※)読者企画〈誰かに校閲・しっかりとした感想をもらいたい人向けコンテスト〉参加作品としてレビューします。
〈まず通常レビューとして〉
柔らかく、読みやすさも感じる文体で、少年の切なる願いの行く末を描いた、ファンタジックな掌編小説。所定のプロットを元に、多数の作者が競作する企画の参加作品として作られたようだが、読む分には、特にそれを意識しなくても読み通すことが出来る。
非常に当たりが柔らかい物語で、童話に近い仕上がりと言えるだろう。そちらのジャンルが好きな人なら特に向いた話だと思う。
しかも、結末にはある種の驚きの刃が待っている。その点には素直に驚かされた。
※この改行・空白はレビュー一覧にネタバレ言及が載るのを避けるためです。
〈以後本格的に、ネタバレもありで〉
〈プロット縛りがあるということで、その縛りに関連してそうなっている部分などは、都度斟酌して受け取ってください〉
全体像として★★の評価としたが、ちょっと細々とした気になる点もあり、ややオマケ気味であることは記しておきたい。
まず、レビュータイトルに「少年」と入れたのだが……主人公・語り手が「少年」であることをようやく確信できたのは、少女が登場して「お兄ちゃん」と呼んだからだった(一人称「僕」だけでは今時ちと弱い)。一人称で、主人公がどんな人物なのかを明確にするのはなかなか難しいことで、本作のように、「これが小説であることの自覚が薄い語り方をする語り手」の場合さらに難しい。なのだが、それでもやらなくてはならないのが作者の務めだ。
さらに主人公について言うと、最後まで、年齢が明らかにならなかった。評者は最初中学生くらいかと思い、少女との出会いの場面で小学校高学年くらいに修正し、ラストシーンでさらに中学年くらいと再修正することになった。これが正しいかどうかは今でも自信がない。
主人公像がぼんやりしていたせいで、今ひとつ、語られている情景に入り込めないところがあったことは否めない。これをハッキリ示す意思や工夫が、文面からはあまり感じ取れなかったことは残念だった。読者に向けた配慮として、提示する情報の内容やその質について意識を向けてもらえたらと思う。
次に文章について触れたいと思う……のだが、これが実に不思議な印象だった。
日本語の構文としてはしっかり整っていて、すらすらと読みやすい。これは見事なものだった。
反面、「何故こんなことに」と思ってしまうような、どうしても引っかかる、ネガティブな要素も多く見られた。文の整いぶりからすると、それだけ書けるのにどうしてこうなってしまうのか、という意味で、不思議さがあった。
まず気になるのは、読点の少なさだ。
例えばプロローグを見ると、全体が短いものの、読点はたったの二つ。
もちろん読点は、本来「意味が通りやすくなるように意味の区切りを示す記号」だ。意味が通りやすく書かれているなら、なくても問題はない。
しかし、
『僕の住む町の北のはずれにある森の奥深くにひっそりと建つ幽月邸』
という一文を見ても、ちょっとそのような配慮がされている、あるいは成功しているとは言い難い。助詞「の」が一文に四つもある。配慮がされているなら、最初の「僕の」を「僕が」にするくらいのことはやるだろう。
とすれば、ただ作者の癖として読点が少ないということなのであろう。
本編に入ると、説明的なくだりが少なくなったため、このような違和感を覚える部分はあまりなかったが、それでも度々、ここに読点があるともっと読みやすくなるのでは、と感じる部分もあった。
また読点は、ちょっとした「間」を作る機能も現実的にはある。そのため、一文が長い時に読点が少ないと、読みながらリズムが生まれず、「一本調子」という感慨を抱くことが多いものだ。本作では、一文それ自体が短いためにこうした感覚は覚えなかったが、本当に癖で読点が少ないのであれば、今後のために多少意識しておいてもらいたいと思う。
次に、言葉の使い方に粗さが散見されたこと。これはもう具体例を幾つか挙げるのが早いだろう。序盤から幾つかピックアップしてみることにする。
『森は鬱蒼とおいしげってきて』
生い茂るのは木であって、「森」ではない。またこの部分は、森を進むとだんだん木の密度が高まってきたという意味合いで書かれているように見えるのだが、それ自体があまり現実的ではない(そこまで密度は変わらないだろうということで)と思われた。幻想的な雰囲気のための演出であるなら、主人公の語り、地の文としてもう少しそこに言及したい。
『月はいつの間にか見えなくなっていた』
これはどうしてだったのだろう。枝が月光を隠したから? 雲で覆われたから? 超自然的な力で隠されたから? と、どういう映像を思い描けばいいのか迷った。その後の『ひらけた場所に月明かりが注がれている』の一文でまた「隠れていたのでは?」と思い、考えた末に「やはり枝葉で隠れたということだったのか」というところに落ち着いた。しかしながら、前述のように木の密度の変化はあまり現実的とは思われなかったし、森の奥に生える木というのは、上端以外に葉はほとんど付かないものである。なのでなんとなしに釈然としないままに先を読み進めることになった。
『鬱蒼とした森を抜けて、細いけれど手入れのされた小道に』森を抜けてしまったら、「森の奥深くにひっそりと建つ」という幽月邸にはたどり着けないのではなかろうか。
このように、「油断」か「慣れ」とでもいうべき、安易な言葉の使い方がちらちらと見えたことが残念だった。
本作を読んで感じたネガティブな点の多くは、「まだ、読者のために書く、ということが徹底できていないのではないか」という疑問に行き着くものだった。読者に伝えるというよりも、「自分の中にあるそれを文章にする」ことで終わってしまっている、という感覚に、読みながら捕らえられた。主人公の(地の文での)語彙が「少女」「お眼鏡にかなう」「瀟洒」など、固めで年齢が高そうに感じてしまうことも、類例と言えるだろう。主人公の語彙ではなくて、作者の語彙で語っている部分が多少なりともあったのではないか。
始めに触れた「主人公像が不確か」ということも、この点に関連してくる。つまりは、作者自身に見えていること、分かっていることを、「読者に伝える」ことを失念してしまう。
文章にはすでに高いリーダビリティ(読みやすさ)があるので、「読者が必要としている情報」を意識して書くようにすれば、それだけで「小説の文章」としての質は飛躍的に高まるだろう。今後、こうしたことを意識してもらえたらと思う。
最後に物語性について。
これは、企画として所定のプロットをよく噛み砕いたと思うし、実は死んでいたのは主人公の方だった、という驚きも用意して、巧くやったと素直に思う。正直、その部分は驚かされた。
しかし、一個の独立した作品として厳しく見ると、企画プロットの存在に甘えてしまったな、という部分もないではなかった。
前半、森のパートに力が入って、後半に邸に入った後が流し気味のように見えるのもそのせいではあったろう。ただこれは、少々残念なことではあるが、評価を下げるほどのこともない。あえて言えば、邸の謎めいた雰囲気を的確に描写して、主人公の探検を見せることが出来ていたら、もっと面白くなったはずだという、勿体なさの方が重要だ。いや本当に、勿体ない。物語的には、やはり後半の方が山場になり得るのだ。ラストに驚きがあるので、邸パートの淡泊さが覆い隠されているが、あれがなければかなりの物足りなさになったことだろう。
そして、最も「甘え」を感じたのは、主人公の方が死者だったということで、「この作品の舞台となった森と邸は、では現実世界なのか、死後の世界なのか」という疑問が最後に浮かび、ハッキリとはしなかった点だ。
付随して、死者であることを自覚していたらしい主人公は、乙葉と出会った時に「生者であるかのように」コミュニケーションを取ってしまっている、という点もある(枝で足音を発ててしまっていることもこれに含まれる)。
死後の世界であれば、そこにある建物のことが生前世界、現世で都市伝説として広まっていることが解せない。
現実世界であれば、主人公は幽霊のようなものとして存在していることになる。ならばわざわざ願い事を叶えてもらうために邸へ行くまでもなく、そのまま両親のいる自宅へ行ってしまえばいいだろう。
驚きとしての「主人公は死者」という設定を盛り込んだがために生まれてしまった疑問点なので、痛し痒しではあるし、もしこれが童話だとしたらさほど気にはしなかっただろう。
企画モノということもあり、目を瞑れないこともないのだが、こうした点が残っているということは、意識しておいて損はしないと思う。こうした細部をおろそかにしない目を保つことで、作者としての技量は確実に一段階上がるはずだからだ。
ここまでやるのは余計なお節介なのだが(作家性に踏み込んでしまうので)、例えば両親との対面シーンで、
「さっきお前がいたように感じていたのは、もしかして本当にお前が来てくれていたからなのかい?」
「うん、でも気付いてもらえなくて」
「そうだったのか、ごめんね気付いてあげられなくて。それで、こうして夢の中で尋ねてきてくれたんだね」
といった会話を挿入することで、現実世界とした際の疑問を一定程度解消出来るだろうと思う。行ったけどダメだった、それで幽月邸に頼ることにした、と。
なにやら文句が先に立ったような内容になったが、実際のところの本作の印象は、全体的に悪いものではなかったということを、最後に念押ししておきたい。正直な気持ちとしては、文章のところで触れた「こんなに文章が書けるのに、細部はこうだなんて、不思議なものだ」といった感慨が強い。ほんの少し、書く時の気持ちを読者の方へと向けてくれさえすれば、劇的に印象が変わるような予感はある。
ただその「ほんの少し」こそ、ただ書くだけ読むだけでは分かりづらい、創作家の悩みどころではあるのだろう。願わくば本稿が、作者の向上のための一助になりますように。