星のかけらの五百円玉
青樹加奈
星のかけらの五百円玉
写真を取ろうとした僕に老人が言った。
「だめだめ、兄ちゃん、写真はだめ」
橋の下、ダンボールの仕切りの中で老人が嫌そうに垢だらけの手を振る。僕はカメラを置いた。
「それよりな、この財布な、いっつも五百円玉がはいっとるのよ」
僕は仕方なく老人の話を聞く事にした。親しくなれば、写真を取らせてくれるかもしれない。僕はカメラマンだ。今、ホームレスの写真を取っている。
「わし、食べるのは困らんのよ。毎日、五百円、入っとるのよ。知らんうちに」
「でも、使ったらなくなるんじゃない」
「それが、なくならんの。五百円使うじゃろ、その日はカラやけど、朝起きたら五百円玉がはいっとるの。これ、魔法の財布やと、わしは思うとる」
「見てもいい?」
老人は財布を紐で腰に結びつけたまま、僕に見せてくれた。
僕は、その財布を見てみた。なんの変哲もない黒革の財布である。蓋のスナップを開け振ってみたが、何も出て来ない。
「な、何も入ってなかろ。でも、明日の朝には五百円玉が1枚、はいっとるの。でもな、それ以上はいってた事もないの。一日使わなかったからって、次の日、五百円玉が二枚になる事もないの。わしな、五百円玉はきっとな、空の星が落ちて来て五百円玉になったって、思う取るの」
「まさか!」
僕は笑った。
「ううん、本当、本当。だってね、その五百円玉、めちゃくちゃきれいなの。ぴかぴかして」
僕は、一瞬、ぴかぴか光る五百円玉を思い浮かべた。星のかけらで出来た五百円玉。
「それは見たいなあ、今、持ってない?」
「今日のはもう使った。明日の朝、また来るかい? 兄ちゃんが見たいなら、使わずにとっとくよ」
僕は老人に、明日朝一番で来るから五百円玉は使わないでくれと頼んで帰った。
翌朝、橋の下へ向うと老人が、土手の上で待っていた。
「よう、兄ちゃん! ほら、これ」
老人が五百円玉を出した。五百円玉が朝日に反射してキラキラと輝く。
「へえー、これはきれいだ」
僕は感嘆した。傷一つない、ぴかぴかの五百円玉。まるで、今作ったみたいに輝いている。
「さ、もう見ただろ。わし、腹が減ってるから、これで弁当買って食べる」
「……、この五百円玉ほしいなあ、ね、売らない?」
「は? だめだめ、さ、返して」
「千円、千円だすから」
「え、千円!」
僕は財布の中から千円札を一枚出して老人に渡した。老人はあっけに取られたような顔をして、千円札と僕の顔を交互に見ている。
「五百円玉を千円で!」
「ああ、どうしても欲しいんだ、この五百円玉。その千円で、たらふく弁当食べてよ」
「よ、よし、売った!」
僕は星のかけらの五百円玉を指で挟んで高く掲げた。青い空をバックにきらきら輝く五百円玉。
僕はポケットからハンカチを取り出し、丁寧にそれを包むと上着のポケットに入れた。
「に、兄ちゃん!」
「?」
「あんた、この財布、買わんか?」
「え? だって、その財布がないと困るでしょう」
「わし、まとまった金がほしいんや。まとまった金が出来たら、田舎に帰れるんよ」
「あんた、田舎があるの?」
大抵のホームレスは、行く所がない。家族も親類もいない人が多い。
「ああ、わしの田舎、廃村になったの。だけど、今でも、暮らそうと思ったら暮せる筈。わし、生まれた家に帰りたい。な、頼む、これ買ってくれ」
僕は迷った。欲しかった五百円玉は、もう手にいれた。一枚あれば十分だ。僕がきっぱり断ろうと口を開ける前に、老人がたたみかけるように言った。
「あんた、その五百円玉、使うつもりないんやろ。だけどな、その五百円玉で買った弁当、めちゃおいしいんよ」
「は?」
「だからね。その五百円玉で買った弁当は同じ弁当でも、おいしいの」
老人は僕の手を掴むと、ぐいぐいと引っ張って歩きだした。これが、橋の下でごろごろしていた無気力な老人と同じ人間だろうか。僕は近くの弁当屋に連れて行かれた。
「さっきの五百円玉、出して」
「え!」
「いいから、出して」
「いやだよ。せっかく買ったのに」
僕は文句を言ったが、結局、老人の迫力に負けてぴかぴかの五百円玉を出した。
老人は五百円玉を引ったくるように取ると、店の中に入って行った。ガラス戸越しにぽっちゃりした若い娘が、白いエプロン、白い三角巾をつけて弁当を包んでいるのが見える。老人は弁当を買って出て来た。僕を弁当屋の前にあるベンチに座らせ、買ったばかりの弁当をぐいぐいと押し付けてくる。
僕は仕方なくその弁当を食べた。鼻腔に広がる米の香り。
「うまい!」
「だろ、ちょっと待ってて」
老人は先程僕が渡した千円札で、もう一つ弁当を買って出て来た。ペットボトルのお茶も二本買ったようだ。老人が僕にペットボトルを差し出す。
「ほら、兄ちゃん、喉つまるやろ」
僕は弁当のご飯を口にほおばりながら、もごもごと礼を言った。
「そっち食べたら、こっち食べてみて。同じシャケ弁当だけど、絶対、そっちがおいしいから」
僕はお茶でご飯を飲み下すと、老人が差し出すもう一つの弁当を食べた。
「まずい」
「だろう。あのぴかぴかの五百円玉で買った弁当は味が違うの。わし、弁当しか買った事ないけど、酒もうまいんじゃないかなと思うんよ。どうね、財布があれば、いくらでも五百円玉でてくるよ」
僕は酒が好きだった。うまい酒ならぜひ飲んでみたい。僕は強烈にその財布がほしくなった。財布があれば、ぴかぴかの五百円玉が何枚でも手に入る。
「よし、その財布、買った。これでどう?」
僕は片手を広げた。
「ええ! だめだめ、こんだけは貰わないと」
老人は両手を広げて見せる。僕と老人は高い高くないと言い争ったが、結局、僕は老人の言い値で財布を買っていた。
金を受け取った老人は、嬉しそうにこれで故郷に帰れると言って橋の下に戻って行った。
その夜、僕は財布を枕元に置いて寝た。今はカラだが、明日の朝には星のかけらの五百円玉が一つ入っている。一体、いつ以来だろう、こんなに浮き浮きした気分になったのは。
嬉しさのあまり寝付けなかったが、知らぬ間に寝入っていた。
翌朝。
僕は期待に胸をふくらませながら財布を取り上げた。そっと財布を開く。中には五百円玉が入っている筈だ。僕は五百円玉を取り出そうと指を財布に突っ込んだ。
うん? ない。変だな? なんで?
僕は指で財布の中をなぞった。指先で五百円玉の冷たい金属の感触を探す。しかし、何も感じない。
僕は財布の口を下に向け振った。何度も振ってみた。しかし、何も出て来ない。
カーテンを開け、明るい光の元、財布の中を覗き込む。しかし、何も入ってない。
財布を裏返してみた。しかし、何もない。からっぽだ。
からっからのからっぽ!
何故だ? 何故、あのきれいな五百円玉が出てこない?
まさか!
僕は慌てて橋の下に行ってみた。しかし、老人はいない。既に旅立った後だった。何か老人の所在を示す物はないかと探したが何も無かった。
昨日老人に連れて行かれた弁当屋に向って走った。弁当屋の娘が何か知っているかもしれない。
「あの、ちょっと訊きたいんだけど」
僕は肩で息をしながら、弁当屋の娘に話しかけた。娘が怪訝そうな顔をして僕を見ている。年の頃は二十歳くらいだろうか、ピンク色の唇がふっくらとして可愛い。
「昨日の朝、ここで弁当買ったホームレスの老人、どこに行ったか知らない? 橋の下にいないんだ」
「さあ、知らないわよ。あんた、刑事さんかなにか?」
「いや、違うんだ。その、あの老人から財布を買ってね」
「やだ! あんた、あの人の話を信じたの? 星のかけらの五百円玉!」
「え! 君、知ってるの?」
「もちろんよ。いつもうちに来てはその話をしてたもの。あの人、自分でお金を磨いてたのよ。それをね、星のかけらって言ってたの。ちょっと痴呆が入ってたみたいでね」
「じゃあ、あの五百円玉で買った弁当はとびきり美味しいって知ってる? あのじいさんが言ってたんだ。実際、昨日の朝、あの五百円玉で買った弁当は美味しかった」
娘はきょとんとした顔をした。そして笑い出した。
「あのね、あの人がぴかぴかの五百円玉持って来る時は、いつも朝一番なの。で、うちは毎朝、ご飯を焚いてるでしょ。だから、たまたま炊きたてのご飯を食べてたのよ」
「え! でも、まずい弁当もあったよ」
「それはね、昨日の売れ残り。あの人、いつも来てたから、売れ残りがある時はレンジでチンして、おまけで上げてたの」
僕はその場に座り込んだ。
「騙された」
痴呆のある老人が、とっさに機転をきかせて僕に魔法を信じさせたのだ。僕が五百円玉を千円で買ったから、カモだと思ったのだろう。娘がショーケースの上から言った。
「あんた、一体いくらであの財布を買ったの?」
「……、十万」
「ええ! 十万!」
娘は口を抑えてくすくすと笑いだした。ついに爆笑する。僕はため息をついて立ち上がった。
「そんなに笑わなくたって、いいじゃないか」
「だって!」
娘は目に涙を浮かべて笑っている。僕はため息をついた。
「そうだよな、ある筈がないよな。星のかけらで出来た五百円玉なんて。すっかり騙されたよ」
「今時、こんなメルヘンな話を信じるなんて! あんた、『いい人』なんだね」
「『いい人』ね。ああ、よく言われるよ、『いい人』って。……ただのお人好しさ」
「何言ってるの。人を騙すより騙された方がいいに決まってるじゃない。ね、あんた、あたしと付き合わない?」
「はあ?」
「あんた、彼女いないでしょ」
僕は答えに詰まった。確かに彼女はいない。
「ね、図星でしょ。だから、あたしが付き合ったげる。あんたみたいなお人好しには、あたしみたいなしっかり者がついてないとね」
娘は盛大にウィンクをして見せた。
結局、僕は弁当屋の娘とつきあうようになった。
彼女は気立てのいい娘で、僕は彼女を恋人に出来てラッキーだったと思っている。
しばらくして、かつて廃村となった山間の村に、人々が戻っているという話がニュースで流れた。村民は、満天の星を観光資源として村起こしをするのだという。
僕はある種の予感に襲われた。期待してテレビに見入る。
「……代表の方にお話を伺いたいと思います」
女性アナウンサーが差し出したマイクの先に一人の老人が立っていた。
あのホームレスの老人だ。僕はやはりと思った。
「あら、あの人、あんたを騙した人じゃない! あんたから十万円だまし取った」
たまたま僕の部屋に遊びに来ていた弁当屋の娘が頓狂な声を出した。
「ああ、そうだね」
僕はソファの隣に座った彼女の手を握った。
「だけど、騙されたおかげで君と知り合えた。今はあの人に感謝してる」
「でも、十万円よ!」
「……僕の万札はね、お星様になったのさ、あの村の、満天の星にね」
彼女が僕を見上げて、花のように笑った。
(了)
星のかけらの五百円玉 青樹加奈 @kana_aoki_01
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