣きそうな、そんな何とも言えない表情になった。

 おそらく『連中』の来た日のことを考えていたのだろう。

「あんた、両親いないんだっけ?」

 アイラの様子を見て、ルーチェはそんなことを口にしていた。

「はい……6年前に……」

「そっか……」

「私と同じだ」

「え……?」

 ルーチェの意外な言葉に、アイラは驚き、固まった。

「私もいないのよ、親。生まれてちょっとして捨てられてたみたい」

 特に気にした様子もなく、あっけらかんとルーチェが言う。まるで他人事のような言葉だった。

「捨てられたって……そんな……」

「あーあー、そんな暗い顔しなくた……うわっ、なんで泣いてるのよ!?」

 きれいな琥珀色の瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼすアイラ。

 突然泣き出したアイラにルーチェはあたふたするばかりである。

「だって……ルーチェさん……」

「なによ?」

「悲しいじゃないですか……」

「悲しい? かわいそう、とかじゃなくて?」

「はい。悲しいです」

「本人が言うならまだしも、他人が悲しいって変じゃない?」

「むぅ、悲しいものは悲しいんです」

 アイラは泣きながらむくれ、ルーチェは優しく微笑んだ。

 二人の間を風が優しく吹き抜ける。

「ねえ」

「なんですか?」

 ルーチェがためらいがちにアイラを呼び、アイラはそれに柔らかな表情で応える。

「聞かせてよ、両親のこと……私は家族ってのがどんなのか知らないからさ」

「はい、もちろん!」

 二人はどちらからともなく、一歩ずつ近づく。

 アイラがぽつりぽつりと語りはじめる。父も母も穏やかで優しい人だったこと、色んな場所に連れて行ってもらったこと、何気ないある日の夕食のこと。

 両親は植物が好きで、趣味も仕事も植物に関するものだったこと……。

 楽しそうに、愛おしそうに、少しだけ寂しそうにアイラは語る。その様子を見ながら、ルーチェはいつの間にか微笑んでいた。

 同時に、胸の中に何か、違和感のような、何かが足りないような、何とも言えない感情が渦巻くのを感じた。それがだんだんと全身に広がっていく、そんな気がした。

 寂しい、悲しい、虚しい、羨ましい、そのどれもが当てはまるようで、違うような気がした。

「それでですね、お父さんが……ルーチェさん……?」

 アイラがルーチェの顔を覗き込む。その瞳には心配する色が浮かんでいた。

「なに、急にそんな顔して? 話の続きは?」

「いえ、その、ルーチェさん、どうして泣いてるんですか……? 私、何かよくない話でもしてしまいましたか!?」

 アイラが狼狽えながら指摘する。そこで初めて、ルーチェは自分が泣いているのに気が付いた。

「は……? なんで? なに、これ……?」

 ルーチェは慌てて涙を拭う。アイラは相変わらず心配そうな顔でルーチェを見つめる。

 自分でも理由のよくわからない涙にルーチェは戸惑うばかりだった。

「ルーチェさん、その、私がいますから」

 アイラが胸に手を当て、真剣な顔で言った。

 その言葉に、ルーチェはきょとんとした顔で首を傾げた。

「うん? なに言ってんの、あんた?」

「あ、いや、なんとなくです……やっぱり、寂しいのかなって……だから、私がいますって。私は、ルーチェさんの、その、友達、ですから……」

 恥ずかしそうに縮こまるアイラを見て、ルーチェは小さく笑った。

「会ってからまだ一日しか経ってないのに、調子に乗らないでよね」

 ルーチェは肩でアイラのことを小突いた。あたたかい。それだけで、胸に渦巻いていた感情がどこかへ消えていく気がした。

「すみません……」

「……いいわよ、許すわ。友達……なんでしょ?」

 はにかむルーチェ。

 アイラが花の咲いたような笑顔になる。

 もう一歩ずつ、二人は自然と近づいた。肩と肩が触れ合う。そこからあたたかさが伝わる。

 静かで優しい夜はゆっくりと更けていった。


 朝日の眩しさが目に刺さる。ルーチェはゆっくりと目を開く。

 背中に適度な柔らかさと温かさを感じる。どことなく花のような、甘くていいにおいが漂っている気がする。なんだかとても安心できる、何かに包み込まれているような心地よさ……。

「んん……ふぁ……」

 あくびを一つして、ルーチェは伸びをしようとする。

 しかし、腕が上がらない。何かに阻まれている。

 そこでルーチェはようやく自分が置かれている状況を認識した。

「ん~……すぅ、すぅ……」

「なに、これ……いつの間に……」

 ルーチェはアイラに抱きつかれて横になっていた。

「ちょっと、アンタね、いくらなんでもくっつき過ぎ! 放しなさい!」

「んぅ……うるさいですぅ……」

「だー! もう、放せってばぁ!」

 ルーチェは解放されようと暴れるが、アイラは離れる気配がない。むしろ、先程よりも抱きつく力がきつくなっているような気がした。

「こんのぉ! 放しなさい、アイラ・フェニエ!」

 なおも暴れるルーチェ。

 薄らと汗ばみ始めたころ、ようやくアイラの魔の手(?)から逃れることに成功する。

「うわっ!?」

 しかし、勢いよく抜け出したせいでベッドから落下し、しこたま頭を打ち付けた。 

「いたた……なんで私がこんな目に……」

 打った場所をさすりながら起き上がると、なんとも幸せそうに眠るアイラの顔が目に入った。

「随分幸せそうな寝顔ね!」

 ルーチェは眉尻をひくつかせながら近づくと、アイラの頬を思い切りつねった。

 アイラが悲鳴を上げながら目を覚ましたのは言うまでもない。


「うぅ、酷いですよルーチェさん……」

「元をただせばアンタが悪いでしょ」

 食堂へ降りながらアイラがルーチェに不満を言うが、ルーチェは相手にしなかった。

「おはよう、二人とも。朝から仲がいいじゃないか」

「おばさん、おはようございます!」

「おはよう」

 挨拶を済ませてルーチェとアイラはカウンター席に座る。

「朝食できてるけど、もう食べるかい?」

「はい、いただきます」

「もちろん」

「はいよ、ちょっと待ってな」

 ローザがそれぞれの分を皿にスープを盛りつけて持ってくる。

「お待ちどう。熱いから気をつけな……ってもう食ってるね」

「ふぁに?」

「いいや、何もないよ」

 ローザは満足げにルーチェが食事をとる姿を見る。

「二人とも、ちょっといいかい?」

 ルーチェの皿が空になり、アイラの皿のスープが半分ほど減ったところでローザは二人に声をかける。

「何でしょう?」

「何?」

「急ですまないけど、今日の仕事はいいよ。休みだ。二人で遊んどいで」

 ローザはにこりと笑うと、親指を立てて見せた。

「おっと、ただし、昨日みたいなのはごめんだからね。まして、あいつらがやり返しに来ないとも限らないからね。十分に注意するんだよ!」

「はーい!」

「休みはいいけど、店はどうすんのよ? まさかアンタ一人で……?」

「ああ、一人で回すさ。こちとら元々アイラが来るまで一人でやってたんだ。それに、古い仲間に声をかければ手伝いに来てくれるから、こっちのことはなーんにも気にしないで行っといで」

 ローザは胸を張って自信ありげに叩いた。

 ルーチェがアイラの方を向くと、アイラは笑って頷いた。

「ふーん、じゃあ、遠慮なく」

「ただし、ルーチェ」

「な、何よ?」

「アンタ、アイラのことしっかり頼むよ」

 ルーチェの肩に手を置くローザ。その指に徐々に力がこもっていく。そして、ぎりぎりとルーチェの肩に食い込んでくる。

 ルーチェはひきっつた笑顔で何度も頷きながらローザの手を叩いた。

「ん、よし! さ、朝食食べたら晴れて自由だよ! 満喫しといで!」

 ローザが手をはたいて話は終わった。

 と同時に、アイラがむせそうになりながらスープを飲み干していく。

「ぷはっ、ルーチェさん! 今日のご予定は?!」

「い、いや、特にないけど……」

「ならご一緒しましょう!」

「ああ、うん、端からそうじゃないかなーと」

「じゃあ、予定を決めましょう!」

「そ、そうね……さっさと決めちゃいましょう」

 アイラのハイテンションにルーチェは若干引きつつも、付き合うことにした。

 アイラがあーでもないこーでもないと様々な案を出していく。

「ん? 誰か来た……?」

 ルーチェが店の入り口を凝視する。なんとなく人の気配がした。一人や二人じゃない。

「ルーチェさん? どうかしました?」

 アイラがルーチェの顔を覗き込む。

 次の瞬間、店のドアが荒々しく押し開けられる。

 ルーチェは立ち上がり、アイラは肩をすくませた。

 ローザがカウンターから出て二人の前に歩み出る。

「邪魔するぜ」

 身長は2mはありそうな太った丸坊主の男が入ってくる。

「悪いけどまだ開店時間じゃないんだ、出直し……アンタ、どっかで……」

 ローザが大男を見て何か引っかかっているような微妙な表情になる。

「この店に用はねえ。なんでもここに俺のカワイイ部下たちをかわいがってくれたやつがいるって聞いてよ。そいつをここに連れてきな」

「悪いけど、そんなやつここにはいないよ」

「ここにいるのは分かってんだよ! つべこべ言わず、黙って連れてくりゃそれでいいんだよ!」

 大男が机を蹴り飛ばす。小石でも蹴ったかのように軽々と、他の備品を巻き込んで店の奥へと転がっていく。

「二人とも上に行ってな」

 ローザが振り返り、二人に声をかけた。

「でも、おばさん」

「来なさい、アイラ・フェニエ」

 渋るアイラをルーチェが引っ張って二階へと上がっていく。

「アイラを頼むよ」

「任せときなさい。あんたこそ、気をつけなさいよ」

「おいおい! 何こそこそしてやがる!」

「何もないよ。ただ関係ない娘たちを安全なところに行かせただけさ」

 ローザと大男の声を背にルーチェとアイラは二階の部屋へと上がっていく。

「ルーチェさん!」

「黙って来なさい」

「でも、おばさんが……!」

「いいから! アンタを部屋に入れたら私もすぐに行く。安心しなさい、私の実力見たでしょう?」

「ルーチェさん……」

 アイラをベッドに座らせると、アイラのお古のパジャマを脱ぎ捨て、いつもの旅姿に着替える。

 そして、自分の荷物に手を伸ばし、牛革のウエストポーチを身に着け、長い袋を背負った。

「ルーチェさん……? 荷物なんか持ってどうするんですか……?」

「確か、連中のリーダー格二人は魔法使いだったわよね?」

「えっ? そう、ですけど……」

「なら、これは念のためよ。相手が魔法使いだった時のね」

 ルーチェの言葉にアイラは首をひねった。ルーチェは一つ息を吐くと、気をひきしめ、下へと向かう。

「ルーチェさん!」

 アイラの表情は今にも泣き出してしまいそうな不安げなものだった。

 ルーチェは振り返り、わずかに口角をあげ、自信満々な声で言った。

「安心しなさい、すぐ終わるから」

 踵を返すと手を軽く振って部屋から出て行く。

 残されたアイラは何事もないように祈るしかなかった。

 階下からは押し問答をする怒鳴り声が聞こえてきた。

「いるんだろ! ああ!? さっさと出しやがれ!」

「だから、何度もそんなやつここにはいないって言ってるだろう!」

 ルーチェはドアの隙間から様子を窺う。

 大男は顔を真っ赤にして今にも殴りかかりそうだ。

「そうかよ、どうしてもしらをきるってんだなぁ?」

 大男がにわかに殺気立つ。マズイ、ルーチェの直感がそう告げた。

「しらきるもなにも、ここにはそんなやついない、それだけさ」

「ふん、なら体に聞いてみるだけのことよ!」

 大男が拳を振りかぶる。

 それを見てルーチェはドアを蹴り開けて飛び出す。距離はそんなにない。十分間に合うはず。

「ローザ、避けなさい!」

 ルーチェが叫ぶ。ローザは察したのか、横に飛ぶと床に伏す。

 大男が拳を振り下ろしながら訝しげな表情になる。

「くらえ!」

 ルーチェは長い袋を振りかぶると、大男の腹目がけて力一杯振り抜く。

「ごふっ!?」

 防御体勢のとれていない腹に見事にクリーンヒットする。

 大男はよろよろと後ろに二、三歩後退した。

「てめぇ……!」

 大男の目に怒りと憎悪の色が浮かぶ。

 ルーチェは臆さずに睨み返す。

「ローザ、怪我はない?」

「あ、ああ、平気だよ」

 ルーチェに助けられながらローザが立ち上がる。

 大男はじろじろとルーチェを見回す。そして、合点がいったのか、一人でしきりに頷いていた。

「なるほど、おめぇが例の小娘だな? よくも俺のカワイイ部下をかわいがってくれたなぁ?」

「何のこと? 身に覚えがないんだけど」

「あいつらの言う通り、物珍しい銀髪のちっこい女だ。こんなやつ他にそうそういねぇよなぁ?」

「………」

 ルーチェは無言で大男を睨みつける。

「ガエルの兄貴、見つかりやしたか?」

 ルーチェとローザ、大男が対峙していると、昨日の二人組に加えて二人のチンピラが店に入ってくる。

「あ! 兄貴、そいつです! 俺ら、そいつに蹴り飛ばされたんです!」

 スキンヘッドの男がルーチェを指さして興奮気味にまくしたてる。昨日ルーチェが撃退した男の一人だ。

「やっぱりそうか」

 ガエルと呼ばれた大男はにやりと笑うと、拳を鳴らす。

「覚悟はいいか、小娘、俺の部下を可愛がってくれた礼をたっぷりしてやるからなぁ!」

 野次馬のチンピラ数人がにやにや笑いながら野次を飛ばす。

 ルーチェはちらりとローザを見ると、一歩前に進み出て言った。

「ローザ、あんたはアイラの所に行きなさい。これは私の問題よ」

「なっ、バカ言うんじゃないよ! 自分だけ安全な場所に行くなんてできるもんかい!」

 ルーチェの言葉にローザは憤慨した。

「アンタこそバカ言うんじゃないわよ。これから相当荒事になるのよ! だから……」

「アンタ一人じゃどうにもできないだろう!?」

「だからって、アンタ一人いたところで変わんないわよ。いいからアイラのとこに行きなさい」

「おい! ごちゃごちゃうるせーぞ!」

 ルーチェとローザが言い合っている間にガエルが業を煮やして割って入ってくる。

 ルーチェはキッとガエルを睨みつけ、ローザを庇うように右手を挙げた。

「とりあえず一発喰らえや!」

 ガエルがにやりと笑い、拳を振り上げる。

 ルーチェはローザに体当たりして脇にどけながら、自らも迫りくる拳を避けた。

 尻もちをついたローザを尻目に、拳を空ぶったガエルの、がら空きの顎目がけて背負った革袋を打ち上げる。

「がっ!?」

 顎を撃ち抜かれ、後ろにのけ反るガエル。ルーチェは間髪入れずにガエルの膝を折るつもりで蹴手繰る。

 膝を蹴られて体勢が崩れ、今度は前のめりになったガエルをルーチェは全体重を乗せた体当たりで向かえた。

「うおっ!?」

 完全に体勢を崩したガエルは二、三歩よろめき、そのまま背中から倒れ込んだ。

「あ、兄貴!?」

 ガエルが倒れ込むと、チンピラどもが驚愕の表情で駆け寄っていた。

「いい、アイラの所に行って! あいつらと渡り合えるって言うなら、その力であの子を守りなさい! いいわね!?」

 尻もちをついたまま呆然とルーチェを見上げるローザを一喝すると、ルーチェはガエルの腹を踏みつけ、そのまま外へと駆け出して行った。

(とりあえず、少しでもここから離れないと……だからといって村にも近づくわけには……)

「アンタたち、私にお礼してくれるんじゃないの? もうダウン?」

 ルーチェは店先に出ると、振り返ってガエル達を挑発しにかかる。

「おい! 追いかけろ!」

 ガエルの怒鳴り声が響き、チンピラが束になって店先に躍り出てくる。

(四人か……何とかなるかな……?)

 チンピラが二人組ずつになってルーチェに迫ってくる。

「よっと……!」

 ルーチェはまず向かってきた坊主頭とモヒカン頭の二人に突っ込むと、その勢いのまま革袋を突き出す。坊主頭のチンピラがもろに顔面で受け、鼻血を出しながら倒れ込んだ。

 ルーチェにつかみかかろうとするモヒカン頭に向かって、その場で回転し、勢いをのせた革袋を見舞う。モヒカン頭は顎を撃ち抜かれそのまま倒れ込む。

「テメェ!」

「このガキ!」

 後続の二人組は左右に分かれて挟撃してくる。髭面と派手な赤シャツの二人組だ。

 ルーチェは一瞬肝を冷やすが、すぐに思考を切り替え、おもむろに革袋を右手側の髭面のチンピラに投げつけた。さすがに気絶したりはしなかったが、肩に命中し、足止めすることには成功した。

 間髪入れず左手側に意識を集中する。赤シャツのチンピラはもう目前まで迫っていた。

 胸倉をつかまれる。相手が拳を振りかぶる。ルーチェは赤シャツの胸倉をつかみ返すと、自分から接近し、渾身の力とスピードで足を振り上げた。

 振り上げた足は、赤シャツの股間にめり込み、赤シャツが白目をむきながら脱力する。

「調子に乗るなよ、クソガキ!」

 先ほど足止めした、髭面がこちらに向かってくる。ルーチェは気絶した赤シャツを全力で突き飛ばす。こちらに向かってきた髭面がそれを反射的に受け止める。

 髭面が慌てて赤シャツを押しのけた。

 しかし、ルーチェはその間に間合いを詰め、右手を腰だめに構える。

「ふっ!」

「ごぶっ!?」

 腰を入れ、溜めた力を掌底に込め、伸びあがるように髭面男の顎を打ち上げる。

 上を向いたまま、髭面男が倒れ込んだ。

「いたた……」

 ルーチェはジンジンと痺れる右手を振って息を吹きかけた。

「さてと……あとはアンタだけね?」

 ルーチェが視線を上げると、ガエルが足を踏み鳴らしながらこちらに向かってきていた。

「テメェ……クソ餓鬼が、いい気になってんじゃねぇぞ!」

 顔を真っ赤にしたガエルが右手にはめていた手袋を外す。

 手の甲に透き通るような朱色に輝く荒削りの石が埋め込まれている。その石を囲むように刺青で文字と規則正しく並んだ幾何学模様が、そこから腕や指先に向けて直線や波線、矢印のような記号が刻まれていた。

「っ!? それは……!」

「あん? こいつが何なのかわかるのか! そりゃいいや! じゃあ、次にどうなるかもわかるよなぁ!」

 ガエルが拳を握り、意識を集中させると、石や周辺の刺青が淡く光り始める。

(まずい……!)

 ルーチェは少しでもガエルとの距離を離すため走り出す。

「丸焦げにしてやるぜ!」

 ガエルが手のひらをルーチェに向かってかざすと、何もない空間から熱気が揺らめき、あっという間に炎が出現する。

 炎が拳大ほどに成長すると、ガエルはそれを押し出すように放つ。

 ある程度離れたルーチェは、右に飛びのき、地面に伏せる。直後、炎はルーチェの立っていた位置に着弾し、ドンッと空気を揺らした。爆風で少しばかり飛ばされ、地面を何度か転がった。その勢いを殺さずに素早く手をついて立て膝の体勢になる。

「チッ、避けやがったか……」

「ぺっ……それが、アンタの魔法?」

「ああ、そうだ! これが俺様の魔法よ!」

 ルーチェが問うと、ガエルはにやりと笑い、拳を握り、手の甲に埋め込まれた石を誇示した。

「ふーん……」

 ルーチェはじっとガエルの腕を観察する。そこに刻まれたのは確かに魔法を使うのに必要な印だ。

 だが、ルーチェの知っているものとはわずかに違う。

(……疑似魔法か魔術の類ってところかな。どっちにしろ、あれはきちんとした魔法じゃない。これなら正面からぶつけても押し勝てる)

「がはは! 何だ、びびって声も出ねぇか?」

 ガエルの威張り散らした声にルーチェは思わず笑っていた。

「なんだ、なに笑ってやがる!」

 ルーチェが笑っていることに気が付き、ガエルが憤慨する。

「いや、そんな偽物掲げて威張り散らしてるの見たら、つい」

「偽物だと!?」

「そう、偽物よ。確かに普通の人間は怖がらせることができるわね。当然よ」

「でも、本物の魔法使いから見たら滑稽以外の何物でもないわよ」

「テメェ……!」

 自慢の力をバカにされて、ガエルは怒りに任せて炎を放つ。先ほどの倍はある炎だ。

 ルーチェはその場を動かず、ガエルを見据えている。

 炎が着弾し、爆発する。爆炎が広がり、爆音が空気を揺らし、焼かれ、抉られた地面が土煙となって辺りに舞い上がる。

「がはは! どうだこの威力! この力が偽物なもんかよ! 丸焦げになっちまってるから聞こえねぇか! がははっ!」

 土煙がおさまりはじめる。晴れていく土煙の中から淡い光が漏れ出てくる。その向こう側には人影。

「な、なにっ!? どうなってやがる!?」

「……それで全力? だとしたらやっぱり偽物よ」

 ガエルが驚愕の表情を浮かべる中、ルーチェは涼しい顔をしていた。

 ルーチェの前には三重の正円。その正円の中には文字と様々な図形を組み合わせた模様。淡く光り、ルーチェを守っているかのようだった。

「それは、魔法陣か……!? テメェも魔法使いだったのか!」

「そのとおりよ。見せてあげる、私の魔法を」

 ルーチェが顔の横に右手を掲げる。その人差し指と中指にはいつの間にか、それぞれ、複雑な幾何学模様と文字の彫りこまれた半円形の指輪がはめられていた。

「さあ、いくわよ」

 ルーチェは不敵な笑みを浮かべると、差し指と中指とにそれぞれはめた指輪を打ち鳴らした。

 カチン! と小気味良い金属音が鳴る。澄んだその音は頭の中に直接響いているかのようにはっきりと聞こえた。

 ルーチェは組み合わせて正円となった指輪を胸にかざす。すると、正円の指輪が淡く、青白い光を発し始めた。その光は日光に遮られることもなく、はっきりと存在を主張する。

 そして、信じられないことに、ルーチェ自身が淡く光っているように見えた。

 ルーチェは右腕を真横に払い、今度は左手を顔の横に掲げる。左手の中指にはいつの間にか、親指の爪ほどもある、透き通った大きな緋色の石を抱く銀細工の指輪がはめられていた。

「イグニス!」

 ルーチェは緋色の指輪を胸にかざす。紅い光が指輪から迸り、ルーチェを包み込んだ。今度は左腕を真横に振り払うと、両手の指輪それぞれから炎がほとばしり、ルーチェを包んだ。

 まとった炎を凝縮するかのようにルーチェは腕を胸の前で交差させる。

 煌々と燃え盛る業火。腕だけでなく、ルーチェの全身をも呑みこんでしまう。一際炎の輝きが増したところでルーチェは斜め下に向かって両腕を広げた。当たるだけで火傷してしまいそうな熱気が一瞬、辺りを駆け抜ける。それと同時に、炎が散った。

 そして、ルーチェの姿が現れる。その身は、緋色の生地に金色の縫い文字の施された、身の丈ほどのローブに包まれていた。

 煌々たる業火の似姿。ルーチェが最も得意とする炎を司る魔法。その煌々と燃え盛る業火は、神聖でどんな暗闇をも払う力を持つ。

 しかし同時に、邪悪で、制御できなければすべてを、例外なく自らも焼き尽くす力。炎に善悪を区別する理性などない。ただ、目の前のものを焼き尽くそうとする本能のみ。

 それを制御し、付き従わせ、使役できるものこそ魔法使い。

「何だ、そりゃ……!」

 ガエルが驚愕した顔で呟く。

 ルーチェは、革袋の中から先端に円盤と、両に広がる翼の意匠のついた身の丈より大きな杖を取り出す。円盤には大きく三重の正円。文字と様々な図形、幾何学模様で魔法陣が描かれている。

 ルーチェは目を閉じ、久々に握る杖の感触を確かめる。

 ギュッと少し強めに握り、目を開く。そして、杖をガエルに差し向ける。

「さあ、見せてあげる」

「本物の魔法ってやつをね」

 ルーチェは不敵な笑みを浮かべ、高らかに宣言した。

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